たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

休みはあっという間に終わってしまいました

2019年10月22日 23時28分46秒 | 日記
 脳みそが疲れすぎてしまっていて飽和状態であれもこれも書きたいと思いながら全くできませんでした。お金のため、それ以外のモチベーションは全く見当たらない、つらい仕事。お金のため、をとっぱらったら続けない方がいいとわかりつつお金は必要なので続けていますが、お給料悪くないのとひきかえに脳みそが疲れ果ててしまっています。慣れない田舎生活、気がつくとほんとに歩く時間がすごく少なくなったのに自転車で足腰は痛い。なにもなさず、それでも災害や事故に見舞われることなく、こうしてなんとか生き延びているというそれだけで十分なんだと思います。普通に生きることほどむずかしいことはないので十分。

 少し前までわかっていませんでしたが、即位の儀式をお祝いする日だったんですね。雅子さまが元気になられてほんとによかったです。雨上がりの皇居に虹がかかったとか。

 これ以上哀しいことが起こりませんように、令和の時代ができるだけ穏やかでありますように・・・。

 日本で最初に年号がさだめられた「大化」の時代を描いた『鎌足-夢のまほろば、大和し美わし』、音源配信された楽曲をタブレット端末にダウンロードして毎朝聴いています。歌詞も曲もすごくきれい。沁みります。

 明日は締め日で電話当番、問い合わせ先になっているという電話がまだまだかかってくるでしょう。また脳みそがつらい一日、長い毎日。休みませう・・・。

紅子さんは今いずこに・・・

2019年10月21日 23時26分01秒 | 日記
 また台風ですか、19号のつめあとを知るにつけ、こんなにすさまじかったのかと驚き、たいしたことなかった自分は幸い、星組の千穐楽の幕があがったことをほんとに奇跡だのとかみしめている次第。花組のさゆみさんの退団公演の邪魔しないように、これ以上被害がでないように、紅子さんにぶっ飛ばしてほしいない、「台風、いい加減にしろ! バカヤロー!」って。タカラジェンヌは言えませんね、紅子さんだから許されたこと。痛快。分身キャラをもった(元)タカラジェンヌ、ほんとにすごい、ほんとに楽しい、唯一無二。


 『メモリアルブック』に載っている『宝塚GRAPH』1月号の音楽時代のエピソード爆笑編。本科生の紅さんが月曜日の朝礼で弾く「世にも奇妙な物語」のテーマ曲を、笑うことを許されない予科生だった美弥さん、望海さん、明日海さんが必死にこらえていたというエピソード、昨日みつけて楽しすぎました。『メモリアルブック』、18年間はボリュームあります。少しずつ熟読中。


 休み明け、気がつけば電話が鳴りっぱなし、わたしの席の近くの電話番号が問い合わせ先になっている内容に脳みそふりしぼりながらなんとか答え続けて一日が終わりました。明後日がまた締め日なのに目の前の書類が進まず、一時間半余りボランティア残業。

 脳みそしびれきった一日の終わりの息抜き投稿でした。

 過去の写真を拝見すると、サヨナラショーは制服が豪華になったなあと・・・。大千穐楽のトークはさらにパワーアップ。今はゆっくりお体、休めていただいて、次なる活躍をゆっくりお待ちしています。


宝塚歌劇の殿堂より_『男役の美学展』

2019年10月20日 23時00分29秒 | 宝塚
 息抜き投稿。

 5月20日『オーシャンズ11』の日帰りバスツアーに参加した際訪れた歌劇の殿堂『男役の美学展』の写真をようやくアップ。10月13日をもってこの並びが過去となりました。わかってはいてもさみしいものです。ネットの時代になり劇団のホームページから名前が消えるのでリアルタイムでいなくなったのだと実感させられます。

 燕尾服の着こなしに、男役の経験値がでるとききます。退団公演のショーの最後は、キラキラのない燕尾服。男役としてのこだわり、集大成ですね。

































































かなり様変わりする今年のタカラヅカスペシャル、ライブビューイングがあるだろうから申し込むと思いますが複雑な気持ちです。



苦悩していた日々を思い出す_実習記録ノートより(8)

