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●森達也監督「福田村事件」…《関東大震災の混乱で差別意識を背景に惨殺されたのは「朝鮮人」だけではありません》(デモクラシータイムス)

2022年05月07日 00時00分44秒 | Weblog

[※ 『NNNドキュメント’17記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]


(20220424[])

【森達也監督【焦点インタビュー】初めて劇映画を作る理由 関東大震災の惨劇をいま世に問う】(https://www.youtube.com/watch?v=nRadMmKyqJ0
《デモクラシータイムス》
《ご存知ですか? 森達也さんが監督になって初めて劇映画を撮ろうとしています。その構想段階の話を、監督と脚本家、プロデューサーにうかがいます。テーマは、歴史の向こうから今につながる「差別」関東大震災の混乱で差別意識を背景に惨殺されたのは「朝鮮人」だけではありません。讃岐の行商人の集団15人のうち、9人が虐殺された「福田村事件」を取り上げます。なぜ、彼らは襲われ、殺されなければならなかったのか、その構造をダイナミックに提示する映画、それを実現するのは、制作費を支えるあなたの力です。
 まずは、森さんたちの心意気をお聞きください。
 ゲストは、
  森達也さん(映画監督)
  佐伯俊道さん(脚本家)
  井上淳一さん(プロデューサー)
  小林三四郎さん(プロデューサー)
 聞き手は、
  鈴木耕(編集者・ライター)
 収録は、2021年1月26日》

 森達也さん《歴史って何のためにあるか、僕たちは何のために歴史を学ぶのか、やっぱり同じ失敗をしないために学ぶんだと思うんですよね。でも今、特にこの国では、自分たちの失敗みたいなことに対して目を背けたがる傾向がとても強くなってて》。《記憶の澱》を封じ込め、歴史を美化し、暴走…。《加害者性》は無視され、《被害者性》ばかりが強調される。森監督は、さらに、《本当は加害の記憶をしっかり持たなきゃいけないと思う》《歴史修正主義は進み、かつて考えられなかったような発想が、現在の日本社会の主流になりつつある》とも。

   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
            …私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●<金口木舌>《「若い人たちに伝えるには記録に残すしかない」…
     77年前、勇ましい掛け声の中で日本は破滅に突き進んだ。戦争体験を…》

 昨年末のKSB瀬戸内海放送の記事【【特集】語り継がれなかった悲劇…森達也監督が「福田村事件」を映画化へ 香川】(https://news.ksb.co.jp/article/14027855)によると、《いま、97年前に起きたある事件が映画化に向けて動き始めています。関東大震災の直後、香川県から千葉県に行商で訪れていた一行が村の自警団に襲われて9人が殺害されました。福田村事件です。この事件を、発生から100年の節目となる2023年に映画化しようと、映画監督らが香川県を訪れました》。

 2019年09月18日 のKSB瀬戸内海放送の映像記事【【特集】関東大震災後の悲劇 「福田村事件」が問いかけるもの】(https://www.youtube.com/watch?v=TgC6HDj_QCw)によると、《ksb5ch 「福田村事件」をご存知でしょうか? 関東大震災直後の混乱の中、千葉県で、香川県から行商で訪れていた一行が朝鮮人に疑われたことをきっかけに殺されるという事件が起きました。それから96年の月日がたちました。事件を風化させないためには。そして、「福田村事件」が、現代に問いかけるものを考えます》。




 望月衣塑子さんつぶやき:

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https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1515835532173262849

望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI

【取材、執筆】今こそ作って欲しい映画。

来年は関東大震災から百年。
多くの在日朝鮮人がデマで虐殺され、福田村では朝鮮人と間違われた、被差別部落の出身の行商団9人が殺害された2歳の子どもや妊婦も巻き添えに

森達也監督らがクラウドファンディングを開始


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tokyo-np.co.jp

デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング:東京新聞 TOKYO Web

1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(...
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午前8:32  2022年4月18日
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 《瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない》。
 望月衣塑子記者による、東京新聞の記事【デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/172370)によると、《1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で自警団に殺害された。ドキュメンタリー作品で知られる映画監督の森達也さん(64)は、この「福田村事件」を題材に初めての映画づくりに挑む。震災から100年となる2023年の公開を目指し、映画製作の資金をクラウドファンディングで募っている。(望月衣塑子)》。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
     基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
    《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
    《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
     地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
     関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
     などデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と
     一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
     『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
     琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない
    《あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、
     演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を
     持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為を
     することか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた
     そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね》
    《でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕の
     シナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは
     生々しすぎて子ども番組の範疇を超えると…。それでこの場面は撮り直して
     拳銃に変わり、オンエアされた》

   『●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…上原正三さん「琉球人の俺も、
                        いたらやられていた。人ごとではない」
    《「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」
     「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている
     …「帰ってきたウルトラマン」…「怪獣使いと少年」…ただ自分の
     星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに
     扇動された一般市民が襲いかかる▼脚本は上原正三さん。一つの
     事件を題材にしている…▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」
     だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき
     「やっちまえあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる》

   『●この《レイシスト・歴史修正主義体質》な小池百合子東京「ト」知事に
        「2,912,628票」「3,661,371票」も投じてしまった都民の皆さん

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https://news.ksb.co.jp/article/14027855

【特集】語り継がれなかった悲劇…森達也監督が「福田村事件」を映画化へ 香川
2020/12/17 19:38

 いま、97年前に起きたある事件が映画化に向けて動き始めています。関東大震災の直後、香川県から千葉県に行商で訪れていた一行が村の自警団に襲われて9人が殺害されました。福田村事件です。

 この事件を、発生から100年の節目となる2023年に映画化しようと、映画監督らが香川県を訪れました。

(森達也 監督)
歴史って何のためにあるか、僕たちは何のために歴史を学ぶのか、やっぱり同じ失敗をしないために学ぶんだと思うんですよね。でも今、特にこの国では、自分たちの失敗みたいなことに対して目を背けたがる傾向がとても強くなってて。このテーマで一本映画を撮れれば、とは思ったことは確かですね」

 そう語るのはオウム真理教の信者たちを撮影した「A」など、多くのドキュメンタリー映画を世に送り出してきた森達也監督。

 福田村事件の映画化に向けて森監督や脚本家プロデューサーらが丸亀市にある香川人権研究所を訪れました。


大震災後に起こった“悲劇”…香川県からの薬売りの一行15人を自警団が襲撃

 1923年9月1日、関東大震災が起こり、被災地では大きな混乱が広がりました。

 朝鮮人による略奪や放火を伝えるデマが広がり、警戒を強めていた自警団などによる虐殺事件が相次いだのです。

     (【資料画像】埼玉県の自警団)

 9月6日、千葉県北部にある福田村でも香川県からの薬売りの一行15人が朝鮮人と疑われ、地元の自警団に襲われました。そして、妊婦や幼児を含む9人が殺され、遺体は利根川に流されたのです。

     (妊婦や幼児を含む9人が殺され、遺体は利根川に流された)

(森達也 監督)
「福田村の彼らは、残虐で冷酷な人たちなのか、絶対違うんですよ。家族思いの、あるいは村思いの、でもそんな人たちがなんかのきっかけで豹変する

     (香川人権研究所/喜岡淳 理事長)

(香川人権研究所/喜岡淳 理事長)
「被差別部落の場合は、地元で差別を受けやすいからよそへ行ったり、仕事に就きづらいので、自営業になる…」

     (朝鮮人による略奪や放火への警戒啓発を伝えるポスター)

