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あげちうのブロマガ

メディアが捨てるのか捨てられるのか

少し前に考えた「奈落」が、現実味を帯びている、気もする。

ガイナックスが倒産した、という事は。同じ指向を持つ企業は総じて倒産するしかない、事に。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

彼女はバイトである。我が社は経営不振である…で?

 

「利益が出てないのなら、早々に切るべきです」と、それはまあ正論としてはある。そしてリソースを利益が出てる部分に集中するのです、がしかし。実際は「リソースを集中しても利益が増える訳じゃない」のだ。その部署はそれだけの人数で十二分だった場合、切り捨てた部署の人員はそのまま「余計」である。そして”それ”を切った後にも状況が変わらないのなら?それはそのまま「次の切り捨てるべき部署は?」そう言う話になる、負のリストラスパイラルではあろうか。最終的には”その”領域は総じて切り捨てられる、会社その物は潰れてしまう事には成る訳だがそれが。今、何故か奇妙に広い範囲で起こりつつある、そんな雰囲気は、ある。

状況を打開出来ない様な思想?を、信仰する、支持する意味はあるだろうか?

ともかく実感としてその時、”その為に投入する”全ての労苦は、単なる徒労でしかない。「売れる物は選択できない」のだ、伝統を捨てろに近い話。歪んでしまった、というべきか。その会社が抱える主義、思想はその時、巨大な足かせでしかなくなっていく、部分は。

ともかく何故、そう言う奈落が起きるか?というと「人間は価値を食べる」から、だ。その文化か状況?そう言うのに”飽きて”しまい、「変化」していく結果で、今まで必要だったものが、そうではなくなっていく。”それ”を防ぐ為に、特にメンテナンスを目的にする感じの(ゲームって面白いよね、的な)娯楽創作は次々供給する必要がある、のだが。そこにはどうしても「思想」それが介在していく、「正義」それをそこで語り出す時。欠損があると、必要なモノを切り捨てる事になる、それは社会にとって害である、そう言う。「でも、売れるから」普通はそれである程度の許容が発生するモノ、だがしかし。間違いなくか、”それ”はその、欠損ある「正義」を攻撃し、或いは腐らせていく原理に成るのは間違いなく。ちょうど合致はある、ヴィーガンの多くは健康に深刻な問題を抱えていたりする。自分の思想的には「家畜を喰って良いのは養育する対価」みたいな理解で、ホテルに滞在した客から対価を得るというそれでしかない、事には成っているが。ちょっと理解が深刻だ、”家畜”が人間扱いに成ってしまっている。「人間を喰うんですか?!」に近い事を相手が言い出す時、”それ”が正義では無いとなると、その人はもうホテルを、宿泊施設を利用する事が出来なくなる、訳だ。或いは、宿泊施設を社会的な敵にさえ設定し始める事には?

それでも今、ヴィーガンはメディア上でも何かの深刻な脅威、それに成っているのは間違いなく。

権力側が、自身らの”それ”を欠損と言えない結果、信仰する人々もまた、”それ”を選択できなくなっている、訳だ。

この先が深刻で、つまり「その信仰を捨てて、利益が出る思想を信仰しなさい」と言う事をどうしても要求する事にはなる。現行の思想をそのまま、なんやかや解釈を変えて対処、にちょっと限界が出始めている、それは間違いなくても。今も、自分も経済学者を否定というかが出来ない、ともかく「権威が無い」状態は深刻?ではあり。陰謀論レベルの事しか言えてない現実は重い。アメリカも実際には、全土がデトロイト化しつつある、みたいな話で。それでも、「学が無い」と言うそれは、深刻な無力さではあるのだった。

「自由意思の侵害は良くない」それは、何処まで志向される正義か、ではある。

実際は「大衆は神である」なんて、口にするのも憚られる思想では、あって。

しかし”それ”を許容出来なくなった結果か、ガイナックスは倒産して。

或いはKADOKAWAも、また?

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