本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

大河ドラマ「江」の歴史捜査:総括後編

2011年12月31日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 本日は2011年大晦日。昨日の大河ドラマ「江」の歴史捜査:総括前編に引き続いて総括後編で今年の大河ドラマ・シリーズを締めくくろうと思います。  大河ドラマ「江」には「歴史の捏造」という批判が起きました。確かに江の兄弟の万福丸の存在を消してしまったのは正真正銘の「歴史の捏造」といえます。そう断言できるのは万福丸が確かに存在し、処刑されたことが信憑性ある史料『信長公記』に書かれているからです。このよ . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査:総括前編

2011年12月30日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 今朝NHKで今年の大河ドラマ「江」の総集編を放送していましたので、私も46回に渡る放送に合わせて書き連ねてきたレポートのまとめを行いたいと思います。  そもそもこのようなレポートを書き連ねる気になったのは江戸時代に書かれた軍記物の捏造した話が通説として大河ドラマでまき散らされてきたことへの危機感からでした。     1回:本能寺の変の通説:今年も「江」で登場 2011.1.15     1回:兄 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査46:最終回は大急ぎ?

2011年12月04日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の大河ドラマ「江」は最終回でしたが、大急ぎで歴史の出来事を流した感じで終わりました。徳川家康が死んだのが1616年。江が死んだのが1626年。江の53年の人生の最後の10年間を1回の放送で終わらせてしまったわけですが、その10年こそ秀忠と江が徳川幕府の礎を築いた重要な時期であり、江の活躍が大いにありえたのではないかという気がしたのですが。  私個人としては信長・秀吉の海外侵略政策を家康が善隣 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査【番外編】:結局「信長・秀吉・家康」に終わるのか?

2011年11月26日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 大河ドラマ「江」はいよいよ明日が第46回、最終回のようです。  この番組は「歴史の捏造」や「大人が子供を演じる年齢ギャップ」について話題を提供しましたが総じて人気はあまりなかったように感じます。  ★ 歴史の捏造が気になる方へ  ★ 「江」についての週刊新潮記事  そもそも江についての史実が少なく、江を主人公にした小説もなかったことが全ての敗着だったのではないでしょうか?  脚本家は苦労したと . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査45:家康の父・広忠の死因

2011年11月26日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の「江」は徳川家康の死をはさんで、家康と秀忠、江と竹千代の二組の親子がそれぞれ初めて心を通わすというお話でした。  その中で家康が息子・秀忠に語る言葉に戦国武将としての家康の非情な論理が凝縮して表現されていました。  「わしの父は24歳で死んだ。わしは臨終に立ち会っていない。6歳から織田家の人質だったからな。その後19歳まで今川の人質だった。戦が憎い。戦のない世がくればとどれだけ願ったことか . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査44:秀吉が家康を滅ぼさなかった「つけ」

2011年11月19日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の「江」は大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした秀忠が江戸城へ凱旋し、「父を許さぬ!」と叫ぶ千姫らと対面することになるお話でした。そこで秀忠が語った言葉。「悔いはない。豊臣を継ぐ者を後の世に残すことはできない。それが戦国の世。そのような世を終わらせたい。血を流すのは自分が最後、子や孫が血を流すことは断じてない」  この言葉は脚本家の創作ですが、脚本家が「江」で一貫して主張してきた「戦国の世に一族を担う . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査43:大坂夏の陣

2011年11月12日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の大河ドラマ「江」はいよいよ大詰めの山場「大坂夏の陣」でした。大坂城落城と淀君・秀頼はじめとする豊臣一族郎党の最期が描かれていました。私は一族が滅びることの悲惨・悲痛・無念を切々と感じましたが皆様はいかがだったでしょうか。  滅ぼした側の「一族生き残りのためには将来の危険要素は徹底して除去する」という戦国武将の論理もよく描かれていました。これは脚本家がこの番組で一貫して主張してきたことです。 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査6余談の続き:龍馬伝と龍馬史

