[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様…日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]
レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 第267回/映画館の灯よ、消えないでくれ】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0413eiga)。
東京新聞の社説【週のはじめに考える コロナ禍と民主主義】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020041202000168.html)。
本田コッペ氏による、リテラの記事【杏が加川良の『教訓Ⅰ』の弾き語り動画をアップ! “国のために命を捨てる”バカバカしさを歌う反戦歌に込めた思いとは】(https://lite-ra.com/2020/04/post-5373.html)。
《映画館の灯が消えた。4月8日から「緊急事態宣言」によって休業に追い込まれたからだ。当日の新聞各紙の夕刊でもこの問題が報じられていた。上映劇場のスケジュール表も休載になった。苦しい経営を迫られている単館のミニシアターを励ます荒井晴彦や是枝裕和らの映画人による「ミニシアターを救え」の署名や、映画に無関心な政府に「緊急支援の要望」の活動が行われている折でもあり、ミニシアターはいっそう苦しくなるだろう。映画は昔も今も、ドラマなどを介して世界中の人生社会を学ぶ宝庫であり、その国の文化の先端をゆく総合芸術となっている。だから映画を「社会の窓」として育った筆者にとって哀しい限りである》。
《◆命守るための私権制限…では、民主主義社会で私権の制限が必要になった場合にはどうしたらいいのか。それを雄弁に語った政治指導者がいます。ドイツのメルケル首相です。 ◆透明な政治決定が前提 … ◆政権不信解消も真摯に》。
《コロナ危機で、彼女の意識の高さを改めて認識した。きょう、所属事務所のYouTube公式チャンネルに、あの加川良の『教訓Ⅰ』を弾き語りする自身の画像をアップしたのだ。周知のように、『教訓Ⅰ』はアメリカのベトナム戦争をめぐって日本でも反戦運動が高まっていた1970年、熱狂的な支持を集めたフォークシンガー・加川良が発表した反戦歌。しかも、その歌詞はシンプルに反戦を叫ぶのでなく、「国のために命を捧げる」という物語を相対化し、そのくだらなさを暴く、鋭くて本質的で、かつユーモラスなものだ。…加川良は『教訓1』を「集団的自衛権」「福島第1原発」にも当てはまる、と》
【杏『教訓1』cover】
《『教訓1』
作詞:上野瞭、加川良
作曲:加川良
歌:杏(cover)
自分のことを守ることが、外に出ざるを得ない人を守ることになる。
利己と利他が循環するように、一人ひとりが今、できることを
杏》
(https://www.youtube.com/watch?v=8Oo_DaRTJWM)
『●フォーク歌手加川良さんの「戦争しましょう」…
「「大日本帝国の勝利と正義」を信じた男の悲惨な末路」』
《先日亡くなったフォーク歌手加川良さんの1971年の作品に
「戦争しましょう」がある。「大日本帝国の勝利と正義」を信じた男の
悲惨な末路を描く ▼歌は「今すぐ戦争の用意をしましょう」と
呼び掛ける。…戦争の愚かさを逆説的に説いたのだ》
日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/「世帯とは」の議論でつまずく政府】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202004160000116.html)によると、《★自民党幹事長・二階俊博や公明党代表・山口那津男らが相次いで国民に一律10万円を支払うべきと指摘するも官邸は嫌がっている。…屋良朝博…は続ける。「諸外国と同じく成人1人とか、国民1人に一律いくら支給しますと決めればいいのじゃないでしょうか。消費税は有無を言わさず一律に赤ちゃんの粉ミルクからも10%取るのにね」とし「忘れてはならない議論があります。困窮世帯の中には、世帯を形成していない人たちがたくさんいるということです。例えばDV被害者らが、役所に行って住民登録すれば世帯主になれるけど、それができない事情がある。そんな困窮世帯を安倍政権はどこまで配慮できているか、ということを厳しく見ていく必要があります」。沖縄選出議員らしい良い質問だが、図らずも世帯とは何かの問いは政府や行政ではくくれない家族のかたちを問うものになった》。
(ウルトラ差別主義者な財務相は)相も変わらず条件を付けたがっており、申請すれば、とのことのようですが、漸く一律給付を言い始めました。自公は、さも自分の手柄のように…。でも、野党がず~っと一律給付を主張してきたのですがねぇ? マスコミも、なぜ、自公の手柄のごとく報じるのですか? 早速の報道統制、マスコミの統制ですか。
『●政治判断の《根拠》は? 《国家のリーダーとして、権力を預かる者は
その責任と、権力行使の影響を、十分に自覚しなければならない》』
『●《国民が信用しない政府》《調査しない政府》など《……ない政府》
(鈴木耕さん)…そんな独裁者が〝戒厳令〟という凶器を振り回す…』
『●《耳目を引く策を打ち出し、手なずけたマスメディアやSNSを駆使して
「世論」を作り出せば、愚策も「英断」となり、支持率は上がる》…』
『●2020年4月6日朝のニュース【首相、初の緊急事態宣言発令へ】
…ついに、無能無為無策、不作為なアベ様が凶器を振り回す時が来た…』
『●経済対策による感染症拡大対策…小池晃さん「補償なき緊急事態宣言では、
いくら休みたくても、働きに出るしかない市民がたくさんいる」』
『●《悪魔》はアベノマスク2枚だけを残して…アベ様「最悪の事態に