2019年10月20日 19時29分27秒 | 祈り
「実習5日目が終わった。繰り返しになるが自分の中で母のことがまざまざと思い起こされてとても、とても苦しかった。数年前無理矢理入院させた場面には、私は居合わせなかったが、弟から話を聞かされた時の苦しさを思い出す。自分の母親が精神疾患者であることは、これほどまでに苦しいのだとあらためて自分の中で繰り返し言い続けている。自分もどっかおかしいんじゃないかと思われるのがこわくて、ほとんど人に話すことができなかった。実習に来る時でさえそう思った。それが今スタッフさんに話すことができている。最近友人になった女性にも、こうしてPSWの勉強を始めた動機のひとつとして母のことを少し話すことができた。彼女は涙していた。私はもしかしたら母を乗り越えることができているのかもしれない。母は今どんなぶうに毎日を生きているのだろう。薬の副作用もあるのだろう。歯がほとんど抜けてしまって、髪もうすくなり、形相がすっかり変わってしまっていることを弟から伝えられてはいる。私は自分がつらくなるし、こわいし、会いに帰ることができないであいる。その現実を受けとめていかなければならない。ただ、母には母の生きている世界があって、それを私が引き受けることはできない。妹の不幸な最期もふくめて、なにが悪くて、だれのせいでこうなったのでもない。答えなどないのだ。

フリースペースは決して居心地のいい場所ではない。やることが決まっていないのは本当に残酷だ。洗い物をしてみたり、軽く掃除をしたり、何かしらやることがほしい。本当に自分はここにいていいのだろうかと思ったり、利用者さんからどんなふうに見られているのだろうかと気になってみたり・・・。

私は何となくFさんに対してのことも含めて、自分がお話をきいてあげている、という気持ちがあったような気がする。どこか特別な人たちだとすごくかまえていた。もし、上から見ているようなところもあったかもしれない。

少し落ち着いて見回してみれば、利用者さん同士気をつかい合っていたり、それぞれの世界をもちながら自分の居場所、過ごし方を見つけて過ごしている。
そこに自分がどう関わっていくのか、実習生の役割はなんだろうなんて考え始めれば難しくなってしまう。
今の私にできることは、あいさつだけはちゃんとして、あとはできるだけ笑顔でいること、それまででも十分だ。
10月の実習はあと一日。
利用者さんそれぞれが生きてきた世界にほんの少しでも触れることができれば、楽しいと感じることもできるかもしれない。
肩の力を抜いて、そこにただ居てみよう。
メンタルな場面で、本当に普段の私がでているなと思う。
こんなに緊張しながら生きてるんだ、これはつらいよ・・・。」

「平成18年10月28日(土) 晴 実習6日目。

本日の目標

笑顔で一日過ごすこと。
利用者さんのつらさや苦しさを引き受けなければならないと思っていたところがあるような気がする。気負わずフリースペースを楽しみたい。」

 

 その時はわかっていませんでしたが、母は医療保護入院でした。親族の同意による強制入院です。幻聴と妄想がひどかったのでいやがるのを無理矢理車に乗せるしかなかったと聞かされました。わたしがその場に居合わせることには耐えられなかったと思います。いなくなって7年の歳月が流れた今、この苦しみ続けた日々はどんどん自分の中から遠ざかりつつあります。それでいいのだと思います。解き放たれていきたいです。台所のものをのぞけば母の荷物はほぼ整理できました。病気になってからの母が読んでは日付を書き込んでいた本をみるのがいやで少しずつリサイクルボックスに持ち込み中。形見わけにほしいものもなく、袖を通せるジャケットは着させてもらっています。それだけ。床の間に飾ってあるお土産物も少しずつ整理中。先日は自分が買ってきた高山土産、そして小学校の修学旅行の時奈良で買った置物とお別れしました。奈良の猿沢池近くの旅館に泊まった、その時の空気感をなんとなく今も覚えています。思い出は心の引き出しへ。モノは要らない。

動機とは別のところで、動機はもう忘れて、援助職をまたやりたいという想いがありますが、郷里および郷里近郊ではあり得ないとわかりました。母がはりきって建てたでかい家は母のためのもの。わたしのものではない。妹が亡くなった家だし、横浜で主治医が言った、そういう家に住まない方がいいんじゃないの、は正しいのかもしれません。物理的に離れていないと気持ちも距離感もてないみたいです。不便すぎるし、ここに居続けることは無理。歯ぼろぼろ、慣れない暮らしと慣れない業務に疲れ果ててしまっている自分がまた一歩踏み出す勇気とエネルギーがあるか。先はみえている、なん十年もあるわけではない。具体的にどこでどんな仕事をしながらこれからの人生を生きていくのか、家族から解き放たれ自分のために生きていくのか、身内いないと賃貸は難しいですが保証会社による保証もあることを前職で知りました。どうするのか、自分。その前に、荷物を減らすための時間がまだ必要・・・。



『アガサ・クリスティー自伝』(上)_第三部成長するより

2019年10月20日 16時13分04秒 | 本あれこれ
「わたしは時々思うのだが、この学校教育をつづけて受けていたら、わたしはどういうことになっていたろうかと考える。わたしは段々進歩していったに違いないと思われるし、またすっかり算数のとりこになっていたろうとも思える・・・いつもわたしを魅了していた科目だったから。とすると、わたしの人生は確実に全く違ったものになっていただろう。きっとわたしは三流か四流ぐらいの数学者になって、まことに幸せな暮らしをしていたかもしれない。おそらく本など一つも書くことはなかったであろう。数学と音楽さえあればわたしは十分に満足だった。この二つにわたしはすっかり専心して、空想の世界などは閉めだしてしまっていただろう。

