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チラシの裏

九尾の猫

2015年12月22日 | Eクイーン
不特定多数が容疑者になる「ローマ帽子」「フランス白粉」「アメリカ銃」路線の行き着いた先が、
ニューヨーク全市民を容疑者にする、というプロット。
サイコキラーものが当たり前となった今では、よくある設定ですが、
昔読んだときは面白かったなあ。

巻末に著者本人による名前リストがありますが、
頭をひねって考え出したことを自慢したかったんでしょうね。
不自然でなく、かつそれらしい名前を考えるのは難しいので。
ライツヴィルもので田舎のアメリカを描いたあとは、
自警団、公民権運動の登場する現代アメリカを描くことに挑戦。

金持ち、庶民、貧乏人、性差、人種、出自関係なく
「猫」の手にかかる人たちの共通点はなにか。
ミッシングリンクものの傑作です。
また都会を舞台にしているので、クイーンには珍しく警察小説の感すらします。
いつもは名前だけのヒラ刑事たちでさえ、キャラクターを与えられています。
張り込み中にお腹をこわすヘス刑事がいいなあ。
ミッシングリンクの発想が次作の「ダブル・ダブル」に繋がっているようにも思えます。

ところでクイーンの作品を読んでいて、気になるのは年配女性への仕打ち。
「フランス白粉」の社長夫人、「Yの悲劇」「生者と死者」の老夫人などなど。
若い女性はそれなりにヒロイン役をあてがわれているけれど、
母親、妻という立場の女性はなにかとヒドい仕打ちを受けているような気がします。
とくに前期の作品。最後期では「最後の女」というゲイ(?)ミステリが。

横溝正史「悪魔の手毬唄」の犯人造形が、
「九尾の猫」からの影響があると思う(はっきり言えばイタダキ)のですが、どうでしょう。
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