26.07.31 与 力 2 NO.498
なんで「与力」なんて昔の言葉を思い出したのかと申しますと、今の日本では人間としての最低の単位の形態である「家族」という形がほとんど破壊しかかっていて人口が激減し、このまま進むとやがて破滅してしまうのではないかと思うからです。 どこだったかの発展途上国の留学生に、日本の学生が「君の家族は何人?」と聞いたところ、彼は「わからない」と答えた。 彼の国では、祭りごとや弔事には一族の長老の元に親族の全員が集まってその行事を行う。 そして、そこに集まる人を全部「家族」という。 200人くらいはザラなので、つまり何人いるのか実数は解らないということらしい。 一族の間には強い紐帯があって、どこのだれが今何をしているのかはお互いに良く知っており、お互い人助け合い生きているという。 封建的な大家族制は問題がありますが、少なくとも独居老人が誰にも看取られることなく「孤独死」するなんてことはあり得ない。 長老の存在なんてバカバカしいのか、孤独死する方が「近代的」なのか? いま「与力」について考えてみたらどうでしょうか?