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●《二〇二一年時点で民主主義国は八十九で、権威主義国は九十。世界人口の七割の約五十四億人が権威主義下で暮ら》す…91国目に堕ちる?

2022年07月16日 00時00分21秒 | Weblog

――――――― 矢崎泰久さん【発言2013】、《腰を抜かすほど驚いて、「君の一票の棄権は、バカの一票が倍になることだ…」…民主主義の大敵は投票に行かないことだ…。…とにかく投票に行く。このことによってしか、悪政は拒否できない…棄権は危険だ!》

――――――― (狙撃兵)《歴然としているのは、選挙に行かないこの5割の有権者こそが今日の政治状況を変えうる最大勢力であるという点だ。そのうち2~3割が動いて投票率が70~80%の選挙が展開されるだけでも局面はガラリと変わることになる》。#投票倍増委員会 会員として、いつも通り、当然に、#わたしも投票します

――――――― (金口木舌)《▼県民の諦めやため息を都合よく解釈し「これが民意だ」と断じるのは早合点ではないか政治に失望し、それでも一票に未来を託した民に政治の方が近づくべき時である。民意を論ずるのは、その後でいい》

――――――― (神保哲生さん)《ほとんど政治に変革が期待できない日本でも、選挙の投票率が先進国の平均レベルに達した瞬間に、大きな変革が起きているのです。つまり、どうせ政治に変革なんて期待できないから投票に行っても意味がない、のではなく、投票に行かないから政治が変わらないだけのことだったのです。そして、この低い投票率が、決してメディア報道とは無関係ではないことを…》

―――――――(東京新聞社説)《政治に変化を迫り、国民のための政治を実現するには、有権者が「票の力」を突き付けるしかない一人一人が投票所に足を運ぶことが、民主主義の危機を脱する最大にして唯一の力になる



(20220710[])
2022年7月参院選、本当にこんな結果で良かったのでしょうか? 《投票に同情を持ち込んではいけない「安倍氏の遺志」を引き継ぐ謂れなど、有権者にはまったくないのである》…はずだったのに。
 《低投票率》を回避するために、自公政権は何か努力したか? 政権の腐敗により、市民に「諦め」「絶望感」をもたらしただけ。(東京新聞社説)《政治に変化を迫り、国民のための政治を実現するには、有権者が「票の力」を突き付けるしかない一人一人が投票所に足を運ぶことが、民主主義の危機を脱する最大にして唯一の力になる》。

   『●《想定できないから免責されるという論法なら「地震大国」の日本で
     原発は稼働させてはならない…原発政策を推進してきた国の結果責任》
   『●「統一協会、暴力団、日本会議に神道議員連盟…どうするの」と
     ヤジり返して、アベ様にそれらの真偽を確認してもらうべきだった
   『●あとの祭り…《故人の過大評価、美化・神格化…「安倍元首相の悲願は

          憲法改正」「憲法改正が安倍元首相の夢だった」》の垂れ流し…

 《選挙に行く以外に《悪政は拒否できない》…《1票は重い。責任ある行動が求められる》…#VoiceProject #わたしも投票します #投票はあなたの声》…だったはずなのに。91国目の《権威主義国》に堕ちる…。自公お維コミによる独裁国へと転落。
 選挙前の、東京新聞の【<社説>民主主義の現在 危機を脱する「票の力」 '22参院選】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/188087?rct=editorial)によると、《二〇二一年時点で民主主義国は八十九で、権威主義国は九十。世界人口の七割の約五十四億人が権威主義下で暮らし、十年前の49%から急増している。権威主義は自国民からあらゆる自由を奪う。ロシアによるウクライナ侵攻で明らかになったように、言論の自由がない国は権力者の暴走を許し、他国民の命や暮らしには驚くほど無関心だ民主主義が機能するには行政、立法、司法の三権分立が前提だが、日本では行政監視や国政の調査という国会の機能が形骸化し、森友・加計学園や桜を見る会を巡る問題で権力の私物化を許した。しかし、日本での本当の民主主義の危機は、投票率の深刻な低下にこそあるのではないか。》
 数多のアベ様案件に代表される政権の腐敗、違憲に壊憲、人治主義国家、言論の不自由、三権分立の破壊、「2/4」の眠り猫が選挙に行かないことで間接的に自公政権を支持…法治国家・民主主義国家なんて恥ずかしくて口に出せないニッポンの現実。《民主主義国は八十九》から、ニッポンが一カ国減ったことは確かだ。

