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●「だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた相当情けない国家」(阿部岳さん)だなんて、哀し過ぎる

2018年04月22日 00時00分33秒 | Weblog

[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]



沖縄タイムスの阿部岳さんによるコラム【[大弦小弦]首に縄をかけられ、フセイン元大統領の像が引き倒される…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/234440)。
ニッカンスポーツのコラム【政界地獄耳/世界から「粉飾民主主義国家」】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804090000221.html)。

 《重要書類をまともに扱えず、探せという指示すらきちんと伝わらない。こんな政府が、大量の兵器を抱えていることが恐ろしい》。
 《★無論、現在も含めて改ざんや隠蔽、粉飾データを使い続けている国はあるだろう。しかし民主主義の充実とともに、そういった方法で先進国に近づこうという考えは消えていくだが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた相当情けない国家なのではないか》。

 《そして世界からの我が国に対しての評価やレッテルは粉飾民主主義国家ということになろう》…恥ずかし過ぎる。《だが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた相当情けない国家なのではないか》…あぁ、情けない。

   『●自衛隊PKO日報問題…「森友捜査ツブシ」選挙の
        ドサクサに紛れて人治主義国家ニッポンの人事考査が再び
    《タイミングを考えれば、陸自内日報データをめぐる対応について
     安倍首相と相談していたと見るのが自然だろう。
       いや、それ以前から、黒江事務次官は安倍首相に指示が求めていた
     可能性も否めない。そもそも、日報問題でもっとも重要なのは、
     南スーダンへの安保法に基づく駆けつけ警護の任務を付与した
     PKO派遣に際して、日報に「戦闘」状態にあることを裏付ける
     “不都合”な記述があったために、組織的に隠蔽が行われた
     のではないかということだ》

   『●「粉飾された「美しい国」」…
     「「夫人、ひいては首相の顔をつぶすわけにはいかない」という恐怖政治」

    「「粉飾された美しい国」…「2017年2月17日はアベ様のタンカ記念日」を
     引き金に公文書「書き換え」という名の「捏造」=犯罪がまかり通る、
     「「夫人、ひいては首相の顔をつぶすわけにはいかない」という恐怖政治」な
     ニッポン、恥ずかしき「非文明的な国」」

 《“不都合”な記述…組織的に隠蔽》…。小泉純一郎氏やアベ様らが唱えた「非戦闘地域」の惨状は、南スーダンやイラクの日報を隠蔽・改竄・破棄してまで、隠したかったことだ。PKOなどと呼べる状況ではなく、そこに居るべきではなかった自衛隊のすぐ側に、「戦闘」が在ったことを示していたはずだ。事実、PTSDによる、多数の自衛隊員の自殺者が出たと言う。イラクや南スーダンPKOの「実態」を、アベ様や稲田朋美元防衛相が公開できる訳がない。「戦闘」が明らかになっていれば、戦争法や「新安保法に基づく「駆け付け警護」の新任務」の自衛隊への付与など、議論の根底から吹き飛んでいたはずだ。遅くはない、直ぐに出来ることはあるはず。

   『●高畑勲監督…「『火垂るの墓』…どれだけの人が戦争の悲惨さを知り
                  …反戦映画の枠を超える名作になった」

   『●高畑勲監督「「人を殺したくない」という気持ちこそ」…
          日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うテーマは…

 モリカケ問題をはじめとして、「数多」の首相案件・アベ様御夫妻案件での様々な犯罪。データの改竄や文書の改竄・隠蔽・破棄。斎藤貴男さんは、《明白な事実や数字を権力者が都合のいいように変え、信じ込ませようとする》社会に…と。人治主義国家、「非文明的な国」、「粉飾民主主義国家

   『●ニッポンは民主主義国家? 《明白な事実や数字を
         権力者が都合のいいように変え、信じ込ませようと》…
    「【論壇時評「思考を奪う言葉の操作」中島岳志】…《言葉が書き換えられ、
     消去されるという事態》…ニッポンは民主主義国家なのか?」
    「ジョージ・オーウェルの小説『1984年』の《ディストピア(反ユートピア)》
     …そして、「ビッグ・ブラザー」。ニッポンではとっくに、斎藤貴男さんの言う
     《明白な事実や数字を権力者が都合のいいように変え、
     信じ込ませようとする》社会に」

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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/234440

[大弦小弦]首に縄をかけられ、フセイン元大統領の像が引き倒される…
2018年4月9日 07:44 阿部岳

 首に縄をかけられ、フセイン元大統領の像が引き倒される。イラク戦争を象徴する場面。名護市の稲葉博さん(67)は15年前の9日、バグダッドの広場にいた

▼突然、隊列を組んだ市民約20人が現れた。米軍の侵攻を歓迎し、一緒に像を倒す。「あんなのやらせですよ」。実際、駐留米軍は歓迎どころか攻撃の対象になり泥沼にはまった

▼稲葉さんは戦争を阻止する「人間の盾」になろうと現地入りした。ミサイルが頭上を飛び、米兵に銃を向けられ、トラックに山積みの遺体を見た

▼2014年、たまたま訪れた沖縄が米軍のイラクへの出撃拠点だったことを知る。「日本も沖縄も加害者だった」。ちょうど辺野古新基地の建設が始まり、「また同じことが起きる」と、反対運動に加わった。そのさなかに罪に問われ、一審有罪判決を受け控訴している。身をもって戦争を体験した稲葉さんの総括は続く

▼一方、開戦を全面支持し、後に自衛隊を派遣した日本政府。イラクに大量破壊兵器なかった米英の指導者が誤りを認めた後も押し黙ったまま

▼政治家が都合の悪い事実に目をつぶる。自衛隊は意向をくむかのように現地部隊の日報を隠蔽(いんぺい)していた。重要書類をまともに扱えず、探せという指示すらきちんと伝わらない。こんな政府が、大量の兵器を抱えていることが恐ろしい。(阿部岳
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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804090000221.html

政界地獄耳
2018年4月9日9時27分
世界から「粉飾民主主義国家」

 ★森友学園の疑惑は、公文書改ざんの全容がおぼろげながら見えてきそうだが、実態は財務省理財局と国交省航空局を軸とした両省の疑惑と言えそうだ。防衛省の日誌隠蔽(いんぺい)シビリアンコントロールの視点から見ても現場を掌握できていない大臣と幹部たちの責任は重い。いずれも国民には見せられない資料やデータは隠すか破棄するか、いや破棄したことにして隠し通すが日常的にまかり通っているという実態があぶり出された。

 ★厚労省のデータ改ざんにしても国民や国会議員をだましてでも省益や国益につながるものがあるという発想が中央官庁に根強いということだろう。そうだとすれば首相・安倍晋三が繰り出す好景気を象徴するアベノミクス成功、または効果があることがうかがえる数値やデータの数々もこれ本物ですかと疑ってみることが必要になる。OECDや国連加盟国でのさまざまな“国家の作成したデータに基づく”我が国の序列にさえ変化が出てくるのではなかろうか。そして世界からの我が国に対しての評価やレッテルは粉飾民主主義国家ということになろう。

 ★無論、現在も含めて改ざんや隠蔽、粉飾データを使い続けている国はあるだろう。しかし民主主義の充実とともに、そういった方法で先進国に近づこうという考えは消えていくだが我が国は成熟国家になってから粉飾を始めた相当情けない国家なのではないか。実行犯である官僚、それをつかさどるべき政治家。いずれの劣化も相当ひどい。またそれを問題ないとかこの程度のこととうそぶく政治家や国民も相当まひがひどいといえる。防衛省は第1次安倍政権時代の07年に防衛庁から昇格した。やはりまだ早すぎたのかもしれない。今回の日報隠蔽は相当の人事的処分の覚悟が必要だが、内閣府防衛庁への組織降格も本気で考える必要もあるかもしれない。(K)※敬称略
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●高畑勲監督「「人を殺したくない」という気持ちこそ」…日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うテーマは…

2018年04月17日 00時00分49秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]



リテラの小杉みすず氏による記事【「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画】(http://lite-ra.com/2018/04/post-3949.html)。

 《周知の通り「反戦映画」として国内外から高い評価を受けた作品だが、生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、本サイトでも何度か紹介してきた…そう。高畑監督が『火垂るの墓』の次に取り組もうとしていたテーマは、日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うことだった。ついに日の目を見ることのなくなった“まぼろしの高畑映画”》。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》