 犠牲者は香川県内の被差別部落出身者でした。部落問題に詳しい人権研究所理事長の喜岡淳さんは、行商の形態や当時の香川県の状況について説明しました。

 事件には、部落差別から行商に出た一行が朝鮮人差別によって被害に遭うという、複合的な差別の問題がありました。


「被害者が“被差別部落出身”だから…」語り継がれることがなかった事件

 翌日、監督らは事件の被害者の出身地の被差別部落を訪れました。

 この地区出身で、千葉福田村事件真相調査会・元会長の中嶋忠勇さん(82)の案内で、被害者が住んでいた家などを見て回ったり、墓に手を合わせたりしました。

 福田村事件が世に知られるようになったのは、1980年代に香川県内で真相解明の動きが起こってから。事件から半世紀以上も経ってからです。

(千葉福田村事件真相調査会 元会長/中嶋忠勇さん[82])
「親父も何も言わなかったですね。誰も福田村に関しては、私たちの部落で発言した人はおりませんね」

 中嶋さんは18歳頃に兄から話を聞くまでは、この事件について全く知らなかったと言います。

(千葉福田村事件真相調査会 元会長/中嶋忠勇さん[82])
Q.被差別部落であったこと。それが(語り継がれなかった)原因の一つとしてあったとお考えでしょうか?
「あったと思います。僕の考えではね、あると思いますね」


加害の記憶をしっかり持たなきゃいけない

(森達也 監督)
「極論すれば、被害の側って偶然なんですよ、たまたまその場にいた人たち。でも、加害の側は、実は僕たちと一番つながっている部分で、100年前に僕が、関東にいて震災があって、村に住んでて、『朝鮮人が井戸に毒投げ入れてるよ』っていうふうな声を聞いたら、僕もくわかすき持って立ち上がってるかもしれないし、本当は加害の記憶をしっかり持たなきゃいけないと思う。そういう映画にしたいです」

 福田村事件を題材にした長編劇映画は、関東大震災からちょうど100年後の2023年9月1日公開を予定しています。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/172370

デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング
2022年4月18日 06時00分

 1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で自警団に殺害された。ドキュメンタリー作品で知られる映画監督の森達也さん(64)は、この「福田村事件」を題材に初めての映画づくりに挑む。震災から100年となる2023年の公開を目指し、映画製作の資金をクラウドファンディングで募っている。(望月衣塑子)

     (映画製作の資金を募るクラウドファンディングは15日から
      始まった(『福田村事件』(仮)製作運動体提供))


◆赤ん坊を抱き命乞いする母親まで

 1923年9月1日に関東大震災が起き、火災などが相次ぐと「朝鮮人が井戸に毒薬を投げた」といったデマが広がった。同4日、千葉県に戒厳令が敷かれ、朝鮮人らを取り締まる自警団が結成された。

 生存者の証言などによると、香川県の行商団15人は福田村にある利根川の渡し船の料金所で「言葉が変。朝鮮人ではないか」と疑われ、隣村含む数百人の村人が集まった。行商団は「いろはにほへと」と繰り返し言わされたり、「君が代」を歌わされたりしたが、疑いは晴れなかった

 その場にいた警察官が上司の指示をあおぐために現場を離れると、村人たちは一斉にすきや鎌で襲いかかり、赤ん坊を抱き命乞いする母親を竹やりで刺し、川を泳いで逃げる人を小舟で追いかけて日本刀やとび口で襲ったという。2、4、6歳の3人の子供と妊婦を含む9人が殺害された

 しかし、事件を巡る逮捕者は8人のみで、昭和天皇即位の恩赦ですぐに釈放された。生き残った被害者の6人は数十年間、沈黙を貫いたという。


◆「ナイーブ過ぎる」テレビでは断られ

 森さんは二十数年前、新聞で福田村事件の慰霊祭の記事を読んだ。村人が口を閉ざし、世間に知られていなかったことに衝撃を受け、テレビ番組で取り上げようとさまざまなプロデューサーに持ち込んだが、朝鮮人虐殺と部落差別の問題が重なり、「ナイーブ過ぎる」断られた

     (クラファン開始前夜祭「中川五郎ライブ+シンポジウム
      『なぜ日本映画は負の歴史を描いてこなかったか』で、
      映画製作への思いを語る森達也監督=3月31日、渋谷区の
      ロフトヘヴンで(樹よう子さん撮影・提供)」

 森さんは2年前、映画監督の荒井晴彦さんと井上淳一さんらが福田村事件を題材に映画製作に取り組んでいることを知る。その後、井上さんから提案があり、森さんが監督を務めることになった。

 東京都の小池百合子知事は2017年から、関東大震災での朝鮮人犠牲者を追悼する式典への追悼文の送付を取りやめた。政府は昨年4月、「従軍慰安婦」という表現は誤解を招く恐れがあるとして「慰安婦」とするのが適切とする答弁書を閣議決定。朝鮮半島から日本本土への労働者の動員を「強制連行」と表現するのも不適切とした。これを受ける形で、複数の教科書会社が教科書での表現を「従軍慰安婦」を「慰安婦」に、「強制連行」を「動員」などに変えた

 交流サイト(SNS)上では南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦はいなかったなどデマも拡散している。森さんは「歴史修正主義は進み、かつて考えられなかったような発想が、現在の日本社会の主流になりつつある」と話す。


◆「熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さ」

 それでも「映画はあくまでエンタメ。教条主義的なものや啓発的なものにする気はない。韓国映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』のようにエンタメとして楽しませながらも社会派の映画を作りたい」と意気込む。

 描きたいのは「被害者よりも加害者の側の視点。彼らは、恐らく普通のよき父であり、よき母であったかもしれない。リーダーやその場の空気に流されこうなってしまったのかもしれない。オウム真理教を描いたドキュメント映画『A』 『A2』でも描こうとしたのは、熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さだ」と強調する。

 ウクライナ侵攻についても「プーチン大統領に理は全くない。しかし、なぜ、冷静な政治家プーチンがこんな暴挙を犯したか、検証しようと言うだけで『プーチン支持か』と批判が来るかつて『オウムを応援するのか』と批判された時の声と重なる。ロシア軍機がウクライナの砲弾で撃ち落とされると歓喜に酔う群衆の声にぞっとする一色にものごとをみるな、と言い続けたい」 

 クラウドファンディングの詳細は、「A―port」内のプロジェクトページで確認できる。

【関連記事】森達也監督のテレビドキュメンタリー4作品、異例のDVD化 業界の自主規制に一石
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●【<金口木舌>島人のこころ】《沖縄出身の脚本家、上原正三さん…沖縄に対する日本本土の差別、無理解が創作活動の原点に》

2020年01月18日 00時00分13秒 | Weblog

【電子号外】有権者4分の1超確実 県民投票 知事、日米通知へ (琉球新報 2019年2月24日)↑]



内間健記者による、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]ウルトラマン 上原正三さんを悼む】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/520865)。
東京新聞のコラム【筆洗】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020011402000153.html)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>島人のこころ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1057120.html)。

 《宇宙人と暮らす身よりのない子どもが、周囲の人々から偏見の目で見られ、迫害を受ける。その結果、人のために怪獣と戦うことをためらう-。「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」だ。単なるヒーロー物にとどまらない内容…▼「怪獣使いと少年」は関東大震災で起きた朝鮮人虐殺事件がモチーフ。差別と集団心理の恐ろしさを描き、名作と名高い》。
 《▼「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」などの脚本家上原正三さんが亡くなった。八十二歳。千本を超える作品。昭和の怪獣少年たちには忘れられぬ大恩人である…▼「…憎しみがトークを鬼にしました。愛して許すことがトークを本当の姿に戻したのです」。アンヌ隊員の最後のセリフ。上原作品の原点だろう。今、見たい。》
 《沖縄出身の脚本家、上原正三さん…▼沖縄に対する日本本土の差別、無理解が創作活動の原点にあった。…▼約50年前、「帰ってきたウルトラマン」で差別問題に触れ「日本人は美しい花をつくる手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんなに残忍極まりない行為をすることか」というせりふを書いた》。

