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●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…

2019年05月01日 00時00分30秒 | Weblog


東京新聞の社説【週のはじめに考える 断頭台を捨てるまで】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122402000149.html)。
東京新聞のシリーズ記事【<死刑を考える>(上) ~オウム事件より~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122702000137.html)と、
【<死刑を考える>(中) ~囚人とその家族~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122802000173.html)と、
【<死刑を考える>(下)~飯塚事件より~】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122902000121.html)。

 《二〇一八年は、十三人の死刑執行でオウム真理教の一連の事件に幕が引かれた年と記憶されることになるでしょう。死刑を見つめ直す時が来たのでは。…果たして死刑は何を守るのか。》
 《今年七月、オウム真理教の死刑囚十三人全員の刑が執行された。世界で死刑廃止の流れが進む中、大量執行は国内外に大きな衝撃を与えた。だが、国内ではその後、死刑制度の存廃を巡る大きな議論にはつながっていないこのままでいいのか。関係者を訪ね歩き、考えた》。

   『●死刑存置賛成派と飯塚事件
    「死刑存置がこんなに多い国って他にあるのか? 
     「死刑容認85%って本当?」 フランスかどこかでは1件の無実者の死刑で、
     死刑廃止を決断した、と聞いた。我国は、飯塚事件の久間三千年さんに
     どう責任を?」

   『●青木理さん「供述が立証の柱…もっと物証が欲しい。
        「通信傍受を縦横無尽に使いたい。司法取引も」と…」
    《共謀罪を導入しても、テロが起きる可能性はある。そのときが怖い。
     社会がファナチック(狂信的)になり、メディアや社会も一緒になって
     「もっと捕まえろ」「もっと取り締まれ」と暴走するのではないか。
     オウム事件を取材していた時を思い出す。警察はあらゆる法令を
     駆使して信者を根こそぎ捕まえた。当時、幹部が「非常時だから、
     国民の皆様も納得してくれる」と話していた》

   『●「このまま死刑執行されてオウム事件は終わり、 
      ということにされていいの」? 真相・全貌は解明されたか?
   『●「7人に死刑を執行する前日に乾杯する総理大臣と法務大臣…
                     これがこの国のグロテスクな現状なのだ」
    《そもそも、「死刑があればそれを恐れて凶悪犯罪が減少する」という
     “抑止効果論”も、「根拠がない」というのが世界の共通認識だ。たとえば、
     1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも廃止前後で殺人発生率に
     大きな変化はなく、1997年12月に1日で23人が処刑された韓国に
     おいてもやはりその前後で殺人発生率に違いはなかったという調査報告が
     なされている。他方、人口構成比などの点でよく似た社会といわれる
     アメリカとカナダを比較すると、死刑制度を廃止して40年が経つカナダの
     方が殺人率は低いというデータが現れている》

   『●オウム死刑囚十三人を処刑…《死刑を忠実に
       実行しているのは日本だけ》という野蛮さぶりを世界に喧伝
   『●オウム死刑囚大量執行…アベ様や上川陽子法相は
         「前夜祭」を催し、死刑さへも「サーカス」に使う悪辣さ

 《赤坂自民亭》の酔いちくれぶりや、一部マスコミの異常なハシャギぶり、思い出すだけでも気分が悪い。《死刑を忠実に実行しているのは日本だけ》、本当に何もかも嫌になるニッポン。さらには、飯塚事件久間三千年さんにどう責任をとるつもりなのか?

   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
       再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018122402000149.html

【社説】
週のはじめに考える 断頭台を捨てるまで
2018年12月24日

 二〇一八年は、十三人の死刑執行でオウム真理教の一連の事件に幕が引かれた年と記憶されることになるでしょう。死刑を見つめ直す時が来たのでは

 時計の針を戻してみます。

 人権宣言の国であることを思えば意外な気もしますが、フランスは一九七〇年代、西ヨーロッパでは唯一、昔ながらの死刑制度を残す国になっていました

 民主主義国家では例外的な死刑存置国となっている今の日本と似たような状況にあったといえるかもしれません。では、何がフランスを変えたのでしょう。


◆革命とともに生まれ

 人権宣言と同じように、その死刑制度は一七八九年に始まるフランス革命と深い関係があります。

 革命までは、フランスの死刑は平民には絞首刑、貴族階級に限って斬首刑が適用されていたようです。身分や貧富に関係なく、無用の苦痛を与えず名誉ある斬首刑を執行できるという断頭台、つまりギロチンが提案されたのは革命勃発後の議会でした。一七九二年以降、死刑はギロチンで執行されることになります。

 国王ルイ十六世も王妃マリー・アントワネットも、革命の指導者だったロベスピエールもダントンも、あるいは市井の犯罪者も、同じようにギロチンで首をはねられました。革命とともに生まれたギロチンは、結局、一九七七年まで使われ続けます。

 他方、死刑廃止を求める動きも革命勃発直後から現れています。議会に初めて死刑廃止の要求が出されたのは一七九一年のことでした。その後、数えきれぬほどの政治指導者や文化人が死刑廃止を求めて声を上げてきました。

 例えば「レ・ミゼラブル」のビクトル・ユゴー。あるいは「異邦人」のアルベール・カミュ。

 百九十年に及ぶ存廃論議に終止符を打って死刑が廃止されたのは一九八一年のことでした。


◆世論の過半は死刑賛成

 時の法相だったロベール・バダンテール弁護士の回想録「そして、死刑は廃止された」(藤田真利子訳、作品社)が、その経緯を教えてくれます。

 第二次大戦後、西欧諸国が相次いで死刑を廃止し、死刑廃止と犯罪発生率には関係がないことが明らかになってきました。それでもフランスでは、特に子どもが犠牲になる凶悪犯罪が起きるたびに死刑を求める世論が強まる、という状況が続いていました。