なった場合、私は責任をとればいいというものではありません」』
『●《なぞかけ名人…お題を出すとこんな内容が返ってきた。「布マスク」
とかけまして「森友学園や桜を見る会」と解きます。その心は「…」》』
『●《行動は自粛しても批判は自粛しちゃだめだ。緊急事態宣言の発令を
歓迎している場合じゃない。ひるまず「マジか!」を続けよう》』
『●適菜収さん《不道徳な連中を7年以上も放置していた時点で、日本は
危機管理ができていなかった。そういう国がどうなるか。今、…》』
『●〝報道統制〟下、《安倍政権はコロナ感染拡大に犯罪的な役割》
(山口正紀さん)…《どさくさに紛れてさまざまな仕掛けを政府は…》』
『●デマ・ウソ吐きはどっち? 《雇用調整助成金…構造的欠陥があり、
誰もが受け取れる「休業補償」という仕組みにはまったくなっていない》』
『●【【私説・論説室から】難局と指導者の態度】《これまで…決して責任を
取らなかった首相である。コロナ禍ではどんな責任を取るのだろう》』
リテラの記事【自民党議員が党幹部の「もたない会社はつぶす」「働かざるもの食うべからず」発言を暴露! コロナ補償を阻む安倍政権の“自己責任ウイルス”】(https://lite-ra.com/2020/04/post-5374.html)によると、《安倍首相は「休業に対して補償を行っている国は世界に例がなく、わが国の支援は世界で最も手厚い」などと嘘の主張を繰り広げる始末で、何ら手立てを講じようとしていない。いったい安倍政権がここまで補償を拒んでいるのはなぜなかのか。やはり一番大きいのは、「自己責任至上主義」だろう。安倍政権と自民党はいまや、完全に“自己責任”“弱肉強食”というウイルスに冒されているのだ》。
報道統制下、アベ様らのデマ・ウソが垂れ流される。
給付・補償無くして自粛無し…感染症拡大対策であり、命と生活を守るために必要。
文化・民度・首相のレベルが彼我の差だ…、ドイツと。
【古賀茂明「官僚丸投げの安倍総理とメルケル首相の差」】(https://dot.asahi.com/wa/2020041300004.html)によると、《ところが、この措置の対象について、政府と東京都の間で調整がつかず、公表が10日に延期された。その背景には、一部の業界についての自民党族議員と所管官庁の反対がある。利権政治の典型的パターンだ。…ドイツでは、日本人のミュージシャンやダンス教室運営者などに簡単なネット申請から2日で60万円の給付金が出たことが話題になった。この違いは、メルケル首相と安倍総理という2人の指導者の能力の差によると考えたほうが良いだろう。…緊急事態だから安倍批判を封印しろと言う人もいるが、私はそうは思わない。多くの人の命にかかわる緊急事態だからこそ、国民が安心して任せられるリーダーを、今こそ、選び直すことが必要ではないだろうか》。
《シェアされる首相演説…首相といっても安倍さんではない。ドイツのメルケル首相である》…彼我の差。
『●政治判断の《根拠》は? 《国家のリーダーとして、権力を預かる者は
その責任と、権力行使の影響を、十分に自覚しなければならない》』
「神屋由紀子記者による、西日本新聞のコラム【シェアされる首相演説
神屋由紀子】…《先週末、新型コロナウイルス問題を巡り、ある首相の
演説文がインターネット上で相次いでシェア(共有)されていた。
首相といっても安倍さんではない。ドイツのメルケル首相である》。」
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【http://www.labornetjp.org/news/2020/0413eiga】
木下昌明の映画の部屋 第267回/映画館の灯よ、消えないでくれ
●木下昌明の映画の部屋 第267回
映画館の灯よ、消えないでくれ
映画館の灯が消えた。4月8日から「緊急事態宣言」によって休業に追い込まれたからだ。当日の新聞各紙の夕刊でもこの問題が報じられていた。上映劇場のスケジュール表も休載になった。苦しい経営を迫られている単館のミニシアターを励ます荒井晴彦や是枝裕和らの映画人による「ミニシアターを救え」の署名や、映画に無関心な政府に「緊急支援の要望」の活動が行われている折でもあり、ミニシアターはいっそう苦しくなるだろう。
映画は昔も今も、ドラマなどを介して世界中の人生社会を学ぶ宝庫であり、その国の文化の先端をゆく総合芸術となっている。だから映画を「社会の窓」として育った筆者にとって哀しい限りである。
映画は戦争末期の東京空襲があった日々も上映していた。小沢信男の短編集『わが忘れなば』の一編、神田駅のホームにたって焼け野原の街を見渡した2人の少年が「地平線が見えらぁ」と叫んだ。そのあと2人が焼死体を片づけている街を後にしてニコライ堂の坂道にさしかかると映画館があり、小津安二郎の『戸田家の兄妹』をやっているではないか。客席には人も多い。少年だった作者は、映画のなかで演じたタカミネミエコが、客用に出されたごちそうの残り物をつまみ食いするシーンが忘れられない、と語る。
うーん、飢えた時代は見るものが違うんだな、としみじみ。
筆者は、こんな非常時にも映画をみている人がいるのか、とそちらの方に驚いた。
それが、高田馬場の学生客の多い「早稲田松竹」がコロナ騒動がはじまるとすぐ休館となってしまった。この名画座は戦後の唯一の生き残りで、今週はどんな映画がかかっているのか、とポスターを見にいくのが楽しみで、よく回り道をしていた。それなのに寂しくなる。
映画って何だろう。映画館がなくたってテレビやビデオがあるではないか。それなのに長時間、暗くて狭い所に金まで払って見にいくのはなぜか。そこには起承転結のドラマを介してのもう一つの人生があり、そこから人生社会のイロハがのぞきみえるからだろうか。
映画の灯よ、消えないでくれ。映画館が消えれば、映画も消えていくだろうから。
*「ミニシアターを救え!」署名ページ
