たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(3)

2021年02月23日 16時29分15秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6d59fcd97ec28a77a0d56324937e4e2e

(東京国際フォーラム公演プログラムより)

「上演台本・詞;髙平哲郎

-悪の魅力-

 2014年、アメリカ人のダニエル・ヴィーンが『HYDE』を書いて小説家デビューした。ジキルとハイドの最後の4日間を、ハイドの視点で描いたサスペンスだ。昨年それが翻訳された(羽田詩津子訳、KADOKAWA)。スティーヴンソンの原作を、悪のカリスマともいえるハイドの視点から書いた物語だ。役者のあとがきを借りると本書は「ハイドが自分の死が目前に迫っていることを悟り、ジキル博士がしたためた告白は間違っている、自分の口で”真相”を語っておきたい、と過去を回想する形で物語を紡いでいく」作品であり、主人公ハイドについて「ジキルの悪の部分だけで成り立っている怪物ではない。ハイドはジキルの考えを常に推測しながらも、独立した世界を築こうとし、その中で喜びや悲しみといった人間らしい暖かい感情も味わっている」と書いている。

 スティーヴンソンは人間の「善」と「悪」という二面性を、ジキルとハイドとして登場させた。どのどちらがキャラクターとして魅力的なのか?ーだれしも「悪」であるハイドを挙げるに違いない。ハイドのバイタリティに比べれば、ハイドが現れることに怯え悩むジキルはつまらない男に見える。このミュージカルの作詞・脚本のレスリー・ブリカッスも、ハイドの魅力を存分に展開させ、シーンによってはハイドの視点を強調している。小説『ハイド』を読み進めていくと、実はジキルの方が「悪」ではないのかと思わせる。原作やそこから派生した様々な物語のハイドが、魅力的に見えるのは当然だ。悪のジキルが魅力的なのは自由奔放に生きているからである。ブリカッスは、原作にはない二人の女性エマとルーシーを登場させた。この二人もある意味「善」と「悪」であり、二人各々の中にも世間体に縛られた「善」と自由奔放な「悪」が共存している。ある人間が魅力的に見えた時、その人間の持つ二面性のどちらかの部分を見た時だろう。当然、見る側の二面性のどちらかがそれを感じたわけた。舞台を見ながら、役者や演出家の二面性を想像してみるのも面白いかもしれな。悪意のある演技や演出は、やはり魅力的だ。」



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