
>>> 新発見!「四国説」を裏付ける?長宗我部元親の書状
** 『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著、文芸社文庫) 24万部突破!! **
【2014年2月23日追記】
本能寺の変の謎の全てを解明した本『本能寺の変 431年目の真実』を出版しました。恨み、野心、唆し、出世、メンツといったレベル(新聞の三面記事に書かれる事件のレベル)で論じられる本能寺の変論を「三面記事史観」と名付けて切り捨てました。真実をお知りになりたい方はお読みください。本物の四国説が書かれています。
【2013年6月13日記事】
昨今、光秀謀反の動機として「四国説」(カッコ付の四国説)が本能寺の変研究界の主流になりつつあるようです。
最近発売になった『週刊 新発見!日本の歴史』(朝日新聞出版)の創刊号の表紙には「本能寺の変 光秀謀反の理由は四国攻めにあった!」と大きく書かれており、著名な歴史学者がその本文を書いています。
要旨は「光秀が媒介となって友好関係を結んでいた土佐の長宗我部氏との関係を信長が切って、秀吉を媒介とする三好氏に乗り換えるように四国政策を転換した」「これにより面目をつぶされた光秀が信長を討つ決意をした」というものです。
この説は50年ほど前に本能寺の変の定説を固めた高柳光寿『明智光秀』に「光秀がその前途を輝かしいものと思えなくなった」、つまり、出世の望みが絶たれたと書かれたものがベースとなった説です。
私は二つの理由で唖然としました。
一つ目は、失敗したら一族滅亡という謀反の動機として「面目が潰れた」「出世の望みがなくなった」といったレベルの動機論がいまだに研究界でまかり通っていることです。確かに四百年間、怨恨だ、野望だと光秀の個人的感情を動機とする説が唱えられてきましたが、それは羽柴秀吉が都合よく作った話であることは4年前に拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で指摘した通りです。研究界は未だに秀吉の掌の上で踊らされているかの如くに見えます。
★ みんな秀吉にだまされた!
二つ目は、光秀と長宗我部氏との関係が相変わらず「媒介」というレベルでしかとらえられていないことです。これも拙著にて「土岐氏という強い関係」であることを指摘しました。光秀が土岐氏であることも「ときは今あめが下知る五月かな」の「とき」が「土岐」であることも本能寺の変研究者は誰もが指摘することですが、未だに「土岐氏とは何か」「土岐氏であることの意味は何だったか」といった踏み込みが行われていません。
★ 土岐氏とは何だ!
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
残念ながら本能寺の変研究は未だに秀吉神話、高柳光寿神話の闇の中に彷徨っているようです。下記のページもご覧ください。
★ 本能寺の変の定説は打破された!
>>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
** 『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著、文芸社文庫) 24万部突破!! **
【2014年2月23日追記】
本能寺の変の謎の全てを解明した本『本能寺の変 431年目の真実』を出版しました。恨み、野心、唆し、出世、メンツといったレベル(新聞の三面記事に書かれる事件のレベル)で論じられる本能寺の変論を「三面記事史観」と名付けて切り捨てました。真実をお知りになりたい方はお読みください。本物の四国説が書かれています。
【2013年6月13日記事】
昨今、光秀謀反の動機として「四国説」(カッコ付の四国説)が本能寺の変研究界の主流になりつつあるようです。
最近発売になった『週刊 新発見!日本の歴史』(朝日新聞出版)の創刊号の表紙には「本能寺の変 光秀謀反の理由は四国攻めにあった!」と大きく書かれており、著名な歴史学者がその本文を書いています。
要旨は「光秀が媒介となって友好関係を結んでいた土佐の長宗我部氏との関係を信長が切って、秀吉を媒介とする三好氏に乗り換えるように四国政策を転換した」「これにより面目をつぶされた光秀が信長を討つ決意をした」というものです。
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本郷和人 | |
産経新聞出版 |
この説は50年ほど前に本能寺の変の定説を固めた高柳光寿『明智光秀』に「光秀がその前途を輝かしいものと思えなくなった」、つまり、出世の望みが絶たれたと書かれたものがベースとなった説です。
私は二つの理由で唖然としました。
一つ目は、失敗したら一族滅亡という謀反の動機として「面目が潰れた」「出世の望みがなくなった」といったレベルの動機論がいまだに研究界でまかり通っていることです。確かに四百年間、怨恨だ、野望だと光秀の個人的感情を動機とする説が唱えられてきましたが、それは羽柴秀吉が都合よく作った話であることは4年前に拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で指摘した通りです。研究界は未だに秀吉の掌の上で踊らされているかの如くに見えます。
★ みんな秀吉にだまされた!
二つ目は、光秀と長宗我部氏との関係が相変わらず「媒介」というレベルでしかとらえられていないことです。これも拙著にて「土岐氏という強い関係」であることを指摘しました。光秀が土岐氏であることも「ときは今あめが下知る五月かな」の「とき」が「土岐」であることも本能寺の変研究者は誰もが指摘することですが、未だに「土岐氏とは何か」「土岐氏であることの意味は何だったか」といった踏み込みが行われていません。
★ 土岐氏とは何だ!
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
残念ながら本能寺の変研究は未だに秀吉神話、高柳光寿神話の闇の中に彷徨っているようです。下記のページもご覧ください。
★ 本能寺の変の定説は打破された!
![]() | 【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 |
明智 憲三郎 | |
文芸社 |
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>>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』目次
>>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20121002/ecn1210020756002-n1.htm
もちろん私はこれだけで光秀が謀反をするとは思えません。 しかし歴史も大名の行動もダイナミズムですから、時には矛盾や私情も含んだ様々な要因を受けて一つの行動に結実するのだと思います。 もちろん私は明智先生の家康討ち回避説に賛成ですが、四国説も要因の一つとしては間違ってはいないと思います。 明治維新も黒船や攘夷や尊王、倒幕といった様々な要因の結果です。どれか一つに絞ることなど出来ないのです。 様々な説がありますが、四国説もまた本能寺の要因の一つと見做して構わないのではないでしょうか。
話は逸れますが明智先生は新たな御著書を刊行なさるおつもりはないのでしょうか。個人的には忠長の改易や芭蕉忍者説、写楽の正体など江戸時代の様々な謎を歴史捜査で斬っていただきたいと思います。驚愕の事実がなくとも、煩瑣な議論に決着をつけるだけでも十分意義があるでしょう。