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020041202000168.html】
【社説】
週のはじめに考える コロナ禍と民主主義
2020年4月12日
新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、日本でも緊急事態を宣言しました。見えない「敵」にどう立ち向かえばいいのか。私たちの先達が築き上げてきた民主主義も試練にさらされています。
買い物や仕事には出掛けられても、自由に外出、移動することはできません。プロ野球の試合やコンサートは中止になり、映画館やデパートも閉鎖、飲食店の多くも休業を余儀なくされています。
楽しみがなくなることはまだ我慢できても、生活の糧を断たれた人や休校などで学校に行けない生徒、児童らには切実な問題です。
◆命守るための私権制限
ウイルスの感染拡大を抑えるためだと分かっていても、日常生活には息苦しさが募り、えたいの知れない敵を恨めしくも思います。
感染者が増えている東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪などを対象にして、政府は緊急事態を宣言しました。息が詰まるような状況が少なくとも五月六日までの約一カ月間は続くのでしょう。
新型コロナの感染が広がった国々でも同様の、いや、これ以上に厳しい措置がとられています。
自由な移動や経済活動は民主主義社会の基盤を成す基本的人権の根幹です。自由を奪ったり、むやみに制限することがあってはなりません。
しかし、公衆衛生や社会の秩序を守るためには皆が譲り合うことも必要です。それが私たち自身の命を守ることになるからです。必要最小限の私権制限までは否定できません。
問題はどんな方法で、どこまで私権を制限するか、その措置に国民の理解が得られるかです。新型コロナの感染拡大は各国政府の指導者だけでなく、その国民にとっても大きな試練なのです。
では、民主主義社会で私権の制限が必要になった場合にはどうしたらいいのか。それを雄弁に語った政治指導者がいます。ドイツのメルケル首相です。
◆透明な政治決定が前提
ドイツでも新型コロナの感染が広がり、政府は学校の閉鎖や外出制限の措置を取りました。三月十八日、テレビを通じて演説したメルケル首相は、国民に直接、次のように語りかけます。
「開かれた民主主義が意味するものは、私たちが政治的決定を透明化し、説明すること、できる限り、私たちの行動の根拠を示し、それを伝えることで、人々の理解が得られるようにすることです」
「私たちは民主主義国です。何かを強いられるのではなく知識を共有し、活発な参加を促すことで繁栄します。これは歴史的な仕事です。私たちが力を合わせ、立ち向かうことでのみ克服できます」
メルケル氏が特定のテーマでテレビ演説をするのは異例だそうです。独裁政権だった旧東独で育ったからこそ、民主主義の大切さを訴えたかったのでしょう。
感染症を抑え込むには、個人の行動を制限し、対策に必要な資源を収用することも必要です。中国のような一党独裁の政治体制は、それを容易にしています。最初に感染が拡大した武漢を都市ごと封鎖したのも、権力集中の政治構造だからこそできたはずです。
中国は「制度の優位」を宣伝しています。でも、そのことが、独裁体制の方が民主主義よりも優れていることを意味するわけではありません。
個人の自由や人権、尊厳がないがしろにされる社会が、とても健全とはいえないからです。しばしば引用されますが、元英首相のチャーチルは「民主主義とは最悪の政治といえる。ただし民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」との言葉を残しました。民主主義は人類史に登場したどんな政治体制よりましです。でも、完璧ではありません。
民主主義の国々を見回しても、移動制限や休業要請など対策への不安や不満が出ています。政治決定過程の透明化や指導者による説明の在り方など課題も多い。新型コロナは、民主主義に突きつけられた挑戦状かもしれません。
◆政権不信解消も真摯に
安倍晋三首相の新型コロナ対策はどうでしょう。クルーズ船対応では対策の不備が批判され、学校休校は科学的根拠の欠如を指摘されました。布マスク二枚の配布は的外れと言われ、緊急事態宣言は「慎重に」「遅きに失した」と評価が揺れ動いています。
非常時には行政の権限をより強めるべしとの意見もありますが、民主主義国家では、政権が信頼されていなければ、対策の意義も国民には十分に理解されません。
安倍政権は安全保障関連法など反対が強い法律の成立を強行し、森友・加計学園や桜を見る会の問題では国民の疑念を解消しようとしません。そのつけが今、回ってきているのではないか。感染拡大を抑え込むためにも、政権不信解消にも真摯(しんし)に取り組むべきです。
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【https://lite-ra.com/2020/04/post-5373.html】
杏が加川良の『教訓Ⅰ』の弾き語り動画をアップ! “国のために命を捨てる”バカバカしさを歌う反戦歌に込めた思いとは
2020.04.15 03:57
(YouTube TOPCOATGROUPch)
このところ、東出昌大との離婚問題ばかりが報じられていた女優の杏だが、コロナ危機で、彼女の意識の高さを改めて認識した。きょう、所属事務所のYouTube公式チャンネルに、あの加川良の『教訓Ⅰ』を弾き語りする自身の画像をアップしたのだ。
周知のように、『教訓Ⅰ』はアメリカのベトナム戦争をめぐって日本でも反戦運動が高まっていた1970年、熱狂的な支持を集めたフォークシンガー・加川良が発表した反戦歌。しかも、その歌詞はシンプルに反戦を叫ぶのでなく、「国のために命を捧げる」という物語を相対化し、そのくだらなさを暴く、鋭くて本質的で、かつユーモラスなものだ。
