夕方になって晴れてきた極寒の日曜日、昨夜のたぶん上の部屋の人が部屋を間違えてしまったであろうことはどうすることもできないわけで、ただ苦労して家賃払っている部屋にいてもちっそくしそうのストレスでどうにもならない自分がなさけない限り、きつい仕事をしているのに心が休まらないのが哀しい限り。
気を取り直して『レディ・ベス』思い出し日記、もうそろそろ4年前のことになろうとしていますが、今給料安くってこんなに情けない状況ですが、社会から孤立したまま大会社のクソ弁護士との闘いになってしまった頃を思えばここまでよくやってきたわけで自分を褒めてあげるべき。2014年の春は花ちゃんベスに心のエネルギーをもらいながら生き延びた日々でした。それから3年半の月日が流れて『レディ・べス』と再会。感慨深いものがありました。リアルタイムで書いた記事を読み返してみると書きたいことはだいたいもう書けていました。あらためて書くまでもないですが、平野綾さんベスが素敵だったことをあらためてもう少しだけ・・・。
2017年10月14日(土)の記事、2017年『レディ・べス』との再会
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ff6780be46b4947e46188eceb0bed689
2017年10月28日(土)の記事、2017年『レディ・べス』_二度目の観劇でした
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d49b0ae96a73280871ae6e5a72e0d733
Wキャスト、比較してしまいがちですが、それぞれの持ち味で役を生きているということで、花ちゃんを宝塚入団一年目でミーミルを演じていた頃から知っているという思い入れの強さから2014年『レディ・ベス』、2015年・2016年『エリザベート』と花ちゃん一辺倒で観劇しましたが、蘭ちゃんシシィをスルーしてしまったの後悔していて、偏るのはよくないと思い、2017年は花ちゃんベスと綾ちゃんベスを一回ずつ観劇。ロビン、メアリー、フェリペ王子のwキャストもそれぞれ一回ずつ観劇できるようにチケットをとりました。
2017年10月14日(土)17時開演
レディ・ベス 花總まり
ロビン 山崎育三郎
メアリー 吉沢梨絵
フェリペ 平方元基
2017年10月28日(土)17時開演
レディ・ベス 平野綾
ロビン 加藤和樹
メアリー 未来優希
フェリペ 古川雄大
期待していなかったなんていうのはほんとに失礼なのですが、少女時代の綾ちゃんベス、のちにイギリスを繁栄へと導く女王の賢明さ、聡明さがよく出ていて素敵でした。加藤さんロビンとの相性もよかったと思います。日陰で生きる少女時代のベスの周囲には、アスカム先生、キャット・アシュリーと賢明な人々が集まり、ロビンという市井の人々の暮らしぶりを教えてくれる恋人との出会いもあり、ベスが素敵なだけに権力の頂点に立ちながらも孤独なメアリーの哀れさがより際立っていました。綾ちゃんベス、自由闊達なロビンに戸惑っている感じもよく出ていました。
未来さんメアリー、2014年は縁がなかったので初でしたが、自分の信じる道を生きようとすることで残忍となり結果的に嫌われてしまい、旦那さん(フェリペ皇子)にも嫌われ、最期はがんで死んでゆく。人々がベスの戴冠に喜びの祝杯をあげる一方でひっそりとメアリーの葬儀はおこなわれたのでしょうか。自分を産んだ母の愛が、ベスを産んだアン・ブーリンへとうつっていったことで母は死んでしまったことからベスを恨み続けたメアリー、なんともいいようのない哀れさを未来さんメアリーは感じさせてくれました。治世を司っていた時は残忍であればあるだけ哀れ。和解したベスにカトリックを守ると約束してほしいと涙を流す姿がメアリーの全てなのだと思いました。史実では二人が一緒に暮らしていたこともあったとか、父ヘンリー八世は、次々とお嫁さんをかえてほんとに罪深い人物だと思いますが、ガリレオが天体望遠鏡を発明する前の時代、それが正の時代でした。2014年『レディ・ベス』観劇のあと、アン・ブーリンを罪人に仕立て上げていく『罪人を召し出せ』という小説も読みましたが、背筋が寒くなるようなぞっとする内容でした。不義の罪で処刑されたアン・ブーリンの娘であるベスがメアリーの崩御と共に女王となるのは舞台にのせるのにふさわしい奇跡の物語なのだとわかりました。
