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本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

大河ドラマ「江」の歴史捜査4:怨恨説踏襲ですね!

2011年01月30日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 NHK大河ドラマ「江」の第4回を見ました。少しは新しい視点があるのか、とはかない期待をもって見たのですが、やはり通説の踏襲です。武田家を滅ぼした後の光秀の「我等も長年骨折ってご奉公した甲斐があった」という言葉を信長が聞きとがめて折檻するのは本能寺の変から百年以上たって書かれた『明智軍記』が作ったエピソードです。それが司馬遼太郎『国盗り物語』に引き継がれ、大河ドラマ「国盗り物語」で放映されて歴史の常識になってしまったものです。
 光秀が備中高松攻めの秀吉の配下になるように命令をされて自尊心を傷付けられたというのも『太閤記』や『明智軍記』が作った作り話です。秀吉自身が本能寺の変の四ヵ月後に書かせた報告書である『惟任退治記』には「光秀を軍師として派遣し、秀吉と相談の上、信長が出陣すべきかどうか決める」と書かれており、光秀の派遣は秀吉より上位の目付けの立場といえます。これが秀吉自身の証言であることが重要です。
 拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いたように信長側近の家臣・太田牛一の『信長公記』を読めば、信長が光秀をいかに高く評価し信頼していたかわかります。歴史研究や歴史ドラマを扱う方には、最低限少なくとも『信長公記』は読んでいただきたいと思います。それが信長を取り扱う上での最低限の礼儀ではないでしょうか。
 本日の放送は通説のオンパレードでした。いろいろ指摘したいことがありますが、まずは本日のコメントはここまでにしておきます。
 それにしても通説の振り撒きは、もうやめていただきたいものです。正直、毎週日曜日の夜8時から辛い思いをしています。

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本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
プレジデント社

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【歴史捜査レポート:大河ドラマ「江」シリーズ】
   本能寺の変の通説:今年も「江」で登場
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   万福丸ショック 
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   森蘭丸さん?
   光秀のきんかん頭
   怨恨説踏襲ですね!
   『明智軍記』踏襲ですね!
   信長の遺体
   小栗栖の竹薮
   光秀辞世の句

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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全く同感です! (オヤジな私)
2011-01-31 21:07:44
今回も脚本は田淵さんですね。
篤姫のときも感じましたが、女性特有の感性でしょうか、わかりやすくするあまり、全てが軽くなってしまいますね。これが歴史の真実と思われるのは困りものです。

御本の評判がいいです。
友人三人が共感しました。
これからも頑張ってください。
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歴史に学ぶということ (明智憲三郎)
2011-02-04 21:01:29
 ご声援ありがとうございます。厚くて高い通説の壁の前で呆然としている私にとっては誠に勇気付けられるお言葉です。出版してそろそろ2年になりますが、この壁に対する実感をますます強めております。
 歴史に学ぶといいつつ、自分の考えを歴史の通説になぞらえて正当化している方々が多いと思います。でも、歴史の本当の姿を真摯に受け止めることによって、今まで思いもしなかった何百年も前の人々に学ぶべきことが見えてきます。
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』はそういう思いで書きました。歴史に学ぶべきことはもっともっとあると思います。真実を追究すればこそ見えてくる大事なことがあると痛感しています。現代人は歴史に対してもっと謙虚に学ぶべきと思います。
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