東京新聞の記事【高浜1、2号機、新基準に適合 老朽原発が相次ぎ延命も】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016022502000138.html)と、
社説【高浜原発40年超へ 安全文化はどこへ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016022502000142.html)、
そして、コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016022502000143.html)。
《原子力規制委員会は…七月七日に運転期間満了を迎える関西電力 高浜原発1、2号機…対策などを進めれば、新規制基準に適合するとの審査書案を了承した。老朽原発が新基準を満たす初めての判断》。
《四十年を超えた関西電力高浜原発1、2号機が、新規制基準に適合と判断された。安全のために定めた「寿命」の原則は、もう、反故にされたのか》。
み~んな、核発電「麻薬」患者、特に、関電は重傷。プルサーマルに続き、今度は「寿命核発電所」を再稼働したいそうだ。アタマオカシイノデハ? 狂っているとしか言えません。
『●関西電力八木誠社長のあの高浜原発:
「プルサーマル原発」に続き「寿命原発」を動かしたいそうです』
『●「値上げ脅迫」: 無策の関西電力・・・
東京電力原発人災以降、一体何をやってきたのか?』
『●川内原発再稼働: 「経済麻薬」=思考停止、
「他の方法で経済発展する手を考えることを放棄させる」』
『●狂気・凶器「プルサーマル発電は新規制基準下では初」
……もう何でもアリな原子力ムラの大暴走』
『●「大切なのは「信頼」だ」…
だからもう病気なんですってば!? 核発電「麻薬」患者』
《原子力規制委員会が老朽化した関西電力高浜原発1、2号機の安全対策に対し、新規制基準に適合していると、判断した。老いた馬をなお走らせるのか》。
「老いた馬」ではなく「狂ったゴジラ」なり。 「愚」を繰り返すニッポン……「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」。「仏様のおかげ」にまだ縋ろうとする関電、アベ様、原子力「寄生」委員会、「地元」賛成派、等々。
『●「仏様のおかげ」はもう期待しない方がいい:
高浜原発、「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」』
『●「暴走するゾウ、ゴジラを解き放とう
という「愚」」な東電をどのように「信頼」すればよいのか?』
「安全神話」「不老神話」を支えるものが、またしても、経済性とは……原子力「推進」委員会=「寄生」委員会は芯から腐っている。
『●関西電力の「原発再稼働」への言い訳にさせてはいけない』
「原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。
極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が
高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえ
にじませているようだ。経済神話の否定である」
「大飯再稼働、差し止め命じる 生存と電気代、同列許さず」
「また、生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には
許されない」ことで、原発事故で豊かな国土と国民生活が取り戻せなく
なることが「国富の喪失」だと指摘。福島事故は「わが国が始まって
以来、最大の環境汚染」であり、環境問題を原発推進の根拠とする
主張を「甚だしい筋違い」と断じた」
「「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの
問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」
として、経済活動よりも生存に関わる人格権を優先した」
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016022502000138.html】
高浜1、2号機、新基準に適合 老朽原発が相次ぎ延命も
2016年2月25日 朝刊
原子力規制委員会は二十四日の定例会合で、七月七日に運転期間満了を迎える関西電力高浜原発1、2号機(福井県)について、原子炉建屋の放射線対策やケーブルの防火対策などを進めれば、新規制基準に適合するとの審査書案を了承した。老朽原発が新基準を満たす初めての判断となった。
東京電力福島第一原発事故後に改正された原子炉等規制法では、原発の運転期間は四十年に制限され、最大二十年間の運転延長は「例外」とされてきたが、早くも例外が認められる見通しとなった。今後、延長を目指す電力会社が相次ぎ、実質的に「六十年廃炉」になっていく恐れがある。
この日の会合で、事務局は、建屋上部に遮へいドームを造り、ケーブルには防火シートを巻き、事故時の対策拠点を新設するなど関電の方針を説明。これらが実行されれば、新基準を満たすとした。委員から若干の質問は出たが、審査書案に異論はなく、議論は十五分ほどで終わった。
規制委は二十五日から三月二十五日まで意見募集を実施して審査書を決定。対策工事の詳細設計や老朽化の審査も進めた上で、延長の可否を決める。
四十年廃炉の原則は二〇一二年、米国の制度も参考にして法制化された。二十年延長の例外規定も設けられたが、当時の細野豪志原発担当相(民主党)は「例外が認められるのは、極めて厳しい。例外中の例外」と明言していた。
四十年超の原発を延命させるためには、新基準で要求される設備を整えるほか、老朽化に伴い原子炉がもろくなっていないか、建屋のコンクリートの強度は十分かなどの審査にもパスすることが求められる。
関電は、1、2号機は出力が八十二万六千キロワット、3、4号機は八十七万キロワットと大きく、新基準などに適応する対策費に四基合わせて約三千百九十億円をかけても採算が合うと判断した。
新基準ができた後、関電美浜1、2号機(福井県)など五基の廃炉が決まったが、いずれも最大五十万キロワット台と比較的小さい。
今後十年のうちに、十五基が四十年を迎え、廃炉か延長か判断を迫られる。しかし、大型化の傾向は明確で、十一基までが八十万キロワット超。もっと新しい原発は百万キロワット超が主流だ。