ロビンのちゃらいといえばちゃらい、三人組がベスをからかう場面もなくなり、ロビンの身軽で自由人な雰囲気が前回よりもうすれた分、きれいになったといえばなったのですが、前回そんなところに惹かれた舞台だったので残念といえば残念。なんども同じことを書いていますが、和音美桜さんのアン・ブーリン、歌声が儚くて美しくて素敵でした。幸薄い役柄がよくお似合いです。涼風真世さんのキャット・アシュリーは随所でオスカル様。はあっ、かっこいい。20数年前のオスカル様をリアルタイムでみているので、宝塚モードで溜息しかありませんでした。
加藤さんロビン
古川さんフェリペ皇子
「一言でいえば、エリザベス朝とは、古いものと新しいものとが、実に奇妙に、ときには多くの矛盾さえも含んで、併存していた時代といってよかった。古いものとは、中世からの継承物としての世界観、考え方であり、新しいものとは、いうまもでなく今日ルネサンスの名をもって呼ばれる大胆な人間解放、再発見のそれであった。もちろん考えてみれば当たり前の話で、時代思潮の交替などということが、そう簡単に「一夜明くればお正月」といった工合のものでないことは当然なのだが、ただイギリスにかぎらず、西欧ルネサンスの場合は、なにしろ一方に中世を支えたキリスト教的世界観という構築物が、千年以上の堅牢さを誇るものであった上に、新しいルネサンスの人間解放が、これまた陶酔的とさえいえるほどの奔放、強烈なものだっただけに、その併存の様相もまたかぎりない豊富さと奇怪きわまる矛盾を孕んでいたということになる。」
(中野好夫著「シェイクスピアの面白さ」より)
まただんだんと一週間の始まりがせまってきました。部屋に帰っても休まらないのでまたしばしスパに逃げ込んで心と体をほぐしてすっきりしないと出勤できないか。また木曜日は雪とか。足と股関節が痛むのでつらいね、つらい仕事。とりあえず時間切れとなってきました。あとでもう少し書けるかもしれませんが、書きたいことはあるのですがこれにて。
半分は弱音のグチみたいな観劇日記、お読みくださりありがとうございました。次の土曜日は『マタ・ハリ』、一番安い席だけど、一か月振りの観劇で心のエネルギーをチャージ。舞台がないと心が涸れてしまって生き延びて行けそうにない日々は続いていきます。
気を取り直して『レディ・ベス』思い出し日記、もうそろそろ4年前のことになろうとしていますが、今給料安くってこんなに情けない状況ですが、社会から孤立したまま大会社のクソ弁護士との闘いになってしまった頃を思えばここまでよくやってきたわけで自分を褒めてあげるべき。2014年の春は花ちゃんベスに心のエネルギーをもらいながら生き延びた日々でした。それから3年半の月日が流れて『レディ・べス』と再会。感慨深いものがありました。リアルタイムで書いた記事を読み返してみると書きたいことはだいたいもう書けていました。あらためて書くまでもないですが、平野綾さんベスが素敵だったことをあらためてもう少しだけ・・・。
2017年10月14日(土)の記事、2017年『レディ・べス』との再会
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ff6780be46b4947e46188eceb0bed689
2017年10月28日(土)の記事、2017年『レディ・べス』_二度目の観劇でした
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d49b0ae96a73280871ae6e5a72e0d733
Wキャスト、比較してしまいがちですが、それぞれの持ち味で役を生きているということで、花ちゃんを宝塚入団一年目でミーミルを演じていた頃から知っているという思い入れの強さから2014年『レディ・ベス』、2015年・2016年『エリザベート』と花ちゃん一辺倒で観劇しましたが、蘭ちゃんシシィをスルーしてしまったの後悔していて、偏るのはよくないと思い、2017年は花ちゃんベスと綾ちゃんベスを一回ずつ観劇。ロビン、メアリー、フェリペ王子のwキャストもそれぞれ一回ずつ観劇できるようにチケットをとりました。
2017年10月14日(土)17時開演
レディ・ベス 花總まり
ロビン 山崎育三郎
メアリー 吉沢梨絵