 《「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる》…高畑勲監督の『火垂るの墓』のその後の次なるテーマは、《日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うことだった》そうですが、実現しなかったそうです…。《日本が他国に対してやってきたこときちんと見つめなければ世界の人々と本当に手をつなぐことはできないと思っています》…《お蔵入り》になってしまったことが悔やまれます。《原作者と高畑監督の無念》。アベ様らによる《歴史修正主義が跋扈》することを少しは抑えることが出来たのかも知れなかったが…。《あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせて》仕舞っているのが、アベ様ら歴史修正主義者が原因であることに気付こうとしない愚かさ。

   『●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」
                という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」
    「【反戦のふりをした戦争肯定映画『永遠の0』にだまされるな! 
      本当の反戦とは何か、ジブリ高畑勲監督の言葉をきけ!】
      (http://lite-ra.com/2015/07/post-1342.html)」
    《いまなお反戦映画の名作として受け継がれている。ところが、
     当の高畑監督は「『火垂るの墓』は反戦映画じゃない、『火垂るの墓』では
     戦争を止められない」と語っているのだ。高畑監督のいう、
     本当の反戦とは何か…高畑監督にいわせれば、
     「死にたくない」だけではダメだというのだ。むしろ逆に、「死にたくない、
     殺されたくない」という感情につけ込まれて、再び戦争は始まるものだ
     と指摘する…実際、これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた
     …本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りない
     人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる

   『●高畑勲監督より三上智恵監督へ、
      「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」
    「リテラの記事【高畑勲監督が沖縄の基地問題を描き続ける
     三上智恵監督と対談、安倍政権を止められない苦悩を吐露】
     (http://lite-ra.com/2017/04/post-3070.html)」
    《すると高畑監督は、「『火垂るの墓』のような作品では
     次の戦争は止められないあなたがつくっているような映画が、
     次の戦争を止める。だから、あなたはもっと頑張りなさい」と語ったという》
    「恐ろしく暴走を繰り返し、番犬様の家来となり、戦争したくてしょうがない
     デンデン王国の「裸の王様」とその狂気・凶器な取り巻き連中。
     彼・彼女ら自公お維議員を支持できる神経が知れない。
       高畑監督をして、《安倍政権を止められない苦悩》、
     《間近に迫る戦争をどうやったら止めることができるのか、自身の苦悩を吐露
     する一方で、《未だに「内閣支持率は52・4%》。
     そんな《苦悩》を感じない人が多数派らしい」

   『●高畑勲監督…「『火垂るの墓』…どれだけの人が戦争の悲惨さを知り
                  …反戦映画の枠を超える名作になった」


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http://lite-ra.com/2018/04/post-3949.html

「火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画
2018.04.13

     (2017年4月、東京で行われた三上智恵監督との
      トークイベントでの高畑勲監督(撮影=編集部))

 5日に亡くなった高畑勲監督の代表作『火垂るの墓』(1988年)が、本日の『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ)で放送される。周知の通り「反戦映画」として国内外から高い評価を受けた作品だが、生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、本サイトでも何度か紹介してきた。

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」(神奈川新聞2015年1月1日付)

 一方、その高畑監督が『火垂るの墓』の次に撮ろうとしていた“まぼろしの作品”については、あまり知られていない。監督作としての次作は1991年の『おもひでぽろぽろ』になるが、実はその間、高畑監督は別の企画を進めていた。しかし、ある理由によりお蔵入りになったという。「国公労新聞」2004年1月1・11日合併号のインタビューで監督自身がこう語っている。

「(『火垂るの墓』は)戦争の悲惨さを体験したものとして、平和の大切さを訴える作品をつくることができたことはよかったのですが、一方で、日本のしかけた戦争が末期になってどんなに悲惨だったかだけを言っていてもいけないと思っています。

 じつは『おもひでぽろぽろ』をつくる前に、しかたしんさん原作の『国境』をもとにして、日本による中国への侵略戦争、加害責任を問う企画を進めていたのです。残念ながら、天安門事件の影響で企画が流れたのですが、日本が他国に対してやってきたこときちんと見つめなければ世界の人々と本当に手をつなぐことはできないと思っています」

 そう。高畑監督が『火垂るの墓』の次に取り組もうとしていたテーマは、日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うことだった。ついに日の目を見ることのなくなった“まぼろしの高畑映画”。その原作となるはずだった『国境』とは、どういった作品なのか──。現在、絶版となっている同作を読んでみた。


高畑監督が撮るはずだった“幻の映画”の原作『国境』とは

 『国境』(理論社)は、児童文学作家、劇作家のしかたしん氏が、1986年から1989年にかけて発表した小説3部作。1冊にまとめられた1995年版は全600ページを超える長編である。日中戦争、太平洋戦争時の朝鮮・中国・満州・モンゴルを舞台に、ソウル生まれの日本人青年が、死んだはずの幼馴染みを探すなかで、反満抗日や朝鮮独立の地下独立運動に参加していくというのが物語の大枠だ。

 同作には、甘粕事件の甘粕正彦や、陸軍大将の東条英機、朝鮮独立運動家としての金日成、あるいは森繁久弥など、実在の人物名が多数登場するが、ノンフィクションではなく、あくまで“冒険小説”としての体裁をとっている。しかしその一方で、物語に作者本人の戦争体験が色濃く反映されているのは疑いない。

 著者のしかた氏は1928年、日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)で生まれた。父は京城帝国大学の教授、母は洋画家で、当時ではリベラルな空気の中で育ったという。京城帝国大予科在学中に終戦を迎えたしかた氏は、引き上げた日本で大学を卒業。民放ラジオ局でディレクターを務めたのち、1974年から作家一本の人生に入り、2003年に亡くなった。しかた氏にとって『国境』は「ライフワークのひと節」「一番かわいい作品」だったという。

 第一部「大陸を駈ける」の時代背景は、盧溝橋事件から2年後の1939年。主人公の「昭夫」は京城帝大の予科生だ。学友たちとやがて戦地に駆り出されることを意識しながら飲み会をしていた初夏の夜、密かに好意を寄せる「和枝」から、満州での訓練中に事故死したとされた和枝の兄で幼馴染の「信彦」が生きていることを聞かされる。

 日本が1932年に樹立した「満州国」。昭夫はふと、信彦が満州の軍官学校行きを決めたときに「天皇陛下のためには死ねそうもないが、満州の未来のためなら死ねる」と言っていたのを思い出していた。昭夫はその意味を考えながら、(少しばかりの下心をもって)満州まで信彦探しの旅に出る。しかし、その背後を「白眼」(しろめ)と呼ばれる冷酷で残虐な満州公安局の諜報員がつけねらっていた。

 実は、信彦は関東軍がさらったモンゴルの将軍の子孫で、軍官学校を脱走して地下工作運動に加っていたのだ。信彦の“帰路”を辿る過程で諜報員から命を狙われた昭夫は、地下運動に関わるモンゴル人「秋子(ナムルマ)」たちに助けられながら、満州国が「五族協和」の美辞を建前にした侵略に他ならないことに気がつく。また、自らが白眼に捕らえられて苛烈な拷問を受けるなかで、日本人による差別、暴力、搾取、性的暴行、戦争犯罪の実態を身をもって知り、旅を終えて京城へ帰る。

 続く第二部は太平洋戦争中の1943年。軍属の技師として独立を願う朝鮮人たちと交流しながら武器製造に携わる昭夫は、日本軍人の卑劣な暴力支配、大本営発表の欺瞞を再び目の当たりにして、朝鮮の独立運動に身を捧げる決意をし、信雄や秋子らとの再会を果たす。そして第三部では、独立活動家として1945年8月15日の敗戦を生まれの地・京城で迎え、白眼との戦いにもピリオドがうたれたところで、物語は幕を閉じる。


「朝鮮人が強制連行される現場を見てしまったことがある」

 以上が『国境』のあらすじである。予科生の昭夫が漠然と考えていた朝鮮・中国、満州・モンゴルの「国境」とは、侵略者である日本が引いて強要しているものだった。

 昭夫がそのことを悟るのは、日本人による暴力や差別を目の当たりにしたことだけがきっかけではない。むしろ、支配を受けている当事者たちとの腹を割った交流から、「祖国」とは「民族」とは何かを見つめ直すことで独立運動に関わっていくのである。たとえば、作中で機関士に扮してモンゴル国境へ向かう最中、昭夫は協力者のモンゴル人や朝鮮人とこのような会話を交わしている。引用しよう。

