本能寺での信長最期の言葉を聴いた証人を捜査してきました。『信長公記』に書かれた「是非に及ばず」、『日本王国記』に書かれた「余は余、自ら死を招いたか」、『三河物語』に書かれた「城介が別心か」のいずれも証人を特定することができました。
★ 信長最期の言葉の証人捜査(前編)
★ 信長最期の言葉の証人捜査(後編)
それでは、この3つの言葉がどのような順で信長の口から出たのかを復元してみたいと思い . . . 本文を読む
前編では家康家臣の大久保彦左衛門忠教(ただたか)の書いた『三河物語』の中の信長最期の言葉「城介が別心か?」の解説をしました。後編ではいよいよ、この言葉を聴いた証人探しです。
★ 信長最期の言葉の証人捜査(前編)
まず、『三河物語』の信憑性について検討してみます。
名前に「物語」と付いているので信憑性のない軍記物のひとつのように誤解されるかもしれませんが、彦左衛門が徳川家譜代家臣としての思 . . . 本文を読む
本能寺での信長の最期の言葉として有名なのは『信長公記』(しんちょうこうき)に書かれた「是非に及ばず」です。
この言葉の意味が通説となっている「仕方がない」というあきらめの言葉ではないこと、そしてこの言葉は『信長公記』の作者の太田牛一が本能寺から逃げ出した女性から取材して書いたことを牛一自身が書き残していることも本ブログにも書きました。つまり、証人が特定されているのです。
★ 「是非に及ばず」 . . . 本文を読む
国際サービスマネージメント協会の会合にて「SE(システム工学)手法で解き明かす本能寺の変」と題して講演いたしました。場所は代々木公園の側の国立青少年センター。出席者は30名弱で、皆さん同じIT業界の方々でしたので、大変興味深く聴いていただきました。ミーティング後の懇親会でもいろいろな方が話しかけてくださり、大いに盛り上がりました。「安住紳一郎の日曜天国」の放送を聞いてくださっていた方も1人いらっ . . . 本文を読む
信長による本能寺での家康討ちが成功していたら歴史はどうなっていたのか?の「歴史捜査」の3回目です。
★ もし、信長による家康討ちが成功していたら?
★ もし、信長が天下統一していたら?(中国征服へ)
前回は信長がイエズス会を利用して中国征服に向けた艦隊の準備をするところまでのお話でした。今回は侵攻軍の部隊編成や中国征服後の支配体制などをどのように考えたかのお話をします。
見本になるのが . . . 本文を読む
信長による本能寺での家康討ちが成功していたら歴史はどうなっていたのか?の「歴史捜査」の2回目です。
★ もし、信長による家康討ちが成功していたら?
当然、後に秀吉がやったことを先取りして行ったはずです。刀狩や大名間の戦争の禁止といったことは権力強化のために不可欠なこととしてすぐにやったでしょう。いわゆる「三職推任(さんしきすいにん)」問題については、征夷大将軍となって幕府を開いたのか、秀吉 . . . 本文を読む
>>> 武田信玄重臣は信長の家康討ちを予測していた!
>>> 家康による穴山梅雪謀殺の新証拠
>>> 「世界ふしぎ発見」が発見した「本能寺の変の真実」本
拙著『本能寺の変 431年目の真実』をまだお読みでない方がこのタイトルを見たら、一体何のことかと思われるでしょう。私の歴史捜査の結果、行き着いた衝撃の答のひとつが、「本能寺の変とは、そもそも信長が家康を本能寺で討ち取る事件だった」というこ . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の人気が高いことは私のブログの検索キーワードに「坂本龍馬」「岩崎弥太郎」「武市半平太」が多いことでもわかります。しかも、番組に登場して注目を集めた順番に龍馬⇒弥太郎⇒半平太とアクセスの中心が移ってきています。現在は半平太が圧倒的に多いです。
一時期は「岩崎弥太郎 三菱 抗議」というキーワードでの検索がとても多かったです。弥太郎の汚い身なりに三菱の幹部が抗議したという話 . . . 本文を読む
【2010年5月2日追記改定】
愛宕百韻の捜査結果の最終結論は次回公開する予定でおります。
それに先立って、愛宕百韻が四百年ぶりに完全解読される意義について少し説明させていただきます。
その意義を私は次の3点だと思います。
①通説となっている光秀の発句「ときは今 あめが下しる 五月かな」が羽柴秀吉による改竄であることを証明することにより、光秀の謀反の動機が「天下が欲しい」という野望ではないこ . . . 本文を読む
【2010年5月2日追記・改定】
愛宕百韻の表(おもて)の意味を思い浮べながら、光秀の発句の主題である土岐氏についての知識を整理してみましょう。
★ 愛宕百韻の解読捜査(表の意味解釈)
脇句と第三は次の句でした。
脇句 水上(みなかみ)まさる庭の夏山 行祐
第三 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴
光秀の発句が降り注ぐ五月雨を詠んだのに対して、行祐(ぎょうゆう)も紹巴(じょうは)も五月 . . . 本文を読む
連歌の規則からみて光秀の祈願にかかわる句は発句・脇句・第三・挙句の4つの句に絞られることがわかりました。
★ 愛宕百韻の解読捜査(標的の確定)
それではこの4つの句の表(おもて)の意味を解釈しておきましょう。これは素人の私では手に負えませんので専門家のお力をお借りします。連歌研究の第一人者である島津忠夫氏が下記の本に書いた解釈を採用します。「」内が島津氏による解釈文です。
新潮日本古典集 . . . 本文を読む
光秀が謀反の直前に興行した連歌(れんが)「愛宕百韻」の解読捜査を行いました。その捜査結果をご報告します。
★ 愛宕百韻の解読捜査(捜査開始宣言)
解読を始める前にそもそも連歌とはどういうものかを知る必要があります。前編に書いたとおり和歌を詠み継いで「上の句・下の句」50組で作り上げたものが百韻です。調べてみるとかなり厳格な規則に従って詠まれるものであることがわかりました。
その規則の中か . . . 本文を読む
明智光秀が本能寺の変の直前に京都の愛宕山(あたごやま)で催した連歌(れんが)を愛宕百韻(あたごひゃくいん)と言います。
★ Wikipedia「愛宕百韻」記事
光秀の発句(ほっく)として通説となっている「時は今 あめが下知る 五月かな」は羽柴秀吉の手によって改竄されたものであることは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた通りですし、ブログの記事でも紹介しています。
要は秀吉は本 . . . 本文を読む