 つまり死刑廃止は、選挙に勝たねばならぬ政治家にとって、触れたくない課題だったわけです。

 八一年の大統領選は、最終的には中道右派の現職ジスカールデスタン氏に左派のミッテラン氏が挑む構図となりました。候補者は死刑への姿勢も問われることになります。直近の世論調査では、63%が死刑賛成でした。

 私的な場では死刑に嫌悪感を示していたジスカールデスタン氏でしたが、テレビ番組では「フランス国民を代表して統治するわけですから、国民の気持ちに逆らう権利はないものと考えます」。つまり、動くつもりはない、と。

 逆に、ミッテラン氏は「世論の過半は死刑に賛成ですが私は良心に基づいて死刑に反対します」と、姿勢を鮮明にしたのです。

 当選したのはミッテラン氏でした。新大統領は、死刑廃止の論客として知られたバダンテール氏を法相に起用し、死刑廃止法案をまとめさせました。法案は大統領与党の左派議員のみならず、野党となった右派からも相当数の議員が賛成に回って可決された。こうしてフランスはギロチンを引退させたのです。

 日本では、一九八九年からしばらく死刑執行が途絶えた時期がありました。死刑をめぐる議論が深まる兆しも見えたのですが、九三年に執行が再開され、さらに、オウム真理教の一連の事件が起きて死刑廃止の機運は吹き飛んでしまいました

 内閣府の世論調査で「死刑やむなし」は、九四年の74%からオウム事件後の九九年には79%に。直近の二〇一四年調査では80%でした。さて、今後はどう動くのか。

 国会に今月、死刑制度の是非を議論する超党派の議員連盟「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」が誕生しました。休眠状態だった旧死刑廃止議連の再出発で、約五十人が参加するそうです。


◆政治的勇気が動かす

 かつてのフランスと事情は同じでしょう。世論調査の数字を見れば、決して選挙向きの課題ではありません。それでも、良心に基づいて死刑廃止を考えようというのであれば、その志を大いにたたえたいと思います。果たして死刑は何を守るのか。議論が深まることを期待します。

 「事態を動かしたものは政治的勇気だった」。バダンテール氏の言葉です。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122702000137.html

<死刑を考える>(上) ~オウム事件より~
2018年12月27日 朝刊

     (オウム真理教の麻原彰晃元死刑囚と東京拘置所の刑場=コラージュ)

 今年七月、オウム真理教の死刑囚十三人全員の刑が執行された。世界で死刑廃止の流れが進む中、大量執行は国内外に大きな衝撃を与えた。だが、国内ではその後、死刑制度の存廃を巡る大きな議論にはつながっていない。このままでいいのか。関係者を訪ね歩き、考えた。

 数十年前の冬の朝、静まり返った東京拘置所の刑場。刑務官が、目隠しされた男の首に太いロープをかけた。幹部職員が手を上げたのを合図に、別室の刑務官三人が三つのレバーを同時に引く。「バーンッ」。男の体重を支えていた一メートル四方の踏み板がはじけるように開き、体が床下に消えた。

 落下の反動で、ロープが振り子のように大きく揺れる。執行に立ち会っていた元刑務官の野口善国弁護士は、両手でロープを固く握り、動きを止めた。床下をのぞくと、医務官が男の胸に聴診器を当てていた。

 野口弁護士は「心臓がドクン、ドクンと動いていた。今ならまだ助かると思った」と振り返る。人の命を奪った強盗殺人犯の最期。「正義の実現とはいえ、人が人を殺す現場だった」。その音と光景は、今も脳裏に焼き付いて離れない。

 「この日、この時が来ました。長い道のりだったけれど…」。オウム真理教元代表の麻原彰晃元死刑囚=執行時(63)、本名・松本智津夫=の刑が執行された今年七月六日、静岡県掛川市の小林房枝さん(76)が日記にこう記した。一九九四年六月の松本サリン事件で次男豊さん=当時(23)=を奪われた。

 一貫して求めてきた死刑。「何の罪もない息子が殺された。死刑で責任を取らせたいと願うのは、遺族として当然です。できることなら、刑場で執行のボタンを押したいくらいだった」と死刑存続を強く願う。

 同事件で長男の友視さん=当時(26)=を亡くした千葉県南房総市の伊藤洋子さん(78)も、早期の執行を望んできた。執行後は報道各社の取材に「一つの区切りがついた。ほっとした」と繰り返した。

 だが、月日が過ぎ、自分にそう言い聞かせたかっただけなのかもしれない、と思うようにもなった。「死刑で息子が生き返るわけではなく、悲しみや苦しみも全く消えなかった」と、別の思いも交錯する。

 八九年十一月の弁護士一家殺人事件で、同僚の坂本堤さん=当時(33)=を殺害された岡田尚弁護士はもともと、死刑反対の立場だった。しかし事件後、安易に反対と言うのが正しいのかと自問自答を繰り返すようになった

 当時、検事から被害者側の関係者として取り調べを受けたことがある。供述調書に押印する段階で、「当然、(求めるのは)極刑でよろしいか」と問われ、返答に詰まった。考えた末、「厳罰で」と逃げた。

