東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012013102000016.html)と朝日新聞の社説(http://www.asahi.com/paper/editorial20120201.html)。
東京都教委によるいじめ・差別。それを支持する東京地裁の裁判官。「司法」はどこもかしこも機能不全。
都知事も都知事なら、それに服従ばかりしている都教委も都教委だな。
この「三鷹高校事件」の東京都立三鷹高校の元校長については、以前、『創』にも記事が出ていた。
『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012013102000016.html】
【コラム】
千人近い生徒全員の名前と顔を覚え、校門で気さくに声を掛ける高校の校長はまずいないだろう。退職する時、卒業生全員から寄せ書きを贈られた熱血教師は、あることがきっかけで教育現場から排除されてしまう▼東京都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんは二〇〇六年、職員会議で教師が挙手して採決することを禁じる都教育委員会の方針に異を唱えた。二度と戦争をしないために最も重要なことだ、と生徒に語っていた「言論の自由」が奪われることへの危機感からだった▼定年を迎えた〇九年、ほぼ全員が採用される非常勤教員の試験で不合格になった。すべての項目で最低のC評価。都教委に歯向かったことへの報復であることは明らかだった▼「不採用は不当」と土肥さんが都教委を訴えた訴訟の判決がきのう、東京地裁で下された。結果は敗訴。結論が先にあり、理由を後からくっつけたような説得力のない判決だった▼東京や大阪では鋳型にはめ込むように「お上」に従順で物言わぬ教師をつくることに躍起になっている。そんな流れに歯止めをかけるどころか、助長する判決を連発する司法の責任は重い▼三年前の離任式で生徒から渡された「卒業証書」にはこう書いてある。「教育委員会の弾圧にも負けず本校所定の課程を修了したことを証する」。この“宝物”を胸に土肥さんは再び闘いを始める。
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【http://www.asahi.com/paper/editorial20120201.html】
2012年2月1日(水)付
校長の「反乱」―教委の強圧を許す司法
判決理由からは、いまの学校現場への深い洞察は読み取れない。民主社会でなにより大切にすべき「精神の自由」への理解も、うかがうことはできない。
がっかりする判決が東京地裁で言い渡された。
東京都立三鷹高校の元校長、土肥信雄さんが都に損害賠償を求めた裁判の一審は、土肥さんの全面敗訴で終わった。
3年前、定年退職後も引き続き教壇に立ちたいと望んだが、都教委は認めなかった。790人が応募し、768人が合格したのに、不適格と宣告された。
土肥さんはどんな校長だったのか。裁判をとおして明らかになった姿はこうだ。
何百人もいる生徒の名前を覚え、声をかける。社会的リーダーの育成を目標に掲げ、補講のコマ数を増やす。定時制クラスにも顔を出し、さまざまな事情を抱える生徒と交流する。
保護者や地元有識者らがしたアンケートでは、生徒の85%、保護者の95%が「この高校に入学して良かった」と答えた。
だが、都教委はこうした評価には目を向けず、土肥さんのふたつの行動を問題視した。
ひとつは、職員会議のメンバーに挙手や採決で意思表示させるのを禁じた都教委の通知を批判し、メディアの取材にも応じたこと。もうひとつは、教員の評価方法をめぐり、やはり都教委に異を唱えたことだ。
どちらも組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠けると判断した。
都教委は挙手・採決禁止の理由を、学校運営の決定権は校長にあり、職員に影響されてはならないからだと説明する。通知は6年前に出されたが、追随した自治体はない。
これに対し、土肥さんは「最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい」と唱えた。
だからといって、会議で挙手させたり採決したりしたわけではない。「悪法も法」として、通知自体には従っていた。
どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう。
それなのに東京地裁は、再雇用は都教委に幅広い裁量権があると述べ、不採用を追認した。
力をもつものが異議申し立てを許さず、定年後の生活まで人質にして同調を強いる。こんな行きすぎを押しとどめるのが、司法の役割のはずだ。
息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる。そこからは明日をになう活力は生まれない。
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