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あげちうのブロマガ

無能と言う否定と結果

一人の天才が創った完璧な環境は、果たして。

数多の凡人が結集して建てた、不備の多い環境より、良いモノか。

とは言っても、スペースシャトルは採算の悪さを超えられなかった訳だが。
理念、理想、それだけでは物事は上手く行かない、それはもちろんそう。
インターネットもまた、似た様な問題?を抱えている、感じは最近不意に重い。

「たかが世界掲示板を創る為に、こんな施設は必要か?」

極論すれば、そう言う事ではある。違う事は言える、人々の意思が集まる”それ”がお金の担保、「価値」の足場であって。インターネットの今の構造は、そう言うのを集めるのに適しては居る、これに集い発生する「価値」を大事にする事で、経済的な貢献は問題なく要求して良い。経済にとっては世界的にも重要な機構である。

…と言うのは、あくまでも”今の”あげちうの、言い分である。

これに相当するモノを、或いは「実際に運営してる人々は持ってない」のだ、返答が無い、或いは真意は言えない。実際にはあげちうの考えた「黄昏の狩人」からの転用でしかないなら、”そこ”に有るのは、単なる低俗と言って良い、そんな功名心の様なモノでしかなかったのかも。

だからこそ、逆に「掲示板だけ?」という否定に追われる様に、或いは今の様な発展?になったのかもしれない。

そして、結局は利益性、そう言うのに今も、見放されている訳だが。


最近考えている、或いは一つの絵ではある。

基本的には送受信6Kbながら無料で利用出来るネットワークと、テレビ放送がセットになった環境があり。主なデータはテレビのデジタル放送で受信し、備蓄されて行く物を利用する事で、ネットワークへの負荷を最小限にしつつ利便性などの向上を図る。その上で、インターネットの大容量ネットワークは”その”副次的なサポートとして利用する。

「6KBでは何も出来ない」訳では、無い。昔のガラケー時代は”それ”以下で、十分何とかしてた。6KBに固定する事で、電話回線的なニュアンスで利用出来るなら?インターネットの利用者の増大による負荷は「各サーバー毎の設備の問題」でしかなくなる。この感じなら?負荷の増大はコンテンツの否定に繋がらない。結果、増える利用者を問題視する必要は、運営側は無くなる。


ともかく、今苦慮されている問題の殆どを、改善した環境と言うのは、今からだって創れない事は無い、筈ではある。ただ?”そっち”に舵を切ろうとするなら、今までのインターネットは否定する事には成る、訳だ。ネットワークが二つあっても問題は無い、が。しかし、インターネットにしたら「別のネットワーク」それは今、自身の否定に他ならない。

余りにも、その構造その他に問題が多すぎるから、だ。
無理の先に出来た虚体と言うか、採算が合わない、維持するメリットに疑問が累積していく。

その構造は、その事態に対しても、対処する能力や意識を失っては、居る。

残るのはただ、「無能だから捨てられる」”それ”への、何かの恐慌と言うか、幼稚な不満と言うか。

正論と、無能と言う悲痛と。そんなどうでも良い対立がまだ、燻っている?

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