 もっとも、よく考えてみると、人はなろうとしているものになっていると思う。人は幻想にふけって、「もしこれこれのことがあったら、自分はこれこれのことをしただろう」とか、「もし自分が誰それと結婚していたら、自分の一生は全く違ったものとなっていたと思う」などという。だが、人は常に何とかして、自分の道を自分の型に当てはめてみつけだすものである。というのは、ある型、自分の人生の自分の型に従っていることは確かなのだから。人は自分の型を飾りたてることもできれば、ぞんざいにすることもできるが、それは自分の型であって、それに従っている限り調和というものがわかり、心の安らぎが自然に得られるものである。」


第三部成長するより


(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)

半年分の交通費が支給されてしまいました

2019年10月18日 19時58分11秒 | 日記
 消費税、店内でお茶をのんでサラダを食べれば10%、持ち帰りなら8%、だからアルバイトのみなさんはレジで、どちらかを必死にきく、相手にはっきり聞き取りとれるように確認する。これは混乱しますね。理解できずに怒る人もいるんでしょうね、だからクレームにならないように、間違いがないように必死。不特定多数を相手にするサービス業はほんとうに大変。

 昨日トラブルになったのはこちらの不手際、職員すぐに回す電話でもいったん保留にするの常識なんじゃないの、どういう感覚しているんだ、わたしは回答しなければならないのにきける人がいなくって困っていたんですよ、っていう状況でした。保留にしないから丸聞こえ、そりゃ怒るよなっていう状況でした。つらかったです。昨日はこちらの不手際ですが、人はほんとにいろんなことを言うもんだと思いました。笑ってしまうぐらい、そんなことにつっかかって怒るの?なんでもかんでも高い!っていうの?って思うこと目白押しの一日でした。権利ばっかり主張する前に、ありがたいって思わないのかなってすごく不思議です。台風被害の状況が明らかになっていくにつれ、自分は想定されていたほどの強風にも豪雨にも見舞われなかったこと、星組のライブビューイングを無事観ることができたことを心からありがたいと思っています。東日本大震災のとき、これで終わるのかという恐怖が一瞬よぎったこと、当たり前みたいなことが当たり前ではないと気づかされたことを、生きている間忘れることはありません。なにもなさなくてもこうしてどうにかこうにか無事に生き延びていることができる、それだけ十分尊いのだとあらためて思う金曜日の夕刻。

 今日もあっちからもこっちからも怒られて、脳ミソしびれまくりでつらい一日でした。また違う案内が一斉に発送されたようで、なんのことかわからない、なんでこんなに高いんだって電話が入ります。そういう案内が出ていることを誰も知らないし、四ヶ月半のわたしが瞬時に頭を切り替えて答えられるようなことでもありません。自分のことでは同じようなもの受け取っても理解できなくって放置してしまう類いのことで、ゆっくり説明されれば一応理解できましたが、そんなこともあるのか、これ以上脳ミソに入らないよ、と涙が出てきました。こういうのどこまで自分で対応しなければならないのか。自分の担当分すら脳ミソふりしぼって理解しようとして、でも難しいので理解できなくって涙出てくるのに、担当ではないことまで無理なのに、電話を受けた人の責任という風潮があるのでこわいです。どこまで責任を持たなければならないのか、ほんとに恐ろしいです。来週は休みの前後に電話当番、二回の電話当番。恐ろしいです。


 気がつけば給料日、6月分から9月分までは交通費が一ヶ月ずつ支給されていたのが10月分から来年の3月分までの定期券代が支給されてしまいました。手持ちのクレジットカードが使えない最寄の路線は一ヶ月、クレジットカードが使える乗り換え先は3ヶ月しか買っていないですが6ヶ月分受け取ってしまいました。恐ろしいですね。


 ネットで調べると、契約途中で逃げるには、やむを得ない理由がいる。やむを得ない理由をつくるためには主治医に診断書を書いてもらうしかない。それか極端に勤務態度が悪いとか、損害を与えるとかするか、それはできない。自分を病気にするのか、主治医は土曜日不在なので相談するなら休みを取らなければなりません。契約期間にしばられ、脳ミソしびれながら、吐きそうになりながら気がつけば続いていくのか。すごんでくる人たちを相手にしているせいなのかどうか、女性たちがきついし、使う言葉が汚ない、そこに感化されたくない。できるだけ美しい言葉を使うように心したい。こんなところにいたくないと思いながら、その気持ちを悟られないようにしながら続いていくのか・・・。