   『●指差しヤジ再び…《責任を問うべきなのは安倍ではない。
       責任を取れない社会の■■を…放置してきた日本社会…》
   『●《首相の演説にやじを飛ばしただけで、警官に排除される時代…
                 こんな「表現の不自由」な社会を誰が望んだ》?
    「桐山桂一さんの仰る通り、《今日では既に、首相の演説にやじを
     飛ばしただけで、警官に排除される時代である。
     こんな表現の不自由な社会を誰が望んだであろうか》?」
    「《鹿児島県警から任意の「捜査関係事項照会」と呼ばれる依頼を受け、
     うち4図書館で利用者の個人情報が提供》…。
     《警察は政党の手先ではない訳がないし警察は正義の味方
     呼ぶこと》もできない…悲惨な社会。最「低」裁を頂点とした司法も、
     検察や警察も、いまやアベ様に忖度する時代。
     《岸の末裔が首相では日本に未来はない》。」

   『●《安倍政権下で始まった危険な言論統制に歯止めをかける判決…首相に
      ヤジを飛ばした市民が、北海道警の警察官に違法に排除された事件》
   『●《現役の総理大臣へのヤジも許されず、それが報道もされない世界》
     《ヤジも言えない国家や有無も言わさず排除をする警察》でいいの?
   『●「殺す側の論理」、ついには人の「死」にまで「自己責任論」を
     持ち出すようになったよ。あなたは「殺す側」に居るつもりらしいが…
    「決して《失策を改め》ることはないし、反省することなど無し、
     批判は許されない ――― 《大阪ヘイト条例》も、お維への批判を、
     条例を根拠に封じる狙いはないの?

   『●《大阪ヘイト条例》と構図は同じ…《政府・与党政治家への正当な
     批判を「侮辱」として解釈し、気に食わない言論や表現への弾圧に利用》
    《…しかも、国会での審議によって明らかになってきたのは、政府・
     与党政治家への正当な批判を「侮辱」として解釈し、気に食わない
     言論や表現への弾圧に利用しようという政府の魂胆だ


   『●《大阪ヘイト条例》と構図は同じ…《政府・与党政治家への正当な
     批判を「侮辱」として解釈し、気に食わない言論や表現への弾圧に利用》
   『●とっても危険な《侮辱罪を厳罰化する刑法改正案》…自公お維コミの
      《火事場ドロボー》達は、《権力批判の言論を萎縮させる》気満々だ
   『●《政治家の批判や、政府の方針への苦言など…デモ…》が抑制、
     《首相はうそつき》《総理は嘘つき》ウソ吐きなアベ様という批判も…
   『●アベ様をヤジって道警の警察官に排除…札幌地裁は《ヤジを公共的で
      政治的な表現行為と認め、その排除は表現の自由の侵害だと判断》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/188087?rct=editorial

<社説>民主主義の現在 危機を脱する「票の力」 '22参院選
2022年7月7日 07時55分

 世界中で「民主主義の危機」が叫ばれる中での参院選である。

 米欧や日本は民主主義、自由、平等、法の支配、人権尊重、市場経済など「共通の価値観」を掲げ、中国やロシアなど権威主義国家と向き合ってきた。

 しかし、新型コロナウイルスへの対応を巡り、中国は自らの体制の優位性を喧伝(けんでん)する一方、米国は大統領選を巡る混乱で民主主義の脆弱(ぜいじゃく)性を露呈した。

 スウェーデンの調査機関V−Demの報告書は民主主義の退潮傾向を指摘する。二〇二一年時点で民主主義国は八十九で、権威主義国は九十。世界人口の七割の約五十四億人が権威主義下で暮らし、十年前の49%から急増している。

 権威主義自国民からあらゆる自由を奪う。ロシアによるウクライナ侵攻で明らかになったように、言論の自由がない国は権力者の暴走を許し、他国民の命や暮らしには驚くほど無関心だ