 「自分が人権派弁護士のファッションとして、死刑反対を唱えていただけだと感じ、ショックだった」。その後、死刑についての議論を避けるようになった。

 死刑制度への態度が固まるきっかけは、皮肉にも、同僚をあやめたオウム元幹部たちの大量執行だった。岡田弁護士は「国家が十三人もの命を奪い去った。目が覚めた。執行後も心は晴れない。やはり死刑は野蛮な行為だ」と語り、こう続ける。

 「事件で被害者の命が奪われたが、死刑も命を取るという意味では全く同じ。違うのは、その主体が国家だということです」

 (この連載は、奥村圭吾、蜘手美鶴が担当します)



http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122802000173.html

<死刑を考える>(中) ~囚人とその家族~
2018年12月28日 朝刊

     (高橋和利死刑囚との写真を手にする妻の京子さん=横浜市戸塚区で)

 十月二日発足の第四次安倍改造内閣の法相ポストに、オウム真理教元幹部十三人の死刑執行を命じた上川陽子氏の名前はなかった。後任の法相となったのが元検察官の山下貴司氏。就任後の記者会見で「死刑もやむを得ない」と述べていた。

 東京拘置所に収監中の伊藤玲雄(れお)死刑囚(44)は翌三日、こんな手紙をしたためている。<根っからの検事畑の人種で、どうにもならないのか。逆に、エリートとしての法や権力への節度が期待できるのか><死刑行政にどの程度影響があるのかも判断がつかない>-。

 あいさつもそこそこに、新法相の死刑へのスタンスを探る文言が並んでいた。手紙を受け取った大河内秀明弁護士(76)は「なんとか死刑を回避したい」という強い焦りを感じ取った。

 伊藤死刑囚は二〇〇四年に東京都内で起きた架空請求詐欺グループの仲間割れ事件で、四人を殺害したとして殺人罪などに問われ、一三年に死刑が確定した。

 度重なる手紙からは<一刻も早い再審請求を><危機感をもって捉えていかないと、取り返しがつかないことになる>と刑執行を何とか回避したい思いが透ける。一五年一月、請求していた恩赦も「不相当」に。今は、明日が最期かも、とおびえる生活を送る。

 大河内弁護士は「本人は『自分の意志が弱く及んでしまった犯行。筆舌に尽くせないような悔恨が残り、つぐなっても、つぐないきれない』と深く反省している。それでも生きたいという思いは消せないのだろう」と心情をおもんぱかる。

 だが、事件で息子を殺された東京都杉並区の無職山口斌郎(しげお)さん(75)は「命で罪を償うのは当然。生きているうちに執行してもらい、息子に報告したい」と切り捨てた

 東京拘置所には、大河内弁護士が弁護人を務める死刑囚がもう一人いる。一九八八年、横浜市鶴見区で金融業の夫婦を殺害し、現金を奪ったとされる高橋和利死刑囚(84)。「死ぬのは怖くない。でも汚名を着せられたまま死ぬのは無念」が、支援者の岩生美鈴さん(58)らへの口癖だ。

 捜査段階で「ここで仮に認めても、やってないのなら裁判で無罪になる」と迫られ自白。公判では否認に転じ、今は再審請求審で争う。

 <面会ありがとう。遠かったでしょう><足や緑内障の具合はどう>。妻の京子さん(84)に宛てた手紙には、相手の身を案じる言葉ばかりが並ぶ。

 三十代で結婚。訳があって、京子さんのおい二人を家族同然に育て上げた。捨て犬を動物病院に連れて行ったこともあった。京子さんは「生き物の命を大切にする人。人を殺すような人間ではない」と信じる。

 事件後、京子さんの周りからは人がいなくなった。同じ趣味の友だちも、お金を貸してあげた知人も。隣家から「のぞいたでしょ」と言いがかりをつけられたこともあった。

 長年連れ添った夫と離れ離れになって三十年余り。「いつ執行があってもおかしくない」と覚悟しつつ、ふいに不安が強まることもある。「もしかしたら明日かも」と。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122902000121.html

<死刑を考える>(下)~飯塚事件より~
2018年12月29日 朝刊

     (久間三千年元死刑囚、関係者提供=が妻に宛てた無罪を訴える手紙)

 「私はまだ死刑確定の新参者。時間はあるから、慌てなくてもいいですよ」

 二〇〇八年九月、暑さが残る福岡拘置所。その日の死刑囚はいつもより明るかった。面会室のアクリル板越しに、弁護人らに見せたA4判の紙。確定順に死刑囚の名前が並ぶ中、自身の名前は後ろの方に記されていた。

 再審請求の準備を焦る弁護人をなだめるように、「私はやってないから、必ず罪は晴れます」。しかし、この面会から三十九日後、久間三千年(くまみちとし)死刑囚の刑は想定外の早さで執行された。七十歳だった。

 一九九二年二月、福岡県飯塚市で登校中の女児二人=いずれも当時(7つ)=が誘拐され、殺害された通称「飯塚事件」。直接的な証拠がない中、久間元死刑囚は事件から二年七カ月後に逮捕された。「一切やっていない」。ただの一度も自白しなかった

 だが、被害者の遺留品が見つかった山間部では、車で通りがかった男性が路肩に止まった車と男を目撃していた。タイヤのホイールキャップのラインや、窓ガラスの色つきフィルム、後輪のダブルタイヤ…。すれ違ったわずか数秒で十数個の特徴を言い当てた。証言はいずれも久間元死刑囚の車を指していた。

 一審福岡地裁は「犯人であることは合理的な疑いを超えて認定できる」と死刑を言い渡した。当時は画期的とされたものの、精度が低く、後に足利事件などの冤罪(えんざい)につながった旧式のDNA型鑑定も判決を支えた。〇六年十月、刑は最高裁で確定した。