 《「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」などの脚本家上原正三さん》が、1月2日に、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 沖縄タイムスの記事【ウルトラマンを支えた沖縄出身の脚本家・上原正三さん死去】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/519697)によると、《上原正三さん(うえはら・しょうぞう=シナリオライター)が2日午後10時31分、肝臓がんのため死去した。82歳。…1937年、那覇市生まれ。中央大学卒。65年、円谷プロに入社し、66年「ウルトラQ」でデビュー。故金城哲夫さんと共に初期ウルトラマンシリーズの脚本を手掛けた。69年からはフリーとなり、「帰ってきたウルトラマン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「宇宙刑事ギャバン」など多くの作品でメインライターを務めた。2018年、自身の少年時代を描いた小説「キジムナーkids」(現代書館)で坪田譲治文学賞受賞》。

 《少数者への差別など、時に怪獣よりも恐ろしい人間の闇を描いた》脚本家だったようです。代表作は、「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」、《関東大震災で起きた朝鮮人虐殺事件がモチーフ。差別と集団心理の恐ろしさを描き、名作と名高い》。《「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」と》。《沖縄に対する日本本土の差別、無理解が創作活動の原点》。

 《ヘイトがはびこる今、私たちはこの言葉に反論できるだろうか78星雲へと旅立った島人の警鐘である》。

   『●日本社会は歪んでる: ネオナチやヘイトスピーチ集団に
                「信奉」される議員が取り巻くアベ様

   『●ヘイトスピーチ、自らの言論の自由を狭めている
   『●「とある暴力集団」による「暴力犯罪」、
           そして「歪んだ社会」ニッポン
   『●(政界地獄耳)《一方、日本では一体何が起きているか。
      官製嫌韓ヘイトをメディアがあおっているお粗末さだ》
   『●《記者…個人に140万円の損害賠償》SLAPP訴訟…
      川崎市議選元候補者が《「差別する自由」を求めている》?
   『●《京都朝鮮学校事件は…有罪が確定した、れっきとした
     暴力犯罪》…「歪んだ社会」の歪みは改善されただろうか?

 「怪獣使いと少年」を、《今回上原さんを偲(しの)び、円谷プロがネットで特別公開している》。リンクはこちらhttps://galaxy.m-78.jp/tv_9-6.html)。

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
     基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
    《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
    《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
     地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
     関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
     などのデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と
     一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
     『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
     琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない

   『●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…
     上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
    「瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし、警察や軍人らと共に狂気の暴走…
     「怪獣使いと少年」の脚本を書いた上原正三さんは「琉球人の俺も、
     いたらやられていた。人ごとではない」と。「関東大震災朝鮮人虐殺事件」は、
     とんでもない史実であり、反省の意味を込めて、長く記憶され、
     語り継がれなければならない。歴史を抹消し、修正することは許されない。
     「数」の議論に落とし込んでよいような事件ではない。「震災死」と
     同一視して良いものではなく、「人災」と呼ぶ人も居る。悍ましい虐殺だ」

   『●「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲?…
     「憲法9条…軍隊は禁止…子どもたちに、うそはいけない」

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/520865

[大弦小弦]ウルトラマン 上原正三さんを悼む
2020年1月12日 08:30

 宇宙人と暮らす身よりのない子どもが、周囲の人々から偏見の目で見られ、迫害を受ける。その結果、人のために怪獣と戦うことをためらう-。「帰ってきたウルトラマン」第33話「怪獣使いと少年」だ。単なるヒーロー物にとどまらない内容

▼脚本を書いたのは上原正三さん。初期ウルトラマンシリーズを故金城哲夫さんと支えた。その上原さんが亡くなった。82歳だった

▼那覇高校時代、「シェーン」に感動、脚本家を志望した。「俺は琉球人だ」との気概で上京した1955年当時、部屋を貸してもらえないなど沖縄差別を体験。しかし「俺の目で見てやる」とひるまなかった。「ウチナーンチュを標榜(ひょうぼう)してヤマトゥで生きる」。金城さんの誘いで円谷プロへ入り、66年に「ウルトラQ」でデビュー。特撮の黄金期を支えた

▼69年にフリーとなり「帰ってきたウルトラマン」でメインライターを務めた。「秘密戦隊ゴレンジャー」などヒット作を数多く手掛けた

▼「怪獣使いと少年」は関東大震災で起きた朝鮮人虐殺事件がモチーフ。差別と集団心理の恐ろしさを描き、名作と名高い。今回上原さんを偲(しの)び、円谷プロがネットで特別公開している

▼自伝的小説「キジムナーkids」で坪田譲治文学賞を受賞、活動の幅を広げていた。まだまだ新作に触れたかった。作品の数々に感謝したい。(内間健
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2020011402000153.html

【コラム】
筆洗
2020年1月14日

 <酋長(しゅうちょう)だの土人だの唐手(からて)だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように、世間の偏見達(たち)が眺めるあの僕の国か!>-。山之口貘の詩「会話」。「僕の国」とは山之口の故郷、沖縄である▼一九三五(昭和十)年発表の作品だが、その二十年後も沖縄への偏見は変わっていなかった。五五年、一人の若者が沖縄から上京する。沖縄出身と言うとけげんな顔をされた。「(沖縄には)土人もいるんでしょうね」と聞かれた。青年は答えた。「僕も土人です」▼「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」などの脚本家上原正三さんが亡くなった。八十二歳。千本を超える作品。昭和の怪獣少年たちには忘れられぬ大恩人である▼怪獣ものでありながら描いていたのは自身も味わった偏見や差別への怒りと悲しみだろう。「正義のヒーローより地べたから見上げる怪獣や世をすねた怪人に共感を抱いていた」と言う。怪獣や宇宙人にも事情がある。マイノリティーへの理解と情が作品に重厚さを加え、子どもたちをはっとさせた▼髪の毛が赤いという理由だけで地球人に迫害されたトーク星人の怒り。上原さんの「300年間の復讐(ふくしゅう)」(「ウルトラセブン」)はボツになっている▼「…憎しみがトークを鬼にしました。愛して許すことがトークを本当の姿に戻したのです」。アンヌ隊員の最後のセリフ。上原作品の原点だろう。今、見たい。
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1057120.html

<金口木舌>島人のこころ
2020年1月15日 06:00
ウルトラマン 沖縄戦 差別 金口木舌

 幼い頃、遊び仲間から「ちぶるまぎー」とからかわれた。そのおかげで「ウルトラセブン」に登場する怪獣チブル星人が気になった

▼後に沖縄出身の脚本家、上原正三さんと金城哲夫さんがウルトラマンシリーズに関わっていることを知った。上原さんの訃報に接し、幼少時の記憶がよみがえった

▼子ども番組に多くの作品を残した上原さんに「無風地帯」という習作がある。1958年、中央大学在学中に書いたもので、沖縄戦と米統治下の沖縄を描く

沖縄に対する日本本土の差別、無理解が創作活動の原点にあった。沖縄には土人もいるんでしょうと問われた上京当時の体験をコラムに書いている。「そんな無邪気な無知に対して『僕も土人です』と笑顔で答えたりもした」

▼あるインタビューで「沖縄は隆起サンゴ礁の島なんだ。島人(しまんちゅ)はね、そのサンゴ礁の呼吸に合わせて生きている」と語った。沖縄人の生き方を、オニヒトデの被害に遭っても蘇生するサンゴに例えた。上原さんも島人を任じたのであろう

▼約50年前、「帰ってきたウルトラマン」で差別問題に触れ「日本人は美しい花をつくる手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんなに残忍極まりない行為をすることか」というせりふを書いた。ヘイトがはびこる今、私たちはこの言葉に反論できるだろうか78星雲へと旅立った島人の警鐘である
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●「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲?…「憲法9条…軍隊は禁止…子どもたちに、うそはいけない」

