[※ 筑紫哲也 NEWS23とメディアの未来 望月衣塑子が尋ね 金平茂紀が語る (週刊金曜日、2021年12月03日1356号)↑] (2022年09月14日[水])
TBSは、何度〝死んだに等しい〟ことをすれば、気がすむのでしょうかね?
『報道特集』冒頭の金平茂紀さんの〝20秒の自由〟が奪われる……筑紫哲也さんの『ニュース23』の頃の“筑紫イズム”=「権力の監視」「少数者であることを恐れない」「多様な意見を提示して自由の気風を保つ」はどこに? TBSは「権力に阿る」「愛玩犬」に堕ちるのか? 《TBSから“筑紫イズム”の火は消えるのか》…。
『●『報道特集』冒頭の金平茂紀さんの〝20秒の自由〟が奪われる…
「権力の監視」「少数者であることを恐れない」「多様な…」はどこに?』
「金平茂紀さんが金曜日 #大竹メインディッシュ のゲスト。金曜日は
室井佑月さん。『報道特集』冒頭の〝20秒の自由〟にて、
(アフガン報道)(「腰抜け」)「腰が引けた状態」発言。
筑紫哲也さんの『ニュース23』の頃とは大違い。筑紫さんの最後の
『23』での言葉、「権力の監視」「少数者であることを恐れない」
「多様な意見を提示して自由の気風を保つ」…今や「権力に阿る」
「愛玩犬」。」
(日刊ゲンダイ)《山口敬之氏が起こした…性暴力事件》当時、金平茂紀さんがむしろ批判されていたけれども、当然ですが、批判の矛先は山口敬之氏は当たり前として、TBSそのものに向けられるべきだった訳です。金平さんは《『あまりに非道なことが局内と政治権力の間で罷り通ってしまった』と断罪していますが、徹底的な内部調査を主張したにもかかわらず、当時の経営陣は懲罰委員会を開くことすらせず、うやむやにして山口氏を早期退職扱いにしてふたをしてしまった》のはTBS。
(リテラ)《「真実を伝えて、権力を監視する」──。岸井氏の“遺言”を、報道に携わる人間は重く受け止めなくてはないらない》はずだったのにね。『筑紫哲也 NEWS23』の「多事争論」にて、筑紫さんは、かつて、「TBSは今日、死んだに等しいと思います」と。TBSは、何度〝死んだに等しい〟ことをすれば、気がすむのでしょうかね? そして、看板の報道番組『報道特集』から金平茂紀さん切るとは、心底呆れる。
『●”テレ朝は今日、死んだに等しいと思います”』
『●岸井成格氏を支持する: 「TBSは今日、
再び、死んだに等しいと思います」なんてことが起こらぬために』
『●「TBSは今日、再び、死んだに等しいと思います」
なんて方向に進んでいないか? 報道は見て見ぬふり?』
『●岸井成格さんの〝遺言〟「真実を伝えて、
権力を監視する」…「報道に携わる人間は重く受け止めなくては」』
『●室井佑月さん×金平茂紀さん対談: 《安倍政権の
言論弾圧体質によって、どんどん悪化している報道の萎縮》①』
『●室井佑月さん×金平茂紀さん対談: 《安倍政権の
言論弾圧体質によって、どんどん悪化している報道の萎縮》②』
日刊ゲンダイのコラム【元木昌彦 週刊誌からみた「ニッポンの後退」/TBS「報道特集」金平茂紀キャスター降板で20年前の「ザ・スクープ」打ち切りを思い出した】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/311186)によると、《金平は9月3日の同番組冒頭、「日本がプーチン大統領のロシアのように上から強制する国になったとは思いたくありませんが」と語った。この上というのは、社のトップのことであろう》、また、《筑紫は、TBSのプロデューサーがオウム真理教側に事前にビデオを見せたことが大きな社会問題になった時、「NEWS23」で「TBSは死んだと思います」と語った。金平は朝日新聞の「論座」(8月4日)で「今のこの時代に正気でいることの困難さ、切実さ」と記している。金平を切ることでTBSは「2度目の死」を迎えることになる》。
『●《他人の不幸に付け込み…壺などを売りつけ、信者の家庭を破壊する
カルト教団に「信教の自由」などないことを、メディアは自覚すべき》』