〈昭夫は改めて運転室の中を見渡した。石炭で真っ黒になった信彦の顔を想像しておかしくなった。ドルジは続けた。

「日本人として育てられ、それから自分の国を選び直したんだからな。国を選び直すというのは大変なことだろうよ。おれなんかは、満州なんか国じゃない、おれの国はモンゴルだ、それ以外に考えたことはなかったけどさ。彼はそうじゃないもんな」

「選べる国があるやつはいいよ」

 突然声がした。李さんだった。

「俺たちには国がないんだからな」

 ちょっと遠慮がちに昭夫の顔を見てから続けた。

「日本人に国を追い出されて、満州をあちらこちらとうろつきまわったけど、どこへ行ってもよそ者だった。よその国の大地、その国の空をさ迷う人生というのがわかるかい。こうやって働いたり考えたり喋ったりしたことは、みんなよその国の空と土の中に消えちまうのだ。誰がその歴史をついでくれるというあてもなくな。──淋しくってな。本当に淋しいよ」〉

 また、同作の特徴のひとつとして、関東大震災時の朝鮮人虐殺慰安婦徴用工強制連行、人体実験をしていた731部隊、植民地解放を謳った傀儡政権の樹立、朝鮮人の創氏改名など、日本による加害事実のエピソードが随所に挿入されることが挙げられる。そのすべてが作者の実体験ではないにせよ、少なくとも日本軍による強制連行については、当時目撃した光景が如実に反映されているようだ。しかた氏はある講演のなかでこう証言している。

〈いっぺん、どこかの小さい駅で朝鮮人が強制連行される現場を見てしまったことがあるんです。これもすごかったですね。ぼくは人間が泣くというのはこういうことかと初めて知ったわけです。オモニが泣き叫ぶ、泣き叫ぶオモニをけ倒し、ぶんなぐり、ひっぺがしながら、息子や夫たちが貨車に積みこまれていく光景を見てしまった。その泣き声は強烈に残っているんです。ぼくはそのとき、自分が朝鮮人をわかっていると言ってたくせに、指一本動かすことができない日本人の限界を、どっかで感じていたんですね。〉(『児童文学と朝鮮』神戸学生青年センター出版部、1989年)


なぜ企画は流れてしまったのか。原作者と高畑監督の無念

 また、第三部で細かく描かれている終戦日のソウル市内の活況も、しかた氏本人の体験が元になっている。しかた氏ら京城帝大予科生は、8月15日の正午ごろまでソビエトの侵攻に備え、爆弾を抱えて戦車に飛び込む訓練を行なっていた。直後に聞いた玉音放送。頭が真っ白になって、そのまま京城の町を散歩した。そこで、しかた少年ははじめて朝鮮人のデモ行進を見て、その明るさに感動したという。少し長くなるが、前出の講演から再び引用しよう。

〈大変恥ずかしいことだったんですけれども、そのときは侵略者としての罪の意識はなかった

 ヒョッと気がついてみると、その街角に一人、予科の学生が突っ立っていたんです。これは朝鮮人の学生です。(中略)建国準備会という腕章をつけていた。まずいことに、そいつとバチッと目があっちゃったんですね。目があわなかったら、ぼくは知らん顔をして万歳、万歳と言いながら、おそらく京城駅まで行ってたと思うんです。(笑)

 そいつが、ちょっと来いというんです。「なんやねん」と行ったんです。彼にえらい厳しい顔で、「ここはお前のいる場所じゃないんだよ」って言われたんですね。それはほんとにドキッとしましたね。「ここはお前のいる場所じゃないんだよ」と言われたときに、アッと気がついた。まことにうかつな話ですけれども、それが自分にとって朝鮮に生まれ育ったことをもう一回問い直す、見直す、その大きなきっかけになった気がするんですね。〉

 これは推測になるが、おそらく、高畑監督が問いたかった「加害責任」とは、戦時下の暴力や犯罪だけじゃなかったのではないだろうか。事実、『国境』という物語は、侵略者による「加害」が、決して身体だけに刻まれるものではないことを教えてくれる。生まれた国や名前を奪われるということ自分たちの歴史を奪われるということ。それは、暴力や略奪の「当事者」たちが鬼籍に入ってもなお、永遠に癒えることのない「加害」だろう。

 しかし、ついぞ『国境』は高畑監督によって映画化されることが叶わなかった。高畑監督は前述の「国公労新聞」インタビューで「天安門事件の影響で企画が流れた」と多くを語っていないが、調べていくと、しかた氏がその裏側を雑誌『子どもと読書』(親子読書地域文庫全国連絡会)1989年12月号のなかで記していたのを見つけた。

 高畑監督を〈アニメ映画界のなかでもっとも尊敬する人〉だったというしかた氏は、作品の提供を快諾し、完成を楽しみにしていた。高畑監督も〈全力をかけてやりたいと意気込んでいたという。しかし、『国境』第三部が完結した1989年に天安門事件が起きて、配給会社から「あの事件のために日本人の中国イメージが下がり販売の自信がなくなったから」との理由でキャンセルを申し入れられたという。しかた氏はそのショックについてこう綴っていた。

〈私が何ともやり切れない思いにかられたのは、そういう(引用者注:マーケットの)リサーチを受けた時の日本人一般の反応を想像してしまったからなのです。

「人民解放軍だってあんなひどいことをやったんだ。おれたち日本がやったことも、これでおあいこさもう免罪になったんだこの先侵略者の罪とか歴史とか、そんなうっとうしいことはかんがえるのはやめにしようや。もっと軽く楽しくいこうや」〉

 翻って現在。安倍政権のもとで、戦中日本の加害事実を抹消・矮小化しようとする歴史修正主義が跋扈している。安倍首相は、戦後70年談話であの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんと胸を張って述べた

 こんな時代だからこそ、やはり、映画版『国境』はまぼろしの作品になるべきではなかった。きっと、高畑監督も、そう思いながら眠りについたのではないだろうか。そんなふうに思えてならないのだ。

小杉みすず
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●高畑勲監督…「『火垂るの墓』…どれだけの人が戦争の悲惨さを知り…反戦映画の枠を超える名作になった」

2018年04月16日 00時00分51秒 | Weblog


リテラの記事【高畑勲監督が最後に遺した無念の言葉「これで安倍政権が崩れないのが信じられない」「自由で公平で平和な国で死にたい」】(http://lite-ra.com/2018/04/post-3933.html)。
日刊ゲンダイの記事【沖縄の現状に思い寄せ アニメ巨匠・高畑勲監督の“遺言”】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226756)。

 《その無念のなかには、いま、この国に進行している事態を止められなかったという思いも含まれていたのではないだろうか》。
 《反戦・反核の人だったが、とりわけ強い思いを寄せていたのが沖縄の現状である…辺野古の新基地建設について「許し難いひどい話」、沖縄県に米軍基地の負担が集中していることについて「後ろめたい」などと話していた…安倍政権の5年で、沖縄の“孤立”はますます深まった9条改悪にも手を付けようとしている高畑監督の言葉に、安倍首相も少しは耳を傾けたらいかがか》。

 東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018040702000148.html)によると、《高畑勲さん…▼『火垂るの墓』も「反戦映画ではない」と言った。日本が再び戦争に向かうことに強い危機感を持っていた一方で、戦争を止める力にはならないと考えたからだ▼だが現実は異なる。映画でどれだけの人が戦争の悲惨さを知り、どれだけの親子が戦争について語り合ってきたか反戦映画の枠を超える名作になった▼著書では<私たちは先立った人たちに見つめられているのだ、という…感覚をもつことが必要ではないか>とメッセージを残した。これからは作品の向こうからわれわれを見つめることになる》。

