【時代ななめ読み】:「偉大病」から遠く離れて
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【時代ななめ読み】:「偉大病」から遠く離れて
いまさら言うまでもないが、トランプ米大統領のスローガンは「米国を再び偉大に」だ。トランプ氏は自ら思い描く「偉大な米国」の実現のために、ライバルの中国はおろか同盟国にも貿易戦争を仕掛け、国際経済秩序を混乱させている。
一方、中国の習近平国家主席が掲げるのは「中華民族の偉大な復興」である。「偉大」の目標像は清王朝の最盛期にあるらしく、南シナ海の軍事拠点化を進めて周辺国と衝突している。
ロシアのプーチン大統領も同様だ。「大国ロシアの復活」が旗印で、クリミア併合を世界中から非難されても意に介さない。3月の大統領選では「偉大なロシアの将来を選ぶため」と投票を呼び掛けていた。
国家や指導者がこうした「偉大」の自己イメージに取り付かれ、周囲とぶつかる現象を、私はひそかに「偉大病」と名付けている。
日本は「偉大病」と無縁だろうか。安倍晋三首相は昨年1月の施政方針演説で「世界の真ん中で輝く国づくり」を呼び掛けた。麻生太郎副総理兼財務相の著作名は「とてつもない日本」だ。「偉大」の言葉こそないが、似たような思いが顔を出しているようだ。
◇ ◇
偉大になりたい、周囲から「偉大」と思われたい-。そうした感情を抱くのはごく自然だ、という考え方もあるだろう。実際に明治から昭和の敗戦までの日本は、世界における偉大な地位を追い求めて走った。
ただ、私が指摘しておきたいのは、日本人の伝統的な価値観は必ずしもそれだけではないのではないか、ということだ。
試しに、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を読んでみてほしい。冒頭部分は有名だが、この詩の後半はこうなっている(片仮名を平仮名に、一部を現代仮名遣いに直した)。
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはおろおろあるき
みんなにでくのぼーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
◇ ◇
詩の中で作者の賢治は、東へ西へと走り回って他人のために尽くしながらも、「でくの坊」と呼ばれることを望んでいる。
この詩が長年愛唱されてきた事実は、「偉さなど要らない。自分のやるべきことをやれば『褒められもせず、苦にもされず』で十分」という価値観に、かなりの数の日本人が共感している証拠ではなかろうか。
時折口ずさんで、「偉大病」の対極にある思想をしみじみと味わいたい。
ちなみに「東に-」や「北に-」を国家に当てはめれば、優れた国際人道支援活動そのものだ。質実な生活ぶりや、災害で苦労しつつも自然とともに生きる意思をうたった前半部分も含め、私にとって目指したい国の姿はおおむねこの詩の中にある。「世界の真ん中で」とは、だいぶ違うけれど。 (論説副委員長)
=2018/09/09付 西日本新聞朝刊=
元稿:西日本新聞社 朝刊 主要ニュース オピニオン 【時代ななめ読み】 2018年09月09日 10:49:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。