フェリペ 平方元基
2017年10月28日(土)17時開演
レディ・ベス 平野綾
ロビン 加藤和樹
メアリー 未来優希
フェリペ 古川雄大
期待していなかったなんていうのはほんとに失礼なのですが、少女時代の綾ちゃんベス、のちにイギリスを繁栄へと導く女王の賢明さ、聡明さがよく出ていて素敵でした。加藤さんロビンとの相性もよかったと思います。日陰で生きる少女時代のベスの周囲には、アスカム先生、キャット・アシュリーと賢明な人々が集まり、ロビンという市井の人々の暮らしぶりを教えてくれる恋人との出会いもあり、ベスが素敵なだけに権力の頂点に立ちながらも孤独なメアリーの哀れさがより際立っていました。綾ちゃんベス、自由闊達なロビンに戸惑っている感じもよく出ていました。
未来さんメアリー、2014年は縁がなかったので初でしたが、自分の信じる道を生きようとすることで残忍となり結果的に嫌われてしまい、旦那さん(フェリペ皇子)にも嫌われ、最期はがんで死んでゆく。人々がベスの戴冠に喜びの祝杯をあげる一方でひっそりとメアリーの葬儀はおこなわれたのでしょうか。自分を産んだ母の愛が、ベスを産んだアン・ブーリンへとうつっていったことで母は死んでしまったことからベスを恨み続けたメアリー、なんともいいようのない哀れさを未来さんメアリーは感じさせてくれました。治世を司っていた時は残忍であればあるだけ哀れ。和解したベスにカトリックを守ると約束してほしいと涙を流す姿がメアリーの全てなのだと思いました。史実では二人が一緒に暮らしていたこともあったとか、父ヘンリー八世は、次々とお嫁さんをかえてほんとに罪深い人物だと思いますが、ガリレオが天体望遠鏡を発明する前の時代、それが正の時代でした。2014年『レディ・ベス』観劇のあと、アン・ブーリンを罪人に仕立て上げていく『罪人を召し出せ』という小説も読みましたが、背筋が寒くなるようなぞっとする内容でした。不義の罪で処刑されたアン・ブーリンの娘であるベスがメアリーの崩御と共に女王となるのは舞台にのせるのにふさわしい奇跡の物語なのだとわかりました。
ロビンのちゃらいといえばちゃらい、三人組がベスをからかう場面もなくなり、ロビンの身軽で自由人な雰囲気が前回よりもうすれた分、きれいになったといえばなったのですが、前回そんなところに惹かれた舞台だったので残念といえば残念。なんども同じことを書いていますが、和音美桜さんのアン・ブーリン、歌声が儚くて美しくて素敵でした。幸薄い役柄がよくお似合いです。涼風真世さんのキャット・アシュリーは随所でオスカル様。はあっ、かっこいい。20数年前のオスカル様をリアルタイムでみているので、宝塚モードで溜息しかありませんでした。
加藤さんロビン
古川さんフェリペ皇子
「一言でいえば、エリザベス朝とは、古いものと新しいものとが、実に奇妙に、ときには多くの矛盾さえも含んで、併存していた時代といってよかった。古いものとは、中世からの継承物としての世界観、考え方であり、新しいものとは、いうまもでなく今日ルネサンスの名をもって呼ばれる大胆な人間解放、再発見のそれであった。もちろん考えてみれば当たり前の話で、時代思潮の交替などということが、そう簡単に「一夜明くればお正月」といった工合のものでないことは当然なのだが、ただイギリスにかぎらず、西欧ルネサンスの場合は、なにしろ一方に中世を支えたキリスト教的世界観という構築物が、千年以上の堅牢さを誇るものであった上に、新しいルネサンスの人間解放が、これまた陶酔的とさえいえるほどの奔放、強烈なものだっただけに、その併存の様相もまたかぎりない豊富さと奇怪きわまる矛盾を孕んでいたということになる。」
(中野好夫著「シェイクスピアの面白さ」より)
まただんだんと一週間の始まりがせまってきました。部屋に帰っても休まらないのでまたしばしスパに逃げ込んで心と体をほぐしてすっきりしないと出勤できないか。また木曜日は雪とか。足と股関節が痛むのでつらいね、つらい仕事。とりあえず時間切れとなってきました。あとでもう少し書けるかもしれませんが、書きたいことはあるのですがこれにて。
半分は弱音のグチみたいな観劇日記、お読みくださりありがとうございました。次の土曜日は『マタ・ハリ』、一番安い席だけど、一か月振りの観劇で心のエネルギーをチャージ。舞台がないと心が涸れてしまって生き延びて行けそうにない日々は続いていきます。