 民主主義が機能するには行政、立法、司法の三権分立が前提だが、日本では行政監視や国政の調査という国会の機能が形骸化し、森友・加計学園や桜を見る会を巡る問題で権力の私物化を許した

 しかし、日本での本当の民主主義の危機は、投票率の深刻な低下にこそあるのではないか。

 参院選選挙区の投票率は一九九二年以降、40〜50%台で推移し、前回一九年は48・8%にとどまった。有権者の半数しか投票しない状況ではとても民主主義が機能していると胸を張って言えまい

 低投票率背景には政治不信や諦めがあるのだろうが、政治の側に問題意識が足りないことも、民主主義の危機に拍車をかける

 岸田文雄首相(自民党総裁)は「民主主義の危機」に再三言及してきたものの、政治不信の払拭(ふっしょく)に努めてきたとは言い難い

 自民党議員が政治資金問題やスキャンダルを指摘されても説明させようとせず、国会議員に毎月百万円が支給される旧・文書通信交通滞在費の使途公開を巡っても指導力を発揮した場面はない

 政治に変化を迫り、国民のための政治を実現するには、有権者が「票の力」を突き付けるしかない一人一人が投票所に足を運ぶことが、民主主義の危機を脱する最大にして唯一の力になる
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●「言い過ぎを批判された政治家が自己弁護する、あまり効き目のない常套手段」

2013年08月23日 00時00分12秒 | Weblog


asahi.comの記事【麻生太郎氏が研究したい「手口」の中身】(http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2013080900006.html?ref=comtop_fbox_d2)。

 舌禍の絶えない麻生太郎元総理。

   『●麻生太郎氏「だれも気づかないでかわった。あの手口に学んだらどうかね」
   『●炭坑王一族の末裔による凄まじいまでの暴言・差別意識

 橋下徹元大阪「ト」知事石原慎太郎元東京「ト」知事も同様ですね。

   『●勝てば非侵略国で、負ければ侵略国?
   『●思い込みの激しい老人: 大阪元〝ト〟知事に「歴史に関しての無知」だってさ!
   『●「証拠が出てくれば反省しなければならない」のだから、反省してください
   『●無節操の図: 橋下元大阪〝ト〟知事も十分に〝ト〟、そして自民党も同じ穴のムジナ
   『●「誤解」だったの?? 弁護士らしからぬ言動で、身から出た錆

 そんな際、彼らの使うのが、「「誤解された」「コンテクストを無視して伝えられた」という」「「言い過ぎを批判された政治家が自己弁護する、あまり効き目のない常套手段」」のようです。

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http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2013080900006.html?ref=comtop_fbox_d2

麻生太郎氏が研究したい「手口の中身
2013年08月10日

 麻生太郎副首相兼財務相のナチス発言が波紋を広げている。ドイツにもすぐ伝わった。

 元来は保守系オピニオン・リーダーの『フランクフルター・アルゲマイネ』紙も、「全部『誤解』だったらしいと皮肉たっぷりの見出し。「誤解された」「コンテクストを無視して伝えられた」というのは、言い過ぎを批判された政治家が自己弁護するあまり効き目のない常套手段だ。

 おまけに同紙は、自民党憲法草案に基本的人権を変更不能とする現行憲法97条がそっくり「代替抜きに消されている」ことも挙げて、「熱烈なナショナリスト」の麻生と安倍がめざすのは、「人権ではなく、権威主義国家なのだ」と断言している。出先の日本国外交官たちは、およばれの席で言い訳に苦労することまちがいない。

 ところで、財務相は財務が専門らしいから歴史に弱いのも無理ないとはいえ、ヒトラーの政権獲得とワイマール憲法の空文化のプロセスに関する彼の見解には重大な誤りがある。

 第一は、「ヒトラーは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、出てきた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ」というくだりである。

