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王朝物語/色好みの構造

2006年08月14日 | ノンフィクション
たとえば「源氏物語」のほかに、その当時の同時代小説はあったのかどうか、知っている人はとんどいないと思う。ぼくたちの一般的なイメージの中では、平安時代に不毛な散文の広野に孤高の塔としての「源氏物語」があるような気がしていたが、実はそうではなかった。時代としてはやや下るけれど、「源氏物語」のエピゴーネンやアンチ「源氏物語」が相当輩出していたようだ。不毛な広野だと思っていたら、それはただの思い違いで、中国の黄河流域のように、あまりにも早く文化が成熟してしまったために、次の時代(室町時代)へ伝承がなされなかった。著者が感ずるところでは、ヨーロッパの近代文学の実験にも劣らないような、自覚的な小説技術が成熟していたそうだ。それは王朝文化とあまりにも密接に存在していたがために、鎌倉、室町という武士階級の台頭により、継承できる文化が育つことなく衰弱していった。つまり日本は文学超々進化国だったと言えるのかもしれない。

男女関係、性愛関係の美意識は、日本において江戸時代と現代とでは天と地ほども違っている。こまかいことを言えば、明治、大正、戦前の昭和、とそれぞれの時代においても違いはあったはず。平安時代に花ひらいた王朝文学に描かれた「好きもの」と言われる行動は、現在の道徳に照らせば言語道断でしかないが、美意識というのは時代によって大きく変化するものであり、いわんや文学の中で描かれた行為を現在の道徳によって断罪することはナンセンスの極みであり、世界においてもけひけをとらない宮廷文学としての王朝文学を当時の人間の美意識の発露として読み直す、というのがだいたいの趣旨と思う。「源氏物語」「枕草子」が頂点とすれば、その後貴族社会が武家社会にとってかわられる頃は、その衰退時期といってよく、「源氏」のパロディ、亜流が続出し、貴族が政治と文化の中心だった平安時代を懐かしむデカダンな雰囲気になり、「源氏」のころは雅だった男女関係も、退廃的な色彩を強く帯びて、王朝文学も衰退していくことになる。

王朝物語(中村真一郎 新潮文庫)
色好みの構造 王朝文化の深層(中村真一郎 岩波新書)
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