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久生十蘭 再発見

2011年08月27日 | others
久生十蘭をはじめてちゃんと読みました。
顎十郎捕物帳は読んでましたが、「魔都」は最初の10ページぐらいで投げてしまった私にとって
久生十蘭の短編は面白いのか?、という心配は杞憂におわりました。

おもしろい!(当たり前ですよね)

わたしにとって久生十蘭についての情報は、結局都筑道夫の本しかないのですが、
都筑道夫は久生十蘭の小説技巧至上主義者的な側面しか書いていない。
同業の作家(しかも都筑道夫にとっては敬愛する先輩)としては当然の視点であるわけですが、
久生十蘭の作品を読もうとしていた人間にとっては、著者の小説技法に偏りすぎて、
久生十蘭自身の目的が何かという点がなおざりにされているような気がしていたのです。

難しいことではなく、十蘭作品の面白さはなにか、ということです。
まさか、都筑道夫みたいに言葉の選び方や文体の分析のために作品を読む人はそういないでしょう。

短編集を2冊ていど読んだだけで久生十蘭を語ってしまう僭越はひらにご容赦していただくとして、
そもそもミステリ作家、というカテゴリに入れられてしまっていることが間違っているのではないか。
ミステリ「も」、SF「も」、捕物帖「も」書いたワンアンドオンリーの作家だったということは識者の方々には当然の前提として、
久生十蘭の面白さは「retold」、再話とでも言うのでしょうか、口述筆記という執筆形式ともあいまって、
今までにある話をもう一度久生十蘭が語りなおす点にあるような気がします。
そこには都筑道夫の言う、極度に洗練された言葉の選び方や文体がともない、
オリジナルの話が解体されて久生十蘭の作品として生まれ変わる、というシステムが働いているのではないか。
昨今で言われる「リミックス」というやつですかね。
全作品にあてはまるとは思いませんが、少なくとも「久生十蘭ジュラネスク」に収録されている「藤九郎の島」は、
「無人島長平物語」として土佐では膾炙された話を下敷きにしています。



「無人島長平物語」
「無人島長平物語」
無人島長平については、こちらの本参照
江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚― 新潮文庫 岩尾龍太郎著



スピッツ / ロビンソン





ネタがあるとか、ないとかということが問題ではなく、久生十蘭のやりたかったことは、
ミステリもSFも捕物帖も女性同士の電話の会話までも、
自分の文体で語り直して作品化すること、ではなかろうか、と。

とにかく喰わずきらいが直ってよかったです。
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