【元木昌彦 週刊誌からみた「ニッポンの後退」/旧統一教会が現在も
生き残っている理由 35年前には筑紫哲也の「朝日ジャーナル」が
徹底追及】…《悪名高い霊感商法の実態をいち早く取り上げ、誌面で
大キャンペーンを張ったのが、朝日新聞社が出していた週刊誌
「朝日ジャーナル」だった。ちなみに霊感商法と名付けたのもここ。
編集長は筑紫哲也。「豊田商事をしのぐ冷血の手口 霊感商法の巨大な
被害」(1986年12月5日号)を手始めに徹底追及したのである》
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/311186】
週刊誌からみた「ニッポンの後退」
TBS「報道特集」金平茂紀キャスター降板で20年前の「ザ・スクープ」打ち切りを思い出した
公開日:2022/09/11 06:00 更新日:2022/09/11 06:00
(右手前が鳥越俊太郎氏。4人目が金平キャスター
(C)日刊ゲンダイ)
TBS「報道特集」の金平茂紀キャスター(68)が9月いっぱいで同番組のレギュラーを降板、その後は不定期出演の特任キャスターになると日刊ゲンダイ(9月2日付)が報じた。
テレビに唯一残っていたジャーナリズムの灯がついに消える、そう思わざるを得ない。
金平はモスクワ支局長を経て筑紫哲也の「NEWS23」編集長に就任。筑紫から多くのものを学んだ。2010年から「報道特集」のメインキャスターになり、硬派な語りと鋭い切り口で「時代を切り結ぶ姿」を視聴者に見せてきた。
安倍・菅政権時代の官邸は権力を振りかざし、己の気に入らないテレビキャスターたちを次々に降板させてきた。だが、金平の口を閉ざすことはできなかった。それがなぜ? 68歳という年齢を挙げる者もいるが、筑紫ががんのためにキャスターを降板したのは72歳である。
金平は9月3日の同番組冒頭、「日本がプーチン大統領のロシアのように上から強制する国になったとは思いたくありませんが」と語った。この上というのは、社のトップのことであろう。
私は20年前のことを思い出していた。鳥越俊太郎がテレビ朝日の「ザ・スクープ」を追われたときのことだ。当時は警察の裏金問題を徹底追及していた。番組打ち切りの方針が明らかになると、反対の声が上がり、弁護士、大学教授、ジャーナリストによる「存続を求める会」ができた。シンポジウムを開催し、共同通信元編集主幹・原寿雄は「アメリカでは、良質の報道番組が終わろうとすると新聞など他メディアがキャンペーンを行う。社会が番組を育て守る運動が、もっと日本で活発になっていい」と話した。署名活動も始め大きなムーブメントになった。
末席にいた私は、藤田謹也弁護士らと3人で「番組を中止するな」とテレ朝に乗り込んだ。応対に出たのは、今は会長になり「テレ朝のドン」といわれている早河洋だった。
早河はのらりくらりと焦点をぼかしていたが、「年に何回か特番をやる」という言質を取った。「ザ・スクープ」はその年の9月にレギュラー終了。年に何回かの特番が、やがて年1回になり、フェードアウトしていった。メディアの取材に鳥越は、「テレビにとって最低限守るものは何か、ということについてテレビ局がどこまで真剣に考えているのか、一抹の不安を感じる」と語っている。
テレ朝は久米宏の「ニュースステーション」も潰して報道バラエティー「報道ステーション」に衣替えし、田原総一朗の「サンデープロジェクト」も打ち切った。
そんな中でも金平「報道特集」は、原発や沖縄の基地問題に取り組み、ロシアがウクライナに侵攻した直後、金平自身がウクライナに入り現地報告した。統一教会問題についても鋭く斬り込んでいる。
だが、この番組も「ザ・スクープ」の二の舞いになるような気がする。筑紫は、TBSのプロデューサーがオウム真理教側に事前にビデオを見せたことが大きな社会問題になった時、「NEWS23」で「TBSは死んだと思います」と語った。
