「戦争が終われば、また楽しい事も出来るさ」と、不意には思うが。
「いつ終わるの?」そう問われれば、そこに見通しのない事はふいに実感はする。
ちょっと見えてる希望の前にある壁を自覚しつつ、本日の「ロードオブロード」進捗。
「ロードオブロード」2r 第8回目
前回の状況
スコア9、要求73、借金最大ー39
1.領域パーツ選出
本日のダイス
白:5,4:9
黒:2,6:8
白9 5426
「要求」73+9=82。
123456
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パーツ
5426
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2.領域形成
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3.不足補填
前回の残骸 無し
補填 無し
4.報酬選定
不足補填あり、報酬査定、5。
コスト消費 9-0=9
スコア獲得 9+5=14
5.現在の結果
借金最大 ー(39+4)=ー43
スコア14、要求82、借金最大ー43
何だか着実な牛歩というストレス感。
状況はそれでも変化し続けている、というのはあり。以前に正論だった物が今、正論か?と言われると、ちょっと疑問ではある。貴方は人力発電機と低所得者向け給付金、どっちが良いと思いますか?で、結果的には後者が今も選択されていて。一つの達成みたいな「空気」がある中で、結果は自分の期待するそれではない。
ゲームとしての「面白さ」は、やっぱり未来を描くところにある、のだろうか。
ただもちろん、そうなった時、”それ”を個人で創る事は許されないのだが。
「それがおかしい」と、その辺に自分もまだいて、大多数と喧嘩?の意向は見せている、感じ。雰囲気としては、”自分は”サメがうようよいる海中に沈んだ檻の中、だが。現実は危険なそういうのを眺めてる水族館、という状況かもしれない。「このサメがいつ、我々を襲ってくるか解らないんだ」その時、自分らは十分な防衛が出来るのか?水族館で優雅に泳いでるサメに対してそんな感想を抱くのは、そのちょっと思いつめた一人くらいしかいないのでは。
本人はまだ戦争中だが、他の人々には不安の種でしかないのかも。
実際に今続いている、ロシアとウクライナの戦争も、決着が見えない。「大賀さんの決定に逆らった」という視点で、ウクライナが悪い、という自身の把握は今も変わってないが。「大賀さん」紛争解決機構がある、という理解は一般的ではなく、その時、「侵略に屈したウクライナ」という絵は、正義に対して重い疑念を創ってしまう。実際にはウクライナはかなり外交的な「問題児」ではあって、それの一番の被害者がロシア、「いいかげんにしろよ」で、対立があり、紛争解決機構が介入し、結果そこではウクライナが負けて、「”ロシアの要求通りに”NATOへの加入は諦めます」で、終わった筈だがそこに反発して、今の状況。ガンプラバトル、という?その紛争解決機構、その問題だろうか、”これ”が一般化すると、かなり些細な事でも”これ”で決着にしよう、みたいな話になってしまう可能性はあり。その絵の中にはちょっと、非道徳的な絵はある。
だからこそ、「調停者」支配者、”警察”的なパワー、そういうのが必要、な訳だが。倫理上問題がある時、彼らが出張ってくる、それに勝つのは容易ではない、なら。それはその前に抑止される。紛争が起こるのは彼らが関与し得ないフィールドだけ、だ。アメリカには”それ”をしなければならない使命がある、が。そこに発生する権力と腐敗?それはそれで深刻さは有る。
そういう思索の隙をついて、「反逆者」それは、今も抵抗を続けている。
ただまあ、確かに、「では大賀さんで決着を」そこには至らない、単に死刑を前にゴネてるだけ、という当たり前、かもしれない。自由意思の侵害はタブーだ、という時、「という訳で君は断頭台に進みたまえ」それは、ちょっと言えないというのは。
荒唐無稽なサメ映画の需要、だろうか。
杞憂だ、と解っていても、それが有りえないとは思えない、立場がまだ、ある。