 飯塚市から約二十キロ離れた現場の山間部は、狭い国道が山を縫うように走る。記者が車で現場を通ったが、カーブに次ぐカーブで前方から目が離せない。仮に不審な車が止まっていたとしても、細かく観察できる自信はなかった。

 「取り返しがつかんなと思った」。一審から弁護人を務める岩田務弁護士(73)が、執行の日を振り返る。

 当時、死刑は確定から執行まで五、六年かかるのが一般的で、約二年で執行されるのは予想外だった。DNA型鑑定に誤りがあることを示そうと、再審請求に必要な新証拠を探している最中だった。

 結局、再審請求は刑の執行から一年後の〇九年に申し立てた。福岡地裁、福岡高裁とも再審開始を認めず、弁護団は今年二月、最高裁に特別抗告している。

 久間元死刑囚の刑が執行されてから今年で十年。女児たちの通った小学校は今春、廃校になった。女児の捜索に加わった近所の男性(82)は「結局、何があったのかは誰にも分からん」。久間元死刑囚の妻は事件後も引っ越すことなく、今も当時の家で暮らす。

 <真実有れば、自信を持って闘えるのが強み><冤罪を雪そそ)ぐことができずに残りの生涯を屈辱に苦しんで生きることになったら、その方が辛(つら)いのです

 久間元死刑囚が妻に宛てた手紙からは、自身の疑いを晴らしたい思いがにじむ。久間元死刑囚がこの言葉を妻に直接伝える機会は、もう訪れない

 (この連載は、奥村圭吾、蜘手美鶴が担当しました)
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●破廉恥な行為: 「首相自ら途上国への原発セールスに駆け回る」

2013年06月21日 00時00分04秒 | Weblog


asahi.comの「社説 脱原発政策―廃炉促進へ専門機関を」http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup、6月3日)、東京新聞の一連の記事(「コラム筆洗」http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013060302000117.html「【社説】週のはじめに考える お地蔵さんはなぜ怒る」http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013060902000107.html、「原子炉など処分場未定 中程度汚染 事業者も決まらず」http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013061102000100.html「核燃料取り出し 20年度前半にも  課題山積のまま 前倒し」http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013061102000101.html「【社説】福島廃炉計画 言葉より成果を見たい」http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013061202000159.html「もんじゅ研究、継続を確認 文科省部会、推進の方針変えず」http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013061201001965.html)。

 税金投入には反対ではない。でも、まず、電力会社と自民党(元)議員の責任を明確化すべきだ。原子力ムラ住人の責任の明確化を。税金の投入の前に、彼らに経済的な責任も取らせるべきである。処理法も処分法もないのに、いまだに原発推進を図り、輸出までするような破廉恥なマネはやめてほしい。

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http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup、6月3日】

2013年6月3日(月)付
社説
脱原発政策―廃炉促進へ専門機関を

 できるだけ早く、原発に頼らないエネルギー社会をつくる
 福島の原発事故を経験して、多くの人たちがその思いを強くした。
 ただし、原発の後始末はやっかいだ。強い放射能に汚染された構造物や使用済み核燃料の処分には、時間もお金もかかる。技術的な課題も多い。電力会社は、負担の重さから廃炉に二の足を踏みがちだ。

■先送りへの懸念
 こうしたなか、経済産業省が廃炉を促す環境づくりに乗り出した。廃炉にともなう損失の計上をめぐって、会計処理を弾力化させる見通しだ。
 方向性には賛成する。ただ、これだけで原発の処理が一気に進むわけではない。
 廃炉の決定や放射性廃棄物の管理・処理を、国が主導する仕組みに改めなければならない。あわせて、業務を担う専門機関の設立も検討すべきだ。
 日本は原発について「国策民営」をとってきた。原発は各社の資産であり、廃炉も使用済み燃料の取り扱いも、一義的には事業会社が責任を負う。
 事業者は巨額の建設費を回収するために、原発を極力長く使い、その間に廃炉費用を積み立てるのが前提だった。
 だが、事故を機に状況は大きく変わった。
 日本原子力発電の敦賀原発2号機(福井県)は建屋の真下を活断層が走っていると、原子力規制委員会から認定された。今後も、新しい知見にもとづく規制基準を満たすことができず、廃炉を前倒しで求められる原発が出てくる。
 ところが、電力会社の経営は厳しい。火力発電の燃料代がかさみ、大手10社の3月期決算では原発を持つ9社のうち8社が赤字となった。純損失の合計は1兆6千億円近くに達する。
 このままでは、事業者の経営上の問題から、廃炉が先送りされるおそれがある。
 経産省が廃炉に対する特例を設けるのも、そのためだ。
 事業者が当初の計画より早く原発を閉める場合に、費用の積み立て不足や資産価値の目減りによる損失を、複数年度に分割して計上するのを認める方針という。

■世界では政府が関与
 世界を見渡すと、原発が国営だったなごりもあり、後処理に政府が関与する体制が目立つ。
 最終処分場の候補地選び、核不拡散やテロ対応など、国内外において粘り強い交渉や協調が求められるからだ。
 たとえば、英国は05年に「原子力廃止措置機関(NDA)」を設立し、原子力関連施設の解体にともなう政策や監視体制を一元化した。
 実際の廃炉は、国際入札を経て事業者を選び、ライセンスと目標を与え、運営が非効率にならないようにしている。使用済み核燃料のリサイクルで生じるプルトニウムの管理・処分も、NDAの管轄だ。
 ドイツでは、電力大手が所有する原発は自己負担での廃炉が前提だ。このため、メルケル政権が原発全廃を決めると、複数の社が政策変更による廃炉で損害が生じるとして、国に賠償を求める訴訟を起こした。
 一方、旧東独圏内にある老朽原発を主な対象とする廃炉専門の国営企業(EWN)があり、こちらは政府が廃炉を担う。
 そこで、電力大手も実際の廃炉作業では、将来の廃炉ビジネスをにらんで業容拡大をはかるEWNに委託するか、自ら取り組むか、損得をはかりながら両にらみで模索している。

