Now+here Man's Blog

Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

田中真理子の家捜索探検隊

2009-05-25 17:07:45 | surfin'


5月23日の土曜日。パーク~リストラは腰。
朝から気温が高く、紫外線強烈。
海面ざわついていて良くないコンディション。

しかしながら波乗りは4月の宮崎トリップ以来。
そこそこ楽しんだ。

それにしても人、人、人。。。
平日のスーパー銭湯よりも人が多い。危険極まりない。
考えるに、携帯の波乗りサイトができてから人が多くなった気がする。

『湘南は全体的にモモ~腰。午後は潮が上げて波が一気に割れづらくなる可能性あり。
午前中に1ラウンド済ませよう。』

このために人が集中するのだ。
それにシーガルやスプリングで入水できるという海水の温かさもあり、
そうなると女性も多い。女性ボディーボーダーの多いこと!

まるでサーファー銀座である。
これで頭サイズあると一気に人が減るんだけどな。



午後、家でホイチョイ映画『波の数ほど抱きしめて』を観た。
挿入曲の著作権の関係でDVD化されていないが、
こないだWOWOWで放映したのを録画しといたんだ。

ミーハーな映画ではあるけれど、脚本が優れている。
イモっぽい演技もない。
今ではそれに出演した人たちは日本映画界のベテラン俳優である。

中山美穂演ずる田中真理子は、
太古の昔に日本がヤマトノミコトノソレナニガシに創世されたときに恐らく湘南地方も出来て、
そして新型インフルの感染が世界を包む今日まで、
たぶんピカイチの湘南ギャールである。
それについて反論する男はいないだろう。

映画を観終わった後、七里が浜の高台にある田中真理子の家を探しに行った。
渋滞の134から江ノ電の鎌倉高校前を入り、セブンマイルズクラブの前を通り、
ちょっと左に曲がりながら坂道を前進する。
振り返ると七里の海が一望できて先に江ノ島が見える。
坂道の途中の高級住宅街に田中家があった。
家は20前と変わっておらず、表札は違う名前が書かれていたが、
間違いなく両親が渡米中で一人暮らしをしている田中真理子の家だった。


その映画とオイラの共通点と言えば、公開のころ、オイラは江ノ島でウインドしていたことだ。
舞台は1982年。公開は1991年。
1989年の5月、ちょうど今頃、オイラはカツオノエボシのエジキになり救急車に乗った。
痛くて意識が遠のくブルーな思い出である。

はっきり言って、この映画の出来の良し悪しはオイラには全く関係ない。
要はこの映画に出てくるものが、まさにオイラの青春で、
その時代のものがビッシリ詰まってることである。
ホイチョイはまさに時代を読む天才集団で20年経った今でこそ、
彼らの才能の高さに驚かされる。

さてこの時代、湘南はサーファーでごった返していないし、いい時代である。
みんな、ああだったんだ。さーふぁーだったのだ。
だから、振り返れば、オイラの1982年がその映画に詰まってる。

一番自分が輝いてる時代だったからな、だからその思いも蘇る。
オイラ世代の人間にはたまらない映画のはずなんだ。


そしてセイルやボードは年々進化しているが、本人は82年のままのような気がする。
だから、田中真理子も実はそのまま七里にいるかも、なのだ。
で、田中真理子の家を見つけたとき、20年の流れが一気に脳裏を走り抜け、
かつ、何も変わっちゃいないことに気がついた、のである。

おしまい。