たとえば、始まりはこうだ。
〈命はひとつ 人生は一回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
御国のためなどと言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい〉
このあとも、〈御国は 俺達死んだとて ずっと後まで 残りますヨネ 失礼しましたで 終わるだけ〉と国家の欺瞞を暴き、〈命を捨てて 男になれと 言われた時には ふるえましょうヨネ〉〈死んで神様と 言われるよりも 生きてバカだと いわれましょうヨネ〉と、わたしたちは怯えて逃げていいんだということを繰り返し訴えかける。
『教訓Ⅰ』がつくられた時代から50年が経過したが、この歌のメッセージはまったく古くなっていない。それどころか、国のために国民が血を流すことを強要する安倍政権下のいまの日本でこそ求められる歌だといっていいだろう。
■加川良は『教訓1』を「集団的自衛権」「福島第1原発」にも当てはまる、と
実際、生前の加川自身が2014年11月16日の西日本新聞に掲載されたインタビューでこのように語っている。
「当然、歌ってますよ。新曲ですよ。歌うたんびに新曲だと思えるんです。今は「集団的自衛権」というタイトルで歌ってます(笑)。歌詞は何も変えてません。「福島第1原発」というタイトルでもこのまま(当てはまるわけ)ですし」
そして、この加川の言葉どおり、コロナ禍の日本で今度は、杏が『教訓1』を「コロナの歌」として復活させたわけだ。杏は「自分のことを守ることが、外に出ざるを得ない人を守ることになる。利己と利他が循環するように、一人ひとりが今、できることを」とメッセージを添えていたが、この歌をチョイスしたというのは、“国を信用するな”“国のために命を粗末にするな”というメッセージも込められていたと考えるべきだろう。
しかも、杏の意識の高さを認識させられることがもうひとつある。元歌では〈命を捨てて男になれと言われた時〉というくだりのあと、〈そうよ あたしゃ 女で結構 女のくさったので かまいませんよ〉と続くのだが、杏はその部分を〈腰抜け、へたれ、ひ弱でけっこう どうぞなんとでも こう呼びなさいよ〉と歌っていたことだ。きちんとジェンダーの問題にも配慮した、より普遍性のある歌詞に変換していたのだ(追記:この歌詞の改変は、ハンバートハンバートがカバーしたバージョンによるものでした)。
反発や炎上を恐れて政治的な言葉を口にできない芸能人が多いなかで(星野源は自分の動画を安倍首相に悪用されても批判しなかった)、あえて『教訓Ⅰ』を歌った杏の勇気に敬意を評したいし、この動画が多くの人に拡散されることを強く願いたい。
(本田コッペ)
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リテラの記事【忌野清志郎10回忌にあらためて読みたい! 清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との戦いの軌跡と憲法9条への思い】(https://lite-ra.com/2019/05/post-4695.html)。
《2019年5月2日、ロックミュージシャンの忌野清志郎の10回忌…。…〈この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言っているんだぜ。…〉》。
《金平茂紀氏と対談した坂本龍一は、清志郎を偲んでこのように語っている。「…なんで日本がこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのかってことなんですよ。…みんなもっと言いたいことを言いましょうよ。それは、個人も、ミュージシャンも、メディアも、みんなそうですよ」》。
アベ様の独裁が続き、言いたいことも言えないニッポンに。ホントに壊憲して、戦争できる国になっていいの? 《日本は何を目指しているのか》? 忌野清志郎さんは《「戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう」と説いた。彼こそ明確に進むべき道を示している》。
『●『憲法くん』の誇りとは? 《私は六六年間、戦争という名前で
他国の人々を殺したことがない。それが誇り》』
リテラの他の記事【安倍首相が令和ブームで改憲に強気! 日本会議集会で「2020年新憲法施行」を宣言、「国民の審判を仰いだ」と大嘘まで】(https://lite-ra.com/2019/05/post-4698.html)によると、《改元の政治利用で内閣支持率を高めている安倍首相が、憲法改正に向けて大きく舵を切った。本日おこなわれた日本会議系の極右改憲集会に恒例のビデオメッセージを寄せた安倍首相は、そのなかでこう宣言したからだ。… 憲法を改正して来年施行する──。…だが、今年は再び「2020年施行」と期限を切ってきたのだ》。
『憲法くん』(松本ヒロさん)…《私のことを自虐的とか言う人がいる。でも私は六六年間、戦争という名前で他国の人々を殺したことがない。それが誇りです》。『憲法くん』の誇りを踏みにじる愚者達。
『●これが民意なの?』
《「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家が
TVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。
自分は安全なところで偉そうにしてるだけ」。昔、有名なロック歌手が
そう書いていた▼「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を
持つべきだ」という題名でつづったのは、四年前に亡くなった
忌野清志郎さん。雑誌で連載していたエッセーをまとめた
『瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋』(小学館文庫)に収録されている》