   『●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」
                という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」
    「【反戦のふりをした戦争肯定映画『永遠の0』にだまされるな!
      本当の反戦とは何か、ジブリ高畑勲監督の言葉をきけ!】
      (http://lite-ra.com/2015/07/post-1342.html)」
    《いまなお“反戦映画”の名作として受け継がれている。ところが、
     当の高畑監督は「『火垂るの墓』は反戦映画じゃない、『火垂るの墓』では
     戦争を止められない」と語っているのだ。高畑監督のいう、
     本当の反戦とは何か…高畑監督にいわせれば、
     「死にたくない」だけではダメだというのだ。むしろ逆に、「死にたくない、
     殺されたくない」という感情につけ込まれて、再び戦争は始まるものだ
     と指摘する…実際、これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた
     …本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りない
     「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる

 《「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる》。
 恐ろしく暴走を繰り返し、番犬様の家来となり、戦争したくてしょうがないデンデン王国の「裸の王様」とその狂気・凶器な取り巻き連中。彼・彼女ら自公お維議員を支持できる神経が知れない。平和憲法は徳俵。壊憲へまっしぐらで、戦争法まで出来てしまう始末。そんなに、子や孫を「人殺し」に行かせたいものか。小泉純一郎氏やアベ様らが唱えた「非戦闘地域」の惨状は、南スーダンやイラクの日報を隠蔽・改竄・破棄してまで、隠したかったことだ。

 さて、沖縄との関係では、以下の記事が興味深い。《あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める。だから、あなたはもっと頑張りなさい》…という、三上智恵さんへの大激励。

   『●高畑勲監督より三上智恵監督へ、
      「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」
    「リテラの記事【高畑勲監督が沖縄の基地問題を描き続ける
     三上智恵監督と対談、安倍政権を止められない苦悩を吐露】
     (http://lite-ra.com/2017/04/post-3070.html)」
    《すると高畑監督は、「『火垂るの墓』のような作品では
     次の戦争は止められないあなたがつくっているような映画が、
     次の戦争を止める。だから、あなたはもっと頑張りなさい」と語ったという》
    「恐ろしく暴走を繰り返し、番犬様の家来となり、戦争したくてしょうがない
     デンデン王国の「裸の王様」とその狂気・凶器な取り巻き連中。
     彼・彼女ら自公お維議員を支持できる神経が知れない。
       高畑監督をして、《安倍政権を止められない苦悩》、
     《間近に迫る戦争をどうやったら止めることができるのか、自身の苦悩を吐露
     する一方で、《未だに「内閣支持率は52・4%》。
     そんな《苦悩》を感じない人が多数派らしい」

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http://lite-ra.com/2018/04/post-3933.html

高畑勲監督が最後に遺した無念の言葉「これで安倍政権が崩れないのが信じられない」「自由で公平で平和な国で死にたい」
2018.04.07

     (2017年4月、東京で行われた三上智恵監督との
      トークイベントでの高畑勲監督(撮影=編集部))

 『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』など、多くの作品を手がけた高畑勲監督が、5日、東京都内の病院で死去していたことがわかった。82歳だった。

 スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫は「やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います」とのコメントを発表していたが、その無念のなかには、いま、この国に進行している事態を止められなかったという思いも含まれていたのではないだろうか。

 そのことをあらためて強く感じたのが、高畑監督の死去が報道されたあと、長い親交のあった映像研究家の叶精二氏が、ツイッター上で公開した年賀状だった。

 叶氏は〈昨年の元旦に高畑勲監督から頂いた年賀状です。20年来、毎年簡潔かつ独創的な賀状を頂くのが楽しみでした。これが最後の一枚。高畑監督のお叱りを受ける覚悟で、ご本人の一字一句をファンのみなさまと共有したいと存じます〉とのコメントとともに、2017年の正月に高畑監督から送られてきた年賀状を公開。そこにはこのような文章が書き添えられていた。

〈皆さまがお健やかに
 お暮らしなされますようお祈りします
 公平で、自由で、仲良く
 平穏な生活ができる国
 海外の戦争に介入せず
 国のどこにも原発と外国の部隊がいない
 賢明強靭な外交で平和を維持する国
 サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉

 しかし、現実の日本はいま、安倍政権によってまったく逆の状況が進行している。格差が激化し、国民の権利や自由が侵害され、原発がどんどん再稼動し、米軍基地は沖縄の人たちの生活を危険にさらし続け、海外への戦争介入や軍備増強の裏で、外交は弱体化の一途をたどっている。高畑監督の無念はいかばかりだろうか。


高畑監督が発言しつづけた「『火垂るの墓』では戦争を止められない」理由

 高畑監督は“戦争のできる国”づくりをなんとか止めようと、積極的に発言し、行動を起こしていた。

 2014年には特定秘密保護法に反対するデモに参加。その後もデモへの参加は継続しながら、15年の安保法制の際には講演会などでメッセージを発信し、また、沖縄基地問題にも精力的に関わっている

 16年には、実際に辺野古と高江に足を運んだほか、警視庁機動隊員の派遣中止を東京都公安委員会に勧告するよう求める住民監査請求に請求人のひとりとして参加。その年の年末には、高江ヘリパッド建設中止を求めるアメリカ大統領宛の緊急公開書簡の賛同者にも名を連ねた

 高畑監督をつき動かしていたのはもちろん、自らの戦争体験を通じた、戦争への恐怖だろう。1935年生まれの高畑監督は先の戦争で、その恐ろしさを嫌というほど体験している。小学校4年生のときには空襲を受けた。空襲の夜、焼夷弾が降り注ぐなか、高畑監督は姉と2人、裸足で逃げたのだ。爆弾の破片が身体に突き刺さり失神した姉を必死で揺り起こしたりもしたという。一夜明け、自宅のほうに戻ると、遺体だらけだったという体験も語っている。

 代表作である『火垂るの墓』があれだけ人々の感情を揺さぶり、高い評価を得たのも、そんな高畑監督のリアルな戦争体験と戦争への思いが強く反映されていたからだろう。

 だが、その高畑監督は近年、「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言するようになっていた。

 『火垂るの墓』を観たときに多くの人が抱くのは、なんの罪もない幼い兄妹・清太と節子が戦争に巻きこまれ、死に追いやられることへのやり場のない怒りと悲しみだ。そして、やさしいはずの親戚さえ手を差し伸べなくなるという、戦争のもうひとつの恐ろしさを知る。死にたくない、殺されたくない、あんなひもじい思いは絶対にしたくない──そういう気持ちが生まれる『火垂るの墓』は反戦映画だと多くの人が認識しているし、実際、学校などでも「戦争という過ちを犯さないために」という理由で『火垂るの墓』が上映されることは多い。

 しかし、高畑監督は、もっとシビアに現実を見つめていた。神奈川新聞(15年1月1日付)のインタビューで、高畑監督はこう語っている。

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか

「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

 また、昨年4月、東京・ポレポレ東中野で行われた、映画監督・三上智恵氏とのトークイベントで同様に、こう語っていた。

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる


森友、日報隠蔽…高畑監督「これで安倍政権が崩れないのは本当に信じられない」

 高畑監督が、感情による戦争への忌避感が反戦につながらないと考えたのは、おそらく、この国がもつどうしようもない体質に強い危機感を抱いていたからだ。勝手に空気を読み、世間の動きには逆らわず、その流れに身を任せていく。高畑監督はそれを「ズルズル体質」と呼んで警鐘を鳴らしていた。15年7月、東京都武蔵野市にて行われた講演会で高畑監督はこのように話している。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです

「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」

 また、前掲神奈川新聞のインタビューでは、こう語っていた。

「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていくあの戦争の負け方と同じです

 そして、高畑監督はだからこそ、「ズルズル体質ストッパーとなる存在、つまり憲法9条にこだわっていた。高畑監督は、日本国憲法を勝手な解釈で骨抜きにし、さらには、その意義を根底から覆そうと企む安倍政権の動きに対して、このように語っていた。

「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが、9条です(前掲した武蔵野市の講演会)

「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった(前掲・神奈川新聞インタビュー)

 高畑監督の危機感と、護憲の姿勢は、けっして理想論ではなく、シビアでリアルな視点から出てきたものだ。だからこそ、高畑監督は精力的な作品づくりの一方で、アクティビストとしての活動を始めたのだろう。

 しかし、これだけの行動をとりながらも、その結果として、高畑監督が吐露したのは、圧倒的な「無力感」だった。前述した昨年4月の映画監督・三上智恵氏とのトークイベントでこのように語っている。

