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本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
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大河ドラマ「江」の歴史捜査2続き:正月の酒宴の出席者

2011年01月20日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 前回は大河ドラマ「江」の2回目の放送の回顧シーンで出てきた正月の酒宴で浅井長政らの頭蓋骨が酒の肴として供えられた話を取り上げました。
 ★ 父・浅井長政の首の真実

 今回は、その酒宴の出席者について考えて見ます。これまで度々テレビで放映されている、このシーンには光秀はもちろん、秀吉、柴田勝家、あるいは徳川家康などの主だった武将が参列していたと描かれており、私もそうだったのだろうと思い込んでいました。
 ところが、今回、『信長公記』の記述を確認してみると、天正二年の正月一日の記事に「京都隣国の面々が岐阜に出仕して宴会を開いたが、他国衆退出の後、馬廻り衆のみで本格的な酒宴になってから長政らの首が肴に出された」と書かれています。
 天正二年正月時点では光秀は既に近江坂本城主でした。家康はもちろん三河の城主です。秀吉は浅野家を滅ぼした後の近江長浜城主です。彼らは他国衆といえます。一方で、馬廻り衆というのは文字通り信長の周辺に仕える近習であり、彼ら武将とは立場の全く違う信長直属の実務家という存在です。つまり、二次会は信長が全く気の置けない近習のみでわいわいと盛り上がったということです。
 したがって、長政らの頭蓋骨が箔薄(はくだみ)で出された酒宴には光秀も秀吉も居なかったと推理しますが、いかがなものでしょうか?
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本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
プレジデント社

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【歴史捜査レポート:大河ドラマ「江」シリーズ】
   本能寺の変の通説:今年も「江」で登場
   兄・万福丸の処刑の真相
   万福丸ショック 
   父・浅井長政の頭蓋骨
   正月の酒宴の出席者
   森蘭丸さん?
   光秀のきんかん頭
   怨恨説踏襲ですね!
   『明智軍記』踏襲ですね!
   信長の遺体
   小栗栖の竹薮
   光秀辞世の句

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