2018年03月16日 00時00分37秒 | Weblog

[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]



沖縄タイムスの磯野直さんによるコラム【[大弦小弦]ウルトラマン生誕50周年を記念してNHKは昨夏、名作ベスト10…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/82131)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>子どもの内なる力】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-665492.html)。

 《▼日本国憲法は今年、施行70年を迎える。安倍晋三首相は20日の施政方針演説で「子や孫、未来を生きる世代のために、国民的な改憲議論を訴えた ▼そもそも「権力者を縛る」という立憲主義の理念からすれば、改憲議論を首相に指示されるのは筋違いだ。だが、それが国会でまかり通っている》。
 《▼特撮テレビ番組「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」…脚本担当の上原正三さん…物語のモチーフは関東大震災時の朝鮮人虐殺群衆が持つ恐ろしさや…》。


 《主人公が所属するのは科学特捜隊、ウルトラ警備隊、MAT(怪獣攻撃隊)など、いずれの組織にも「名称はない。上原さんら作り手の「日本には憲法9条があり、軍隊は禁止。まばたきもせず見てくれる子どもたちに、うそはいけないとの信念からだった》そうだ。
 アベ様やその信者の皆さんは、「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲したいそうだ? 《私たちを守ってくれる真のウルトラマンは憲法のはず》だというのに。そして、《主人公が所属するのは科学特捜隊、ウルトラ警備隊、MAT(怪獣攻撃隊)など、いずれの組織にも「名称はない。上原さんら作り手の「日本には憲法9条があり、軍隊は禁止。まばたきもせず見てくれる子どもたちに、うそはいけないとの信念からだった》そうだ。「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲したい人たちの気が知れない。

   『●前泊博盛さん「在日米軍は、本土から…ウルトラマンに
               見えるが、沖縄から見ると怪獣でしかない」
    《「国家の暴走を縛る憲法と立憲主義が、時の権力者の恣意で
     着物のように簡単に脱ぎ捨てられた米軍統治時代よりも
     ワジワジして(怒って)いる」。…真のウルトラマンは憲法》。
    「《前泊博盛(まえどまりひろもり)沖縄国際大教授(55)は言う。
     「在日米軍は、本土からは外国の脅威を倒してくれる
     ウルトラマンに見えるが沖縄から見ると怪獣でしかない
     私たちを守ってくれる真のウルトラマンは憲法のはず》。
     その「真のウルトラマン」を殺そうとしているのがアベ様ら自公および
     「癒(着)」党の議員達。「本土」の自公・「癒」党投票者の愚かさと、
     手も足も出ない「本土」マスコミの情けなさ」

 《関東大震災時の朝鮮人虐殺》をモチーフに「怪獣使いと少年」の脚本を書いた上原正三さんは「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではな」と言う。歴史を抹殺したい人々は、戦争できる国に逆戻りし、くら~い暗いアンナ世に戻りたいと思っているらしい。馬鹿じゃなかろうか。

   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(2/2)
    「朴慶南さん、「石原慎太郎の「三国人発言」などに
     怒りを露わにする彼女」。兄貴分は梁石日。
     「暴徒と化した日本人から朝鮮人のいのちを守った横浜の
     鶴見警察署長、大川常吉のことを知り、ペンで顕彰した」」

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
     基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
    《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
    《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
     地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
     関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
     などのデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と
     一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
     『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
     琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない

   『●自民党亜種トファの小池都知事が「震災時に
      朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」を…
   『●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…
     上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
    「瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし、警察や軍人らと共に狂気の暴走…
     「怪獣使いと少年」の脚本を書いた上原正三さんは「琉球人の俺も、
     いたらやられていた。人ごとではない」と。「関東大震災朝鮮人虐殺事件」は、
     とんでもない史実であり、反省の意味を込めて、長く記憶され、
     語り継がれなければならない。歴史を抹消し、修正することは許されない。
     「数」の議論に落とし込んでよいような事件ではない。「震災死」と
     同一視して良いものではなく、「人災」と呼ぶ人も居る。悍ましい虐殺だ」

   『●朝鮮人虐殺…黒澤明監督「何をかくそう、
     その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである」
   『●詩人萩原朔太郎「朝鮮人あまた殺され…
     われ怒りて視る、何の慘虐ぞ」: 歴史の事実を抹消したがる人々…

 マガジン9の鈴木耕さんによる記事【言葉の海へ 第2回:とても偏った読書案内(鈴木耕)】(http://maga9.jp/kotoba170906/)によると…:

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ものすごく面白い少年たちの物語 
『キジムナーkids』(上原正三/現代書館 1700円+税)…》

 実は、この小説もメインの舞台は沖縄である。前述の『キジムナーkids』は敗戦直後の焼け野原の話だったけれど、本書はいまの沖縄だ。
 出てくる人物たちが尋常じゃない。
 語り手である有馬次郎(ジロー)は世界を放浪した後で沖縄へたどり着き「精神科 うるま病院」の職員として働いている。この病院の院長の霧山は、かつて「60年安保闘争」の際、全学連を率いて30万人もの人間を動かし、国会を包囲した人物。霧山は闘争の後、沖縄へ移り住む。沖縄戦で傷つき心を病んだ人たちが多い沖縄でこそ精神医療が必要だという信念で、数十年間にわたって治療を続けてきた。
 しかし彼は今、末期がんに侵されている。
 霧山の周辺には、乙姫さまと呼ばれる「医者半分、ユタ半分」の不思議な老女や、かつてセックス教団と呼ばれた新興宗教に関わった副院長の田島など、実にさまざまな個性の人間たちが出没する。
 話は沖縄にとどまらない。ジローは、人工衛星の乗組員で友人のジムと交信している。宇宙から見える地球、地上のほんの小さなアジアの片隅の島で、駐留米軍の精神科医や、アメラジアンの青年たち、戦争PTSDを抱える患者などが必死に自分の道を探して生きようとする。
 かつて「全体小説という文学」ジャンルが野間宏氏らによって提唱されたことがあったと記憶するが、本書はまさに、地球全体を包含するような小説である。
 読者は、いったいどこへ連れていかれるのか分からない。だから引きずり込まれる小説の快感を味わう。読者の予想や想像をまったく寄せ付けない流れは、真の意味での「読書の快感」なのだ。
 やがて「GRANDMOTHERS COUNSEL」という老齢女性(国際的おばあたち)集団が現れ、沖縄での「平和の祭典」開催が図られる。ここからの急展開も、読者の先読みを許さない。
 そして、静謐な終幕。
 少し前のツイッターで、ぼくは早々と「これは今年のNO.1だ」と書いてしまったが、その感想は再度ページをめくってみても変わらない。「この小説は今年のNO.1である」と、改めて断言したいと思う。
 ここでもひとつ付け加えておこう。著者は高名な小説家だが、現在73歳である。この年齢でこれだけの想像力(創造力でもある)を自分のものとしている精神の若さには驚かされる。

ものすごく大切なルポルタージュ
ルポ沖縄 国家の暴力――現場記者が見た「高江165日」の真実』(阿部岳/朝日新聞出版 1400円+税) ………
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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/82131

[大弦小弦]ウルトラマン生誕50周年を記念してNHKは昨夏、名作ベスト10・・・
2017年1月31日 08:04 磯野直 ウルトラマン 憲法

 ウルトラマン生誕50周年を記念してNHKは昨夏、名作ベスト10を視聴者の投票で決めた。1位は「ウルトラセブン」の最終回「史上最大の侵略」、2位は「帰ってきたウルトラマン」の第33話「怪獣使いと少年