 また援助職をやりたい想いがありますが郷里および郷里近郊はまっぴらごめん。車なんて大嫌いなので車社会ではあり得ない。具体的にどこでどんな仕事をしていくのか、賃貸でいくのか、買うのか、こたえはみえません。


 週末はまた大雨、それでもがんばって自転車でまたお風呂さんに行って毒を洗い流すか、流さないともたない。せめて土曜日は脳ミソを休めたい。断捨離も少しがんばりたい。


 四日間だったのに長くつらい一週間でした。22日休みってわかっていなかった。理由もわかっていなかった。とにかく休みなの、嬉しいです、正直・・・。





逃げたい

2019年10月18日 08時21分09秒 | 日記
契約途中なので、やむを得ない理由を作らなければならないようです。
作れるか、作れば逃げられるのか。
電話はおそろしい。合わない、いろいろな意味で・・・。
もういい。

星組『食聖』『エクレール・ブリアン』_東京宝塚劇場千穐楽LV(2)

2019年10月17日 23時07分55秒 | 宝塚
つらかった一日の終わりに少しだけ息抜き。

『エクレール・ブリアン』、酒井先生、80歳を過ぎているそうな。クラシカルで同時に斬新さもある素敵なショー、ありがとうございました。

『食聖』、エルベのカールとマルギットが蘇ってくるシーン、ホンがベンチに投げつけたアイリーンの手作りクッキーが、ベンチのすき間にぴこっと顔をこちら側に向けて可愛くひもを垂らしてはさまったの、神様が素敵ないたずら。毎回クッキーの飛ぶ位置がちがっていましたが最後に高度な離れ技。ホンの表情が東京公演ではすっごく優しくなっていました。

思い出すのは笑いながら泣いた、泣きながら笑った、楽しい場面ばっかり。

12日(土)の公演中止を星組生たちが知らされたのは前日の公演が始まる前だったそうな。気持ち折れなかった、いや折れたのだろうけれど立て直してひっぱったボス、すごい。ついていった星っこたちもすごい。

出会えた奇跡に感謝・・・。


逃げるタイミングなのかな・・・

2019年10月17日 19時00分04秒 | 日記
 トラブルがあり辛く長い一日でした。脳ミソしびれまくって吐きそうです。いろんな意味で合わない場所なのだと心のそこから感じました。職員たち、口悪すぎなの。それが地域性によるものなのか業務内容によるものなのかわかりませんが口悪すぎ。毎日汚ない言葉をきいていたら、いつのまにか自分の言葉も汚くなっていました。こんな専門的な内容を、四ヶ月やそこらのにわかじこみでいくつか同時に理解しきって瞬時に頭切り替えて電話対応するなんて無理。ちゃんとフォローしてほしい。わたしがわからないの当たり前なの、わからない時にきく人がいなかったり誰にきけばいいのかわからなっかりするの、すごく困る。トラブルってる目の前で暇そうにおしゃべりしている職員もいたり、かたやいつもすごく忙しそうにしている職員たちもいたり、よくわからないです。なんだこの雰囲気は。すごく不思議。体制が悪すぎる、なんどうろうなあ、なんだかなあ、ほんとになんだか。郷里および郷里近郊の地域、残念過ぎる。残念だと思うことにばっかり遭遇。残念過ぎる。ここでは生きていけない。これからどうしようか。荷物をもう少し減らしてどこに旅立ちたい。本がまだあるなあ。

 慣れない暮らしを続けて、眠剤のんで吐きそうになりながら、こんな仕事を続けても仕方ない。無理に無理をかさねてやるほどの仕事ではない。ただ収入は必要、それだけ。辞退するかどうかすごく迷った自分の嗅覚はただしかったわけで、辞退した方がいいとわかりながらなぜにさそわれてしまったのか。辞退しなかったことを、あらためて心の底から後悔。今月末でやっと半分。あと5ヶ月と13日もある。長すぎる。主治医に診断書を書いてもらって、一ヶ月前に出せば逃げていいのかな。今年いっぱいで逃げたいと昨日ぐらいから考え始めたけどそこまで無理かな。いろんな意味でほんとにあわない。どうしよう・・・。

仕事はつらいもの

2019年10月17日 08時17分18秒 | 日記
 一般的には仕事はやりたくないもの、つらいもの。ツィッター、みるだけですが、紅さん応援してきた方々のつぶやきをみていると、過酷な長時間労働や夜勤をしているいらっしゃる方もいらっしゃる。わたしだけじゃない、みんなそれぞれ大変な状況になる。

 なんとか5時間半は眠れたかな。なんとか終わっていくのでしょうか。今日も長い一日。

 行きたくない、やりたくない・・・。