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黄色い部屋はいかに改装されたか 増補版

2012年06月01日 | ミステリ
都筑道夫のディクスン・カー嫌いはもしかしたら「近親憎悪」、
あるいは「嫉妬」なのではないでしょうか。
「黄色い部屋はいかに改装されたか」全体で登場する作家のうち、
カーはクイーン、ポーについで3番目に多く登場します。
実際所収の「黄色い部屋はいかに改装されたか」(P86)では
「ほんとうは好きだ」と白状もしています。
P275でも、「(カーは)大衆小説作家の資質があり、ストーリイを語る技術に、一作ごとの進歩があった」
「『バトラー弁護に立つ』なぞの話術はにくらしいくらいである」と誉めているのです。
でも次の行では「謎解きミステリとしてはそこが気に入らない」。

あー、面倒くせえ親爺だな~(笑 もちろん尊敬していますよ)。

都筑道夫の論説を読んでいると、
妙な脅迫観念にかられてモノを書いているように思えてくるときがあります。

それは作品が、
古めかしい
作りものめいている
視覚的ではない
という縛りに囚われているように思えます。

同じフリースタイルから出ている都筑道夫最後の書評集「読ホリディ」(HM連載)を読んでいると、
都筑道夫は作品を評価するのにこの3つのコトバがよく出てきていました。
(視覚的云々は別の本だったかも)。

都筑道夫自身は「新しい手法」で「自然な展開、キャラクター、語り口などで」「視覚的に訴える」作品を書こうとしていたので、
書評でもその切り口で評価していたのではないでしょうか。
都筑道夫が自分の作品を自身の基準からどう判断するか聞いてみたいものです。

で、都筑道夫はアジテーター(編集者)として優れ、作家としては時代小説が本分だったのではないかと思います。
都筑道夫の「神州魔法陣」は伝奇時代小説の伝統を守りながらモダンな時代小説の先鞭をつけた作品
(とくにラストの脱力な解決はモダンですよね)ではないでしょうか。
カーの本分が「ビロードの悪魔」のような西洋伝奇時代小説にあるのならば、
都筑道夫とカーは仲の悪い兄弟みたいなものと言えなくもない、のでは。

■黄色い部屋はいかに改装されたか 増補版 都筑道夫 フリースタイル
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