金平は朝日新聞の「論座」(8月4日)で「今のこの時代に正気でいることの困難さ、切実さ」と記している。金平を切ることでTBSは「2度目の死」を迎えることになる。 (文中敬称略)
(「週刊現代」「週刊フライデー」元編集長・元木昌彦)
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asahi.comの記事【歯を食いしばってもメディアの役割を貫く 不利益を甘受しても守る矜持、楽しくやりがいのある仕事/青木理】(http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2015042800018.html)。
《強者にこそ徹底した監視の目を…メディアとジャーナリズムが民主主義社会を支える》。
失われる「メディアの作法、矜持」…。強者を監視するどころか、『読売』や『産経』は何をやっているのか?、何をやってきたのか? 『アベ様の犬HK』の哀しい姿。
『●カラスはやっぱり「黒い」: 「アベ様のNHK」的
「政府が白というものを黒とは言えない」で良いのか?』
『●アベ様の政権の「暴走」許す、批判精神無き、「牙」無きメディア』
『●「薄っぺらで反知性的なタカ派が増殖している」
・・・・・・アベ様達からして?』
『●失われる「メディアの作法、矜持」…
「権力を監視する機能が失われ」、しかも、アベ様の「思う壺」』
凄まじい道警のやり口。でも、最大の問題は、傍観するメディアだ。シッポを振り、おもねるメディアだ。
『●『創(2009年6月号)』(2/2)』
『●これ(裏金)はこれ』
『●『創(2011年1月号)』読了』
『●『創(2011年2月号)』読了』
『●裏金問題への道警の反撃? 深読みしすぎかな?』
『●トップからして腐敗したメディア:
「きょうの安倍将軍」「安倍様のNHK」』
《「新聞報国」 の再現こそ 「国難」 権力との一体化の危険性
情報保全諮問会議座長に「渡辺恒雄氏」=高田昌幸
…権力は嘘をつく。自らの地位や栄華を守るため、
責任回避のためなら、何度でも、どこまでも、だ。
筆者の狭い経験でも「北海道警察の裏金」「北海道庁の裏金」
などの取材過程で、権力側は虚偽を重ねた。嘘の歴史は枚挙に
暇が無い。かつての大本営発表も沖縄返還密約も意図的な嘘だった。
秘密保護法成立後のいま、ジャーナリストに問われるのは、
権力側の嘘を許さないことだ。それには取材しかない。権力者の
言動に対する評価や論評は、評論家に任せておけばいい。
言動の背後に隠れている事実、旺盛な意欲と鍛え抜かれた
取材力によってのみ明るみにできる事実。秘密保護法が
あろうとなかろうと、それらを次々に世に送り出す。
それがジャーナリストの仕事であり、あなたにしかできない仕事だ》
『●「東電元幹部の罪と罰」 『週刊金曜日』
(2014年9月19日、1008号)についてのつぶやき』
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【http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2015042800018.html】
歯を食いしばってもメディアの役割を貫く
不利益を甘受しても守る矜持、楽しくやりがいのある仕事
青木理
2015年05月20日
(特定秘密保護法に反対するシンポジウムに臨む
筆者(右)ら=2013年11月24日、東京都文京区)
ジャーナリストをめざす学生に向けてなにごとか参考になることを書け、という本誌編集部からの依頼を受け、少なからず狼狽した。私がメディア業界に飛び込んだのはつい先日のような気でいたし、まだ先輩から教えを受けることばかりの身だと思っていたからなのだが、よくよく考えてみれば、この仕事を始めてもう四半世紀の時が過ぎてしまっている。いつのまにやら後輩やジャーナリスト志望者に向けてなにごとかを語ってもおかしくない齢としになってしまった、ということなのだろう。