各社とも方針を明らかにしていないが、採算性を優先すれば、延長を狙ってくる可能性が高い。そうなれば、四十年廃炉の原則は失われることになる。
◆規制委「費用かけ克服」
原子力規制委員会の田中俊一委員長は二十四日の定例記者会見で、老朽原発の関西電力高浜1、2号機(福井県)が新規制基準に基づく審査に適合としたことに関し、「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」と述べた。
田中委員長は今後の老朽原発の審査方針について「個々に判断していく」としたほか、高浜原発の追加の安全対策について「新しく原発を造る半分の費用がかかっている。それなりの覚悟があったのだろう」と述べ、関電の対応に一定の評価を示した。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016022502000142.html】
【社説】
高浜原発40年超へ 安全文化はどこへ
2016年2月25日
四十年を超えた関西電力高浜原発1、2号機が、新規制基準に適合と判断された。安全のために定めた「寿命」の原則は、もう、反故(ほご)にされたのか。
五年前のあのころに、気持ちを戻してみてほしい。
3・11を教訓として、私たちは繰り返し訴えてきたはずである。
今世紀に入って新たに運転を始めた原発は、東北電力東通1号機など五基しかない。
四十年寿命を厳格に適用し、役目を終えれば直ちに停止、廃炉に向かう。おおむね二〇三〇年代に原発は停止して、北海道電力泊3号機の寿命が尽きる四九年の暮れまでに国内の原発はゼロになる。
その間に、不要になった送電網や港湾施設を活用しつつ、風力や太陽光など再生可能エネルギーを普及させていくべきだ-と。
国民の大勢も、そのように感じていたはずだ。
折しも3・11は、東京電力福島第一原発の1号機が、運転開始四十年を迎えるちょうど半月前。四十年の当日には、原発の廃炉と福島の未来を考えようという市民グループ「ハイロアクション福島原発四十年実行委員会」が、結成イベントを開くはずだった。
廃炉時代は3・11以前から、始まっていたのである。
一二年の年明け早々、当時の民主党政権が「原発の運転期間は原則四十年」の方針を打ち出した。
「ほとんどの原子炉は中性子の照射により四十年で脆化(ぜいか)する」という設計思想に基づいて設定された“寿命”である。
脆化とは「もろくなる」ということだ。
原子炉の心臓部に当たる圧力容器の内側には、核分裂で生じる中性子が当たり続けてもろくなる。つまり、こわれやすくなるのである。その限界が四十年。高レベルの放射能を浴びており、交換も不可能だ。原発の寿命が最長四十年という理屈は通る。
旧式の圧力容器は材質が悪く劣化が早い。四十年も持たないと、前倒しを求める意見も目立つ。
それなのに「一度だけ最大二十年延長できる」という例外規定が、法律に付いてきたのはなぜか。
そして3・11の教訓をこめた新しい原発規制に、なぜそれが踏襲されたのか。
「世界の潮流にならい」というのが政府の説明だった。要は「米国のルールを取り入れた」ということなのだろう。
ところが、本家の米国でさえ、3・11以降、求められる補修や改善に費用がかかり過ぎるとして、延命をやめて、閉鎖、廃炉に踏み切る原発が増えている。二十年という延長期間の方こそ、根拠が薄いのではないか。
◆“不老神話”の誕生か
原子力規制委員会は例外を認める条件として、通常より格段厳しい特別点検や安全対策の大幅な強化を義務付けてはいる。
しかし、心臓部は交換不能、新しい部品のつなぎ目から問題が生じる恐れがあるとの指摘もある。補修による延命にはやはり、限界があるとは言えないか。
経済産業省が昨春示した三〇年の電源構成(ベストミックス)案は、総発電量に占める原発の割合を「20~22%」と見込んでいる。
四十年寿命を守っていては、達成できない数字である。
例外規定の背後には、福島の教訓放棄、安全神話の復活、そして、新増設をも視野に収めた原発回帰の未来が透けて見えないか。
関電は、同じ老朽原発の中でも、出力が低い小型の美浜1、2号機はすでに運転を終了し、美浜3号機を含む中型の運転延長を願い出た=図参照。
安全への配慮からというよりも、補修にかかる費用と再稼働の利益をてんびんにかけ、そろばんをはじいた上での判断だ。
◆工学は寿命を決める
一九五〇年代前半、世界初のジェット旅客機である「コメット」の事故が相次いだ。航空機業界はその反省に立ち「安全寿命設計」という考え方を採り入れた。
たとえば長距離型のジャンボでは、総飛行六万時間、離着陸二万回が“寿命”になるという。
電力業界に安全思想、安全文化が根付いているとは、言い難い。
私たちは、もう一度訴える。
原発の四十年寿命は厳格に守り、円滑な廃炉や核のごみの処分に備えるべきである。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016022502000143.html】
【コラム】
筆洗
2016年2月25日
男は街角で動かぬ年老いた馬を見たという。一八八九年一月三日、イタリア・トリノでのことだそうだ。御者がどんなに脅しつけても馬は頑として動かない。御者は烈火のごとく怒り、馬を鞭(むち)で打ち始めた▼見かねた男は駆け寄って御者の仕打ちを止めた。泣きながら馬の首を抱きかかえ、そのまま、倒れた▼男は哲学者のニーチェである。二日後、目を覚ましたが、その時には、精神を完全に病んでいたという。ハンガリーのタル・ベーラ監督による映画「ニーチェの馬」(二〇一一年)で知った。キリスト教的道徳や憐憫(れんびん)に否定的だったニーチェだが、この逸話には同情と優しさがあふれている▼あの白黒映画の馬の哀(かな)しげな顔が、振り払っても浮かんでくる話である。原子力規制委員会が老朽化した関西電力高浜原発1、2号機の安全対策に対し、新規制基準に適合していると、判断した。老いた馬をなお走らせるのか▼原発の運転期間は原則四十年でそれを超える高齢原発の「合格」は初めてという。再稼働には原子炉建屋に放射線を遮るドームを建設することや、ケーブルの火災対策強化など必要だが、それさえもが、老いて休ませるべき馬を動かすための無理で非情な鞭に見えなくもない▼しかもそれは馬ではない。間違いや老朽化による変調など絶対に許されぬ、扱いの難しい装置である。鞭打たれるものが心配である。
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