『●室井佑月さん:アベ様に「マスコミは甘すぎやしないか?…
いっそう乱暴になるし、国民の知る権利が妨害」』
『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心』
《【今日が命日…忌野清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との闘い、
そして憲法9条への美しすぎるメッセージ】
(http://lite-ra.com/2016/05/post-2205.html)》
『●戦争法なんて要らない! 「武力による威嚇や武力の行使を
…永久に放棄した日本の役割」を見失っている』
『●東京新聞社説: 「キナ臭い…現実の追認は未来への否認である。
…九条の精神を壊してはなるまい」』
『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」』
『●「忌野清志郎が示す進むべき道」=「戦争はやめよう。
平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう」』
《今も支持され続けているミュージシャンの忌野清志郎さんは、8年前の5月に
他界した。彼は「この国の憲法9条はまるでジョン・レノンの考え方みたい
じゃないか?」という言葉を残している…▼日本は何を目指しているのか。
忌野さんは「戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう」
と説いた。彼こそ明確に進むべき道を示している》
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【https://lite-ra.com/2019/05/post-4695.html】
忌野清志郎10回忌にあらためて読みたい! 清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との戦いの軌跡と憲法9条への思い
2019.05.02 12:00
本日2019年5月2日、ロックミュージシャンの忌野清志郎の10回忌を迎える。
忌野清志郎は2009年5月2日に癌性リンパ管症のため逝去したが、その存在感は亡くなって10年経ってもまったく衰えることない。
10回忌を迎えるにあたって、生前に未発表だった音源が発売されたり、生前に関わりのあった人々へのインタビュー本が刊行されたり、NHKの『SONGS』で特集番組が放送されるなど、忌野清志郎を振り返る企画が各メディアで組まれている。
そんななか、2009年8月に太田出版から出版された『ロックで独立する方法』が新潮文庫で文庫化された。
この本は、2000年から2002年にかけて「Quick Japan」(太田出版)で連載されていたものをまとめたもの。その連載では、ロックミュージシャンとしてキャリアを重ねてきた清志郎自身の体験を踏まえつつ、本人から「創作論」「ビジネス論」が語られていた。
本サイトが、そのなかでも注目したいのは、清志郎が抱いていた「日本を渦巻く言論の閉塞感」への怒りだ。彼は『ロックで独立する方法』のなかでこんなことを語っている。
〈デビューしたての頃は、逆にずいぶんと社会的・政治的発言を求められたこともあった。みんなが反戦歌を歌ってた時代だったから。「RCは反戦歌やらないんですか?」「ベトナム戦争については?」なんてね。
ところが今は、そういう発言は完全にタブーになってしまった。まあ、別に特に発言したいわけじゃないが、ちょっと極端だね。いろんな質問や発言の中に、たまたまそういうジャンルが混じってたっていいと思うし、それだけが排除されてるのは逆に不自然なんじゃないか〉
忌野清志郎は政治的メッセージを込めた歌を歌うことで度々、レコード会社と衝突を繰り返してきたミュージシャンだ。
たとえば、1988年には〈何言ってんだー/ふざけんじゃねー/核などいらねー〉(「ラヴ・ミー・テンダー」)、〈熱い炎が先っちょまで出てる/東海地震もそこまで来てる/だけどもまだまだ増えていく/原子力発電所が建っていく/さっぱりわかんねぇ 誰のため?/狭い日本のサマータイム・ブルース〉(「サマータイム・ブルース」)といった反原発をテーマにした楽曲を収録したアルバム『COVERS』が急きょ発売中止となる騒動が起きている。
その理由について詳細は明かされなかったが、収録曲の歌詞に対して親会社である東芝から所属レコード会社の東芝EMI上層部に圧力がかかっていたというのが通説だ。言うまでもなく、東芝は原発プラント企業である。この発売中止トラブルはメディアにも取り上げられて大きな議論となり、結果的にはRCサクセションが以前所属していたキティレコードから発売されることになる。
この約10年後には「君が代」騒動が起きる。1999年、忌野清志郎 Little Screaming Revue名義のアルバム『冬の十字架』が「君が代」のパンクアレンジバージョンを収録していた。これは「君が代」パンクバージョンで「君が代」の権威を相対化しようとした試みだったが、当時所属していたポリドールは「政治的、社会的に見解が別れている重要事項に関して、一方の立場によって立つかのような印象を与える恐れがあり、発売を差し控えた」として、アルバムの発売を中止にした。
これも大々的にニュースで取り上げられ、当時官房長官だった野中広務まで「君が代の演奏のあり方については、われわれがとやかく申し上げるべきことではないと考えている」と記者会見で発言するほどの騒動にまで発展する。結果として、このアルバムはポリドールからの発売は諦め、インディーズのSWI RECORDSから発売されることになる。
■清志郎「そういう歌が全然ないっていうのも、どこか異常」
『COVERS』の場合も「君が代」の場合も、清志郎は「事なかれ主義」で表現を抹殺しようとするレコード会社の人間と徹底的に戦い、自分自身の表現の領域を守ってきた。