 事情はまったく異なる。ワイマール憲法と民主主義の打倒を掲げるヒトラーがこの憲法に忠誠を誓う茶番の儀式を経て首相になったのは、1933年1月30日の昼前だ。

 その頃ドイツは、繰り返し国会解散と総選挙が続いた状況で、もはや議会制民主主義の体をなしていなかった。

 左右両派の激突はひどい状態で、議会も怒号の嵐で演説は聞き取れないうえに、不信任案の連発で機能停止だった。すでに1930年3月、世界恐慌の荒波のなかで、中間諸政党からなる、それまで比較的安定していた連立政権が崩壊し、憲法上相当な力を持つ上に、国民に人気のあった第一次大戦の英雄ヒンデンブルク大統領の指名と非常措置によって内閣が作られる「大統領制内閣」だった。

 1932年11月の選挙でナチは退潮し、33パーセントの支持を得たにすぎなかった。それでもナチこそ安定をもたらすと考えて、ヒトラーの首相指名を大統領に勧告する人々もいたが、ヒンデンブルク将軍は、「ボヘミアの上等兵が首相とはふとどき千万」と相手にしなかった。元来オーストリア人で、第一次世界大戦の伍長にすぎないあんな奴と将軍の俺とは格が違うということだろう。事態の収拾がつかなくなった1月の末にしぶしぶとヒトラーを指名したにすぎない。麻生氏の言うように「きちんとした議会で」「選挙で選ばれた」のではない。大統領指名である。

 ヒトラーはそれ以前から、合法的な権力奪取政策に転じていたが、それはカムフラージュで、はじめからワイマール体制の転覆を狙っていたことは誰の目にもあきらかだった。ルール地方のドイツ重工業の大物たちと密会し、さらにはシャンパンとウィスキーの卸業者で、貴族の称号を遠縁から買った、後のナチス政権の外相フォン・リッベントロップ邸でも軍や政府の要人と秘密の会合を重ね、彼らの支持を取り付け、自分を嫌うヒンデンブルクへの圧力を強めていった。

 首相就任にあたって持ち出した条件にしたがって、3月にもう一度総選挙が行われた。そして44パーセント近くを獲得し、勢力を強めたことは事実である。

 しかし、これはもはや「きちんとした」選挙とは言えなかった。それまでに共産党系代議士は拘束され、社民党も機関誌の発刊を止められ、さらには2月の、真相はいまだに不明な国会議事堂炎上事件を受けて、ワイマール憲法の基本権が「当分の間」停止されていた。

 3月の選挙は、今でも世界各地で行われている一方的な選挙と同じだった。「ヒトラーは民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って出てきた」というのがいかにまちがいか、あきらかだろう。形式的合法性と実質的な民主主義を取り違えられては困る

 第二の間違いは、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」という部分である。このあとに「あの手口を学んだらどうか」と来る。この言い方に歴史修正主義者と改憲主義者に溢れる会場も笑ったが、これは失笑ではなく、同意の笑いだったようだ。

 3月の選挙の強引な「勝利」ののちに、全権委任法なるものが3月23日に議会をとおった。これ以降、議会は無意味な存在となり、条約の批准も法律の承認も必要なくなり、首相、つまり総統の承認と官報掲載だけでいっさいの法が可能となった。ユダヤ人追放に関する諸法や独ソ不可侵条約もすべてヒトラーとその周辺の一存となった。

 ところでこの全権委任法が議会による民主的な手続きで(「誰も気づかないで」「静かに」)ワイマール憲法を事実上無効にした、と一般にも(ドイツですらときに)思われているようだが、これも間違いである

 まずはこの議案上程の大分前に、ほとんどが逮捕されている共産党議員の議席を存在しないことに決めてしまった。これによって院の構成人数が81議席も減らされた。また社民党の一部などナチスに強く抵抗し、無断欠席した議員を60日間登院禁止にした上で、欠席している彼らも実際には「出席」とみなす、東電の株主総会でも使わないトリックを議長は使った

 これによって、ワイマール憲法改正に必要な「法的構成員」の3分の2の出席議員の3分の2の賛成というハードルを越える手口を使ったのだ。このあたりは、『自由と統一への長い道』(昭和堂)というヴィンクラーの有名な本に詳しく書いてある。