「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない

 わたしたちは高畑監督が素晴らしいアニメーション作品を残してくれたことにあらためて感謝するとともに、この無念の言葉をもう一度、噛みしめる必要がある。

(編集部)
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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226756

沖縄の現状に思い寄せ アニメ巨匠・高畑勲監督の“遺言”
2018年4月7日

     (高畑勲監督(C)共同通信社)

 肺がんのため5日に死去した、日本を代表するアニメーション監督・高畑勲さん(享年82)。終戦前後の混乱を生きる兄妹を描いた「火垂るの墓」などメッセージ性のある作品が多く、反戦・反核の人だったが、とりわけ強い思いを寄せていたのが沖縄の現状である。

 高江の米軍ヘリパッド建設の中止を求めて米大統領へ送った公開書簡の賛同者に名を連ねたり、ヘリパッド建設の警備に警視庁が機動隊員を派遣したことを「違法な公金支出」だとした住民訴訟の原告団にも加わった。

 2015年12月に沖縄大学で講演した際には、辺野古の新基地建設について「許し難いひどい話」、沖縄県に米軍基地の負担が集中していることについて「後ろめたい」などと話していた。琉球新報のインタビューでこう語っている。

「沖縄と政府は裁判になっているが、(沖縄は)当然のことをしている。私としては全部支持する」

「日本は70年間、戦争をせずに済んだ一方で沖縄を米国に提供して犠牲にし、日本は多額なお金を米国に提供してきた。米国は戦後、日本を軍隊として戦争に協力させたかったと思う。できなかったのは憲法9条を日本が持ち、それを支持した日本国民がいたからだ

沖縄が戦後ずっと大変な目に遭い続けてきたことが、日本に70年間の平和をもたらした。9条を日本国民が支持したから70年間平和になった、と簡単に言えないのではないか。『後ろめたい』とはそういうことだ」

 安倍政権の5年で、沖縄の“孤立”はますます深まった。9条改悪にも手を付けようとしている。高畑監督の言葉に、安倍首相も少しは耳を傾けたらいかがか。
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●高畑勲監督より三上智恵監督へ、「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」

2017年04月17日 00時00分25秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



リテラの記事【高畑勲監督が沖縄の基地問題を描き続ける三上智恵監督と対談、安倍政権を止められない苦悩を吐露】(http://lite-ra.com/2017/04/post-3070.html)。

 《すると高畑監督は、「『火垂るの墓』のような作品では次の戦争は止められないあなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める。だから、あなたはもっと頑張りなさい」と語ったという》。

 リテラの記事【トランプのシリア先制攻撃を全面支持した安倍首相の支離滅裂! 裏でアサド政権に資金協力しながら】(http://lite-ra.com/2017/04/post-3061.html)で、《この男の「米国のポチ」ぶりは重々承知していたつもりだったが、まさかここまで思考停止しているとは……》。そして、いま、番犬様にシッポを振りながら、隣国との戦争を煽り、火に油を注ぐ人治主義国家デンデン王国「裸の王様」。
 こういったリテラ記事に添えられている「自由民主党HPより」の図をご覧あれ…その極めつきのウソツキぶりが明確に、呆れるほどに。

   《不戦の誓いを守り続ける
    そして、国民の命と
    平和な暮らしを守り抜く
    
平和安全法制

…噴飯もので、冗談としか思えない詐称。それに積極的に付き従う、情けなき与党・公明や「癒(着)」党・お維。「民」とともに「進」む気のない、頼りなき野党・民進党。
 《安倍首相が、アメリカへの強い「支持」を表明した。さらに「東アジアでも大量破壊兵器の驚異は深刻さを増しています。国際秩序の維持と、同盟国と世界の平和と安全に対するトランプ大統領の強いコミットメントを、日本は高く評価します」と発言し、トランプによる北朝鮮への“先制攻撃”に期待感をのぞかせた》なんて、言葉が悪くて申し訳ないが、アタマオカシイでしょ? 小泉純一郎氏による、即座のイラク侵略支持した、また、結局、《大量破壊兵器》なんてどこからも見つからず、後に「靴を投げつけられる」という屈辱を味わうドラ息子ブッシュ氏を積極的に支持した、その二の舞。「ビンラディン暗殺・私刑に喝さいを叫ぶ国民」のままでいいのか?

 高畑勲監督は、かつて、《人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる》と語っていた。恐ろしく暴走を繰り返し、番犬様の家来となり、戦争したくてしょうがないデンデン王国の「裸の王様」とその狂気・凶器な取り巻き連中。彼・彼女ら自公お維議員を支持できる神経が知れない。
 高畑監督をして、《安倍政権を止められない苦悩》、《間近に迫る戦争をどうやったら止めることができるのか、自身の苦悩を吐露》する一方で、《未だに「内閣支持率は52・4%》。そんな《苦悩》を感じない人が多数派らしい。

 三上智恵監督は《「統合エアシーバトル構想」…アメリカと中国の争いに自衛隊と南西諸島が差し出され、新たな戦争の「防波堤」にされようとしている》と言います。「本土」の方々にどこまで浸透しているか…。
 高畑勲監督より三上智恵監督へ、「あなたがつくっているような映画が、次の戦争を止める」。

   『●宮崎駿監督「憲法を変えるなどもってのほか」
    《宮崎監督に加え、高畑勲監督(77)が「60年の平和の大きさ」と
     題して寄稿。本紙に五月、掲載された鈴木さんのインタビューも、
     「9条世界に伝えよう」として収録された。いずれも憲法九条や
     改憲手続きを定めた九六条の改憲に反対する内容だ》

   『●宮崎駿さん「沖縄の非武装地域化こそ、
        東アジアの平和のために必要です」
   『●宮崎駿監督は「憲法解釈を変えた偉大な男として
      歴史に名前を残したいのだと思うが、愚劣なことだ」と批判
   『●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」
              という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」
    《スタジオジブリ高畑勲監督の反戦への思い…
     高畑監督にいわせれば、「死にたくない」だけではダメだというのだ。
     むしろ逆に、「死にたくない、殺されたくない」という感情につけ込まれて、
     再び戦争は始まるものだと指摘する……実際、
     これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた……
     本当の意味で戦争をなくそうとするなら、
     「死にたくない」だけでは足りない
     人を殺したくない」という気持ちこそが、
     はじめて戦争の抑止力となる

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その2)

    「そして、《さらに切迫した問題》として、南西諸島での自衛隊配備
     による「住民分断」。アメリカが画策し、日本政府が悪乗りする
     《「統合エアシーバトル構想」…アメリカと中国の争いに自衛隊と
     南西諸島が差し出され、新たな戦争の「防波堤」にされようとしている》。
     アメリカの意のままに、アベ様らのやりたい放題ではないか。でも、
     第一《防波堤》としての《日本全土がアメリカの「風かたか」》…
     《米中の「新たな戦争の「防波堤」に》なっているのは南西諸島を
     含むニッポン列島全体」

   『●サーロー節子さん「自分の国に裏切られ、
      見捨てられ続けてきたという被爆者としての思いを深くした」
    「最後に、東京新聞の記事【自民、「敵基地攻撃」保有提言へ 
     北朝鮮脅威でミサイル防衛強化】
     (http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017032801002289.html)に、
     《自民党安全保障調査会…発射拠点を破壊するいわゆる
     「敵基地攻撃能力」の保有を直ちに検討するよう求めている…
     敵基地攻撃に関し、政府は法的に可能との立場だが…》。
      正気とは思えません。「裸の王様」壊憲王の「外交音痴
     「無定見外交」を暴露しているようなもの…愚かすぎる。
     次は「核」がほしい、と言い始めるにきまっています」

   『●「外交音痴、政治音痴、もう政治家とは呼べない領域」な
            失言王・萩生田光一氏…成果無しなアベ様外交
   『●歴史学者らの公開質問状に、「侵略の定義は  
       国際的にも定まっていない」というアベ様はどう応えるのか?
   『●「軍事的対応ではなく、緊張緩和に知恵を絞り、
      外交努力を重ねることこそが平和国家を掲げる日本の役割」
   『●番犬様を諌めることもなく「海自、米空母と訓練検討」…
          「あくまでも非軍事的解決の道を探るべきである」

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http://lite-ra.com/2017/04/post-3070.html