■税金の投入も選択肢
 日本でも、原発の後始末を進めるには、会計処理の弾力運用だけでは不十分だろう。
 福島事故を教訓にすれば、新しい規制基準をクリアしても、事故の際の住民避難が現実的に難しい原発などは閉じていく必要があるからだ。
 廃炉の決定権が事業者側にある限り、こうした原発の廃炉は進まない。
 まず国が廃炉に関与するルールを定める。そのうえで、海外とも知識や情報を共有する専門機関を設立し、対象となる原発を移管すれば、効率よく脱原発を進められるのではないか。
 もちろん、処理に必要な費用をだれがどのように負担するか、各社の資産である原発をどう専門機関に引き継ぐか、など数多くの課題がある。
 廃炉費用は国民が払う電気料金から積み立てられているのだから、いっそのこと税金を投入して廃炉を急ぐ。あるいは、当面は最小限の原発は動かし、その原発も専門機関に移して、売電で得られる収益を廃炉費用にまわす――。さまざまな考え方がある。
 世界的な廃炉ビジネスへの参入を想定すれば、電力業界が率先して組織を設けてもおかしくない。原発専業の日本原電の改組も一案だろう。
 政府は早く検討の場を設け、論点を整理し、国民的な議論にかけるべきだ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013060302000117.html

【コラム】
筆洗
2013年6月3日

 高速増殖原型炉もんじゅの点検漏れ問題で辞任した日本原子力研究開発機構(原子力機構)の鈴木篤之前理事長への退職金支払いが検討されている、という記事があった▼「こういう組織が存続していること自体が問題だ」。原子力規制委員会から痛烈に批判された原子力機構は理事長辞任後も、茨城県東海村の実験施設で研究者ら三十四人が被ばくする放射性物質漏えい事故を起こしている▼解任以外、退職金を支払う規定になっているという言い訳を聞き、二年前の「更迭騒ぎ」を思い出した。更迭されたはずの経済産業省の松永和夫事務次官(当時)以下三人の幹部の退職金が千二百万円ほど上積みされた。組織上の都合で退職を求めるため、勧奨退職扱いになるという話だった▼「ほとぼりが冷めれば、三人は天下りするのだろう」。当時、小欄でそう書いたが、案の定、一年もたたずに、松永氏は損保ジャパンなどの顧問に、細野哲弘資源エネルギー庁長官はみずほコーポレート銀行の顧問に納まっていた▼高級官僚の方々は、もうほとぼりは冷めたと判断したのだろう。国民を愚弄(ぐろう)するにもほどがある安倍政権は原発の海外への売り込みや再稼働に積極的だが、原発事故が風化することを内心、歓迎しているなら大間違いだ。きのうも数万の市民が国会議事堂を囲んだ。地からわき上がる声を侮らない方がいい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013060902000107.html

【社説】
週のはじめに考える お地蔵さんはなぜ怒る
2013年6月9日

 福島の事故などないかのように、政府は原発の輸出に突き進む電力会社はひたすら再稼働を急ぎます人はこうして、過ちを繰り返してしまうのか
 ことし三月、宮城県気仙沼市の山の手に、一軒の地蔵堂が建立されました。
 発願は俳優の滝田栄さん(62)。二十年前、母親の供養のために仏像を彫り始め、これまでに約二十体を手がけています。
 地蔵堂の建設費千五百万円は、全国からの寄付で賄いました。
 滝田さんがそこに安置した「気仙沼みちびき地蔵」は、クスノキの一木造り。高さ百三十センチの地蔵菩薩(ぼさつ)立像で、光背や台座を含めると二メートルに届きます。
 長野県原村のアトリエにこもって、四カ月で彫り上げました。
 目を閉じて、果てしない廃虚を思い浮かべた。その中に自分を立たせ、誰かに救いを求めようとした時に、地蔵菩薩の姿が見えた。
 お地蔵さんは、あらゆる命をはぐくむ大地のような力を宿し、苦悩する人々を無限の慈悲で包んでくれるといわれています。
 気仙沼のみちびき地蔵も、路傍の石地蔵のように丸い柔和な顔立ちです。
 ところが、じっと見ていると、時折不動明王のような厳しさをのぞかせることもある。作者自身もそう言います。
 なぜか。
 滝田さんは三十三歳の時、NHK大河ドラマ「徳川家康」の役作りを通じて仏教に触れ、釈迦(しゃか)の生き方に共感し、五十二歳で「レ・ミゼラブル」の舞台にひと区切りをつけたあと、インドに渡ってその足跡を追いかけました。

