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あげちうのブロマガ

それはある昔を語る人

趣味の問題だ。

ショートサーキット出張版読み上げ動画6682

「創りたかったのは何ですか?」と言われて、「虹色宝珠」を創った当時の自分が求めたのは、結局はアーケードで動いていた60fpsの横スクロールSTGっぽい何か、だったろう、とは思う。良くも悪くも、あの「天聖龍」と言うアーケードゲームが、時代的にも状況的にもか、合致はある。キャラクタはともかく、”ああいうの”を創れる環境が有れば、それを目指しただろう。ただ、当時の自分の前にはMSXか、FM-NEW-7というパソコンしか無かった。それでまず、60fpsという当時の最高?それは物理的に無理だ。

天聖龍

無い物ねだりが出来る状況でも無かった自分はそこで、それでも何とか形を創らんと、色々と試行錯誤を続けていた訳だが。


昨日の「伝説巨人ウルトラン」は、”そう言う感覚”の先に有る絵、ではある。当時用意し得たろうモノの範囲の中で、何とか完成し得る、そういう。それはでも、”今考えると”プロの現場でこそ必要な感覚や理解ではある、そこも予算不足と工期の問題、それは実際には重くあるのだ。「その中で」テレビに放映されるクオリティを創った、と言うのが偉大であり、意味のある映像に成る訳だけど。

「ウルトラマンを創る!」と言う時?それはちょっと、失望と共には有る訳で。


バブルに浸っていたかの、その世代の感覚かもしれない。「楽しい?」それは疑問だ。楽しさ、を目指すなら、何故か、ウルトラマンのそれをトレースする方が、楽しい。「自分にも出来る」と言うその理解だろうか、自己肯定、それが満たされるから、か。その場の多数決を優先するなら、「マットアロー1号出撃命令」その方が、意欲ではある。

そしてそれは今も、エヴァンゲリオン世代、その中には重く根付いている、気はする。それが市場的に否定された、という失望と、その痛みと共に。

当時はアナログだった、先日提案した査定手段は、割とデジタルではある。この条件を満たせないと、それは評価に成らない、という理解は今、自分が或いは何故か、選ぶ側に”感覚だけは居る”結果か、”解る”部分だ。価値は必要だ、そしてそれは、個人的主観の事では無く、そして、或いは理不尽な「自身の上位」それの物差しで有って。

「それ」が無いと、経済は衰退する。
その時、自身の創りたかったモノ、それはほぼ、何の意味も無い。

打開しなきゃいけない部分か?は、何だか混沌としている。ともかく庵野秀明氏は、失望から紆余曲折を経てか、所属する会社へ多額の借金を負わせつつ、「エヴァンゲリオン」そこへ至る訳で。それはどういう意味か?に、自分が見たモノと、現場の感覚にはやっぱり、何かのズレは有ったと言うべき、だろうか。

売れなきゃダメだよね。

それは、自分の声でしか無かったのだが。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8034579
背景:近場で撮影

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