我が家では 停電にはならなかったが
断水に 行政の給水を受けて サバイバル生活に
こんなときに給水タンクが 役立つとは・・・
(バスタブに模様を描くニゴリ)
二日後 やっとのことで水道が復旧するも
ニゴリあり まだまだ飲み水には ならない!
しかし 被災地を思うに こんな事くらいで
ブログすること 申し訳ない・・・
我が家では 停電にはならなかったが
断水に 行政の給水を受けて サバイバル生活に
こんなときに給水タンクが 役立つとは・・・
(バスタブに模様を描くニゴリ)
二日後 やっとのことで水道が復旧するも
ニゴリあり まだまだ飲み水には ならない!
しかし 被災地を思うに こんな事くらいで
ブログすること 申し訳ない・・・
巨大地震!発生
壁に防震ボルトを打ち込んであった本棚が
このように倒れてしまった。
側にいなくてよかった~!
都内は 交通機関がマヒ!
深夜遅くまで 両車線とも大渋滞
歩道を歩く帰宅難民の速度よりも遅く
それこそ”カタツムリ”のごとく
当夜は 帰宅難民となり 配られた
災害救助用毛布にくるまり床に転がるが
途中で寒く 椅子をかき集め改めて
寝ることにしたが・・・
ご訪問いただき ありがとうございます。
今回の地震では 皆々さま方には
いかがでしたでしょうか?
被災された方々には お見舞い申し上げます。
一部の方々からは 当方にメールや電話で
安否等を お寄せいただきました。
おかげさまで 当方は無事に また 家族・親類等
皆それぞれ いろいろとありましたが
一同無事に 一安心しております。
この場を借りて お礼と ご報告させていただきます。
感謝!
アレキサンドリアは アレキサンダー大王が紀元前332年に
建設した古い都市。 大王の死後、その将軍の一人であった
プトレマイオスが王となり プトレマイオス朝の繁栄があり。
クレオパトラ(7世)がローマ軍に破れて滅亡するまで275年間
プトレマイオス王朝の首都として栄えてきた。
カイロに首都を譲ったが、今でも海底からは当時の遺跡・石像等が
数多く発見されて 当時を偲ばせ 地中海に面して
「地中海の真珠」と呼ばれ、ヨーロッパの都市に負けないほどに
夏の避暑地として賑わっている。
その海岸沿いに架かる 「スタンレイー・ブリッジ」 交通渋滞緩和と
観光施設として 写真では二塔しか見えないが 四塔あり宮殿
のように建設された。
夕日とマッチすると きれなところとして有名なのだが
下車もできず 車窓からの撮影となり 残念!
カタコンベ (共同墓地)
(無造作に置かれている石棺)
西暦1~2世紀のローマ時代に キリスト教徒が作った
地下の共同墓地で 地下3階になる巨大な遺跡。
1900年に ロバが穴に落ちて偶然に発見された。
正式には「コームッシュアーファのカタコンベ」という。
写真後方の円錐形屋根の井戸のような入り口があり
螺旋階段により地下へ 内部は 礼拝堂、石棺の
安置所などがあり、エジプトやローマの建築様式が見られる。
カラカラ帝によるキリスト教迫害の際には、多くの信者が
この墓に逃れてきたという。
エジプト旅行は 最後まで ”墓地巡り”でした!!。
また ピラミッドをはじめ ここも写真撮影禁止です。
墓地内であるという宗教上のことからのようですね?。
エジプトでは 水パイプ は ”シーシャ” と言うそうだ。
仕組みは 香り付けがされたタバコの葉に炭を載せて熱し、
出た煙を ガラス瓶の中の水を通し吸うというもの。
香り付けには リンゴ オレンジ等の果物から スパイス 花
コーヒー ガムなど多くの種類があり 甘い味と香りを楽しめる。
また 煙が水のなかを通り 冷やされて 涼しさも味わえること
から 暑い地域では好まれている。
1回の喫煙が約1時間 前後かかるので ゆっくりと お茶や
雑談をしながら 飲むのだそうだ。
こんな風にして 街のどこでも ゆっくりと味わっている!
アレキサンドリア国立博物館へ
この建物は 元は1926年建てられた宮殿であるため
外装は なかなか優雅な佇まいになっている。
2003年に 博物館として 改装してオープンした。
展示内容は
地下:古代エジプト時代のも
1階:アレキサンドリア湾から発掘されたグレコローマン
時代の石像等
2階:近代とコプト・イスラム教等のもの
(館内は写真撮影禁止)
ルクソール神殿のツタンカーメン夫妻像を
(47)で紹介したが
”手を差し伸べる夫婦像”が
ここにもありました。
こちらは 積極的に前からですね !
(ガイド資料より)
バスは アレキサンドリア市内中心部へと進む。
前回(54)のオレンジは 写真の右側に見えるように
ここ路上マーケットで 売られているのかもしれない?。
市内を走るトラムは エジプトでは カイロとここアレキサンドアだけ。
アレキサンドリアは1860年に開通し 黄色系統と青色系統があり
中心部「ラムル駅」から 黄色は西方向 青色は東方向に
走っており 電車により 世界でも珍しい 女性専用や二階建も
あるとか。
また 運賃は一律なんと!約5円程度
乗ってみたかったが・・・
後方に見える塔は 「ポンペイの柱」 ここは外から見るだけ!