 麻生氏が言う「手口」はこのあたりかもしれない。あるいはそれ以前のナチ党の一方的に相手を叩くプロパガンダ戦術のことかもしれない。

 「第一次世界大戦は負けたのではない。国内で革命を起こした連中による裏切りのせいだ」。「経済混乱はヴェルサイユ体制のせいだ」。そして、「ユダヤ人のせいだ」。こうした議論を党の弁論家養成学校で学び、鏡の前でシャドー・トレーニングを重ねた弁士たちが全国に散り、何千、何万という集会を組織して煽動を続けた効果は抜群だった。暴力的威嚇もひっきりなしにされた。反戦映画『西部戦線異常なし』の上演をゲッベルスはかんしゃく玉、悪臭弾、そしてネズミの大群を使って阻止した。このあたりは現代政治史の第一人者ブラッハーの本に詳しい(『ドイツの独裁――ナチズムの生成・構造・帰結 I・II』岩波書店)

 「誰も気がつかないうちに」ではないのだ。唯一、正々堂々と反対した社民党党首のオットー・ヴェルスはヒトラーに面と向かって「我々は目下のところ貴下が権力を握っているという政治的事実を知っている。しかし、国民の法意識もまたひとつの政治的な力であって、我々はこの正義感に訴えることをやめるわけにはいかない」と演説したが、正面突破を狙うナチスには、糠に釘、蛙の面に小便だった。

 ヴァイマール憲法はたしかに進んだ憲法だった。私有財産(資本主義的企業)の社会的義務を説き、労働者の団結権や団体交渉権を確立していた。社会権にも配慮されており、戦後西ドイツの福祉国家政策の前触れともなっている。選挙制度も比例代表制で得票率と議会の議席数とが比例した。

 しかし、デモクラシーを守るための制度と勇気が足りなかった。たとえば、急進政党の禁止は可能だったし、一時は突撃隊の禁止なども試みられたが、徹底させる勇気がなかった。国防軍の指揮権など大統領にかなり強い権限が集められたのは、第一次世界大戦後の混乱収集のためだったが、末期には民主主義の空洞化を引き起こし、裏目に出た。

 だが、もっと重要な側面は、ヴァイマール末期に、国家の正当性への信頼がナチスによって巧みに堀り崩されていったことである。マックス・ヴェーバーは、国民による「正当性への信頼」こそが政治的支配の最も重要な資源であると言っているが、まさにその正当性の喪失である。

 だがこれには長い前史がある。大地主、重工業の幹部、軍の将校団、そして多くの大学教授など、第一次大戦以前の旧ドイツ帝国の上層部はワイマール民主主義を極度に嫌悪した。ハイデガーの哲学もその徴候である。「『旧エリート』のもつ大きな政治力は、長い前史を持つ社会的事実であった。民主主義国家の信頼性を浸食したことも、その前史に含まれる」と先のヴィンクラー教授は書いている。

 それに対して、戦後のドイツ基本法がヴァイマールの反省にもとづいていることはよく言われるとおりだ。だが、成立の形式的正当性は日本国憲法より怪しい。ワイマール憲法と違って、負けたドイツ国民は憲法制定に関与できなかった。南ドイツの風光明媚な湖畔に「合宿」した憲法制定会議は各州の代表者の集まりで、制定作業には西側戦勝国がたえず干渉した。

 しかし、そうした形式的問題をいまさら取り上げる者はいない。戦後西ドイツの「戦うデモクラシー」と「危険ははじめのうちにつぶせ」という合い言葉の中で基本権を定着させていくプロセスから憲法は実質的な正当性を受け取って、国民に支持されている。

 逆に、ワイマール憲法は、成立の形式的正当性は非の打ち所がなかったが、民主主義への不信が渦巻く国民各層の中で常にその正当性を、つまり、実質的正当性を問題にされ、掘り崩されていった。

 この点はわれわれもよく考えた方がいい。日本では選挙制度そのものが正当性を欠き、国会は、形式的合法性だけの手段に成り下がっている。自民党も民主党も野党のときは「建設的協力」をいっさいしない。その手段や現れかたが異なるとはいえ、正当性が掘り崩されている状況は同じだ。実はその最も明白な徴候が麻生氏の発言である。

 麻生氏の発言で本当に重要なことは、ヴァイマール末期の歴史についての正確さが欠如していることではない。そんなことは元オリンピック選手の財務大臣に要求しても無理だろう。重要なことは、・・・・・・。
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