あかない日記

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中欧旅行(73) チャスフラフスカ

2012-05-14 | 中欧5カ国紀行

     

 

  「プラハの春」で忘れてはならないのが 「チャスラフスカ」という人
    といっても どなたか お分かりになる方は 少なくなっている。

  1964(昭39)年 東京オリンピックで チェコスロバキアの女子体操の
     人気の選手だった。

  東京オリンピックの特集号を引っ張り出して あらためてページを
    捲って見ると
 平均台 跳馬そして個人総合の金メダルに
      団体でも銀メダルを獲得していた。
       優美な演技は
 「オリンピックの名花」「体操の名花」ともある。
 
  後に 1968(昭43)年のチェコスロバキアの「プラハの春」の支持を
   表明して
 「二千語宣言」に署名したため 
     その年開催のメキシコオリンピックへの
参加が危ぶまれたが
      本番では 抗議の意を示すため濃紺のレオタードで
       出場したり
 授章式でも抗議の意思表示などしている。

  また 競技では 政治的事情が絡んで微妙な判定等がある中で
    跳馬 段違い平行棒 床
とまたも個人総合で金メダルを
     そして 平均台と団体種目で銀メダルをと

        女子体操の6種目すべてに メダルを獲得している。

  その後も 「二千語宣言」への署名撤回を拒否し続けたので
    苦境にあったようだ。


  しかし 1989(平元)年のビロード革命によって 
    ハベル大統領ののアドバイザーや

      チェコ・日本協会の名誉総裁にも就任し
       1992(平4)年4月には大統領が
 
        国賓として来日の際 随行して来ている。

  大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も
   勤めたりして
  これらの功績により 2010(平22)年秋の叙勲で
     日本の「旭日中綬章」を受章している。

      そのときのニュースを見たが 当時とは違がって 
         大分“風格や威厳“が加わったように見受けたが。