本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

隠蔽された謀反の動機

2018年12月21日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 本能寺の変の定説となっている怨恨・野望・偶発説がいかに根拠のない、馬鹿げたものかは以下のページをお読みいただけると理解できるでしょう。
 >>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク

 それでは、なぜ、このような説が定説となってしまっているのであろうか。それは、真の理由を知られたくない権力者が隠蔽し、改ざんして、護持してきたからだ。それを、
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫(2013年)のエピローグで明らかにした。これが日本会議・日文研などの歴史修正主義者(ヘイト・アジテーター)には気に食わないのだ。だから、ヘイト・スピーチのテクニックを弄して攻撃している。
 >>> 明智憲三郎氏の奇説(呉座勇一)

 以下にエピローグを転載したので、ご一読いただけると幸いである。
 信長・秀吉の政権で起きた三つの事件、光秀謀反・利休切腹・秀次切腹は「唐入り」でつながっていたのだ。そのことを豊臣秀吉は隠したかった。自分の推進する唐入りに反対者がいて、その阻止のために謀反が企てられたことを公にしたくなかったからだ。だから、いずれも当事者の悪事に原因があると公式発表した。これが歴史の定説となったわけであるが、定説を固める上で重要な役割を果たしたのが明治維新以降、太平洋戦争に至るまでの我が国の国策である。明治政府の富国強兵策の行きつく先には中国大陸侵攻、つまり「唐入り」が待っていた。唐入りを進める政府は秀吉と全く同じことを考えたのだ。国家の英雄・軍神秀吉の唐入り阻止が事件の原因であっては困るのだ。自分たちの推進する唐入りに反対する非国民がいるわけがないように、秀吉の唐入りに反対した者などいるはずがないのだ。こうして定説の固定化が行なわれた。
 「光秀は、かねてから、その主のきびしい仕打を怨んでいたので、本能寺の警戒がてうすいのにつけこんで、にわかにそむいて攻めかかった」「信長は、さきに天皇のおおせを受けて以来、早く天下を平げて、御心をおやすめ申そうとつとめ、今ひといきでその大事業を成しとげようとしていたのに、たちまち逆臣の手にかかってたおれたのは、まことに惜しいことである」「この談判中、たまたま本能寺の変のしらせがあった。秀吉は、和睦の約束を結ぶと、すぐさま兵をかえし、一気におし進んで、光秀を山崎にうち滅ぼした。本能寺の変からこの時まで、わずかに十一日である。そのすばしこいのには、ただただ驚くのほかはない」「秀吉は、ひくい身分から起って、すぐれた知勇をもって国内を平げ、深く皇室を尊び、人民を安んじ、その上、外征の軍を起して、国威を海外にまでかがやかした豪傑である。けれども、また一方では、きはやさしい、なさけ深い人であった」
 これらは昭和十年(一九三五)から尋常小学校で使われた『尋常小学国史』の記述である。定説のストーリーだけでなく、それに対する国家的道徳観までをも含めて広く小学生から教育が行なわれたのである。歴史研究にもこの影響が及ばないわけがない。秀吉研究には聖域ができ、光秀謀反・利休切腹・秀次切腹は全く真実とはかけ離れた領域で研究が行なわれてきたのである。
 その結果、軍記物依存の三面記事史観を誰もおかしいと感じないまま現在にいたってしまったのだ。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とはドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉だ。歴史に学ぶとは、自分とは異なる経験・思考・能力を有する先人の存在を認め、その人物の真実にどれだけ肉薄するかという精神活動であろう。だから新たな発見があるのだ。自分の経験に先人を当てはめて自分の器で解釈することは歴史に学ぶのではなく、自分の経験を正当化しているに過ぎない。三面記事史観は歴史を面白おかしくとらえて、自分の経験を正当化するには恰好のものだったのだ。人は易きに流れるものである。
 織田信長や豊臣秀吉の唐入りは彼らの誇大妄想ではなかった。「御恩と奉公」の時代には領地の拡大が武将にとっては必然の目的であり、天下統一した後には国外に領地を求めるしかないと考えるのも必然の論理だった。唐入りは天下統一の先にある戦国武将の論理の帰結だったのだ。徳川家康はその論理を断ち切ることによって二百六十年の平和国家を実現した。国外に土地を求めるのではなく、国内で土地を回す仕組みを作ったのである。それが改易、すなわち大名の取り潰しだ。失態を犯した大名を取り潰して空いた土地を手柄のあった大名に与える仕組みである。江戸時代には百六十家もの大名が改易されている。家康は唐入り政策を破棄し、秀吉による侵攻の傷跡を埋めるべく朝鮮との善隣外交に力を入れた。朝鮮からは二百六十年の間に十二回に及ぶ通信使、すなわち誼(よしみ)を通じる外交・文化の大使節団が訪れ、日本各地で大歓迎され、日朝友好の蜜月を築いた。
 ところが、明治政府は家康によって破却されていた豊国神社を再興して秀吉を神として祀り、逆に徳川幕府の平和国家・善隣外交の理念と仕組みを破却した。その結果、昭和の時代に至って再び唐入り(中国大陸侵攻)へと進んでしまったことはよく知るところである。我が国は歴史に学ばなかったのである。現代人は信長・秀吉を初めとする戦国武将がどれほど領地の拡大にこだわったかを理解できないであろう。しかし、武将を企業の社長、領地を利潤に置き換えてみれば、それは正に現代に起きていることと同じだ。企業は利潤の拡大を求め続けた。国内市場で限られたパイを取り合った後には、国外の市場を求めて海外へ進出した。その活動はグローバリズムと称して留まることを知らずに続いている。
 さて、戦国武将が子の代の生存と繁栄に責任を果たそうとした思いを現代人は共感できるであろうか。自分自身がどう生きるかに追われて、その思いは希薄な気がする。次世代のために何をなすべきか、何を残して何を残さざるべきかを考えることにもっと頭脳と時間を使わねばならないのではなかろうか。大きな歴史の構図を見失った三面記事史観からは何も学ぶことはできない。戦国時代の本当の歴史に学ぶことによって何かが見付かるはずだ。本書がその一助となれば幸いである。