しかし、誰もが清志郎のように戦えるわけではない。彼のようなミュージシャンはどんどん希少な存在となっていき、政治や社会的なメッセージを発信することは「タブー」となっていく。
レコード会社はミュージシャンがそういった表現をすることを封殺しようとするし、ミュージシャンの側もそういった表現をすることを自分から避けるようになっていった。そういった状況に対し清志郎は『ロックで独立する方法』のなかでこのように綴っている。
〈ミュージシャン側からの仕掛けがもっとあっていいと思うんだ。「あえて物議をかもすような挑発的なことを歌う」とか「問題になることを見越してわざとタブーを犯してみる」とか、確かになんだかあざとい面もあるだろうけど、ロックにはそういう要素が確実にあったはずなんだ。「あえて誰かを怒らせるようなことを歌う」とか「だれかを名指しで、または名前は出さないけどわかるやつが聴けばわかるようにおちょくる」とか。そういう歌ばっかりになるのもイヤだけど、そういう歌が全然ないっていうのも、どこか異常なんだよ〉
言うまでもなく、こういったことは日本でだけ起きている現象だ。清志郎は、マリリン・マンソンやギャングスタラップのラッパーたちを例に出し、アメリカでは180度逆の状況があると説明する。
〈アメリカなんかが今でもマリリン・マンソンみたいなんが出てきて、良識派が「子供に悪影響があるから放送禁止にしろ」とかカンカンガクガクやる環境がある。ラップにしても、保守的なやつらから危険視されることをガンガン歌ってる。それを業界側も煽って商売にしてる。ミュージシャンの周りの連中が止めたりしない。止めようとしている場合もあるんだろうけど、少なくともミュージシャン側が自己規制しちゃうことはほとんどないんじゃないか?〉
マリリン・マンソンはアメリカ社会を牛耳る保守的なキリスト教系団体を「ファシズム」と罵倒したうえキリスト教自体を愚弄する発言を繰り返して大問題となっていたし、ギャングスタラップのラッパーたちは暴力的な歌詞表現を通じて黒人差別の問題に怒りをぶちまけた。そして重要なのは、こういった音楽が一部のマニアだけが聴くマイナーな音楽ではなく、メジャーど真ん中のポップカルチャーとして多くの若者を熱狂させていたということだ。
清志郎はこの違いを挙げたうえで、〈そういうことが日本にもせめて少しはあっていいんじゃないか? これはレコ倫とか放送コードだけの問題じゃないと思う。まあ、そういうのもうざったいんだけど、それにあまりに素直に従っちゃう側の方が問題だよ〉と綴る。「表現者」なのであれば、「表現者」としての矜持があるだろう、ということだ。
清志郎はキャリアを通じてこのことを訴え続けてきた。
■坂本龍一「なんでこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのか」
そもそも、RCサクセションというバンドは、『COVERS』騒動の前まで政治的なメッセージを掲げているバンドではなかった。それがなぜ原発や核に関する歌を歌うことになったのか。その理由について、彼は後にこのように語っている。
「70年代の途中から、反戦歌とかメッセージソングっていうのが一挙になくなったじゃないですか。で、フォークなんかもどんどん軟弱になってって、そのまんま延々きちゃったでしょ。ふと、それはおかしいと気づいたんですよね」
「外国ではスティングがレーガン大統領のことを名指しで歌ったり、とかいうことがたくさんあるのに、日本の音楽界はおかしいぞって思ったんですよね」(「Views」95年2月号/講談社)
しかし、清志郎の活動が受け継がれることはなかった。
たとえばアメリカではテイラー・スウィフトが「反ドナルド・トランプ」の姿勢を明確にして議論を促すような動きが起きたことは記憶に新しいが、一方日本では「音楽に政治を持ち込むな」などという馬鹿げた言説が一定の支持を得るようになってしまった。清志郎が危惧した差は1ミリも埋まることはなかったし、2019年のいまではよりいっそうひどくなっているともいえる。
今回、清志郎を振り返る企画が各メディアで組まれているのは、10回忌であるという節目であると同時に、こうした物が言えない現状に対する忸怩たる思いがあるからではないか。
もちろん、一部では政治的なメッセージを発信するミュージシャンもいるが、勇気をもって主張したとしても、上述のように「音楽に政治を持ち込むな」などと攻撃にさらされ、黙らされてしまう。
だからこそ、「もしも清志郎が生きていたらこの時代にどんな表現をぶつけたのだろうか」と思う人は多い。
ちなみに、2009年12月29日にTBSラジオで放送された特別番組でTBS報道局記者の金平茂紀氏と対談した坂本龍一は、清志郎を偲んでこのように語っている。
「清志郎のことで言うと、これは僕も強く思っていることで、きっと清志郎もすごく言いたかったことだと想像するんだけど、なんで日本がこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのかってことなんですよ。それをずっと清志郎は言っているんですよ。僕も本当にそう思う。なにが怖くてみんな言いたいことが言えないんだろうと。みんなもっと言いたいことを言いましょうよ。それは、個人も、ミュージシャンも、メディアも、みんなそうですよ」
残念なことに、この言葉は10年経ったいま、よりいっそう強く響く。
それでも、忌野清志郎のことを思い出し、彼の言葉にふれたら、少しだけ勇気がわいてくる。明日は憲法記念日、清志郎はこんなメッセージも残している。
〈この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言っているんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ〉(『瀕死の双六問屋』/小学館)
(編集部)
