本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変は三面記事?!

2019年12月22日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 本能寺の変の通説となっている怨恨説と野望説を斬ってみました。
   ★怨恨説を斬る!
   ★野望説を斬る!

 お気付きのことと思いますが、両方に共通するのは、動機しか論じておらず実行可能性を論じてはいないことです。
 そして、論じられている動機が光秀の個人的感情(信長を怨んだ、天下が欲しかった)にあるとされていることです。正に新聞記事で言えば三面記事です。「冷たくされたから殺した」「金が欲しくて殺した」「肩がぶつかったので殺した」「むしゃくしゃして殺した」「あいつに頼まれたから殺した」・・・・・
 通説だけでなく俗説・新説も含めて本能寺の変はずっとこういうレベルで議論されてきました。歴史とはそういうものなのでしょうか?
 ★ 本能寺の変についての典型的な通説紹介ページ

 信長や光秀が生きた戦国時代を調べれば調べるほど東アジアの大きな歴史の流れを感じます。
 あの時代の東アジア(日本も含め)は驚くほど国際化していました。中国を盟主とし、漢文を共通語とする一大政治圏・経済圏・文化圏を構成していたのです。東アジアの諸国は中華皇帝に貢物を捧げ、皇帝から恩賜を与えられて王に認定されるという関係が成立していました。日本でも足利三代将軍義満が中華皇帝から日本国王に任じられたことは歴史の教科書にも書かれています。
 ところが、ポルトガル・スペインの世界制覇の波が押し寄せ、中国(明)の盟主の地位がぐらつきます。それが信長や光秀が生きた時代の状況だったのです。
 その後、異民族である清による中国征服、アヘン戦争や日清戦争などを経て中国を盟主とする東アジア圏は完全に崩壊してしまいました。
 共通語としての漢文も中国・日本が文字を変えてしまったり、漢字を捨てる国があったりして英語にとって代わられてしまいました。
 しかし、いまや中国は経済大国となり、一帯一路戦略などを打ち出し、盟主の地位を取り戻しつつあります。

 その東アジアの歴史の流れの中にあって、日本では信長が構想し秀吉が実行に移そうとした中国征服の流れ。秀吉の朝鮮出兵の破綻、そして関が原の戦いで天下をとった家康による政策転換で一旦止められた流れが、明治維新の反動により再び流れ出して日中戦争、そして太平洋戦争へ。
 こういった大きな流れの中に、あの本能寺の変が起きたのです。そういった視点で見ないと本能寺の変も千利休・関白秀次切腹も関が原の戦いも真実の姿は見えてきません。新聞記事でいえば一面で取り扱って論じなければならないのです。
 「歴史に学ぶ」とはこういう視点で歴史を見ていくことではないかと思います。
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【東京新聞2018年7月21日10面記事】
 歴史を捜査する手法は仮説推論法(アブダクション)という手法です。歴史学者の方々の論説を見てると、残念なことに、この手法を理解している歴史学者がいないのではないかと思わざるを得なかったのですが、その手法を理解し、駆使している学者の存在を東京新聞の記事で初めて知りました。どうやら理解していないのは日本中世史の正統派の方々の特殊性のように見受けられます。あるいは古代史でも事情は同じなのかもしれませんが。
 >>> 邪馬台国の会:東京新聞の記事
 邪馬台国の研究者の安本美典氏です。
 記事の中で次のように語っています。安本氏は仮説検証法と書いていますが、仮説推論法と同じものです。
 私は仮説検証法という方法を取ります。かつては絶対正しいという公理(前提)を設けて定理に進み議論を展開していたのですが、現代では仮説の前提は絶対に正しいものではなくてもよく、その前提から矛盾のない大きな大系がどれだけできるかによって、価値が決まることになりました。
 「ある一部分の事実だけをとりあげて、マスコミ報道に持ち込むという方法をとりません。それは宣伝であって、証明にはなりません」とも語っています。
 まことに同感です。

