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あげちうのブロマガ

性癖と需要の狭間で

自分的には、いわゆる「メイド喫茶」と言うのは、微妙に理解し難い。

「いらっしゃいませ旦那様(はぁと)」

私は貴方の旦那様では無いのですけど。

出現確率以前に、その疑問を何となく越えられない。

という奴が、メイド喫茶を考える?と、こういう感じにはなる。

来訪するとメイド姿の女性が来て、「いらっしゃいませお客様、旦那様がお待ちです」と言いつつ、適当な席へ案内され。後は「普通」にメニュー持ってきて注文を聞くだけ。

要するに、「メイドとは何か?」と言う、それへの認識というか意味?そこに何を求めるか、という話な訳だが。世代と言うか世界、それによって理解は実際はかなりズレている、のかも。

前者は単純に「娼婦の比喩」でしかないが、後者は「存在としての需要」ではあり。後者にリアリティは重要だ、些細な一言でも、そこに姿は見える。

という、性癖に関してはまあ、個人差がある訳だが。

 

ともかくコロナ禍で苦しんだ世界、それにとっては前者だが、今後は後者になる。

…だろうか?


不安をよそに、東京でのコロナ禍は劇的に改善、終息的な数値に成っては来た。「戦争は終わった」と言う、そんなニュアンスも不意にあるくらいに、”それ”は懸念を無視して数値は小さくなっている。自分の説、「新型コロナウイルスは、強奪連鎖の直接的な加害者側に発症し易い」具体的に言えば売春婦を求める意識、彼女らを買いに行ってしまう”そこ”で発症し易い、訳だ、売春婦に、では無く。結果?”これ”を抑止する為に必要なのは、単刀直入には売春の否定、には成る、訳だが。ともかく終息した、と言う事は、現場レベルで、”これ”が起きていない?と言う意味、も少し、ある。

今の売春婦らは、強要されてその仕事をしてる訳じゃない訳だ?

自由意思、その結果として、彼女らはその仕事?を選択している。
他の仕事だってあるのに?だ。

”それ”は、強奪連鎖の被害者では無い、訳で。

帰結的には、問題は無い。強権発動で、そう言う産業を全て封鎖してしまうよりは、現場でのストレスは…少ないだろう。無理して必要な産業では無いが、費用対効果は人それぞれで、状況的には許容し得る人々、と言うのも居るなら、それは禁止するまでもない、そう言うのはある。もちろん?”それ”を買いに行く人々にしろ、別に商行為の店と客でしかないのなら、それはイラストレーターに”期待する絵”を発注してるのと、大差ない、のかもしれない。

ともかく、「想定が正しいなら」数値が本当に減少しているのなら、それは、そう言う意味ではあって。

このコロナ禍その物がフェイクだった、可能性を、自分は微妙に捨ててない感覚は残っている、これは当初から風邪と大差なかった。何かの大きなパワーによって人類全体にストレスを掛けられただけだ、だから。娼婦と言う産業を求める人々が、このままでは否定されるそれを忌避して止めてしまった、と言うのも可能性。とは言え、「世界規模の話」に対してはそれにリアリティは無い現状はある。リアリティと現実と把握に、随分ズレのある状況だ。個人が世界を変える事など出来るのか?と言う、疑問と結果と、そして。

ともかく現状での終息感は、自身の想定するそれとはずいぶん違うオチ、ではある。

つまり、状況は変わっていないと言う事なのでは。

氷河期世代が相変わらず氷河の中、という事も含んで?

 


使用イメージ
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