課題;9課から12課までの範囲内で、最も印象に残ったミニ・エッセイを一つ選び、その理由を1,200~1,600字で記載せよ。自らの人生における体験や哲学・思想などと自由に関連づけ、できうる限り美しい日本語で表現すること。
「5月の乾いた空気の中にCambridgeの美しい緑の街並みは広がっていた。数百年前からそこにたたずんでいるであろうCollegeが、時の流れを超えてしっくりと街の中に溶け込み、街全体がキャンパスであるかのような印象を受ける。柳が下たるおだやかなCam川の川面は、そのまま私の心の中を緩やかに流れ、緊張から解き放ってくれるようだった。Cambridgeは、私にとって懐かしささえ覚える街の一つである。
イギリスを一人訪れたのは1992年のことだ。バブル崩壊で雇用情勢が厳しくなり始めた頃である。派遣社員として働いていた私も、契約期間満了と同時に失業状態を余儀なくされた。自分の時間はたっぷりとできた。急に羽ばたいてみたくなった。思い立ってイギリスへと飛んだ。十日間ほどの旅であったが、その当時ほとんど英語を話すことも聞き取ることもできなかった私にとっては、誰一人知る人のいない異国の地への旅は大きな冒険であった。訪れる地ごとにB&Bを探しながらの旅は不安と緊張の連続だった。列車の時間は律儀な日本のように正確ではない。バスに乗れば停留所を知らせるアナウンスなどはなく、どこで降りたらいいのかわからない。日本でのように少し歩けば公衆電話や自動販売機があるでもない。勝手の違いに戸惑いながらも、イギリスでの旅は忘れ難いものになった。ただの観光旅行である。特別な出会いがあったわけでもない。だが、あらたな自分と出会うことができた。旅のノートの一ページに私はこう書いている。「自分はなんと多くのものを抱え、せまい自分の殻に閉じこもり、肩で息をして肩の凝る生活をしてきたのだろうと思う」。旅の間、次第に肩の力が抜けていく自分を感じていた。
しかし、この時の私はまだ、本当に自分を解き放つということをわかってはいなかった。自分を閉じ込めてきたのだということをこの旅で知ることはできたが、依然として自分の中に築き上げたつもりの価値観の中に自分を閉じ込めたままであった。私が本当の意味で自分を解き放つことができたのは、この旅から数年を経て、妹が自ら死を選ぶという出来事があってからである。突然、”生と死”を目の前に突き付けられ、それまで自分を閉じ込めていた壁がいっきに崩れ落ちた。心の葛藤を続ける中で、少しずつではあるが、根本から本当の自分の姿というものが見えてくるようになった。
イギリスへと飛び立った時から始まった自分を探す旅は、通信教育の卒業論文執筆という作業で一区切りつくのではないかと思っている。この放送英語の単位を取得することができれば、初回の指導登録に向けての準備をするつもりだ。テーマはまだ漠然としているが、現代の日常生活とカウンセリングの位置づけ・必要性を、自然と人間との関わりも織り交ぜながら探っていきたいと考えている。そして、私だからできることを見つけたい。先の見えない旅はまだ当分の間続くことになるが、旅の終わりに今度はどんな自分との出会いがあるのか、今から楽しみである。
無事に卒業の日を迎えることができた暁には、またぶらっとイギリスを訪ねたい。Londonの広々とした公園を、Shakespeareの故郷Strafordを、そしてCambridgeの緑の街並みを、今度は心から緩やかに歩いてみたいと思う。」
平成11年10月に書いたレポート、講師評はVeryGoodでした。
コロナ騒動の終わりがみえない今読み返すと、バブル崩壊後、没落の一途を辿っている日本の中でまんまと罠にはまりこんだまま生きてきてんだなあと思います。でも弟に全部自分がばかなんだよ、全部自分が悪いんだよと言われれば何も言い返すことはできません。没落日本の中をここまで生きてきてただ一つの正解は、コロワクを疑えたことでしょうか。もし接種していたらすでにこの世にいなかった可能性大だと思っています。これは間違っていなかったと日々確信しています。
労働紛争で知ったよりもはるかに社会の闇は深いのだと、コロナ騒動でわかり暗澹たる思いです。コロワクで、報告があがっているだけでも1800人余りの方が亡くなっているというのに中止するどころかさらに打て打てどんどんやって、乳幼児にまで打たせようとしている日本。8月の超過死亡30,000人、テレビと新聞にいっさい出ません。だから知らないまま、いまだお国のやることに疑問を抱かずコロワクを接種してしまう人がいる。大人はもういいですが子どもたちは本当にあかん。おそろしいことが起きているのに平和にみえる日本。陰謀論とされたことが陰謀ではなく現実なのだということが日々明るみになってきているのに平和にみえる日本。おそろしいです。
母は統合失調症、妹は家で自死、わたしは生まれる前からの右足股関節脱臼による変形性膝関節症の末期。家を建てた場所は呪われているのか。コロナ騒動で行政も医療も信じることがほとんどできなくなったのに、信じてはいけないとわかったのに頼らざるを得ないという悔しさ。隔世遺伝とコロナ最優先だから命に関わらない整形外科の手術先送りはわたしが選んだことではない、わたしの責任ではない。こんな苦労いらん、ほんとにいらん。神様は試練を乗り越えられる人にしか与えないとか、その苦労はなにかを教えてくれている、全て意味がある、学びがあるとか、そんな美しい話は知らない。今さら親を恨むこともできませんが苦労ばっかりさせるために生んだのか、勘弁してほしいよ、ほんとうに。
辞任表明の見出しに、日本のことかと期待したらイギリスでした。混乱していますが、自浄作業が働いているということなのでしょう。羨ましいかぎり。もう訪れること叶いませんが、ロンドンを少し離れると車窓には緑豊かな景色が広がる美しい国でした。