何を求め、何を急ぐ
 滝田さんは振り返る。
 「お釈迦様はおっしゃいました。悲しみや苦しみの原因をつくってはいけません。煩悩とか、欲とかいうのは、本当に苦しみの種をまいて歩いているようなものだから。一時のそれに目がくらみ、人生を誤るようなことをしてはいけません-。実はね、これしか言っていないんですよ」
 3・11は戦後最大の転換点だと思われます。
 日本は、私は、どこで、何を間違えたのだろうかと来し方を振り返り、本当にこのままでいいのだろうかと行く末を占うために、滝田さんはお地蔵さんを彫り、人々が集うことのできるお堂を建てたのでしょうか。
 「失敗や過ちは必ずある。でも、それを繰り返すのは無知だから。無知は罪」
 みちびき地蔵が、そう語りかけてくるようです。
 過去から学び、大切な何かを見いだして、今を改めなければいけない時なのに、なかなかそれがかないません。
 滝田さんの言葉を借りれば「原発を見ても、経済界や社会の動きを見ても、もうすでに“お金に向かって走れ”の昔」に戻りつつあるのでしょうか。
 政府の顔色をうかがいながら、電力会社はあからさまに原発再稼働を急いでいます。経営の安定が何より大事と言いたげに。
 原発事故に故郷を追われた人々がいまだ十五万人もいて、十分な補償も受けられず、「原発がなければこんな悲劇は起こんねえ」と、声を振り絞っているのにです。
 政府は成長戦略に余念なく、福島事故の原因が究明されていないにもかかわらず、首相自ら途上国への原発セールスに駆け回る。
 事故現場では、絶え間なくわき出る放射能汚染水の行き場さえ見つからず、廃炉への道筋も付かないままに。
 公表されたばかりの「環境白書」の中からは、前の年には強調された原発リスクの大きさや原子力規制行政への期待を表すくだりが、姿を消してしまっています。
 その変わり身に、慈愛あふれるお地蔵さんさえ、いや、慈愛に満ちていればこそ、いら立ち、あきれ、お不動さんの憤怒の相をのぞかせてしまうのでしょう。

津波の来ない高台で
 地蔵堂は、津波の来ない高台に建てられました。そこに人々が集まって、震災後の生き方やまちづくりについて考え、話し合ってもらえるように。
 落慶法要の当日は、抜けるような晴天でした。揺り戻される時間の中から、映画の場面が心に浮かんできます。
 宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」。肥え太った人々が、有り余るごちそうに群がり、むさぼるあのシーン。
 これ以上過ちを繰り返さないために、私たちはどのように暮らしていくべきか。お地蔵さんにみちびかれ、自分自身で答えを見つけなければなりません。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013061102000100.html

原子炉など処分場未定 中程度汚染 事業者も決まらず
2013年6月11日 朝刊

 原発の運転や廃炉作業で出る放射性廃棄物のうち、原子炉や制御棒など放射線量が中程度のものを地下に埋める処分場の選定作業が全く進んでいないことが分かった。これらの廃棄物は地下五十~百メートルに埋設する規定になっており、「余裕深度処分」と呼ばれるが、事業主体も決まっていない。今後本格化する廃炉作業の遅れが懸念される。 
 原発から出る使用済み核燃料は再処理され、残った放射性廃液はガラスで固めて三百メートル以深の地層に最終処分する。放射性廃棄物は、この「高レベル」と、それ以外の「低レベル」の二つに大きく分けられる。
 余裕深度処分の対象となる廃棄物は「低レベル」の範囲に含まれ、放射線量が比較的高めの部材だ。制御棒をはじめとする原子炉内の構造物や原子炉圧力容器、一定レベルの廃液などが当てはまる。
 余裕深度処分は、国の原子力委員会が一九九八年に示した「低レベル放射性廃棄物処分の基本的考え方について」という文書に初めて盛り込まれた。
 その後、電力全十社でつくる電気事業連合会(電事連)などで検討を開始。日本原燃が運営する核燃料サイクル施設(青森県六ケ所村)の敷地内で地盤などの調査に着手。二〇〇三年から長さ約一キロ、深さ約百メートルの試験坑道が掘られ、〇六年に完成した。〇七年から経済産業省資源エネルギー庁から委託を受けた研究機関が調査、研究を続けている。
 高レベル廃棄物は、原子力発電環境整備機構(NUMO(ニューモ))が候補地となる自治体を探しているが、現時点で応募はない。余裕深度処分の処分場の選定作業も放置されたままとなっている。
 現在、東海原発(茨城県東海村)、浜岡原発1、2号機(静岡県御前崎市)で廃炉作業が進行中だ。さらに、直下に活断層がある敦賀原発2号機(福井県敦賀市)や稼働四十年以上の老朽化原発が続々と廃炉になる可能性がある。
 電事連広報部は、余裕深度処分に関して「処分場の場所は現段階では決まっていない。各電力会社共通の課題として考えていくべきものと認識している」と話している。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013061102000101.html

核燃料取り出し 20年度前半にも  課題山積のまま 前倒し
2013年6月11日 朝刊

 東京電力は十日、福島第一原発の廃炉作業で、原子炉内に溶け落ちた核燃料の取り出しを、最も早くて二〇二〇年度前半に始める計画案を発表した。しかし、未解決の課題も多く、見込み通りに作業が進むか不透明だ。
 東電は建屋上部にクレーンを設け、核燃料を取り出す計画。1、2号機でそれぞれ三通り、3号機で二通りの工程を示した。作業状況を見て、どの工程で進めるか決める。
 最も早い工程では、二〇年度前半から1、2号機の核燃料を取り出し始める。米スリーマイル島原発事故を参考にまとめた従来計画より一年半の前倒しとなる。これ以外の工程では従来より二~三年遅れる。
 がれきが多く残る3号機は、早くても従来と同じ二一年度後半の開始になる。
 取り出し作業を始める前提として、格納容器を水で満たす必要がある。溶けた核燃料が出す強い放射線を遮るためだが、水漏れしている容器をどう補修すればいいか分かっていない溶けた核燃料の状態も確認できておらず、取り出し作業にどれだけの時間がかかるかも見通せていない
 東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は「廃炉作業の完了時期がどうなるかは言えない」と述べた。計画案は、地元の意見を聴いた上で正式決定する。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013061202000159.html

