本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

フランス人からの質問への回答

2024年05月04日 | このブログのガイド
 フランス人ジャーナリストから織田信長の黒人小姓彌介についての質問をいただき回答を書きました。フランスで藤堂裕先生著のコミック『信長を殺した男』が出版されており、それを読んで本を書こうとしているとのことです。
 
1)アフリカ系のサムライについて語られる多くの作品で、明智光秀は「裏切り者」として、また悪人、保守的で時には人種差別主義者として描かれています。たとえば、アフリカ系のサムライが明智光秀の部隊によって処刑されなかったのは、彼が動物と見なされていたからだとする意見もあります。このような明智光秀のイメージはどのようにして定着したのでしょうか?
回答)明智光秀、ヤスケ及び拙著に関心を持っていただき大変ありがとうございます。織田信長に代わって天下を取った羽柴秀吉が自分に都合の良い「本能寺の変報告書」を書き、その中で「悪人」のイメージを植え付けて広めました。そのイメージを小説家や歴史学者がさらに膨らませて広めました。アフリカ系のサムライを「彼は動物なので殺すことはない」と確かに光秀が言ったことはイエズス会宣教師フロイスの本に書かれています。光秀は差別したわけではなく、彼の命を救うために戦闘で殺気だった兵が瞬時に納得しやすい理由を付けたのです。このような状況で「人道的に命を救え」と長々と説教していても誰も納得はしませんので。

2)明智光秀の保守主義に関する質問ですが、彼のキリスト教徒との関係はどうでしたか?彼の娘がキリスト教に改宗したことについて、彼はどう思っていたのでしょうか?
回答)彼の娘がキリスト教に改宗したのは光秀の死後のことです。光秀は信長同様に合理主義者です。天下統一に役に立つから信長はイエズス会を庇護しました。そのことを光秀も理解して対応していたのです。

3)ご自身の研究を通じて、明智光秀の歴史的な認識に変化をもたらすことはできましたか?例えば、大学の学者や歴史家などが、その影響を受けたり、インスピレーションを得たりしたことはありますか?
回答)残念ながら日本の歴史学者・学界は権威主義で固まっていますので、中核にいる学者は頑迷に従来の定説にかじりついています。今後も決して変わることはないでしょう。中核をはずれている学者の中には少しづつ変化も見られるので期待しています。

4)ご自身のマンガでは、アフリカ系サムライが織田信長の逸脱を目撃し、それをスペインの商人ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンに伝えたと説明しています。これは何を意味していますか?解釈に過ぎないのではないですか?
回答)アビラ・ヒロンが自身の書いた本の中に「信長は明智の謀反と聞くと噂によると、指を口に当てて、私は自ら死を招いたか?」と言ったと書かれています。そのような生々しい場面を目撃できる人物は信長の傍近くにいる人物(つまり小姓)しかなく、かつ、イエズス会の日本の本拠である長崎の人々(アビラ・ヒロンも長崎にいました)までに伝わる可能性があるのは、光秀に命を救われ京都のイエズス会の教会に身柄を預けられた唯一生き残った信長の小姓ヤスケしかあり得ないという合理的な推理の結果です。

5)あなたのマンガでは、アフリカ系サムライが頻繁に登場しますが、彼の生活に関する歴史的証言は非常に少ないです。なぜこのキャラクターを定期的に登場させることにしたのですか?
回答)従来歴史学的には全く見落とされていた人物が、実は歴史の重大な目撃者であったことを知らしめたいからです。





 


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