*ガイドの説明
西暦292年に建てられたもので 高さ30m 太さ8m。
往時の神殿建設当時は 400本も建っていたが 現在は 1本のみ。
ポンペイの柱は、元々はローマ皇帝ディオクレティアヌ によって
建築された「セラピス寺院」の一部だと言われている。
セラピス神に関しては アレキサンドリア国立博物館に彫像が収蔵され
ていたが ところが後の世になって、クレオパトラの庇護を受けた
人々達が「ポンペイウスの寺院だった。」と誤解し、その名前に由来
する「ポンペイの柱」という名称が付けられてしまったと。
やっとのことで アレキサンドリア市内に入った。
しかし 昼食を市内レストランでとのことだったが その時間を大幅に
経過して 途中弁当を調達し 車内で食べることになってしまった。
町には オレンジかな大量の果物を積載しトラックが走っている。
エジプトは「果物天国」といわれるほど 果物の宝庫だ。
ネーブルオレンジ スイカ マンゴー イチジク ブドー・・・・と
今回の旅行でのホテル等の食事には たくさんの果物がだされ
それこそ食べ放題に 大いに満喫した。
前回に続き 交通事情を
”交通違反”取締りの現場を目撃
写真のように 交通の取締りがあったのだ!
ちゃんとした”白バイ”である。 何の違反をしたのかは
分からないが? よっぽど運が悪かった人かもしれないね。
エジプトの道路で ”交通信号”を見るのは まれであるので
信号無視ではないだろう。
この国の運転免許取得は 容易で ちょっとした実技で
前進・後進ができればOK 即日交付される。
でも大半の者は 賄賂を使って簡単に取得しているとか?
だから 交通ルールがあってないのか~!
この白バイは アスワン市内で見たものですが
多分この 現場の白バイと同型でしょう。
良く見ると 何と日本製 「YAMAHA」です!
こんな車も走っています!!
カイロ空港を後にし バスは カイロから北西 150km先の
エジプト第二の都市「アレキサンドリア」をめざす。
今までの遅れを 取り戻そうとしてか 一般道だが 高速道路を
走るほどのスピードだ。
混み合う中 車間距離もなく 進路変更 割り込みは
どの車もやっている。 遠慮や躊躇は まったくない。
中国以上の運転マナーかな~?
しかし よくも 事故が起きないものだ。今回の旅行で バスに
かなり乗ったが 一度も 事故現場を見ることがなかった。
道案内の標識は一応整備されているようだが
道路は まだまだ 整備中で ところどころ立体交差の橋の
工事中のところもあった。
写真の右に見える監視塔は 道路用でなく 軍事施設のもです。
一応 ロードサービス車は走っていたが?
砂漠状態の道中 故障し エンコしても直す工場もないからね!
ルクソールから カイロ空港に時間とおり無事に到着する。
到着ロビー の荷物のターンテーブルで 添乗員の荷物だけが
出で来ない。 我々の荷物も 五月雨状態で しかも
ターンテーブルが あっちだこっちだと振り回せわれる。
国内便であり 乗り継ぎでもないのに こんな始末。
写真は 隣席になった イタリア・ベネツアのセニョリータ
グループも 同じく待たされている。
時間も経過し 添乗員が遅れの原因では話にならない。
もう自らあきらめ 出発しようと我々に声を掛けたところで
やっとのことででてきた。 重要なものは手荷物にしているが
それこそ添乗員の荷物だ 我々のものとは違う。
そのときの添乗員の顔が アスワン駅での時とともに
忘れられない!。
カイロ国際空港として 立派な施設・設備が整っているが
サービスは やはり人の手によるもの
”仏作って魂入れず” では だめですね!
エジプト航空
エジプト航空機に搭乗して 機内安全ガイドのビデオ画面に
漫画チックなキャラクターが登場!
なぜか ボクシング・通称カンムリワシの具志堅洋高 さんを
イメージしてしまったが。
普通の人物が出てきて説明よりも 印象に残るかも知れませんね!
飛行機に乗るたびに この安全説明がありますが
法律で定められている義務で この説明が終わらない限り
離陸はできないことになっているとのこと。
旅行前にエジプト航空は 安全・サービスが悪いと聞いた
ことがあったが 私としては 機内食をも含めての利用では
何のトラブルは感じなかった むしろ快適なものであったが。
また エジプト航空のロゴマークがいい!
「安全な飛行を・・・」とから 古代エジプトの”天空の神ホルス”が
窓を目にし 機体そのものがホルスの神としてに描かれている。
また 機内の備品等にも 全部このマークが付けられている。
今度 日本航空も 昔の鶴のマークを「日本の翼」として復活
させる。 今までのマークは JALに切込みがあるのは
いただけない。
さようにして 結構 ”ロゴマーク”は 意味が深い。
旅行6日目朝の ルクソール空港
未明の 3時半に起床 昨夜のショーも覚めやらぬ
真っ暗な中 船の渡し板を踏み外さないようにし
3泊した船を後にバスで空港へ。
出発を待つ時間 船のコックが作ってくれた
おにぎりの朝食弁当を広げ 久しぶりの日本食?
陸路だと12時間かかるところ 1時間のフライト
向かう先は 一路 カイロへ。
エイジプトの朝日は 正に ”地平線に日が昇る” !
*エジプト情勢
検察当局は ムバラク一家の渡航禁止と資産凍結の措置をとった。
ムバラク夫妻と2人の息子夫婦の資産は 総額約5兆8000億円を
上るともされ、ムバラクは2月11日の辞任後、エジプト東部の保養地
シャルムエルシェイクの私邸に滞在している。