 >>> 軍神秀吉が歪めた本能寺の変研究
 >>> 怨恨・野望・偶発説は完全フェイク
 >>> 隠蔽された謀反の動機


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 『光秀からの遺言 本能寺の変436年後の発見』明智憲三郎著・河出書房新社の書評をいくつかいただきましたので、ご紹介します。

ビジネスモデル・プロヂューサー河辺よしろう氏
 明智憲三郎先生の新著がやっと手元に届きました❗️
今回は謎だった明智光秀の前半生を完全解明!って事で期待が高まります!
理系的な明智憲三郎先生の歴史調査の大ファンです。先生の著書はすべてコレクションしてあります(笑)
先生は商業的な動機で執筆されていないので、命をかけた著書はほんとうに素晴らしい歴史本ばかりです。
売れるからと言う理由だけで出版をしたがる輩とは一線を画します❗️

amazonカスタマーレビュー
 私のイメージでは,本能寺の変のときの光秀の年齢は,45歳ぐらいでした。
この本を読んでびっくりしました。
 読者が裏取りができるように資料も列挙されています。歴史好きが増えそうですね。

土岐氏末裔
 アマゾンで予約注文していてのが、本日配達されました。先ずは、小生のいつもの癖で、「エピローグ」と「おわりに」を読みました。読み進むうちに、なにか、著者の気持ちが響いてきて、熱くこみ上げてくるものがあって、感動しました。
 私のルーツ、大垣市とか、で今のうちにいろいろと調べてみようと、先ずは大垣市図書館を訪ねようと、意を固くしました。私の周囲で知る人が、殆んど居なくなりましたので。 まさしく私の、「歴史捜査」でしょう。
 明日からは、この本、じっくりと最初から、読もうと思ってます。

読者のブログ
 明智光秀の末裔の著者が、光秀の「前半生」と出自を系譜などの史料から解明しようという一冊。
 引用した系図に丸数字を付けて、それを用いて、以降説明するので
結果、簡潔になり、わかりやすい。
 本の前半で「前半生」を解明していくが、
前半3分の1ぐらいの頁で、そこまでに結論づけた「前半生年表」があり
把握がしやすい。
 この本はそのほか「連署状の年号解明一覧表」など
図や表が多いので解説を読むのに理解しやすい。

読者のFACEBOOK投稿
明応の政変、頼典の義絶、頼武・頼純への奉公、美濃と越前の幾多の往復、幕府奉公衆、幕府と信長のブリッジ、幕府から信長へと、ずずずぃ〜っと繋がる繋がる!すげー!
プロローグにあるとおり、生涯編から入って系譜編で逐一深めたり固めたりする読み方がおすすめ。

amazon読者書評「ここにいたか!!光秀!」
大変よく読み込んでくださった読者からのコメントです。

 明智憲三郎氏の歴史捜査はこれまで、本能寺の変の真相に迫り、信長脳を解き明かしてきましたが、今回はついに、氏の研究の本丸であろう明智光秀の生涯を照らし出します。(中略)
本能寺の変についても、新たに紹介された史料によって明智説はさらに蓋然性を増し、足蹴事件についてはさらに一歩踏み込んだ推理が展開されます。従来の陰謀諸説や怨恨説、偶発説は、本書および光秀プロジェクトHPで公表された「明智光秀全史料年表」を参照しながら、一つ一つ信憑性の検証をしていけばよいでしょう。いわれのない誹謗中傷や不毛な議論、根拠の薄弱な説は今後淘汰されていくものと信じています。
さて、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」はどんな作品になるでしょう。本書で解明された光秀の足跡がどの程度考慮され、脚本でどのように肉付けされ、感情が吹き込まれ、戦国武将たちがキャラ立ちして躍動するのか。そして、光秀、信長、秀吉、家康、各々の策謀が重層的に同時進行し、めまぐるしく事態が変転していく本能寺の変の全貌を、映像でどのように魅せてくれるのか。番組放送まで本書をくりかえし読んで、また全史料年表にゆっくり目を通して、なぜ順慶は裏切ったのだろう、信忠はなぜ信長の命令を無視してまで京都に戻ったのだろう、などあれこれ想像しながら、明智光秀のドラマ化を楽しみに待ちたいと思います。

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光秀からの遺言: 本能寺の変436年後の発見
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