【社説】
福島廃炉計画 言葉より成果を見たい
2013年6月12日

 メルトダウンした核燃料を一年半早く取り出せるかもしれない-。政府と東電は、福島第一原発の廃炉計画を見直して言う。だが避難を強いられた住民、また国民は、何より、着実な成果を見たい。
 福島1、2号機では、圧力容器を突き破って固まっている、核燃料の「デブリ」の回収を始める時期が、これまでの見通しより一年半ほど前倒しされるかもしれないという。
 デブリとはもともと、破片とか残骸を指すフランス語。溶融燃料は文字通りそんな状態だろう。
 前倒しと言っても、実際に作業の準備が整うまでにあと七年。しかも構内の除染が進み、建屋の上部にクレーンなどが順調に取り付けられた場合のことである。
 それよりも、溶け落ちた核燃料が、どこへ、どんな状態で散らばっているのか、現段階では分からない。作業はおろか、放射線が強く、人が近づけるような状態ではない。前倒しの見通しは、甘いというしかないだろう。
 日本で初めて廃炉作業に取りかかった茨城県東海村の東海原発は、一九九八年に営業運転を終了し、二〇〇一年に燃料棒の取り出しを終えた。だが準備作業の遅れから、原子炉の解体にかかるのは、来年にずれ込んでいる。
 一九七九年にメルトダウンを起こした米国のスリーマイル島原発では、圧力容器内の溶解だったが、すべての燃料取り出しには十一年の年月を費やした。
 八六年に大爆発した旧ソ連のチェルノブイリ原発では、核燃料は飛散状態でもあり、取り出すことをあきらめ、コンクリートで固める「石棺」にした。しかし、その石棺も腐食が進み、それをさらに覆う棺が必要になった。
 事故がなく、炉内の様子を把握できても、原発を安全に葬ることは極めて難しい。
 ましてや福島の場合、複数基爆発という世界に例のない難事業、甘い見通しは禁物である。
 事故から二年三カ月。技術大国のはずなのに、作業ロボットはなぜまだできないのか。地下水はなぜ止められないのかと、福島県民は気をもんでいるだろう。
 時間がたてば、施設全体の劣化は進む。余震のたびに、不安を募らせている人も多いに違いない。
 長期の見通しはもちろん必要である。だが今大切なのは、少しずつでも具体的な成果を示し、安心安全が近づいていると実感できることではないか。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013061201001965.html

もんじゅ研究、継続を確認 文科省部会、推進の方針変えず
2013年6月12日 20時47分

 高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県)の今後の研究計画を検討する文部科学省の作業部会は12日、夏をめどに策定する計画について今後も議論を続け、予定通り策定する方針を確認した。もんじゅは多数の機器の点検漏れが発覚し、原子力規制委員会が事実上の運転禁止命令を出したが、作業部会は研究推進の方針を変えない姿勢を示した。
 この日の会合で、文科省の担当者は「研究成果の取りまとめや、核廃棄物の減量化に向けた研究計画について引き続き議論する」と説明。異論はなかった。
 会合では、運営主体の日本原子力研究開発機構の組織見直しを集中的に議論した。

(共同)
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●「理論社」倒産

2010年11月23日 00時16分19秒 | Weblog

不覚にも「理論社」が倒産していたことを知りませんでした。西原さんの、とある受賞スピーチで知りました。「・・・テレビドラマ化されたベストセラー本「この世でいちばん大事な『カネ』の話」の出版社・理論社が突然倒産(10月6日)し、「印税2000万円もらいそこねた」と自虐コメント」というもの

 毎日新聞に以下のインタビュー記事が出ていました。ちょっと長いのですが、コピペさせていただきます。

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【http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101028ddm013040017000c.html】

ザ・特集:「理論社」の灯はどこへ 創業者・小宮山量平さん、出版「冬の時代」を語る
 ◇「兎の眼」「北の国から」--良書を世に出し、倒産
 出版人の良心は枯れ果てるのか? この秋、中堅出版社「理論社」が東京地裁に民事再生法適用を申請し、倒産した。灰谷健次郎さんの「兎(うさぎ)の眼(め)」など多くの児童文学、さらに倉本聡さんの「北の国から」などの名著を送り出してきた老舗である。創業者で作家の小宮山量平さん(94)に会った。【鈴木琢磨】