▼属性で人を差別しない大切さを描いた「史上-」の脚本は故金城哲夫さん、日本人の集団心理の恐ろしさを告発した「怪獣-」は上原正三さん(79)。「金城と2人、沖縄でワンツーを取ったんだよ」と上原さんは喜ぶ

▼主人公が所属するのは科学特捜隊、ウルトラ警備隊、MAT(怪獣攻撃隊)など、いずれの組織にも「名称はない。上原さんら作り手の「日本には憲法9条があり、軍隊は禁止。まばたきもせず見てくれる子どもたちに、うそはいけないとの信念からだった

▼日本国憲法は今年、施行70年を迎える。安倍晋三首相は20日の施政方針演説で子や孫、未来を生きる世代のために、国民的な改憲議論を訴えた

そもそも「権力者を縛るという立憲主義の理念からすれば、改憲議論を首相に指示されるのは筋違いだ。だが、それが国会でまかり通っている

▼「夢のある世界を子どもたちに」との思いで脚本を書き続けた上原さんの次回作は、全編しまくとぅばを話す沖縄発のヒーロー物という。必殺技は光線や武器を使わず、敵を説得すること。見たい。(磯野直
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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-665492.html

<金口木舌>子どもの内なる力
2018年2月15日 06:00

 孤児の少年は「宇宙人だ」と言われ、いじめられた。小屋で老人と二人暮らし。その老人こそが宇宙人で、体は地球の環境汚染でむしばまれていた。少年は老人の星で一緒に暮らす夢を抱く。難破した宇宙船を探すため、必死に穴を掘る

▼特撮テレビ番組「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」である。老人は「宇宙人は殺せ」と押し寄せた住民から少年を守り、警官の銃弾を浴びて死ぬ。このため老人が念力で封印していた怪獣が現れる

▼ウルトラシリーズ最大の問題作とされる。テレビ会社幹部から「結末が陰惨」などと酷評され、放映する代わりに監督は助監督に降格、脚本担当の上原正三さん(那覇市出身)も最終回まで干された

▼上原さんによると、物語のモチーフは関東大震災時の朝鮮人虐殺群衆が持つ恐ろしさや、いじめられても夢に向かって穴を掘る少年を描きたかったという

▼上原さんはこのほど、優れた児童文学に贈られる坪田譲治文学賞を受賞した。作品は沖縄戦直後、戦争で傷ついた少年たちがたくましく生きる物語「キジムナーkids

▼上原さんは、子どもには「透視能力」があるという。それが戦後の混乱を生き抜いた原動力だと。「魔法の目」は、はるかかなたに光を見いだし、生きる糧にする。そんな子どもの内なる力を大人たちは忘れていないか-。上原さんの問い掛けは続く。
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●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」

2017年09月02日 00時00分33秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017082702000141.html

 《「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている)…「帰ってきたウルトラマン」…「怪獣使いと少年」…ただ自分の星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに扇動された一般市民が襲いかかる▼脚本は上原正三さん。一つの事件を題材にしている…▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき、「やっちまえのあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる》。

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
     基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
    《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
    《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
     地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
     関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
     などのデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と
     一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
     『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
     琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない
    《あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、
     演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を
     持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為を
     することか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた
     そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね》
    《でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕の
     シナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは
     生々しすぎて子ども番組の範疇を超えると…。それでこの場面は撮り直して
     拳銃に変わり、オンエアされた》

 瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし、警察や軍人らと共に狂気の暴走…「怪獣使いと少年」の脚本を書いた上原正三さんは「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」と。「関東大震災朝鮮人虐殺事件」は、とんでもない史実であり、反省の意味を込めて、長く記憶され、語り継がれなければならない。歴史を抹消し、修正することは許されない。「数」の議論に落とし込んでよいような事件ではない。「震災死」と同一視して良いものではなく、「人災」と呼ぶ人も居る。悍ましい虐殺だ。
 《やっちまえのあの怪物》をニッポンの社会に解き放ちたいらしい…トファ小池百合子都知事のヘイト体質が奇しくも露見してしまった。そして、トファの小池氏は、《琉球》に対するバッシングを行い、また、《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み》な「尊い犠牲」論者でもある。

   『●高江破壊: 「沖縄・地域住民弾圧隊」による
      「市民に対する暴虐としか言いようのない異常な光景」
    《リテラ…『酷すぎる安倍政権の沖縄いじめ…米軍属事件対策の
     防衛省パトロール隊が基地反対派を監視!
     小池百合子も沖縄ヘイト』…小池百合子・東京都知事候補も、
     沖縄バッシングに加担してきた人物だ。沖縄担当相だった
     2006年には、「沖縄とアラブのマスコミは似ている。超理想主義で
     明確な反米と反イスラエルだ。それ以外は出てこない」などと、
     百田氏と同様に沖縄メディアを批判。13年3月に開かれた自民党
     国防部会でも、「沖縄のメディアが言ってることが県民すべてを
     代表しているわけではない」と述べている。…沖縄はとやかく言うな
     黙って犠牲となれ。政府も、安倍首相や小池百合子氏といった
     極右議員も、ネット右翼も、結局は沖縄を戦中と変わらない「捨て石」だ
     と見ている。それは「国に、権力に楯突くな」という全体主義の空気と
     密接につながっている問題だ…小池百合子氏の「思いやり予算よ
     という暴言

   『●「選挙上手・戦略家」氏は羽衣の下には剣と鎧を纏い、
                 スネにもお金にまつわる多数の傷が…
   『●宇都宮健児さん、「小池さんが東京でカジノをやろうとしたら、
                 猛烈な反対運動をやらなければいけないな」
   『●2017年都議会議員選挙: 「「安倍政治」を許さない」
          →自民党亜種・トファや公明に投票? 理解不能
    「「ト」な日本会議関連議員らしいし、沖縄ヘイト体質だし、アベ様の
     オトモダチ百田尚樹センセと同じ体質。壊憲志向、権力志向…
     ため息ばかりだ。小池氏は、選挙が終わるや否や直ぐさま、
     トファ代表を辞任し、新代表にその座を譲ったそう。巷間、
     「クラス担任があっさり交代」「学級崩壊」が…。新代表野田数氏って、
     大丈夫ですかね? 《地域政党「東京維新の会」》ねぇ…、
     《アントニオ猪木参議院議員の政策担当秘書》ねぇ…、
     《東京維新の会時代の2012年10月には日本国憲法無効論に
     基づく大日本帝国憲法復活請願を東京都議会に提出》ねぇ…(←ココ)。
     大丈夫か?」

   『●室井佑月さん「小池都知事…考え方は安倍首相に近い」
            「自民党っていう看板を付け替えただけじゃん」
   『●「文書が不存在」…トファ小池都知事の脳内AIという
           超単純回路な「ブラックボックス」で「政策判断」
   『●権力内での席替え: 無言「……」で「のり弁」での
      チョッピリ情報開示…自民党亜種トファ的な情報非公開

    「「のり弁」のブーメラン。無言「……」で「のり弁」でのチョッピリ
     情報開示…まさに、自民党亜種トファ的な情報非公開な予想通りの
     展開。報道機関からのトファ議員へのアンケートなどにも拘束を
     かけているとのことで、この党の体質があらわになっています。
     また、小池都知事は、依頼を受けていた
     関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったそうです。
     小池都知事のヘイト体質も露わになりつつあります」

   『●自民党亜種トファの小池都知事が「震災時に
      朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」を…