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東京新聞の記事【危機迫る憲法 自作反戦歌今こそ 美輪明宏さん(79)】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015050390070007.html)と、
社説【戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015050302000131.html)。
「戦後七十年の憲法記念日を迎えた。「戦争をしない国」を支えてきた憲法九条は今、危機を迎えている。政府は集団的自衛権が行使できるようにする法整備を着々と進め、その先には改憲も視野に入れる。「これからも憲法を守りたい」。戦争を体験した世代から、二十代の若者まで、世代を超えてその思いをつなぎ、広げよう」、「戦争や軍隊、軍国主義の正体をみんな知らなすぎます」。
美輪明宏氏、「戦争って言葉をなくせばいいんですよ。「大量殺人」でいいんです」。「大量殺人」に賛成票を投ずる「傍観」「無知」と「愚」。選挙民の重い責任に対する自覚がなさすぎる。
『●「敗戦特集」『週刊金曜日』
(2013年8月9日、955号)についてのつぶやき』
「【美輪明宏×佐高信対談】、「戦争って言葉をなくせばいいんですよ。
「大量殺人」でいいんです」、「いじめ・・「恐喝」「暴行」・・いじっめっ子・・
「犯罪者」と呼びなさい。・・万引き・・「窃盗」「泥棒」・・兵隊や兵士・・
「殺し屋」でけっこう」。「ヨイトマケの唄」
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e1b217ef14c0fb57be62348871c41e92)」
「<権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない> <われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡(ほろ)びの道を歩むからだ> 権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観していられません」。
自公支持者ではいけない、「眠り猫」=傍観者ではいけない。「傍観者では亡(ほろ)びの道」。
『●「騙されることの責任」とハンナ・アーレント氏「考えないことの罪」』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015050390070007.html】
危機迫る憲法 自作反戦歌今こそ 美輪明宏さん(79)
2015年5月3日 07時00分
(「日本が70年戦争をせずに来たのは憲法に守られてきたから」
と話す美輪明宏さん(写真はいずれも御堂義乗さん撮影))
戦後七十年の憲法記念日を迎えた。「戦争をしない国」を支えてきた憲法九条は今、危機を迎えている。政府は集団的自衛権が行使できるようにする法整備を着々と進め、その先には改憲も視野に入れる。「これからも憲法を守りたい」。戦争を体験した世代から、二十代の若者まで、世代を超えてその思いをつなぎ、広げようと、メッセージを発信する人たちがいる。
赤や黄、紫など色とりどりのバラが咲き乱れ、背後には金色の光が差す舞台装置。鮮やかな青のドレスをまとう歌手美輪明宏さん(79)が、鍛え抜かれた美声で「愛の讃歌(さんか)」などシャンソンの名曲を響かせる。そんな華麗なコンサートが二〇一三年に変わった。第二次安倍晋三政権が発足した直後のことだ。
二部制の前半、照明を落とした舞台で、シンプルなシャツ姿の美輪さんがピンスポットライトに浮かび、自作の反戦歌を歌う。
「あの原爆の火の中を 逃げて走った思い出が
今さらながらによみがえる」
(美輪明宏作詞・作曲「ふるさとの空の下に」より)
ロマンあふれるシャンソンとは趣が違う、原爆孤児の悲しみを描いた歌詞。長崎で原爆に遭った自身の体験を重ねた。七十年を経ても拭い去れない悪夢。不戦を誓う憲法を手にした時、「もう逃げ惑う必要がない」と安堵(あんど)した。その憲法が崩れるかどうかの瀬戸際にある。
「私たちは憲法に守られてきた。世界一の平和憲法を崩す必要はない」。若い世代も多い観客に伝えたくて、反戦歌を歌う。原爆体験や軍国主義への強い嫌悪が美輪さんを駆り立てている。
■
一九四五年八月九日、いつもと変わらぬ夏休みの朝だった。美輪さんは、防空ずきんを背にかけ、縁側の机で宿題の絵を描いていた。ピカッ。白い閃光(せんこう)の後、ごう音と揺れに襲われた。
お手伝いさんに手を引かれ外へ出た。全身が火ぶくれてうなり声を上げる人。首のない赤ちゃんの上に倒れ込み泣き転げる女性。「助けてくれ」とつかまれた人の手を振り払うと、肉片が自分の腕についた。
「原爆 水爆大好きな 戦争亡者の親玉よ お前の親や兄弟が
女房や子供が 恋人が 焼けて爛(ただ)れて死ぬだろう
苦しみもがいて死ぬだろう」(美輪明宏作詞・作曲「悪魔」より)
美輪さんにはもう一つ、胸に刻まれた戦争の光景がある。
実家のカフェで働いていたボーイの三ちゃんが出征した時。汽車が出る寸前だった。三ちゃんの母親は、息子の足にすがり「死ぬなよ。どげんことあっても帰ってこいよ」と叫んだ。
憲兵に引きずり倒され、頭を打って血を流してもなお、母は「死ぬな」と声を上げた。その三ちゃんが生きて帰ることはなかった。
「戦争や軍隊、軍国主義の正体をみんな知らなすぎます」
■
普通に暮らしていた人たちが、理不尽な暴力と死に直面する。それが美輪さんが体験した戦争の正体だった。だから、「国民を守る」「国を守る」という耳当たりのいい言葉で、改憲の議論が進むことにいら立ちを隠せない。
「改憲して戦争に参加できるようにって、
どうして学習能力がこんなにもないのか」
そんな政治家を舞台に立たせたのは、国民の選択だった。そのことをもう一度考えてほしいと美輪さんは歌い、語り続けている。