高畑勲監督が沖縄の基地問題を描き続ける三上智恵監督と対談、安倍政権を止められない苦悩を吐露
2017.04.12

      (4月7日に行われたトークイベント)

   「中国は怖いとかって煽られて、どうかしてる。もちろん中国は
    大国ですから、怖い側面がないわけではないけど、アメリカだって
    ものすごく怖い。シリアに爆撃しましたよね、今日。やっぱりトランプが
    こういう形で出てきている。何が起こるかわからない」

 米トランプ大統領がシリア・アサド政権へのミサイル攻撃を公表した4月7日、スタジオジブリの高畑勲監督は、こう戦争への危機感を募らせていた。東京・ポレポレ東中野で行われた、三上智恵監督とのトークイベントでのことだ。三上監督は沖縄の米軍基地や自衛隊ミサイル配備問題などを追い続けるドキュメンリー作家で、現在、最新作『標的の島 風(かじ)かたか』が同映画館で公開中。以前から三上作品を鑑賞してきた高畑監督は、同作にも推薦文を寄せている
 二人は数年前、とある映画関係のイベントで出会った。三上監督は初対面のときに、緊張しながら「私は『火垂るの墓』が好きで」と話しかけた。すると高畑監督は、「『火垂るの墓』のような作品では次の戦争は止められないあなたがつくっているような映画が、次の戦争を止めるだから、あなたはもっと頑張りなさい」と語ったという。
 三上監督からこのエピソードを明かされた高畑監督は、「そんな立派なことは言ってないと思うんですけど」と謙遜するが、本サイトでも報じてきたように、戦争映画の傑作として名高い『火垂るの墓』ですら、「戦争は悲惨なものだ」という受け取り方だけでは不十分であると以前から訴えてきた。高畑監督は、トークイベントでも観客にこう語りかけた。

   「ただ、『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることは
    できないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのは
    どんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、
    何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに
    変わってしまう危険性のあるもの心とか情というのは、
    人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、
    平気で変わってしまう何が支えてくれるかというと、
    やはり『理性』と思うんです。戦争がどうやって起こっていくのか
    について学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」

 三上監督が頷く。

   「私も沖縄で20年放送局に勤めていましたが、毎年6月23日の
    たびに『どんなに沖縄戦が悲惨だったか』という企画をやりがち
    なんです。でも、『どれだけ悲惨かはもうわかったから、
    今は平和でよかったね』という感想ではね……。じゃあいま、
    本当に『平和』ですか? 日本の基地もアメリカの基地も
    あれだけあるのに」

   「10年ぐらい前から私は『1945年のことを学ぶんじゃなくて
    1944年のことを学ばないと次の戦争は止められない』って、
    いつも企画会議で言っていましたが、何か間に合わない状況
    なりつつありますよね」

 対する高畑監督は、冒頭に紹介したようにアメリカによるアサド政権へのミサイル爆撃に触れ、「僕が東京で生きている人間として思うのは、東アジアのなかでどうやって生きていくかというのは、安全保障の問題も含めて、日本全体の問題」としたうえで、間近に迫る戦争をどうやったら止めることができるのか、自身の苦悩を吐露した。

   「今の安倍政権がこういう方向性をとっている以上、辺野古の
    座り込み抗議が1000日を超えてあれだけ粘り強くやっていても、
    こっちはそれに対して、言葉じゃ『連帯をしたい』とか
    言っているかもしれないけど、実際にはできていなくて
    これをどう打開するのかということを、三上さんの映画を
    見るたびに思っています。日本全体として考えていかなくては
    いけないことなのは間違いないのに、この現状を知りながら、
    どうしていくのか、と」

 もっとも、高畑監督は何も行動を起こさずにただ打ちひしがれているわけではない。一昨年の安保法制の際にも高畑監督は講演会などでメッセージを発信し、沖縄基地問題にも勢力的に関わっている。
 たとえば昨年は実際に辺野古と高江に足を運んだ他、警視庁機動隊員の派遣中止を都公安委員会に勧告するよう求める住民監査請求に請求人のひとりとして参加。年末には、高江ヘリパッド建設中止を求めるアメリカ大統領宛の緊急公開書簡の賛同者にも名を連ねた。
 それでも、いや、だからこそ、高畑監督は、どれだけ必死に抵抗を続けようが聞く耳を持たない安倍首相に対し、また、基地反対運動を貶めるメディアやネット右翼が垂れ流すデマの数々に、「本土」と沖縄の分断を強く感じているのだろう。それは、ほんの十数年前ならば内閣が吹き飛ぶようなスキャンダルを連発しておきながら、まったく退陣する気配のない安倍政権に対する無力感にも通じている

   「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には
    (自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が
    続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、
    えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。
    忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。
    もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、
    しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いている
    のが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、
    もうちょっと考えられない。本当に信じられない

 そんな高畑監督に対し、三上監督は少し視点を変え、メディアの態度についてこう語るのだった。

   「でも、その南スーダンの(日報)改ざんにしても、誰が改ざんしたか
    とか、どうやって改ざんしたかとかじゃなくて、さっきも(控え室で)
    高畑さんもおっしゃってましたけど、そういう戦闘地域に(自衛隊を)
    現に出してしまったんだ、と。すでに、日本は軍隊を戦闘地域に
    出しているそのことを正面から取り上げるニュースがなくて
    改ざん問題は誰に責任があるのかというちょっと矮小化したニュースに
    してからしか、書く方も書かないし、受け取る方も受け取らない。
    もう戦場に出て行ったんだ、日本の軍隊はこれはもう軍隊だ
    と世界中に思われているんだ。どうするの? この何十年無視して
    来たこの問題をどうするんですか、自衛隊をこれ以上軍隊として
    成長させていいんですか、ということが問われるべきなんです。
    けど、こういう正面の議論が全然ないんですよね」

 三上監督の言う通りだろう。日誌改ざんの問題はもちろん重要だが、一方でマスコミは、南スーダンPKO派遣や安保法に基づく駆け付け警護の任務付与自体の是非を、正面からほとんど取り上げてこなかった。しかし、事実として、自衛隊はいつ隊員が犠牲になってもおかしくない戦闘にさらされていたのだ。これを追及せずして、メディアはいったい何を報じているのか。それは、トランプによるアサド政権への先制攻撃の問題にも通じる話だ。
 奇しくも、高畑監督と三上監督のトークイベントが終わったすぐ後、安倍首相が、アメリカへの強い「支持」を表明した。さらに「東アジアでも大量破壊兵器の驚異は深刻さを増しています。国際秩序の維持と、同盟国と世界の平和と安全に対するトランプ大統領の強いコミットメントを、日本は高く評価します」と発言し、トランプによる北朝鮮への“先制攻撃”に期待感をのぞかせた。だが、仮にアメリカが北朝鮮へ攻撃を開始したら、その報復攻撃の標的となるのは日本だ沖縄の米軍基地が攻撃され、国民の血が流れる
 そうした現況で、マスコミが報じるべきは、こうした安倍政権の態度が日本を確実に戦争へと導いているという事実に他ならない。にもかかわらず、とりわけテレビメディアは、政府の対応の危険性にほとんど言及しようとせず逆にトランプと安倍首相の挑発に対する北朝鮮側の反応ばかりを報じ、その危険性をひたすら煽り、人々の恐怖という感情を刺激しているだけだ。
 沖縄の基地問題もそうだが、安倍政権は「戦争はごめんだ」という人々の感情を逆手にとり、「戦争をしないためにとの名目でその準備を進めてきた。そして、気がつけば、すでに片足を突っ込んでいた高畑監督が「『火垂るの墓』では戦争は止められない」という表現で警鐘を鳴らしてきた状況は、いみじくも、いま、この瞬間こそを言い表している

(編集部)
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●「焼け跡闇市派」野坂昭如さん死去:「最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと…」

2015年12月12日 00時00分21秒 | Weblog


東京新聞の記事【野坂昭如さん死去 「この国に戦前がひたひたと迫る」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121102000134.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015121102000157.html)。
asahi.comの記事【「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去】(http://www.asahi.com/articles/ASHDB6G9THDBUCVL02P.html?iref=comtop_list_obi_n02)。