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017082702000141.html

【コラム】
筆洗
2017年8月27日

 「みんな、こいつを生かしておくとなにをしでかすかわかンねエぞ、なんしろ、宇宙人だ」「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている)▼一九七一年放映の「帰ってきたウルトラマン」の「キミがめざす遠い星」。テレビ放映時のタイトルである「怪獣使いと少年」の方がなじみが深いか。ただ自分の星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに扇動された一般市民が襲いかかる▼脚本は上原正三さん。一つの事件を題材にしている。一九二三(大正十二)年の関東大震災の朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマにあおられた人々によって朝鮮人らが殺された。差別、人間の集団心理の恐ろしさを沖縄出身者として、この作品で描きたかった▼その朝鮮人犠牲者の追悼式。小池百合子東京都知事は歴代知事が応じてきた追悼文の送付を今年は断った。突然の方針転換である▼都慰霊協会主催の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表しているためとは説明になっていない。「虐殺の事実を否定するもの」と批判されても仕方があるまい▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき、「やっちまえのあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる。
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●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」

2016年10月16日 00時00分01秒 | Weblog


沖縄タイムスの磯野直記者によるインタビュー記事【ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/26034)。

 《少数者への差別など、時に怪獣よりも恐ろしい人間の闇を描いた》。

 《『ウチナーンチュを標榜して、ヤマトゥ(本土)で生きる』が僕のテーマ》という沖縄出身脚本家・上原正三さんのインタビュー。「沖縄差別」は今も続いているし、意地悪く「地域の住民同士を分断」させている。まさに「捨て石」を強いている。
 《「ある日、現場で『復帰おめでとう』と言われた。何がめでたいんだ沖縄があれだけ求めた基地の撤去要求は無視されてさ『復帰』は、米国の一元支配から日米のダブル支配になるだけだと考えていた」 「このままだと、沖縄は翻弄(ほんろう)され続ける…》と言う。その予感は的中したようだ。《薩摩侵攻で、琉球王国を占拠した400年前の強引さが今も続く民意を顧みず、基地を押し付ける政府の態度は沖縄を植民地としてしか見ていない証拠だ。これが差別なんだ》。「本土」はあまりにも無自覚だ。政治的には沖縄の市民の「民意」は明らかに示され、それでも、例えば、辺野古破壊や高江破壊は続く。司法も当てにならず、「本土」マスコミも大きく取り上げることは少ない。《沖縄は翻弄され続け》ている。

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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/26034

ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー
2016年3月27日 11:00

9秒でまるわかり!
 ☑ウルトラマンを支えた、もう一人の沖縄出身脚本家・上原正三さん
 ☑少数者への差別など、時に怪獣よりも恐ろしい人間の闇を描いた
 ☑盟友・金城哲夫さんの思いを継ぎ、沖縄発のヒーローを企画中

     (「自立する人間になってほしいと願い、子ども番組を作っている」
       と語る上原正三さん=2月22日、神奈川県内)


 沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。

 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。

 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直)


■疎開船とケチャップの味

―那覇市久米で生まれ育った。

 「父敬和は警察官で、僕は5人きょうだいの3番目。久茂地川が今よりも広くてきれいで、よくガザミを捕って遊んだ」


 ―戦争体験は。

 「1944年7月にサイパンが陥落すると、住民は戦闘の足手まといになるという理由で、日本軍が疎開を奨励した。でも、ウチナーンチュ(沖縄の人)は先祖の土地からなかなか動かない。それで『官公庁の家族から行け』となり44年9月ごろ、父を残して母文子ら家族6人で台湾に向かった」

 「1カ月後、一度沖縄に戻ろうと、10月10日に那覇へ着く予定の船に乗った。途中、急に台風が来て西表に避難している間、那覇が大空襲で壊滅した。僕らの船は行き場を失い、約2週間、海を漂流した」


 ―死を覚悟したか。

 「寝る時は家族6人、手首をひもで縛った。母は『離れ離れにならないように』としか言わないけど、7歳の僕でも死を覚悟した。回りは希望のない顔をした大人ばかりだからね、見れば分かるよ。米軍に制空権を奪われ、潜水艦もうようよいただろう。でも奇跡的に鹿児島に着き、熊本の円萬寺という寺で終戦まで疎開した」

 「2週間の漂流中、食べ物がないからケチャップだけをなめていた。だから、79歳の今もケチャップが食べられない」


 ―お父さんは沖縄で、地上戦を体験した。

 「糸満署長として住民を引き連れ、南部を逃げ回っていたらしい。住民と一緒に亀甲墓に隠れていて、日本軍に追い出されたこともあったという。どこをどう逃げたか全く分からず、摩文仁(まぶに)で死にかけているところ、捕虜になった。戦後、体験を一切語らなかったよ。左耳は全く聞こえなくなっていた。でも、僕ら家族は熊本で『勝った』としか言わない大本営発表をうのみにしているから、父たちが悲惨な戦場を逃げ回っているなんて、思いもしなかった


 ―46年、米軍占領下の沖縄に帰郷する。

 「戦後、父は石川署長になっていて、石川市(現うるま市)で数カ月を過ごした後、百名小(現南城市)の3年生になった。警官の子なのに、学校が終わると米軍基地に潜り込み、戦果アギヤーを繰り返す悪ガキだった」


 ―映画との出合いは。

 「那覇高時代、朝から晩まで映画を見ていた。ヌギバイ(ただ見)でね。『シェーン』に感動し、高校生なのに早撃ちごっこするディキランヌー(劣等生)が観客では飽き足らなくなり、自分で作りたくなった。同級生に『ヤマトゥグチ(標準語)も分からんのに、シナリオ書けるのか』とからかわれたけど卒業後、意気揚々と東京に向かった」


■上京、これが「琉球人お断り」か

 ―55年当時、本土での沖縄差別は露骨だった。

 「高1の時、東京で暮らす親戚が『九州出身』にしていると知った。しかも本籍まで東京に移してさ。これは突き詰める必要があると。『俺は琉球人だ』との気概で東京に乗り込むと、親戚は歓迎してくれない。キャンディーやチョコ、リプトンの紅茶など、基地でしか手に入らない土産を嫌がったな。その後、僕も部屋を貸してもらえなかった。これが『琉球人お断り』かと知った


 ―それでも、ひるまなかった。

 「『ウチナーンチュを標榜(ひょうぼう)して、ヤマトゥ(本土)で生きる』が僕のテーマ沖縄を差別するヤマトゥンチュとはどんな人種なのか俺の目で見てやる。そんな青臭い正義感を抱いて、60年がたつ」


 ―東京で浪人後、中央大学に入った。

 「でも授業には出ず、映研か映画館通いの毎日。アマチュア時代、沖縄戦や基地以外のテーマで脚本を書いたことはない。俺が伝えなきゃ誰がやるってね」


 ―1歳下の故金城哲夫さんとの出会いは。

 「卒業後、東京で同人誌用の脚本を書いていたが肺結核になり、25歳で帰沖した。那覇で療養しながら、テーマを探してコザの基地の街や嘉手納基地周辺をウロウロしていたよ。ある日、母の友だちに『あなたみたいな映画好きがいる』と教えられ、会いに行ったらそれが金城。ちょうど映画『吉屋チルー物語』を編集していた」


 ―どんな印象だったか。

 「俺が沖縄の現実を映画で告発しようと考えている時、金城が作っていたのは遊女の悲恋物語。俺が琉球人として生きる決意した時、あいつは玉川学園で『金星人と握手する会』を作って活動していた。発想のスケールが大きすぎるんだよ」


 ―その後、金城さんは特撮の円谷プロに入る。

 「63年、金城の誘いで東京に行き、特撮の神様・円谷英二さんや長男の一さんに会わせてくれた。一さんは『プロの脚本家になりたいなら、まずは賞を取れ』とアドバイスをくれた」

 「それで沖縄に戻り、沖縄戦をテーマに『収骨』を書いた。国の64年度芸術祭のテレビ脚本部門で佳作入選したんだ。65年1月、鼻高々で円谷プロを訪ねたよ。ちょうど円谷プロ初の特撮テレビドラマ『ウルトラQ』の制作中で、金城は僕のためだけに上映会をしてくれた。見たのは放送前の宇宙怪獣ナメゴン(第3話『宇宙からの贈りもの』)と、巨大サルのゴロー(第2話『五郎とゴロー』)で、僕はただただあんぐり…。『吉屋チルー物語』にも驚いたが、特撮怪獣物には本当に驚いたよ」

