あげちうのブロマガ

人通りのない街の中で

理解?感覚ではともかく、「広告代理店」は”王”を変えた、という話で安定している感じではある。

ならその時、評価基準それも、今後は大きく変化する、事には成る、訳だが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

・・・そう言えば、そろそろか番組改編期、という奴だった気はする。「テレビ番組とはどうあるべきか?」に、今は多少の変化が起きていても良い、が。「王が要らない選抜」として、「M式番組枠選定法」では、スポンサーの採点が選抜の要ではあり。その時、スポンサーにしろ混沌はある、「”良い”番組ってどういう?」ただまあ、それに関しても一応は、明確な理想像はまあ、ある。

「商店街が総じて流行ってる光景」が、理想である。

その番組は、”それ”に対して何らかの好ましいアプローチをしていくのか否か?

ともかく「商品が売れる」と言うのは、大事ではある。可能なら小売店での販売実績が欲しい、というのは重くある。それは末端の小売店を潤し、流通を活性化させ、もちろんメーカーも利益が得られる。それらで発生する給与は、社会全体の「顧客」を増やす事に繋がる訳で、「売れる商品」それは、経済の好転それに対しては最重要命題でさえある訳だが。

ただ、今の理解では「結果で合理化が進んでも良くない」と言うのはあって。アメリカにしろ、日本の地方にしろ、ネットと通販の発展は、小売りでの無駄を省いてやがて、都市の空洞化を招いていった。中央市街地を人が歩いていない、という光景はちょっと「衰退」を象徴する絵ではある訳だが。「ネットで注文すれば家まで届けてくれるから便利」今の事態が”その結果”だという、そこは少し意識したい部分はある訳で。

一応、そう言うのを意識する所に「お金が増える」それがある、というのは今までの理解ではあるのだが。

そう言う視点である時、経済の活性化の為には家で引きこもるよりは、外に出て買い物をする、方が良い訳だけど。ただその為には、外出する事への否定感、そう言うのの払拭?そう言うのも大事には成るだろうか。今の主流になっている?芸人による旅番組は決して間違ったアプローチでは無いのだろう、ただ微妙に漂ったテレビへの否定感、そう言うのは今後?ではある。

どれだけ頑張ろうと、ダメな場合はダメではある。

「カウンタ制御をしている」その犯罪性を背負う王は、平成を通して致命的な喪失を齎していた、訳だが。

”朝鮮”は、本当に諦めたのだろうか。

現場が如何に可能性を信じようと、数値の改竄は犯罪でしかない、それは大事な話である。

王は、それに溺れていった、のだ。

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