北陸・関東で展開している勝木書店さんの『本能寺の変 431年目の真実』明智憲三郎著・文芸社文庫の書評です。とても的確にとらえていただき感謝しています。
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日本史における最大の謎の1つと言われる「本能寺の変」。本能寺の変については、多くの本が出されています。その多くが光秀の動機解明に主眼を置き、「遺恨説」「野望 . . . 本文を読む
(上の写真は明智光秀居城の京都亀山城の歴史を見守ってきた榎です)
秀吉がねつ造し、軍記物によって汚染され、歴史学界が正そうとしなかった戦国史を今一度洗濯いたし申候
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から著者明智憲三郎へ質問をいただきました。1件ずつシリーズで掲載してきましたが、今回でいよいよ最終回、質問8と9です。
質問8 最近、本能寺の変のリズムネタが流行ってますが . . . 本文を読む
(上の写真は京都本能寺です)
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から著者明智憲三郎へ質問をいただきました。1件ずつシリーズで掲載いたします。今回は質問7についてです。
質問7
明智光秀は反逆者だという歴史的な事実は変わると思いますか?
回答7
反逆者という言葉の定義にもよりますが、光秀が信長を討ったという事実は永遠に変わりません。怨恨説・野望説などの定説が変わ . . . 本文を読む
(上の写真は京都天王山の竹やぶです)
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から著者明智憲三郎へ質問をいただきました。1件ずつシリーズで掲載いたします。今回は質問6についてです。
質問6 「本能寺の変431年目の真実」の本に書ききれなかった事があれば教えてください。
回答6
まだ歴史捜査途上で証拠不十分と判断し、光秀が越前で細川藤孝に仕えるようになる前の経歴について . . . 本文を読む
(上の写真は京都東山三条白川庵です)
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から質問をいただきました。1件ずつシリーズで掲載いたします。今回は質問5についてです。
質問5 本能寺の変の真実としてこれから歴史を勉強する僕たち小学生に伝えたい事は何ですか?
回答5
学校での歴史の授業は何年に何が起きたということを覚える暗記学(たとえば本能寺の変はイチゴパンツ(1582年)と覚 . . . 本文を読む
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から著者明智憲三郎へ質問をいただきました。1件ずつシリーズで掲載いたします。今回は質問4についてです。
質問4
『歴史捜査』を行った結果として、憲三郎さん自身が最も驚いた発見は何だったのでしょうか?
回答4
最初に驚いたのは「研究者の無視している証拠(信憑性ある史料の記事)がこんなにもたくさん見つかるのか」でした。歴史捜査を始めた . . . 本文を読む
『本能寺の変 431年目の真実』を読んだ歴史好きの小学5年生から著者明智憲三郎へ質問をいただきました。シリーズで掲載いたします。今回は質問2と3についてです。
質問2
憲三郎さんは明智光秀の子孫ということですが、具体的にはどのような関係になるのでしょうか?
回答2
このことについてブログに書きましたので、それをご覧ください。
>>> ルーツを辿る:先祖明智光秀への道
質問3
定説の『怨 . . . 本文を読む
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫を読んだ歴史好きの小学5年生からいくつか質問をいただきました。1件ずつシリーズで質問と回答を掲載いたします。今回は質問1についてです。
質問1:なぜ本能寺の変の真実を調べようと思ったのですか?
回答1:
20歳の頃に読んだ本で「定説は軍記物という物語が創った出鱈目」と知り、それまで信じ込んでいた「怨んで殺した」という話が嘘と知りました。子供のころからず . . . 本文を読む
2015年11月14日東京新聞夕刊の「紙つぶて」に掲載された静岡大学名誉教授小和田哲男氏の「駿府城の天守」と題するコラムの最後に「ちなみに、従来は『天守閣』といわれてきたが、江戸時代以前は天守と書かれ、天守閣とは呼んではいなかったことも付言しておきたい」と書かれています。
大変、結構な御説であり、正にこういう細かいところから歴史の定説の誤りを正していくのが歴史学者の責務と思います。
ちな . . . 本文を読む
「日光東照宮のあちこちに桔梗紋がある」は虚説です!!
このページの【2010年2月12日記事】の証拠写真をご覧ください!
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著、文芸社文庫) 35万部突破!!
>>> 『織田信長 四三三年目の真実』(幻冬舎)発売!!
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』エピローグ
『本能寺の変 431年目の真実』の読者の分析を以下にご紹介し . . . 本文を読む
私の家系は明智光秀の側室の子で山城国の神社に匿われた於づる丸(おづるまる、「づる」の漢字は「鶴」のへん)の子孫で、名字を明田と変えて明治時代に至ったと伝わります。私の曾祖父・明田潔は明治十四年に内務省に申請して「明智」姓へ復姓しました。このまま明田姓でいると「将来、愚昧な子孫が明智光秀から連綿と続いた家系を認識せず、明田を本姓と誤ることがあれば、先祖の霊に相済まない」ためだったそうです。
その . . . 本文を読む