 《最後の原稿…末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」…七日に放送されたTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」には手紙を寄せ、アナウンサーが読み上げた。野坂さんはこの手紙で「僕は、日本が一つの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と憂えた》。
 《編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った》。


 《焼け跡闇市派》野坂昭如さん死去。《最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと…》。
 コラム【筆洗】には《八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う》……アベ様らは、またそんな「思い」をさせる世の中に逆戻りさせようとしている。『●「そんな曲が交じっていないか。耳をそばだてる」…聞こえるのは、アベ様らの勇ましき進軍ラッパのみ』。

   『●村木厚子氏冤罪事件で学んだはず
    「野党が「田中角栄議員辞職勧告決議案」を提出する
     と言って騒ぎ始めると、二院クラブの参議院議員であった
     作家・野坂昭如氏が、「選挙民が選んだ議員を国会が
     辞めさせるのはおかしい。それでは民主主義にならない
     と私に言った。「その通り。辞めさせたかったら選挙で
     辞めさせるのが民主主義です」と私が言うと、しばらくして
     野坂氏が「田中角栄に挑戦する」と言って新潟3区から
     立候補を表明した」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121102000134.html

野坂昭如さん死去 「この国に戦前がひたひたと迫る」
2015年12月11日 朝刊

 九日に心不全のため八十五歳で亡くなった作家で元参院議員の野坂昭如(のさかあきゆき)さんが、亡くなる直前の九日午後四時ごろ、担当する雑誌連載の最後の原稿を新潮社に送っていたことが分かった。末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。「焼け跡闇市派」を自称した野坂さんは体の自由が利かない中、戦争体験者として最後まで日本人に警告を発し続けた。

 連載は、雑誌「新潮45」(二〇一六年一月号、十八日発売)の「だまし庵(あん)日記」。約十二年間続いた連載は、この百六回目が最後となった。

 版元の新潮社によると、原稿は日本の都会で暮らす人々の間で自然や農業への関心が薄れていると、食への危機感を表明。テロが脅威となっている世界情勢にも言及し、空爆では解決できない「負の連鎖」を断ち切ることが必要だとしている。

 七日に放送されたTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」には手紙を寄せ、アナウンサーが読み上げた。野坂さんはこの手紙で「僕は、日本が一つの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と憂えた。

 野坂さんは二〇〇三年に脳梗塞で倒れた後、闘病生活の中で、妻の暘子(ようこ)さんによる口述筆記の助けを借りながら積極的に発言を続けていた。

 葬儀・告別式は十九日午前十一時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で。通夜は親族のみで行う。喪主は暘子さん。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015121102000157.html

【コラム】
筆洗

 野坂昭如さんが、空襲と妹を餓死させた少年時代の体験を基に書いた小説『火垂(ほた)るの墓』。この名作の抜粋を読み、作者の心境を記せ-。野坂さんの娘さんが、学校でそんな課題を出されたことがあったという▼当然ながら娘さんは、父に「正解」を尋ねた。答えは、「あれはまあ、締め切りに追われて、後先なく、書いたんだけどね、特に心境といわれても」。さすがに、奥さんに「もう少し何とかいいようがあるでしょ」と怒られたそうだ▼野坂さんに言わせると、かの名作は「徹頭徹尾自己弁護の小説」なのだという。小説の「兄」は飢えて死にゆく妹のため、自分の指を切って血を飲ませるか肉を食べさせようかとまで考える。しかし、現実の自分は、かみ砕いて妹に与えるつもりの食べ物を、ついのみ込んでしまっていた▼そうして妹が死に、その体を抱き運んだときの思いなど、自分でもとらえがたいそういう思いは、他人に百分の一も伝えられず、言葉にしたとたん、自己弁護や美化がまじってしまうもの他人に思いを伝えるというのは、そういう厳しい営みなのだと(『忘れてはイケナイ物語り』光文社)▼野坂さんは『火垂るの墓』を読み返さず、映画化されヒットしても、悲しくなるからと、終わりまで見ることができなかったという▼八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う。
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http://www.asahi.com/articles/ASHDB6G9THDBUCVL02P.html?iref=comtop_list_obi_n02

「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去
2015年12月11日02時09分

 社会批判とユーモアに満ちた活動を続けてきた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなった。不意の別れを惜しむ声が、各界からあがっている。

 関係者によると9日午後9時半ごろ、自宅で横になっていた野坂さんの意識がなくなっているのを家族が見つけ、救急車を呼んだ。病院に搬送したが、午後10時半ごろ、肺炎からくる心不全のため死去したことが確認されたという。

 編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った。

 美術家の横尾忠則さんのもとには、雑誌の往復書簡企画のための手紙が、先週届いていた。眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え原発問題についても懸念する内容だったという。「野坂さんは60年代から一貫して貴重なメッセージを発信してきた。病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う」

 永六輔さんが出演するTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」では、7日の放送で野坂さんからの手紙を紹介していた。日本が真珠湾を攻撃した12月8日が近付いていることにふれ、「日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と現代日本の針路を危ぶんでいた

 野坂さんの厳しい社会批判の言葉の裏には、空襲体験や家族を失った悲しみに根ざした弱者への愛が常にあった。「戦争童話集」シリーズの絵を担当したイラストレーター、黒田征太郎さんは「『戦争童話集』には胸を突く言葉があふれている。戦争をテーマに人間のちっぽけさを語ることができる人」と惜しんだ。………。
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●「「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」という気持ちこそが、戦争の抑止力となる」

2015年08月07日 00時00分12秒 | Weblog


LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の記事【反戦のふりをした戦争肯定映画『永遠の0』にだまされるな! 本当の反戦とは何か、ジブリ高畑勲監督の言葉をきけ!】(http://lite-ra.com/2015/07/post-1342.html)。

 「『永遠の0』を反戦だと思い込んでる方にぜひ読んでいただきたい記事がある。スタジオジブリ高畑勲監督の反戦への思いを紹介した記事だ。高畑勲監督といえば、戦争孤児を描いた『火垂るの墓』が有名だ。戦争の悲惨さを描いた同作は、海外からの評価も高く、公開から20年近く経ったいまなお反戦映画の名作として受け継がれている。ところが、当の高畑監督は「『火垂るの墓』は反戦映画じゃない、『火垂るの墓』では戦争を止められない」と語っているのだ。高畑監督のいう、本当の反戦とは何か・・・・・・高畑監督にいわせれば、「死にたくない」だけではダメだというのだ。むしろ逆に、「死にたくない、殺されたくない」という感情につけ込まれて、再び戦争は始まるものだと指摘する・・・・・・実際、れまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた・・・・・・本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りない「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる」。

   『●アベ様の「誇りある国へ」=
      戦争で「殺す側になる」「人殺しに加担する」、でいいのか?


 アベ様の「誇りある国へ」とは、戦争で「殺す側になる」「人殺しに加担する」ということだ。高畑勲監督の言う「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる」、大事な視点だ。

   『●高校生による壊憲法案反対デモ:
     赤紙を受け取る側の論理、人殺しに加担させられる側の論理
   『●自民党の武藤貴也衆院議員: 赤紙を送る側の(非)論理、
                      人殺しに加担させる側の(非)論理

 同じようなことが、東京新聞の【【社説】 鶴見俊輔さん 民衆の中によみがえる】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080202000151.html)によると「鶴見俊輔さん・・・・・・「非暴力直接行動」を掲げて、「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」に参加し、「九条の会」の呼び掛け人になった。行動という枝葉、思想という幹の根元には「反戦」という土壌があった。大戦中は海軍軍属の通訳として、ジャカルタなどに送られた。「戦争中に私は、生き残りたいと思ったことはない。殺したくない。ただそれだけだった」(「戦争が遺したもの」)と語っていた」。
 自民党の武藤貴也衆院議員の唱える「赤紙を送る側の(非)論理」、「人殺しに加担させる側の(非)論理」に乗せられてはいけない。

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http://lite-ra.com/2015/07/post-1342.html

反戦のふりをした戦争肯定映画『永遠の0』にだまされるな! 本当の反戦とは何か、ジブリ高畑勲監督の言葉をきけ!
【この記事のキーワード】スタジオジブリ, 百田尚樹, 編集部 2015.07.31

 本日『永遠の0』が地上波初放送された。『殉愛』や「沖縄の新聞はつぶせ」発言ですっかりトンデモ評価を定着させた百田尚樹だが、この『永遠の0』だけはすばらしいという人が少なくない。

