昭和が終る頃の、大学生らに要求する謝礼金50万円、というそれを。
今の、大人になった彼らに要求する、その是非ではある。
昔、「小林よしのり」と言う漫画家の、ゴーマニズム宣言、内に、少しエピソードか、話がある。
「問題を起こした奴には罰を与えて後悔させろ、それが大人の役割だ」
自分も様々、或いは過去の黒歴史はある訳だが、この漫画家の、この作品の一時的にとはいえファンだった、と言うそれは。一応は相応の理由、それが有っての事だ、とは思いたい部分、それは有ると言うべきかもしれない。
話のテーマそれは、ヤクザ等の裏社会か、そう言う存在への或いは肯定だった、気もする。だから、当時であってもそこは結構、抵抗感は有った訳だがしかし。その主張その物には、ある意味で今、納得の様なモノが不意にあるのが、何だか苦笑する現状ではある。
庵野秀明氏の処女作「新ウルトラマン マットアロー1号発進せよ」は、当り前だが明確なウルトラマンの盗作である、と言うか”コピー”でさえあって。それは、著作権という観点で言えば立派な侵害行為で…そして販売した、と言う事実は、それが犯罪行為にまで踏み込んでいる、そう言う意味では、あった。
自分の推測では、それで痛く怒られたか否定されたかで、彼はその後、アニメの方に進路を変えて行った、が。ともかくその過失は、微妙に不問のままになってしまった、訳だ。ともかく「罪に問われなかった」と言う事が、そしてその後、庵野秀明氏の名前が良くも悪くも膨らんでしまう結果、そこには重い精神的な疾患が発生した。彼自身も、この作品に関して「過失があった」それは確か認めてない、単に出来が悪かった、それだけ。
著作権侵害は罪に成らない。
具体例が有るか否か。ドラゴンボールの俺エピソードを勝手に描いて本にし販売、オリジナル側が”それ”に似たエピソードを書いたら、「著作権侵害だ!」と騒ぐ、そう言う同人界隈での、ある意味での特徴的な、精神疾患を疑う行動、その原理として。
”その”領域では、それは二次創作側にこそ著作権が有るのだ、オリジナルは自分の描いた二次創作の側であって、オリジナルのそれはむしろ欠陥がある、そういう。そう言うのの集約する先に、庵野秀明氏、その作品、その存在は、不意にある。
気がする。
その打開を考える時、合致するのが、当時の製作スタッフらが、詫び状と50万円位を持って、円谷プロに頭を下げに行く、と言う行動ではある。当時の学生なら、何とかなりそうな、それでも相応の痛みはある、そう言う金額を喪失する、と言う事例に、恐らくは「後悔」それは発生する。詫び状と謝礼金まで持ってこられれば、それは相手も「次からは気を付ける様に」それで流せる”感じ”はする。後悔を背に、彼らは次は”それ”を避ける様に創るだろう、それはプロとして普通のルートには入る訳だ。状況の思考実験的なイメージでは、”当時は”それでその混沌は消えた、とは思う。
もう、30年は過ぎてしまった。
それでもその過失は今も、何かの影響を見せているのに、リカバーの術がない?感じもある。
そして、それを先生として世間が認めている結果、その疾患は同人、いや業界に、無駄に広く伝播している、訳だ。そして末端かで、何かの歪みとして発露、破綻を幾つも起こしている。
のかも。
”ここ”で、
「庵野秀明氏を先生と呼ぶ事は出来ません。彼は過去に重い著作権侵害をしていて、それを賠償出来ていませんから」
とか定義する、それは意味があるのか無いのか解らないが。何かの暴走?そう言うのには、一つの理由と打開には成る、かもしれない。
場合によってはメタ社の歪にさえ影響する事例ではある…簡単ではなさそう。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8675514
https://publicdomainq.net/louis-icart-0033529/