深刻な様な、違う様な、奇妙な停滞感が、何だか重い。
ショートサーキット出張版読み上げ動画6685
スーパーファミコンに関する問題?は、あくまでも個人的な感覚のそれではあるが。それは今見ると歪んでいると言って良い功名心の産物で…ファミコンに必要な志?世界を、民を、その身を削っても護らん、とか、そう言う感覚が薄く?むしろ民を「理解しない愚民」としか見ない、彼らを支配し自身らの理想を的な、”それ”を主眼としてしまった様な、そんな否定感と言うか、邪?意識し始めるとそれは、それをどんどんと膨らませては行く。
結果的にそれが廃棄という事に成った、それはむしろ安堵でさえある、しかし。似た様な話だ、ハードパワーの優秀性と言うべきか、”それ”は相変わらず「何がダメなのか?」それを、そこで呟き続けている、そう言うのはある。
先の、「志が良くない」それは、”その”意識には、納得には足りない何かだ。むしろそれは冷笑と侮蔑、軽視する筆頭でさえ有る、”それ”こそが敵だ、人々を支配している理不尽な邪悪だ、むしろ、そんな感覚にさえ陥っていく…それはそう言う意識によって形成された、そんな遺物ではある。
「デモンズソウル」そのゲームの冒頭、それが何故か暗黒に沈んだ、それにも関係する様な、実際には、現場的な実感だったろうか。そしてそれは結論で言えば?平成が巨額の負債を抱えていく、そこにも通じていくのだ。それを今後も引きずるのは、不安感しかない、が。
昭和とは、それほどのバラ色だったか?と言う話であって。
実際には、現JR、旧国鉄にしろ、郵便局にしろ、国の投入なしには維持不可能な経営状態だった。平成に成ってその辺が一気に噴出しただけ、そう言う面は実際には有る。昭和の頃に国債が無かったか?と言うと実は存在し、平成に成って異様に増えただけで、昭和当時にしろ、国家全体で見れば経営状態はそれほど良くなかった。産業が衰退していく、それはもちろん昭和からしてそう、そして税収が支出に満たないその状態は、全く持って世界規模の不安要素として。
”それ”を平成は引き継いだだけだ…そして、それが破綻したに過ぎない。
ファミコンを継続すべきだった、それは、”今更”である。とは言えともかく、リーマンショック前にスーパーファミコンは発売され、そして平成の破綻のど真ん中を、同期するかの様に衰退していった。昭和の方法論が、本格的に使えなくなったそれを、切り捨てた後遺症か、他の選択肢を選べないまま、やがてはプレイステーションの登場等々で、市場から姿を消す事には成る。当時の人々に残った物は、重い失意と憤りだろうか。これは、自身らの責任か?渦を巻く様に、それは或いは、エヴァンゲリオン世代、それへと帰結していく…そう言う?
好ましい動画、ではあるが。
彼らの、実際には抱える劣等感は、むしろその「改善」の結果としてより誇張され、暗黒を強める可能性はある。今、問題になっているのは何か、「まだ使えるのに捨てられた」そこか、それとも、埋められない過去の過失に付いてか。「こうすれば良かった」その物言いの無意味さと憤りも、壁だろう。平成に発生した国債、その膨大なそれに対処するそれは誰が適任か?と言う、それは物言いとして正しいか否か。
エヴァンゲリオンは、何の成果も出せなかった世代の、或いは…唯一の希望かもしれない訳だ。
それは、何処へ。
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