「無辜(むこ)の民衆が戦争に狩り出されるのではない。
選挙民に重い責任があるのです」 (小林由比)
<みわあきひろ> 長崎市生まれ。16歳でプロの歌手となり、シャンソン喫茶「銀巴里」などに出演。1957年「メケメケ」が大ヒット。日本におけるシンガー・ソングライターの元祖として多数の曲を自作。2012年に初出場したNHK紅白歌合戦で、自作の「ヨイトマケの唄」を歌い反響を呼んだ。
(東京新聞)
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015050302000131.html】
【社説】
戦後70年 憲法を考える 「不戦兵士」の声は今
2015年5月3日
昨年は集団的自衛権の行使容認、今年は安全保障法制…。政権の次の狙いは憲法改正でしょう。戦後七十年の今こそ、しっかり憲法を考えたいものです。
昨年暮れに「石見(いわみ)タイムズ」という新聞の復刻版が京都の出版社から出されました。社屋が島根県浜田市にあった、この小さな地方紙の創刊は一九四七年で、今のところ五三年までの紙面が読めるようになったのです。
故・小島清文氏が主筆兼編集長を務めました。小島氏が筆をふるったのは約十一年間ですが、山陰地方の片隅から戦後民主主義を照らし出していました。
◆白旗投降した海軍中尉
「自由を守れ」「女性の解放」「文化の存在理由」「文化運動と新しき農村」…。社説を眺めるだけでも、新時代の歯車を回そうとする言論の力がうかがえます。
例えば「民主主義の健全なる発達は個人の教養なくしては望めないし、自らの属する小社会の改善から始めねばならない」などと論じます。日本に民主主義を根付かせ、二度と戦争をしない国にするという思いがありました。何しろ経歴が異例な人です。
小島氏は戦時中、慶応大を繰り上げ卒業し、海軍に入りました。戦艦「大和」の暗号士官としてフィリピンのレイテ沖海戦に従います。その後、ルソン島に配属され、中尉として小隊を率いました。
でも、この戦いは米軍の攻撃にさらされ、同時に飢えや病気で大勢の兵隊が死んでいきました。ジャングルの中は死屍(しし)累々のありさまです。「玉砕」の言葉も出るほどの極限状況でした。
小島氏は考えました。「国のために死ね」という指揮官は安全な場所におり、虫けらのように死んでいくのは兵隊ばかり…。連合艦隊はもはや戦う能力もない…。戦争はもうすぐ終わる…。考えた末に部下を引き連れて、米軍に白旗をあげ投降したのです。
◆傍観者では亡(ほろ)びの道
この投降を誰が非難できるでしょうか。むしろ「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」により、死なずに済んだ命は無数にあったはずです。白旗は無責任な戦争指導への非難にも思えます。
小島氏の名前が世間に知られるようになるのは、新聞界を退いてからずっと後です。八八年に「不戦兵士の会」を結成し、各地で講演活動を始めたのです。ひたすら「不戦」を説きました。
九二年に出した冊子ではこう記します。
<戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、
なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、
日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは
全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から
生まれた血肉の結晶である>
憲法の平和主義のことです。戦後日本が戦死者を出さずに済んだのは、むろん九条のおかげです。自衛隊は本来あってはならないものとして正当性を奪い、軍拡路線にブレーキをかけてきました。個別的自衛権は正当防衛なので、紙一重で憲法に整合しているという理屈が成り立っていました。
しかし、安倍晋三政権は従来の政府見解を破壊し、集団的自衛権の行使容認を閣議で決めました。解釈改憲です。今国会で議論される安全保障法制は、他国への攻撃でも日本が武力行使できる内容です。「専守防衛」を根本から覆します。九条に反してしまいます。
権力を縛るのが憲法です。これが立憲主義の考え方です。権力を暴走させない近代の知恵です。権力が自ら縛りを解くようなやり方は、明らかに立憲主義からの逸脱です。
小島氏は二〇〇一年の憲法記念日に中国新聞に寄稿しました。
<権力者が言う「愛国心」の「国」は往々にして、
彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。
そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛とは字面は
同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない>
<われわれは、国歌や国旗で「愛国心」を強要されなくても
誇ることのできる「自分たちの国」をつくるために、
日本国憲法を何度も読み返す努力が求められているように思う。
主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は
亡(ほろ)びの道を歩むからだ>
権力が改憲をめざす以上、主権者は傍観していられません。
◆戦争は近づいてくる
小島氏は〇二年に八十二歳で亡くなります。戒名は「誓願院不戦清文居士」です。晩年にラジオ番組でこう語っています。
<戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん
近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている>
「不戦兵士」の忠告が今こそ、響いて聞こえます。
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