     (上原正三さんのテレビ脚本「収骨」が文部省芸術祭で佳作入選した
      ことを伝える紙面(1964年10月9日付沖縄タイムス朝刊)


■「沖縄はタブーだ。テレビではできない」

 ―当時、TBSのエース監督だった円谷一氏は「収骨」をどう評価したのか。

 「円谷プロで再会した一さんは、受賞は喜んでくれたけど『沖縄はタブーだ。政治なんだよ。テレビでは絶対にできないぞ』って…。TBSのドラマは他局より秀でていたが、反戦の名作『私は貝になりたい』などは右翼に攻撃されてね。テレビ局は、政治的なテーマにピリピリしていた。代わりに、一さんは僕に『ウルトラQ』を書けと勧めてくれた」

 「で、書いたのが『オイルSOS』。ヘドロから生まれた怪獣が、石油タンクに吸い付いて巨大化するという話。沖縄戦がだめなら、水俣病をテーマにやってみようとした。一さんのゴーサインが出てね。石油会社を訪ねたら『どうぞロケでお使いください』と言う。あの高い石油タンクの上から景色を眺めると、天下を取った気分になったよ。沖縄は無理でも、公害問題を告発できると喜んだ

 「でも結局、石油会社がロケを断ってね。発注した怪獣ボスタングの着ぐるみが出来ちゃっていたから、急きょ『宇宙指令M774』という話を書き、それが『ウルトラQ』の第21話になった。試写室のスクリーンいっぱいに映像が映し出されたら、感激したよ。これがプロデビュー作」


 ―金城さんの誘いで円谷プロの社員になる。

 「金城が企画文芸室長で僕が副室長。66年1月から始まった『ウルトラQ』がヒットし、さらに66年7月に始まった『ウルトラマン』で、円谷プロは隆盛期を迎えた。金城は常にその中心にいてね。67年10月から始まった『ウルトラセブン』も、『ウルトラマン』ほどではないが視聴率は取れていた。金城の書く作品は本当に素晴らしかったよ。特に、メーンライターを務めた『ウルトラQ』『ウルトラマン』、そして『ウルトラセブン』の最終回は彼の真骨頂だ」

     (円谷プロ時代の上原正三さん=1967年ごろ(上原さん提供))


 ―しかし、怪獣ブームは去ってしまう。

 「円谷プロ初の1時間番組『マイティジャック』が68年4月から始まったが視聴率が悪く、赤字を累積させた。それで円谷プロは金城を降格させ、切った。あれだけの功労者を会社は切ったんだ。金城は見るからに意欲を失ってしまった」

 「そんな中、『怪奇大作戦』(68年9月~69年3月)で、金城がTBSの橋本洋二プロデューサーに『対馬丸事件を題材に、シナリオを一本書く』と宣言したことがある。でも、結局書けなかったよね。金城は沖縄戦の時、家族で南部戦線を逃げ回った。おふくろさんが艦砲射撃で片足を失ってね。あまりにも過酷で、生々しくて…。結局、沖縄戦については何も書かないまま死んでしまったけど、見たかったよな」

 「金城はその後、数本書いたけど、魂のない作品だった。69年2月、失意のまま妻と3人の子を連れて沖縄に帰ってしまった。会社は僕に残れと言ったが『金城のいない円谷に魅力はない』と言って辞め、フリーになった。結婚直前だったけど、もし思いとどまっていたら今の僕はない。退社は69年2月。なのに、妻の光代と5月に結婚し、失業保険で6カ月間暮らした。映画『グレン・ミラー物語』をなぞらえ、お金がなくても幸せになれるんだと妻に言い続けて47年が過ぎたよ」


■仮面ライダー誕生、そしてウルトラ復帰

 ―フリーになり、「仮面ライダー」の誕生にも関わったと聞く。

 「企画の段階で原作者の石ノ森章太郎が、テレビ局ともめていた。テレビ局はウルトラマンのようなヒーローを期待しているのに、石ノ森が作って提案したのはバッタをモチーフにしたキャラクターだったから嫌がり、お互いの意見が平行線だった」

 「そのころ、『柔道一直線』(69年6月~71年4月)を手掛けていた僕に、『話し合いに入って、石ノ森の援護射撃をしてくれ。テレビ局を説き伏せてくれ』との依頼が来た。それで、同じ脚本家の故市川森一と一緒に、話し合いの場に乗り込んだ。控室で『仮面ライダー』の絵を見せられた時は、正直『えーっ、本当かよ…』と絶句したよ。それでも、会議では石ノ森のアイデアがいかに素晴らしいかを力説した」

 「僕が『ウルトラマンのコピーをやってもだめだ。このキャラクターには未来がある』などと演説すると、隣で市川が『そうだ』と合いの手を入れる。当時、僕と市川といえば子ども番組の脚本家として知られつつあったから、テレビ局側も『そんなに言うなら』と渋々認めてくれた。それで、そのまま『仮面ライダー』を立ち上げてくれと言われ、準備を進めた。主役の藤岡弘やヒロインの島田陽子があいさつに来たよ」


 ―しかし、再び円谷プロから誘いが来た。

 「TBSの橋本プロデューサーから『ウルトラマンをもう一度やるから戻ってこい』との連絡が来た。一度は下火になった怪獣物だったが、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』が再放送されると人気が再燃していた。それで新作を作ることになり、僕は『仮面ライダー』を離れた」


 ―企画のさなかの70年1月25日、円谷英二氏が亡くなる。

 「それで、長男の一さんがTBSを辞めて円谷プロの社長になり、『新しいウルトラマンで、おやじの弔いをやるんだ』と意気込んだ。『帰ってきたウルトラマン』(71年4月~72年3月)は、お鉢が回るような感じで僕がメーンライターになった。すると、円谷プロは第1、2話の監督に映画『ゴジラ』の本多猪四郎さんを連れてきた。巨匠だよ。まさに円谷プロの決意の表れ、おやじさんの弔いへの熱意の表れだね。でも、俺は何を書けばいいのかとびびってしまった」

     (「快獣ブースカ」を撮影中の上原正三さん(左)と故金城哲夫さん(右)
       =1967年ごろ(上原さん提供))


■2人のウルトラマン

 ―金城さんのウルトラマンとは。

 「無風快晴。一点の曇りもない。彼のウルトラマンは伸びやかさがみなぎるんだ。物事をまっすぐに見つめ、マイノリティーの視点を持ちながらも抑制を効かせ、ファンタジーに収めていた。50年前の作品なのに、今も魅力が全然失われない。現在までいろいろなヒーローが誕生しているが、いまだに初代ウルトラマンを超えるキャラクターはない

 「初代ウルトラマンの第30話『まぼろしの雪山』で山奥に暮らす怪獣ウーを攻撃する科学特捜隊を、少女が猛烈に批判する。金城にもそういう反戦的な部分、圧倒的な力で制圧することへの反発はあったと思う。僕も金城もウチナーンチュだから、無意識の部分でもマイノリティーの視点を持っている

 「でも金城は明るい男。意識的にそういうテーマを表に出さず、抑制を効かせていた。『ウルトラセブン』の第42話『ノンマルトの使者』に沖縄を投影させたという説があるけど、金城はそんなに意識していなかったと僕は思う。ファンタジーの中でしっかりと収めるのが、金城のウルトラマン作品のすごさだ」