とはいえ、乏しい頭をいくらひねっても、ここで偉そうに語るべきものを持ち合わせているとは思われない。私の中に辛うじて残されているのは、いずれも尊敬する先輩の記者やジャーナリスト、編集者たちからたたき込まれた教えばかり。つまり、オリジナルではない。身もふたもない言い方をすれば、単なる「受け売り」。
しかし、そう明記した上で、先輩たちからの教えのうち重要だと思うものをひとつ、ここで記しておこうという気持ちになった。どの仕事にも一定程度は共通する話だろうが、一見派手にも感じられるメディアやジャーナリズムにかかわる仕事とは、結局のところ地味な職人仕事の側面が強く、先輩から学んだ技術や教えを次世代に申し送りするのも大切なことだと思うからである。
不利益を甘受しても守らなければならない矜持
私が学校を卒業し、大手通信社に記者としての職を得た直後のこと、数々の修羅場をくぐってきたことで知られる編集幹部に誘われて安酒場に行き、ずいぶんと熱っぽく諭された。おおよそ次のような内容だったと記憶している。
〈記者とかジャーナリストとかいっても、数あまた多ある職業のひとつにすぎない。会社だって、基本的には営利企業だ。名刺を持っていけば誰にでも会えるが、オレたちは単なる会社員だし、偉ぶるなんてもってのほか、常に謙虚じゃなくちゃいけない。
ただ、この仕事にはほかの仕事と違うところがある。会社は、単なる営利企業じゃない。たとえ損をしても、たとえ不利益を甘受しても、意地を張って守らなくてはならない矜持がある。最悪の場合、そのために会社がツブれるかもしれない。その覚悟を常にしておかなくちゃいけないという点で、この仕事はほかの仕事と決定的に違う。お前も、それをいつも頭にたたき込んでおけ〉—。
いまから考えれば若かったのだろう、安酒場のカウンターで薄い水割りを傾けながら編集幹部の話を聞きつつ、わずかに武者震いした。現実にそんな話はキレイゴトであり、多くのメディア企業が自己保身と利益確保に躍起となっていることを間もなく知るのだが、あの武者震いは、組織を離れてフリーランスとなったいまでも決して忘れてはいけない初心だとたびたびかみしめる。
そう、はっきりいえば、真面目にやればやるほど損をしかねない仕事なのである。だが、この仕事に携わる以上、意地を張ってでも損を甘受せねばならない時が確かにある。どういうことか。
強者にこそ徹底した監視の目を
普通の企業や仕事なら、取引先やスポンサーとの関係はどこまでも円満に保ち、常に利益を極大化しようと考え、行動する。新聞社を例にとれば、取材先や広告主などがこれにあたるだろう。
しかし、新聞記者は取材先や広告主との関係を円満にしておくだけではいけない。取材先だろうと広告主だろうと、そこに何らかの問題点や不祥事があれば真正面から批判する。独自の取材や内部告発などによって取材先や広告主の不正をつかんだら、敢然とそれを記事化して問題提起しなくてはならない。
当然ながら、取材先や広告主は怒る。まったく無縁の他人であればまだしも、ふだんは親密にやり取りしている関係なのだから、怒りはさらに増幅しかねない。
しかも、ここが大切なところなのだが、メディアとジャーナリズムの大きな役割は「権力や権威の監視」にある。そんなものは理想論にすぎないと冷笑する輩やからが大手を振っているのが現実とはいえ、理想は理想として常に掲げ続けねばならず、それを貫くならばメディアとジャーナリズムにかかわる者は常に弱者の側に寄り添い、強者=力の強い者にこそ徹底した監視の目を注ぎ込まねばならない。
これも当たり前の話だが、力の強い者は文字どおり力が強く、反撃力も強い。不正を暴き、あるいは批判を加えれば、こちらも打撃を受けるおそれが高い。
ここで「力の強い者」と簡単に記したが、それにはさまざまなものがある。政権や官僚機構、それを構成する政治家や官僚は筆頭格だろうし、巨大資本を擁する大企業などもそれにあたる。私が長年取材した対象組織でいえば、警察や法務・検察などは絶大な権限と権力を保持している。
これ以外にも大手の広告会社や宗教団体、あるいは大手の芸能事務所なども関係業界やメディアに強い影響力を有している。メディアそれ自身が権力装置と化していることだってある。