2011年11月06日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
【2011年11月6日追記】  本日、ブログの読者からのコメントで私が磯田道史氏著『龍馬史』を推薦する記事をブログに書いていたことに気付きました。大変残念なことですが、以下に書いた2月16日記事の内容を一旦留保させていただきます。  何故ならば、筆者の磯田氏が2011年10月20日のテレビ番組で発言した内容が驚くべきことに「軍記物依存」であったからです。江戸時代の物語である軍記物に史実としての証拠 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査【番外編】:歴史の捏造が気になる方へ

2011年11月04日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 NHK大河ドラマ「江」の放送内容に関連した歴史捜査記事を毎週書いてきました。もう42週になりますので、そろそろ最終回の放送も近いことと思います。インターネットのサイトでこの番組への評判を見ると、今年の「江」は史実を無視しているという批判が多いようです。私のブログの検索もいまだに「万福丸」というキーワードでのエントリーが多く、第1回目の放送で江の兄・万福丸の存在が無視されたことへのこだわりが未だに . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査42:真田丸の攻防戦(土岐氏活躍?)

2011年10月31日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 昨日の「江」は大坂冬の陣でした。その中に大坂城の出城として真田幸村が築いて守った真田丸の攻防戦が出てきました。ここで幸村が徳川軍を大いに破ったと描かれていました。Wikipediaにもそのように書かれていますが、出典は信憑性のある史料なのでしょうか。ご存知の方は教えてください。  私が気になったのは、寄せ手の徳川軍に見慣れた水色地に白抜きの桔梗紋の旗の軍勢がいたことです。「土岐一族も真田丸攻めに . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査41:秀忠から秀頼への書状(歴史の捏造)

2011年10月30日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の「江」は江や秀忠の思いとは異なり、大坂冬の陣へと至るお話でした。その過程で秀忠が秀頼に書状を書いて、自分が将軍、秀頼が関白として二人で並び立って泰平の世を築きたいと伝えた話が出てきました。これはもちろん脚本家の創作です。インターネット上にも「脚本家による歴史の捏造」という批判が出ているようです。  この批判は当然のことです。  ところが同じような歴史の捏造が行われながら、いつの間にか学者も . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査40:家康の天下への野望?

2011年10月16日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 本日の「江」は家康と秀忠、江と福、竹千代と国松という関係が描かれていました。その葛藤の中で秀忠が家康に対して「豊臣を滅ぼす気か?」と問うたのに答えて家康が「徳川を守るためには!」と答えたセリフ。これは脚本家が一貫して主張してきたことであり、私も共感する主張です。武士の世は一族生き残りのために氏族長が重い責任を果たさねばならない時代だったのです。従来の戦国史観にはこの視点は欠落しており、一代の英雄 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査39:秀頼と家康の対面

2011年10月10日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 昨日の「江」は徳川家康に呼び出された豊臣秀頼が意を決して家康と二条城で対面する話が山場でした。  この時の秀頼が実に堂々とした態度で父・秀吉の家康に対する所業を詫び、豊臣家と徳川家とが協力して天下泰平の世を作っていきたいと述べました。この話は脚本家の創作で、おそらく秀頼の人物の大きさを感じた家康が豊臣家を滅ぼす決意を固めるという筋書きになっていくものと思われます。  これは脚本家の創作だったとし . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査38:家光誕生と春日局登場

2011年10月03日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 昨日の「江」は後に三代将軍家光となる竹千代の誕生とその乳母・福(後の春日局)の登場を中心にお話が展開されました。乳母は授乳係というよりも教育係であり、福が家光の成長に大きな影響を与えたことは間違いありません。そのような重要な役を光秀謀反の中心人物・斉藤利三の娘に与えたのですから思い切った人事であり、当時の人々も驚いたことでしょう。そのためでしょうが、夫の愛人を殺して逃げ出し、乳母募集の高札を見て . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査37:千姫の嫁入り(余談)

2011年09月26日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 昨日の放送は江と秀忠の娘・千姫の嫁入りを中心にストーリーが展開されました。歴史捜査的に云々することが思い当たりませんでしたので、印象に残ったシーンをご紹介します。 【その1】  大坂城での婚礼前の千姫に江が「本当に嫁に行ってよいのか?」と問います。大の大人がこんな小さな子に随分酷な質問をするなとみていると、幼い千姫が徳川・豊臣両家にとって自分の嫁入りが必要なんだと自分の考え()を滔々と述べるシー . . . 本文を読む
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