『本能寺の変 431年目の真実』明智憲三郎著・文芸社文庫をお読みになった方が「徳川家康黒幕説だ!」とブログなどに書いている例が見受けられます。きちんと読んでいただけると「そうではない」とたちどころにわかるのですが、浅読みするとそう誤解するのでしょうか。これも黒幕の定義も知らない歴史学者が唱えて、迎合するネトウヨが騒いだ結果のようです。
最強の徳川家康黒幕説 - 本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天 . . . 本文を読む
拙著『本能寺の変 431年目の真実』に高いご評価をいただきありがとうございます。
この本の中で本能寺の変研究者が軍記物依存症に陥っていることを書きました。(第1章 誰の手で定説は作られたか-定説を固めた高柳光寿神話)
おそらく軍記物に書かれていることを史実として使っていない本能寺の変研究本は一冊もない(拙著を除いて)ともいえる状況です。史料の信憑性に慎重な歴史学者でさえ、こと本能寺の変につい . . . 本文を読む
明智光秀に関する通説は江戸時代に書かれた物語の創作がそのまま史実のごとくに広まってしまっています。そこで、本当の明智光秀を探すべく歴史捜査を続けた結果を「みつひでDB(データベース)」として一般社団法人明智継承会のホームページに公開することになりました。系図、年表、参考文献、通説伝搬の経路などを掲載していますので、ご利用ください。
>>> みつひでDBのページ
>>> 系図のページ
>>> . . . 本文を読む
福田千鶴著『春日局』ミネルヴァ書房・2017年1月
これまで春日局についての研究本は俗説の類に近いものしかありませんでしたが、待望の本格的な春日局研究本が出版されました。多くの史料の原文と現代語訳が掲載されています。すべての分析結果を鵜呑みにはできませんが、春日局研究を大きく一歩進めた書であることは間違いありません。
>>> amazonのページ
「春日局は家光の生母」はかねがね私の主張 . . . 本文を読む
本能寺の変の当日に徳川家康と筒井順慶は本能寺へ呼び出されていた。
これは私の「信長による家康討ち」の証拠となる核心部分です。
これを真っ向から否定する書き込みがamazonのカスタマーレビューにありました。その要点は以下のものです。
『茶屋由緒記』によると6月2日、家康一行は堺を出発しますが、本能寺までは約60kmの距離があるため当日中に到着するのは困難です。
『多聞院日記』によると筒井 . . . 本文を読む
明智光秀の出したり、受け取ったりした書状や光秀が書かれた文書を様々な研究書から収集して、年表に整理してみたら300件ぐらいありました。
問題は書状の「年」です。現代は年月日を書きますが、当時の書状には月日は書かれるのですが年は書かれていません。月日だけなのです。そのような書状の原本を活字にした研究資料の編纂者がひとつずつ「年」を比定します。書かれている内容から年を推定して決めるわけです。
と . . . 本文を読む
テレビ番組の収録で「好きな歴史上の人物は?」と質問されてハタと考え込みました。本能寺の変の歴史捜査を行っているので、歴史上の人物は好きも嫌いもなくて「捜査対象」なのです。
明智光秀? もちろん先祖のひとりとして尊崇しております。でも、歴史捜査においてはあくまでも捜査対象です。好き嫌いのレベルの感情移入はできないですし、しようとも思いません。
>>> 先祖とは何か?
結局、「松平家忠・太 . . . 本文を読む
織田信長研究で著名な歴史学者の方々は信長が「桶狭間の戦い」に勝てたのは「偶然・幸運」の産物と主張しています。しかし、実社会では周到に計画したことでも「偶然・不運」で失敗する例がいくらでもあるのに対して、何も考えずにやったことが「偶然・幸運」で成功する例はまずありません。ましてや、織田家存亡の戦いです。「必然・必勝」の作戦を立て、覚悟を決めて臨まない織田家棟梁がいるのでしょうか。しかも、彼は天下統 . . . 本文を読む
桶狭間古戦場の場所をめぐって名古屋市緑区と隣の豊明市が「地元争い」を続けています。大事な観光資源ですので譲れない争いのようですが、『織田信長 四三三年目の真実』明智憲三郎著・幻冬舎を読めば今川義元本陣は名古屋市緑区、義元終焉の地は豊明市であることが一目瞭然です。名古屋市と豊明市は仲良く一勝一敗で手打ちにしたらよいと思うのですが。
なお、桶狭間の戦いでの織田信長の作戦のすべてがこの本で解明されて . . . 本文を読む
拙著『本能寺の変 431年目の真実』は数多くの証拠と論理的な推理によって、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたのは、信長が徳川家康とその重臣一行を本能寺へおびき出して光秀に討ち取らせる企てがあったからだと明らかにしました。
>>> 「信長による家康討ちはあり得ない」という方へ
その証拠と推理の結果からは、この答しかあり得ないのですが、本能寺の変研究者は「信長が同盟者の家康を討つなどはあり得な . . . 本文を読む
2016年11月21日のTBS「7時に会いましょう」で「クリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫?」が放送されて「土岐氏」への関心が高まりましたので、2014年2月20日の記事を再掲いたします。
>>> 「クリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫?」の歴史捜査
【2014年2月20日記事】
明智光秀謀反に深いかかわりのあった土岐氏は桔梗紋を家紋とする結束力の強い一族でした。足利尊氏・義詮を支える大名 . . . 本文を読む
11月21日(月)19時TBSテレビ「7時に会いましょう」で「クリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫?」の謎解きを行います。番組中で謎解きをするのは私ですが、バラエティー番組中の短い時間ですので正確な情報をお伝えできない可能性もあります。放送開始後に詳細をこのブログで公開しますので、ご覧いただけると幸いです。かなりすごいです!
【放送後追記】
案の定、番組ではとても説明不足でした。こちらをご覧 . . . 本文を読む
「楽学@楽膳楽酒」講座「織田信長公の真実!」を毎月1回×12ヶ月連続で実施しています。
講座のテーマは「織田信長公の決断に学ぶ」。重大な決断は性格・感情ではなく、戦国武将が培った知識・論理からなされる。その知識・論理を現代人は知らない。織田信長公に学ぶためには、その知識・論理を学ばねばならない。このような、これまで誰も見たことがない視点から信長公の事績を見直すことによって、信長公に、そして歴史 . . . 本文を読む
桶狭間の戦いでの信長の作戦はわずか2か月間の歴史捜査(現地調査2回含む)で完璧に解明できました。未だに「信長の勝利は幸運(偶然)に過ぎない」と主張する研究者ばかりなのは残念です。
本能寺の変の中核部分の解明には5年かかりました。動機だけでなく実行プロセスの全貌も解明済みです。未だに怨恨説・野望説・黒幕説・冤罪説の氾濫は残念です。そして、研究者はここでも「信長が討たれたのは偶然に過ぎない」と主張 . . . 本文を読む
日本史ブログランキング1位に輝く「しばやんの日々」に桶狭間の戦いについての詳しい解説が書かれています。その中で次のように語られています。
「兵力では織田軍は今川軍の十分の一程度で圧倒的に不利な状況にあった。にもかかわらず兵力の劣る信長軍が正面から今川の本隊に挑んで勝利することができたのだが、信長が勝利したポイントはどこにあったのか。その点について、私にとって一番納得のいく説明をしているのは『本能 . . . 本文を読む