そうした組織や団体、個人におもねらず、批判すべきは批判し、不正があれば敢然と告発し続けられるか。
言うは易いが、行うは難しい。
たとえば警察や法務・検察組織は、強大な権力機関であると同時に、新聞社の社会部記者にとっては重要な取材先であり情報源でもある。批判を加えたり不正を暴いたりすれば反撃を受けかねないし、取材などの面で不利益を受けるのは必至の状況に陥る。
ひとつだけ具体例を挙げる。
いまから約10年ほど前のこと、北海道の名門紙・北海道新聞(道新)がキャンペーン報道を繰り広げ、大きな関心を集めた。北海道警察本部(道警)が組織的に手を染めていた「裏金づくり」という不正を地道な調査報道で次々と明るみに出したのである。
本題からはずれるのでここで手口などは詳述しないが、警察組織には捜査協力者などに支払う「報償費」というシステムがある。ところが道警は、領収書を偽造するなどして実際には存在しない協力者に「報償費」を支払ったことにして裏金化し、幹部の遊興費や交際費にまわしていた。
理由はどうあれ、これは捜査機関である警察の明白な犯罪行為—たとえば文書偽造、横領など—であり、道新は1年半にもおよぶ地道な取材とキャンペーン的な調査報道でこれを公にした。最終的に道警はしぶしぶながら7億円以上の不正支出を認めて謝罪するところに追い込まれ、道新取材班は新聞協会賞などの栄誉にも輝いた。メディアとジャーナリズムの役割である「権力の監視」役を見事に務めたといっていい。
道新の裏金キャンペーンに北海道警が執拗な反撃
しかし、ことはこれで終わらなかった。おそらく道警は怒り狂ったのだろう、強大な権力を背景とし、間もなく道新に対して陰湿かつ執拗な反撃に出た。
当時の道新取材班メンバーらによれば、事件や事故取材の情報提供で道警は道新を締め上げ、現場記者からは悲鳴があがった。
また、裏金問題をめぐるキャンペーン報道とは直接関係のない記事が事実と異なると抗議を繰り返し、取材班メンバーによる書籍の一部記述が名誉毀損にあたるとして道警OBは訴訟まで起こした。さらには道新内部の不祥事案を口実とし、場合によっては強制捜査もありうると道新を脅しあげたこともあったらしい。
こうした反撃を受け、間もなく道新は膝を屈してしまう。抗議を受けた記事については「おわび社告」を1面にでかでかと掲載し、道警側と裏で内々に手打ちしたというのが定説になっている。事実、裏金問題の取材班メンバーは編集の中枢から次々に外され、幾人もの記者が社を去った。栄光から屈辱への転落、まさに死屍累々だった。
実をいえば、警察の裏金問題はなにも道警に限った話ではなく、各地の警察本部で営々と続けられてきた全国的な悪弊であった。しかし、全国紙をはじめとする他のメディアはこれをうすうす知りながら追及せず、悪弊は長年にわたって放置されたままとなっていた。
他のメディアはほとんど追随せず
これに道新の取材班は果敢に斬り込んだのだが、道新のキャンペーン報道を他のメディアは傍観し、ほとんど追随しなかった。果ては道警にすりより、道新をけなしつつ事件・事故に関する捜査情報を得るのに躍起となる者まで現れる始末だったらしい。
お分かりだろうと思う。メディアとジャーナリズム本来の任務である「権力の監視」役を担おうと真摯に貫けば、時にとてつもない痛手を受ける。もっと直截にいえば、損をする。真面目にやればやるほどしんどい目に遭う。逆に「力の強い者」と適度に折り合い、ねんごろにつきあい、うまく世渡りしていった方が圧倒的に得をする。
メディアとジャーナリズムが民主主義社会を支える
だが、そのような者はメディアとジャーナリズムの仕事にかかわるべきではない。少なくとも私は、絶対にかかわってほしくないと痛切に思う。それが前述した先輩の教え—たとえ損をしても、たとえ不利益を甘受しても、………。
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