 本サイトでは『永遠の0』が戦争賛美のファンタジーであることを繰り返し指摘しているが、「読まずに、百田だからレッテル貼りで戦争賛美と言ってるだけ」「『永遠の0』は戦争の恐ろしさを描いている」「命の大切さを訴えている」だから、『永遠の0』は反戦映画である、という声が変わらず多い。作者の百田自身も、「戦争賛美ではない」と主張している。

 しかし、『永遠の0』を反戦だと思い込んでる方にぜひ読んでいただきたい記事がある。スタジオジブリの高畑勲監督の反戦への思いを紹介した記事だ。高畑勲監督といえば、戦争孤児を描いた『火垂るの墓』が有名だ。戦争の悲惨さを描いた同作は、海外からの評価も高く、公開から20年近く経ったいまなお“反戦映画”の名作として受け継がれている。

 ところが、当の高畑監督は「『火垂るの墓』は反戦映画じゃない、『火垂るの墓』では戦争を止められない」と語っているのだ。

 高畑監督のいう、本当の反戦とは何か。この高畑監督の言葉を紹介した記事を再録するので、『永遠の0』で涙を流しているヒマがあったら、読んであらためて考えてもらいたい。

(編集部)


***********************
 ついに日本時間の23日、第87回アカデミー賞が発表になる。注目は、長編アニメ映画部門賞にノミネートされている高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』の行方。長編アニメ映画部門で日本人がノミネートされるのは、宮崎駿監督以外でははじめてのこと。さらにもし受賞すれば、2002年の『千と千尋の神隠し』以来2度目の快挙となる。下馬評では『ヒックとドラゴン2(仮題)』の受賞が有力視されているが、『かぐや姫の物語』の群を抜いた芸術性によって、高畑監督は世界から視線を集めているといっていいだろう。

 高畑監督といえば、1988年に日本で公開された『火垂るの墓』が海外でも高い評価を受け、イギリスでは実写映画化される予定も。いまなお“反戦映画”として引き継がれている名作だが、じつは、高畑監督はこの自作について意外な認識をもっているらしい。

   「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、
    反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのもの
    であるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。
    そう言うと大抵は驚かれますが」

 このように答えているのは、今年の元旦、神奈川新聞に掲載されたインタビューでのこと。

 しかし、『火垂るの墓』を観たときに多くの人が抱くのは、なんの罪もない幼い兄妹・清太と節子が戦争に巻きこまれ、死に追いやられることへのやり場のない怒りと悲しみだ。そして、やさしいはずの親戚さえ手を差し伸べなくなるという、戦争のもうひとつの恐ろしさを知る。死にたくない、殺されたくない、あんなひもじい思いは絶対にしたくない──そういう気持ちが生まれる『火垂るの墓』は反戦映画だと思っていたし、実際、学校などでも「戦争という過ちを犯さないために」という理由で『火垂るの墓』が上映されることは多い。

 それがいったいなぜ役に立たないのか。高畑監督はこう語っている。

   「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、
    これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか
    なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は
    「そういう目に遭わないために戦争をするのだ
    と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。
    惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、
    感情に訴えかけてくる


 そう。高畑監督にいわせれば、「死にたくない」だけではダメだというのだむしろ逆に、「死にたくない、殺されたくない」という感情につけ込まれて、再び戦争は始まるものだと指摘する。

 これを聞いて思い出したのが、百田尚樹氏やその支持者がしきりに口にしている『永遠の0』=反戦小説論だ。

 先日、本サイトでも検証していたように、『永遠の0』は反戦でも何でもない、明らかな戦争賛美ファンタジー小説だ。軍上層部を批判してはいるが、こうすれば勝てたのにと作戦内容を糾弾しているだけで、戦争を始めたこと自体は一切批判していない。「死にたくない」というのが口癖の人物を主人公にし、特攻隊員が生命をかけていることについては悲劇的に描いているが、彼らが米軍機を容赦なく撃ち落としていることはまるでスポーツ解説でヒーローを褒め称えるように全面肯定している。

 つまり、百田たちはこの程度のものを「私は『永遠の0』で特攻を断固否定した」「戦争を肯定したことは一度もない」「『永遠の0』は戦争賛美じゃない、反戦だ」と強弁しているのだ。

 それに比べて、あれだけリアルに悲惨な戦争の現実を描きながら、自作のことを「反戦の役に立たない」という高畑監督のシビアさはどうだろう

 だが、高畑監督の言うように、死にたくない、殺されたくないというのは、一見、戦争に反対しているように見えて、それだけで戦争を抑止する力にはならない、というのは事実だ。

 死にたくない、というだけなら、その先には必ず、死なないために、殺されないために相手を殺す、という発想が出てくるからだ。さらに、存在を放置しておいたら自分たちが殺される、という理由で先に攻撃を加えるようになる

 実際、これまでの多くの戦争が「自衛」という名目で行われてきた。日本国憲法制定時の総理大臣・吉田茂は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。」と言ったが、先の戦争はまさにそうだった。日本はアジア各国で『火垂るの墓』の清太と節子と同じように罪のない人たちを戦争に巻きこみ、日本兵が殺されたように他国の兵隊や一般市民を殺してきたのだ

 それは最近の戦争も変わらない。いや、ありもしない大量破壊兵器の存在を名目にアメリカが始めたイラク戦争のように、「殺されたくないから先に殺す」という傾向はますます強くなっている。自分は安全な場所にいてミサイルのスイッチを押すだけなら、戦争してもいいというムードさえ出てきている。

 本当の意味で戦争をなくそうとするなら、「死にたくない」だけでは足りない、「人を殺したくない」という気持ちこそが、はじめて戦争の抑止力となる。おそらく高畑監督はそう言いたかったのだろう。

 だが、残念ながら、この国はまったく逆の、百田的な方向に向かっている「殺されたくない」という人の気持ちを利用して、集団的自衛権の行使容認や憲法9条の改正を目論む安倍首相をはじめとする勢力と、彼らがつくり出している空気に、いま日本は覆われようとしている

 高畑は同インタビュ―でそうした動きについても踏み込んで、つよく批判している。

   「「戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。
    われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う」
    とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の
    人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が
    崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、
    そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、
    人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にか
    もっていく。あの戦争の負け方と同じです」

 そして、高畑は“憲法9条があったからこそ、日本は戦争によって殺されることも、だれかを殺すこともしないで済んできた”と言う。それがいま、安倍首相によって崩されようとしていることに強い懸念を示すのだ。

   「(憲法9条が)政権の手足を縛ってきたのです。
    これを完全にひっくり返すのが安倍政権です。
    それも憲法改正を国民に問うことなく、
    憲法解釈の変更という手法で、です」
   「「普通の国」なんかになる必要はない。
    ユニークな国であり続けるべきです。
    戦争ができる国になったら、必ず戦争を
    する国になってしまう。閣議決定で
    集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、
    突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に
    直面しているのではないでしょうか。
    あの戦争を知っている人なら分かる。
    戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。
    始めてしまえば、私たちは流されてしまう。
    だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが
    必要なのです。それが9条だった

 高畑がその才能を見出し、ともにライバルとしてスタジオジブリで切磋してきた同志・宮崎駿も、先日、ラジオで改憲に踏み切ろうとする安倍首相への危機感と9条の重要性を口にした。だが。映画界の世界的な巨匠ふたりが揃って発するメッセージを、安倍政権がまともに相手にすることはないだろう。

 しかし、それは結局、わたしたちの選択の結果なのだ。高畑はこの国の国民のメンタリティについてこんな懸念を表明している。

   「(先の戦争について)いやいや戦争に協力させられた
    のだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝う
    ちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、
    一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。
    「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を
    聞いて絶望的な気持ちになります。私たち日本人は
    昔と全然変わっていないんじゃないか、と。
    周りと協調することは良いことですが、この言葉は
    協調ではなくて同調を求めるものです。歩調を合わせる
    ことが絶対の価値になっている。(中略)
     古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に
    踏み込んでいったのです。私はこれを「ズルズル体質」と
    呼んでいますが、「空気を読む」なんて聞くと、これからも
    そうなる危うさを感じずにはいられません。」

(酒井まど)
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