 ―それでは、上原さんのウルトラマンは。

 「金城のウルトラマンは一つの完成形。そのコピーでは、やる意味がない。仰ぎ見る主人公ではなく、町工場で働く兄ちゃんが困難にぶつかりながら成長していく物語にした。近未来ではなく、公害が深刻だった70年代の東京を舞台に、リアリティーの追求に腐心した。例えば怪獣がビルを壊すと、僕は人々ががれきの下敷きになる場面を作る。これは金城にはない発想。でも僕はやる」

 「初代ウルトラマンと変身するハヤタは一心同体だけど、意思はどちらにあるのかはぼんやりした設定になっている。それで僕のウルトラマンは、変身する郷秀樹の意思を持つ設定にした。また、初代は仰ぎ見るイメージだけど、僕のウルトラマンは子どもの目線に下げようとした」

 「だから『帰ってきたウルトラマン』は僕をはじめ、いろいろなライターがやりたい放題にやっているよね。初代『ウルトラマン』のような透明感はなく、斜(はす)に見た感じの物語が主流になっていった」


 ―「帰ってきたウルトラマン」の第11話「毒ガス怪獣出現」は、金城さんの脚本だ。

 「金城が東京に出てきた時、一さんが書かせた。当時、大問題になっていた(沖縄の)知花弾薬庫での毒ガス貯蔵をテーマにしたけど、あまりにもストレートな告発で、金城の真骨頂である伸びやかさがない。自分を曲げて書いたのだろう。結局、それが金城のウルトラシリーズ最後の脚本になった。つらかっただろうな。一点の曇りもない『帰ってきたウルトラマン』を書いてほしかった」


 ―放送時の71年、沖縄は「日本復帰」直前だった。

 「ある日、現場で『復帰おめでとう』と言われた。何がめでたいんだ沖縄があれだけ求めた基地の撤去要求は無視されてさ『復帰』は、米国の一元支配から日米のダブル支配になるだけだと考えていた」

 「このままだと、沖縄は翻弄(ほんろう)され続ける。一さんの『沖縄はタブーだ』がずっと胸に引っかかっていて、いつか差別、マイノリティーを真正面から問おうと考えていた。番組も3クール目に入り、安定期に入っていた。やるなら今だと…」


■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇

 ―それで、第33話「怪獣使いと少年」ができた。

 「登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』などのデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない


 ―今見ても生々しく、よく放送できたなと思う。

 「僕が何をやろうとしているのか、TBSの橋本プロデューサーは当初から知っていたよ。だって最初にプロットを見せるから。プロデューサーの権限は絶対だけど、だめと言われたら企画は通らない。でも、『書け』と言ってくれたよ」

 「あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為をすることか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね」


 ―すんなり放送できたのか。

 「いや、試写室でTBSが『放送できない』と騒ぎ出した。橋本プロデューサーが『上原の思いが込められた作品だから放送させてくれ。罰として、上原と東條を番組から追放する』と説き伏せて放送させた」

 「でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕のシナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは生々しすぎて子ども番組の範疇(はんちゅう)を超えると…。それでこの場面は撮り直して拳銃に変わり、オンエアされた。結局、僕はメーンライターを辞めさせられたけど、橋本さんには感謝しかない」


 ―最終回の第51話「ウルトラ5つの誓い」は、上原さんが手掛けている。

 「これはお情けで書かせてもらった。第1話を書いたライターが、最終回を書くという掟があるからね」


 ―放送から45年がたつ。

 「ヘイトスピーチなど、日本は45年前よりひどい状況だと思う。付和雷同した群衆ほど恐ろしいものはない。だから、自分の目で物事を見てどう生きるかを考え、自分の足で立つ子に育ってほしいと願い、子ども番組を作り続けてきたつもりだ」


     (「テレビは社会問題をストレートに描くのは嫌がるけれど、
      怪獣を使って描いたりすれば、結構いろいろなことができた」
      と話す上原さん=2月22日、神奈川県内)


■心の中に謝名親方がいる

 ―子ども番組ではなく、大人のドラマを書こうとは思わなかったのか。

 「ある時、市川森一が『子ども番組を卒業し、東芝日曜劇場を書かないか』と言ってきたんだ。なら、沖縄戦を描いた『収骨』ができるのか。絶対にできないわけだよ。かと言って、ヤマトの人の暮らしぶりを琉球人の自分が書いても、ろくな作品はできない。それよりも、自分を必要としてくれる子ども番組で頑張ろうと決めた。『秘密戦隊ゴレンジャー』(75年4月~77年3月)などは当初、プロデューサーが不安がっていたわけだよ。絶対にヒットするからと説き伏せた結果、今も続く戦隊ヒーロー物の先駆けになった」


 ―沖縄と日本の関係について、どう考えるか。

 「独立も含めて一度関係をリセットし、どうするかを真剣に考える時期が来ている。薩摩侵攻で、琉球王国を占拠した400年前の強引さが今も続く民意を顧みず、基地を押し付ける政府の態度は沖縄を植民地としてしか見ていない証拠だ。これが差別なんだ

 「薩摩侵攻の時に捕らえられ、2年間幽閉されても薩摩への忠誠を拒否したため、処刑された謝名親方(琉球王国の大臣)が僕の先祖。18歳の時、琉球人の誇りを持って東京に来てから60年、僕の心の中にはいつも謝名がいる」


 ―「ウルトラセブン」で「300年間の復讐」という、映像化されなかったシナリオを書いている。

 「武器を放棄した友好的な宇宙人が地球に来て人間と仲良くしようとするけれど、『髪が赤い』という理由で皆殺しにされるストーリーを書いた。これは薩摩による琉球侵攻がヒント。武器のない琉球に、鉄砲で武装した薩摩軍が攻めてくる。赤子の手をひねるような、一方的な虐殺だっただろう


 ―これが映像化されなかった理由は。やはり「政治的」だからか。

 「いや、これは映像化するとお金が掛かりすぎるという、単に予算的な問題だった。テレビは社会問題をストレートに描くのは嫌がるけれど、怪獣を使って描いたりすれば、当時は結構いろいろなことができたんだよ」


 ―残りの人生で、手掛けたい仕事は。

 「金城が沖縄に戻る時、『一緒に帰ろう。企画会社を立ち上げ、沖縄発の作品を作ろう』と僕を誘った。僕はまだペーペーで断ってしまい、彼は37歳で亡くなった。金城がやろうとしたことを今、仕掛けようとしている。しまくとぅばを話すキャラクター番組を、世界中に配信できる沖縄発のヒーローを企画中だ」

 「言葉を奪われた民族はアイデンティティーを失い、従順になりやすい侵略者の常套手段だ。沖縄の子どもたちが番組を楽しみながら、ウチナーグチの勉強ができればいい。それが僕にとっての琉球独立。400年前に奪われたアイデンティティーや言葉を50年、100年単位で取り戻していかないと。その種まきをして、タンメー(おじいさん)は死にたい」


 ―金城さんとの約束を果たすということか。

 「それでは話が美しすぎる。このキャラクターで、金城の初代ウルトラマンを絶対に超えてみせる。今は日本もハリウッドも後ろ向きでコピーばかり。作家の気概がなさすぎるんだ」(了)


 【プロフィル】うえはら・しょうぞう 1937年2月6日、那覇市久米生まれ。中央大学卒。64年、「収骨」が芸術祭テレビ脚本部門で佳作入選。66年、「ウルトラQ」の第21話「宇宙指令M774」でプロデビュー。円谷プロを経て69年にフリーとなり、「帰ってきたウルトラマン」「がんばれ!!ロボコン」「秘密戦隊ゴレンジャー」「がんばれ!レッドビッキーズ」「宇宙刑事ギャバン」アニメ「ゲッターロボG」など多くの子ども番組でメーンライターを務める。著書に「金城哲夫 ウルトラマン島唄」「上原正三シナリオ選集」。
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