
『上野英信の肖像』、8月に読了。岡友幸編。海鳥社。1989年11月刊。
上野さんの炭鉱のルポを読んでいるが、その悲惨さに唖然。通勤途中、涙が出そうで困る。
敗戦後、京都大学中退、筑豊の炭鉱へ (p.35)。「筑豊に労働者の文化センターを」という構想の具体化として「筑豊文庫」(p.73)。筑豊文庫創設の頃の新延の写真 (p.74、75)。セイタカアワダチ草の別名は”川筋根性草” (p.152、153)。

(『上野英信の肖像』)
千田梅二版画『せんぷりせんじが笑った!』(p.58)。森崎和江、石牟礼道子さん (p.61)。石牟礼さん「わたくしにとっての筑豊」(p.95)。若き松下竜一さんとの写真 (p.92)。
南米への農業移住という名の棄民 (p.105)、それは筑豊からも・・・。
町立病院にて1987年永眠、享年六十四 (p.155、171)。