 ◇ベストセラー屋さんばっかり。読むべきもの、本当の作品とは何かを考えていない。
 ◇いまは第二の敗戦。若者の手でよみがえると信じている。
 「軍隊生活を終えて東京に戻ると、一面の焼け野原だった。新宿の山手線のレール上から隅田川のきらめきまで見えて。祖国喪失の悲しさ、むなしさ……、祖国は回復できるのだろうか? そんな思いが心の底にあったね」
 ここは本の街、東京・神田神保町。ベレー帽姿の小宮山さん、つえをついて歩きながら、ぽつぽつと語りだした。
  同胞(とも)よ/地は貧しい
  我らは/豊かな種子(たね)を
  蒔(ま)かなければならない
 ドイツ・ロマン派の詩人、ノバーリスの言葉を掲げて理論社を創業したのは、終戦から2年後の1947年である。
 翻訳でなく、日本人の作家による日本の子どものための創作児童文学を--。小宮山さんが種をまいたのは児童文学の世界だった。灰谷さんはじめ、「ぼくは王さま」の寺村輝夫さん、「赤毛のポチ」の山中恒さん、「宿題ひきうけ株式会社」の古田足日(たるひ)さん……若く無名の作家を次々と見いだしていく。「山のむこうは青い海だった」でデビューした今江祥智さん(78)もそのひとり。「とても残念です。理論社のおかげで60年代、新しい児童文学が幕を開けた。僕の作品の多くも理論社から。日本の出版の良心を支えていた大きな木の一本が倒れた感じです。ずっと一緒に走ってきたので……」
 ふと見れば、小宮山さん、キリンの絵柄のかばんを手にしている。「ハハハ、僕の熱烈なファンが贈ってくれたんだ。灰谷君らと児童詩誌『きりん』の刊行もしていたからね。子どもの詩に大人が教えられたよ」。たとえばこんな小学6年生の詩があった。<おとうさんが湯から/あがってきた/ぼくがそのあとに入った/底板をとったら/すこし砂があった/ぼくたちのために/はたらいたからだ>
 ひょっとして60年代の少年の詩が誰より無念をかみしめている生涯一編集者を励ましているのか。ただ小宮山さんは経営にタッチしていない。50歳代で会長に退き、89歳でふるさと長野県上田市に「エディターズミュージアム(小宮山量平の編集室)」を開き、遠く千曲川のほとりから東京の出版界の盛衰をながめてきた。今回の倒産について、これまであえてコメントは避けてきた。「出版界という川の流れについてならしゃべりましょうか」。そう言って、かつて作家と打ち合わせをした喫茶店のドアを押した。
 「日本の出版界はベストセラー屋さんばっかりになってしまったね」。コーヒーをすするおだやかな顔が見る見る険しくなる。「ベストセラーという合言葉で本をつくらないともうからない。みんなそう思っている。でもソロバンをはじけば、もうかるのは広告会社だけ。いくら売れても返本の山で出版社に利益はでない。そのリズムに巻き込まれたら……つぶれるしかないんだよ。理論社だって」。出版社の新刊広告は<たちまち重版!>の文句が小躍りし、書店にピラミッドのごとく本が積みあがっている。それも同じ著者ばかり、あの版元から、この版元からも。
 「あー、情けない。いやしくも編集者なら、本当の作品とは何か、読むべきものとは何かを考えないと。フランスで読み継がれているビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を想起する。あれを読んだか、読んだ気にならない限りはフランス人じゃない。そういう書物がいつしか彼らを統一体質にしている。パリで年金受給年齢の引き上げに抗議するデモが続いているでしょ。高校生までも参加して。祖国があるんだ。きずながね」
 さて、日本に「レ・ミゼラブル」はあるのか? 老編集者は半世紀前、ここ神保町の喫茶店で出版の打ち合わせをした五味川純平さんをあげた。戦争の悲惨さ、人間のおろかさを描いた「人間の条件」の原稿を手渡されたらしい。「ちょうど三一(さんいち)書房が新しく新書を出して勢いに乗っていたので、僕が仲立ちした。新書判で全6巻、1300万部を超える大ベストセラーになり、その印税で五味川君は戦史資料をかき集め、新書判18巻になる超大作『戦争と人間』を書きあげた。神保町の古本屋の間では『戦史資料は五味川さんへ』と言われたほどでした」
 ところが、その「戦争と人間」は絶版になって久しい。読もうにも読めない。「あの15年戦争と呼ばれる満州事変から、太平洋戦争にいたる長期戦争のすべてが俯瞰(ふかん)できる。どんな昭和史の評論も、碩学(せきがく)の研究もかなわないよ。リアルで、迫力があって。一気に読める。出版社が売れないからと尻ごみするなら、僕が出すしかないかなあ。大きな倉庫に本を保管し、注文を受け、読みたい人がいればいつでも届ける。食堂みたいな出版社だね。笑われるかもしれませんが、出版人はそこまで立ち戻らなければいけないでしょう」
 ときあたかも、尖閣問題で日中関係がぎくしゃくし、互いのナショナリズムに火がついている。夜の酒場で大人たちは臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、日中もし戦わばなどと知らず知らず時計の針を逆回転させている。「ぞっとする。僕たちは視野狭さくに陥ってはいけない。流されてはいけない。20世紀はせっかちな時代でした。革命と戦争の時代でした。21世紀は漸進の時代です。再び祖国の喪失があってはいけない。まだ地は貧しい。いまこそ良書が必要です」。すると理論社の灯は消せませんね?
 「雨降って地固まる。自然の成り行きで、スポンサーが現れてくれて、編集者たちもまとまれば、新しい理論社として再出発できるんじゃないかな。お父さんはノンキでいいわね、とかみさんは言っていますがね」。そういえば、理論社で最近、話題になった本に人気漫画家、西原理恵子さんの「この世でいちばん大事な『カネ』の話」がありました。「皮肉だねえ。でもカネのことがわからない僕が社長のころはつぶれなかったんだが。ハハハ」
 この夏は信州もすごく暑かった。小宮山さんは戯(ざ)れ句を詠んだ。
 <石ひとつぽとんと落とす河川葬(おそうしき)>
 「ちっちゃな三つのつぼに僕の骨を入れ、ひとつは愛するかみさんに渡し、ひとつは庭に埋め、そして、もうひとつを千曲川に落としてくれたら、と願ってね。いまは第二の敗戦じゃないですか。出版界も若者の手でよみがえると信じています」
 コーヒーをすすり終えた小宮山さん、それじゃあね、とお気に入りのキリンのかばんを持って本の街を歩きだした。
毎日新聞 2010年10月28日 東京朝刊
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