あかない日記

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中欧旅行(72) プラハの春

2012-05-13 | 中欧5カ国紀行

  

             ”戦車に占領されたヴァーツラフ広場”の資料により プラハ城内でのガイドの説明


  
1918年に独立したチェコスロバキア共和国は 
    その後 ヒトラーにより解体するが
 
      第2次世界大戦後 社会主義の国となった。

  60年代に入り 共産党一党支配の政治経済体制への批判が高まり
    自由な社会を
目指す改革運動がおきた。
      この民主化と自由化への1968年の春から夏にかけての

         動きを「プラハの春」という。

  新任のドプチェク党第一書記の下に 一連の自由化政策がとられた
    民主化運動だが
 6月になるとソ連の軍事介入が始まったが
     市民たちは
 「二千語宣言」を発表して民主化への支持を表明した。
  8月20日深夜 突然 ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が侵攻し
    チェコスロバキア全土を占領され 
      “プラハの春”は一瞬にして消えてしまった。

          これを「チェコ事件」という。

  その時の 生々しい資料を見せながら ガイドはプラハ城内で
    一連の事件を説明してくれた。

  
      帰国後 あらためて 保存している 当時の新聞を読み返して見る。

     *追 次に「春」が訪れたのは 21年後の1989年だった。
     ソ連の東欧諸国に対する指導制を放棄したことにより
      
 学生と多くのインテリ層が中心となって 流血を招くことなく 
         権力の委譲があり ビロードのような滑らかさで
          改革を進められたので
      
     「ビロード革命(無血革命)」と呼ばれている。