 私が歴史捜査と名付けた仮説推論法について、本能寺の変を例に以下に解説いたします。
 従来の本能寺の変研究は光秀が謀反に及んだ動機論に終始し、謀反の実行プロセスの解明は行われてこなかった。当日起きた出来事はすべて偶然で片付けられている。光秀が信長や信忠を討てたのは信長が油断して、あの日の京都に軍事空白が生じたからであり、光秀は「偶然・幸運」にもこの機会を得て、謀反を思い立った。そのため準備も不十分で「無策・無謀」な行為だったため、味方もないまま中国大返しを行った秀吉に敗れて滅亡したという理解である。これを、仮に「偶発説」と名付けておく。
 現代に起きている犯罪を考えてみていただきたい。動機があれば犯罪が成立するわけではない。成功させる見込みが立たずに実行に至らないケースの方がはるかに多いはずだ。
 つまり、光秀が謀反の実行に踏み切ったということは謀反成功の見込みが立って、謀反の実行計画が立案できたのだ。この計画がいかなるもので、どのように実行されたのかを解明しなければ本能寺の変を解明したことにはならない。現代の犯罪捜査が動機の解明だけでは立件に至らないのと全く同じだ。
歴史の真実を信憑性ある史料の記述から復元する実証主義史学の基本姿勢は肯定すべきものである。しかし、歴史の真実について確定的な事実を直接的に書き残した史料が存在しないケースは多々ある。書かれていない史実を推理して埋める必要がある。この事情は現代に起きている犯罪でも同じだ。確定的な証拠のない事件も多い。最高裁は確定的な証拠がなく、状況証拠のみで有罪と判断する基準を次のように設定している。
「被告人が犯人とすると矛盾なく説明することができ、かつ被告人が犯人でないとすると矛盾なく説明することができない」。
この手法を歴史に適用した実証的手法を私は歴史捜査と名付けた。具体的には論理学で用いられる仮説推論法(アブダクション)という手法だ。
仮説推論法は、関連する証拠を最もよく説明する仮説を選択する推論法である。仮説推論法は観察された事実の集合(証拠群)から出発し、それらの事実についての最も辻褄の合う、ないしは最良の説明へと推論する。
私は25件の証拠から、9個の疑問を抽出し、その疑問のすべてに辻褄の合う答として、「信長による家康討ちの計画が立案されて進行していた」という答を出した。
 私の出した答だけを見れば「ありえない」と誰もが叫ぶ。私自身、出てきた答に初めはそう思ったのだから、読者がそう思うのは当然である。しかし、これは憶測で出した答ではない。憶測とは不確かな根拠をもとに推測することだ。私の出した答は25件の具体的かつ確かな証拠から推論したものである。逆に偶発説には何も根拠がない。どの証拠をもってして偶然と立証するのか妥当な説明を見たことがない。
また、光秀の謀反の動機を野望とする説の根拠はこの説の提唱者の「信長は天下が欲しかった、秀吉も天下が欲しかった、光秀も天下が欲しかったのである」という主観的な説明だけしか存在しない(高柳光壽著『明智光秀』吉川弘文館)。これが実証的であろうはずがない。それこそ憶測としか言えない。怨恨とする説も同様だ。光秀が信長を恨んでいたとする明確な証拠が存在しない。また、恨んでいたから謀反を起こすという推論の妥当な説明もない。
 私の推論は『織田信長 435年目の真実』幻冬舎文庫・二〇一八年四月発行の第七章に詳述したのでお読みいただけると幸いである。その推論に誤りがあるのであればご指摘いただきたい。
 なお、信長が家康討ちを光秀に命じたとする兵の証言を以って信長が家康討ちを企てた決定的な証拠だとしているわけではない。光秀が兵に対して、このような命令を下したというのではなく、兵が勝手にそう思っただけだからだ。兵の証言が本当のことだったと仮定する(仮説を立てる)と、他の証言の辻褄が合うことを検証できたことを決め手としているのだ。
 仮説推論法や蓋然性ということを理解せずに答だけ読んだ読者は残念だが「奇説」と叫び続けるしかないであろう。
 また、「家康黒幕説」というレッテルを貼っている読者がいるようだが、どう浅読みしてみても明らかに光秀が主犯で家康は従犯だ。従犯の黒幕はあり得ない。どうやら誤解というよりも、何か裏の意図があるようだ。家康黒幕説だと主張している人にその理由を質問してみて、その論理性を確認していただきたい。
 >>> 歴史に学ぶ、とは?
 >>> 信長に何を学ぶか?

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 >>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク
 >>> 隠蔽された謀反の動機


 
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