「5月の乾いた空気の中にCambridgeの美しい緑の街並みは広がっていた。数百年前からそこにたたずんでいるであろうCollegeが、時の流れを超えてしっくりと街の中に溶け込み、街全体がキャンパスであるかのような印象を受ける。柳が下たるおだやかなCam川の川面は、そのまま私の心の中を緩やかに流れ、緊張から解き放ってくれるようだった。Cambridgeは、私にとって懐かしささえ覚える街の一つである。
イギリスを一人訪れたのは1992年のことだ。バブル崩壊で雇用情勢が厳しくなり始めた頃である。派遣社員として働いていた私も、契約期間満了と同時に失業状態を余儀なくされた。自分の時間はたっぷりとできた。急に羽ばたいてみたくなった。思い立ってイギリスへと飛んだ。十日間ほどの旅であったが、その当時ほとんど英語を話すことも聞き取ることもできなかった私にとっては、誰一人知る人のいない異国の地への旅は大きな冒険であった。訪れる地ごとにB&Bを探しながらの旅は不安と緊張の連続だった。列車の時間は律儀な日本のように正確ではない。バスに乗れば停留所を知らせるアナウンスなどはなく、どこで降りたらいいのかわからない。日本でのように少し歩けば公衆電話や自動販売機があるでもない。勝手の違いに戸惑いながらも、イギリスでの旅は忘れ難いものになった。ただの観光旅行である。特別な出会いがあったわけでもない。だが、あらたな自分と出会うことができた。旅のノートの一ページに私はこう書いている。「自分はなんと多くのものを抱え、せまい自分の殻に閉じこもり、肩で息をして肩の凝る生活をしてきたのだろうと思う」。旅の間、次第に肩の力が抜けていく自分を感じていた。
しかし、この時の私はまだ、本当に自分を解き放つということをわかってはいなかった。自分を閉じ込めてきたのだということをこの旅で知ることはできたが、依然として自分の中に築き上げたつもりの価値観の中に自分を閉じ込めたままであった。私が本当の意味で自分を解き放つことができたのは、この旅から数年を経て、妹が自ら死を選ぶという出来事があってからである。突然、”生と死”を目の前に突き付けられ、それまで自分を閉じ込めていた壁がいっきに崩れ落ちた。心の葛藤を続ける中で、少しずつではあるが、根本から本当の自分の姿というものが見えてくるようになった。
イギリスへと飛び立った時から始まった自分を探す旅は、通信教育の卒業論文執筆という作業で一区切りつくのではないかと思っている。この放送英語の単位を取得することができれば、初回の指導登録に向けての準備をするつもりだ。テーマはまだ漠然としているが、現代の日常生活とカウンセリングの位置づけ・必要性を、自然と人間との関わりも織り交ぜながら探っていきたいと考えている。そして、私だからできることを見つけたい。先の見えない旅はまだ当分の間続くことになるが、旅の終わりに今度はどんな自分との出会いがあるのか、今から楽しみである。
無事に卒業の日を迎えることができた暁には、またぶらっとイギリスを訪ねたい。Londonの広々とした公園を、Shakespeareの故郷Strafordを、そしてCambridgeの緑の街並みを、今度は心から緩やかに歩いてみたいと思う。」
平成11年10月に書いたレポート、講師評はVeryGoodでした。
コロナ騒動の終わりがみえない今読み返すと、バブル崩壊後、没落の一途を辿っている日本の中でまんまと罠にはまりこんだまま生きてきてんだなあと思います。でも弟に全部自分がばかなんだよ、全部自分が悪いんだよと言われれば何も言い返すことはできません。没落日本の中をここまで生きてきてただ一つの正解は、コロワクを疑えたことでしょうか。もし接種していたらすでにこの世にいなかった可能性大だと思っています。これは間違っていなかったと日々確信しています。
労働紛争で知ったよりもはるかに社会の闇は深いのだと、コロナ騒動でわかり暗澹たる思いです。コロワクで、報告があがっているだけでも1800人余りの方が亡くなっているというのに中止するどころかさらに打て打てどんどんやって、乳幼児にまで打たせようとしている日本。8月の超過死亡30,000人、テレビと新聞にいっさい出ません。だから知らないまま、いまだお国のやることに疑問を抱かずコロワクを接種してしまう人がいる。大人はもういいですが子どもたちは本当にあかん。おそろしいことが起きているのに平和にみえる日本。陰謀論とされたことが陰謀ではなく現実なのだということが日々明るみになってきているのに平和にみえる日本。おそろしいです。
母は統合失調症、妹は家で自死、わたしは生まれる前からの右足股関節脱臼による変形性膝関節症の末期。家を建てた場所は呪われているのか。コロナ騒動で行政も医療も信じることがほとんどできなくなったのに、信じてはいけないとわかったのに頼らざるを得ないという悔しさ。隔世遺伝とコロナ最優先だから命に関わらない整形外科の手術先送りはわたしが選んだことではない、わたしの責任ではない。こんな苦労いらん、ほんとにいらん。神様は試練を乗り越えられる人にしか与えないとか、その苦労はなにかを教えてくれている、全て意味がある、学びがあるとか、そんな美しい話は知らない。今さら親を恨むこともできませんが苦労ばっかりさせるために生んだのか、勘弁してほしいよ、ほんとうに。
辞任表明の見出しに、日本のことかと期待したらイギリスでした。混乱していますが、自浄作業が働いているということなのでしょう。羨ましいかぎり。もう訪れること叶いませんが、ロンドンを少し離れると車窓には緑豊かな景色が広がる美しい国でした。