本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:定説の根拠を斬る!シリーズ紹介

2011年06月26日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
         >>> 本能寺の変の定説は打破された!  本能寺の変の通説として広まっている怨恨説、野望説、光秀単独犯行説、秀吉中国大返し偉業説、信長残虐性格説などの元ネタは羽柴秀吉が作り、それを江戸時代の軍記物(『太閤記』や『明智軍記』)が膨らませものであること、そして現代の歴史小説家が軍記物を材料に使ってベストセラーを連発し、さらにそれを原作としたテレビ・映画が繰り返し放映されて広まったも . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査23:徳川秀忠登場

2011年06月20日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 今回の「江」は秀吉の小田原北条攻めや千利休・秀吉の緊張関係が描かれていて、ようやく政治劇らしくなってきました。羽柴秀次が千利休を弁護して、それらしい描き方になったと思ったら、またもや酔っ払いの秀次になってしまったのは残念。非業の死をとげた秀次・秀保・秀勝三兄弟は是非まっとうに描いてあげて欲しいものです。  そんな中に徳川秀忠がいよいよ登場しました。家康と家光にはさまれて陰の薄い秀忠ですが、今回の . . . 本文を読む
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ローテク人間、facebookに飛び込む

2011年06月18日 | 427年目からの挑戦
 三日前にとうとうfacebookに登録してしまいました。  私はもともとローテク人間。子供が20年近く前の小学生のとき、学校の先生が「以前は自動車の窓は手でハンドルを回して開けていた」と話したら教室中、大笑い。我が家の子供だけは笑えなかった。なぜなら我が家の車は正にそういう車だったから。また、我が家に遊びに来ていた子供の友達が自宅に電話しようと我が家の電話機に手をかけて凍りついた。「これどうやっ . . . 本文を読む
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明智光秀墓所:法丸さん高野山訪問記

2011年06月18日 | 427年目からの挑戦
 私の祐筆・法丸(ホーガン)さんが高野山を訪れて、先祖・光秀の墓所をお参りしてくださいました。写真入りで法丸さんのブログに訪問記が書かれていますので、ご覧ください。  ★ 紀伊国を横断縦断夫婦旅(高野山その2)  法丸さんには拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』出版以来、十ヶ月に渡って充実したブログを私に代わって書き続けていただきました。奥様にはご主人をお借りしてしまって大変申し訳ありませんでし . . . 本文を読む
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信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)

2011年06月16日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』への批判を書いた藤本正行氏・鈴木眞哉氏の著書への反論を書いていくうちに、ご両人の唱える説が50年前の高柳光寿氏『明智光秀』の踏襲に過ぎないことを見破りました。そこで、あらてめて高柳説の批判を整理して書くに至りました。以下のページがその成果ですが、現代の本能寺の変研究の定説の正体を暴いていると思います。  1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!  2. . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査22:聚楽第の落首

2011年06月14日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の大河ドラマ「江」は茶々が淀城を与えられて淀君と呼ばれるようになり、秀吉の子を産み、正室と並んで豊臣家の妻の存在となったというお話でした。  その中で茶々の産んだ子が秀吉の子ではないという落首が聚楽第の壁に書かれ、怒った秀吉が職務怠慢として門衛17人を処刑し、犯人に関係するとして二つの町を焼き払い、60人以上を処刑したという話が出てきました。  この話は信憑性のある史料に書かれていた記憶があ . . . 本文を読む
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本能寺の変:BS・TBS「THEナンバー2 明智光秀」を斬る!

2011年06月08日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 月曜日に放送されたBS・TBSの「THEナンバー2 歴史を動かした陰の主役たち」は明智光秀でした。TBSは地上波放送の「ザ・今夜はヒストリー」で本能寺の変を取り上げており、本能寺の変勃発の6月2日にあわせて、このテーマを取り上げているようです。  とはいえ、「ザ・今夜はヒストリー」は悪書『明智軍記』の内容をゲスト解説者に加来耕三氏を起用して振り撒く結果に終わったことはブログに書いたとおりです。 . . . 本文を読む
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大河ドラマ「江」の歴史捜査21:豊臣の子

2011年06月07日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の「江」は茶々が父母及び養父の仇である秀吉ととうとう結ばれてしまうというお話でした。江の怒りは当然であり、江の筋を通した対応に共感を覚えましたが、所詮これも脚本家の創作であり史実ではありません(本当にあったことである可能性はないことはありませんが裏付けることはできません)。  その中で私が気になったことがふたつ。  ひとつは秀吉の甥の秀勝が秀吉にさからって謹慎させられていたという話。これは史 . . . 本文を読む
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本能寺の変:国分寺三田会講演会

2011年06月05日 | 427年目からの挑戦
 昨日は母校の慶應義塾大学の卒業生の組織である三田会のひとつ国分寺三田会(東京都国分寺市)で2時間講演させていただきました。聴講してくださった方は30名でしたが、熱心に聴いてくださり、とても面白かったと好評でした。  卒業生といっても私より高齢の方がほとんど。大先輩の方々から「先生」と呼ばれたり「よくここまで研究した」と称賛のお言葉をいただき大変恐縮しました。長年会社勤めをしてきた人間なので「先生 . . . 本文を読む
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いしいひさいち「ののちゃん」:良くね?明智幕府説

2011年06月01日 | 427年目からの挑戦
 今日の朝日新聞朝刊のマンガ、いしいひさいちさんの「ののちゃん」はどういうわけか、いつもの山田家の家族をはじめとする個性豊かな人々の「ありそうでなさそう」で「なさそうでありそう」な日常的な話ではありませんでした。  なんと本能寺の変!  明朝が本能寺の変勃発の日だからでしょう。1582年に起きているので429年目です。2009年3月に出版した拙著は『本能寺の変 四二七年目の真実』という題名にしまし . . . 本文を読む
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