レイチェルは歌にも《なる》。
「レイチェルはいま、心身全体が何とも説明できない歓び、たいていその原因がわからぬままに、あたりの土地全体、空全体をも包み込んでしまうような歓びに満たされ、何も見ずに歩いていた。夜が昼に侵入し、前の晩に演奏した曲が耳を塞いでいた。彼女は歌った。歌うといっそう歩が速まった。どこへ行くのか、自分でもはっきりわからず、木々や風景が、単に緑や青の塊りとなって目に映り、色調を変える空が時折視界に入った。昨夜出会った人々の顔が眼前に現れ、声が聞こえた。レイチェルは歌うのをやめ、同じことを繰り返し言ったり、言い方を変えてみたり、こう言っても良かったと思うことを言葉にしたりした。絹のロングドレスを着て見知らぬ人に混じる窮屈さを思うと、このようにひとり悠々と大股で歩く彼女はいつになく心が踊った。ヒューウェット、ハースト、ヴェニング氏、ミス・アラン、音楽、照明、庭の黒々とした木々、夜明けーーー歩きながら、レイチェルの頭の中にそれらすべてが渦を巻いて押し寄せ、その騒々しく荒れ狂う背景から突如として今という瞬間が、好きなことを思いのままにできる時として、昨夜よりもいっそう素晴らしく活気ある姿で現れた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302」岩波文庫)
このときもまたレイチェルは「或る時刻」としての「此性」を生きている。多少複雑な感じを受けるかもしれない。夜通しのパーティの後の身体なのだから。と、そこに「一本の木」が登場する。
「レイチェルは、一本の木が邪魔しなければ、まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかもしれない。その木は行く手を遮るように生えていたわけではなかったが、まるで枝が顔を打ったかのように、うまい具合に彼女の足を止めてくれた。ありふれた木であるが、レイチェルには世界に一本だけのとてつもなく変わった木に見えた。中央の幹は黒く、枝はあちこちに飛び出ていて、枝と枝の間には、まさにたった今地面から出てきたかのように、ぎざぎざした光の空間を遺していた。彼女にとっては生涯続く光景、そして生涯を通じてこの瞬間を維持するに違いない光景を見届けると、木は再び普通の木の部類にまで沈み、レイチェルは木陰に座り、下生えの薄い緑の葉をつけた赤い花を摘めるようになった。一人で歩いてきた彼女は、撫でながら花は花、茎は茎、と揃えて並べた。花にも、土にまみれた石ころにさえも、生命と気質があり、遊び仲間であった子供の頃の感情を蘇らせてくれたからだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302~303」岩波文庫)
こうある。「まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかも」。たぶんそうだ。「一本の木が邪魔」することで彼女を正気に戻らせた、というわけだ。もしそうでなければ狂気に突入していき、そのまま帰ってくることはできなかったに違いない。しかし事情はもっと混み入っているように見える。このシーンで「花は花、茎は茎、と揃え」なければならない必然性はどこにもない。にもかかわらず、彼女はなぜそうしたのか。何かが屈曲している。しかしこの屈曲は矯正する必要がない。屈曲あるいは屈折したものは必ずしも矯正しなければならないというわけではないからなのだが、もう少し考えてみよう。「道」は始めからあったのか、と。むしろレイチェル自身が「道」だったのではなかったか。いつのまにか、に過ぎないが。そしてまた、「花」「石ころ」あるいは「石ころ」がそれにまみれている「土」などに「生命と気質」を宿らせるのは彼女なのだ。その瞬間、それらのうちに、レイチェルが「遊び仲間であった子供の頃の感情」が「蘇」っている。しかしこの事態は過去から到来するのだろうか。そうとしか考えられない。だが、どうやってなのか。確かなのは、子どもの頃の感情がそれら風景と繋がるのは瞬間的な出来事である、ということだ。スピノザを思い出そう。
「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)
「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)
記憶と関係があるのだろう。しかし、記憶、と、「関係する」、とは、どのようなことを指して言っているのだろうか。そういう人々は。脳に関係するのか。そうともいえよう。しかしもっと正確に言うとすれば、脳がそのほんの一部に過ぎないような神経システムを含む身体全域が一挙に運動=流通するというべきではないのか。確実なのは身体である。そして身体はそれがほんの一部に過ぎないような世界と常に既に代謝=流通していなくては生きていけないばかりか、死んですぐに始まる自然界への分解=回帰すら不可能である。その先はどうなるのか。確かなことは誰も知らない。だが死は、けっして脳が「認識」するものではないし、また「認識」するために脳はあるのではない。ベルクソンがいうのはこうだ。
「脳とは、かくて私たちの見るところでは、一種の電話交換局にほかならないはずである。その役割は『通信を伝えること』あるいはそれを待機させることにある。脳は、じぶんが受容したものになにものも付加しない。とはいえ、あらゆる感覚器官は、その延長の終端を脳にまで送りこんでおり、脊髄と延髄にぞくする運動機構のいっさいが、選定された代表者をそこに置いているわけだ。だから脳は、まぎれもなく一箇の中枢なのであり、末梢の刺戟はこの中枢で、あれこれの運動機構と関係づけられる。ただしその関係は、選択されたものであって、強制されたものではもはやないのである。いっぽう、膨大な数の運動をみちびく〔神経〕通路が、この皮質のなかでは《すべて同時に》、末梢から到来する同一の興奮に対して開放されることがありうる。したがってこの興奮には、脳のなかで無限に分割され、かくてまた無数の、ただ生まれようとしているにすぎない運動性反応のうちで散逸する可能性もある。こうして、脳の役割はある場合には、受けとった運動を、選択された反応器官へみちびくことであり、またべつの場合にはこの運動に対して、運動の通路の全体を開放することにある。後者の場合なら、それは、当の運動にふくまれている可能な反応のすべてを素描し、みずから分散しながら分解してゆくためなのである。いいかえてみよう。脳とは、受けとられた運動との関係においては分解の器官であり、実行される運動との関係にあっては選択の器官であるように、私たちには思われる。しかしながら、いずれの場合にしてもその役割は、運動を伝達したり、分割したりすることに限定されている。くわえていえば、皮質の上位の中枢においても、神経の諸要素は認識をめざして作動しているわけではない。これは、脊髄が認識を目的とするものでなかったのと同様である。それらは、複数の可能な行動を一挙に下描きするか、そのうちのひとつを組織化するか、そのいずれかを遂行するにすぎない」(ベルクソン「物質と記憶・P.59~60」岩波文庫)
「選定された代表者をそこに置いている」とベルクソンはいう。ニーチェはそれを「一種の指導委員会がある」と論じた。
「『意識』の役割をとらえそこねないことが肝要である。すなわち、《意識を発達させたのは》、私たちと《『外界』との関係》である。これに反して、肉体的諸機能の協同に関する《指導》、ないしは監督や配慮は、私たちの意識にのぼることが《ない》。それは、精神の《貯蔵作用》がそうであるのと同様である。もっとも、これに対して一つの最高法廷が、すなわち、さまざまの《主要欲望》がその発言権や権力をふるう一種の指導委員会があるということは、疑いえない。『快』、『不快』はこのような領域からの合図である。《意思作用》も同様であり、《観念》も同様である。
《要約すれば》、意識されるものは因果的連関のもとにあるが、この連関は私たちには全然不明なのであるーーー思想、感情、観念が意識のうちで次々とあらわれる継起は、この継起が因果的継起であるということに関して、何ごとも言いあらわしてはいない。しかしそれは、最高度にそう《見える》のである。この《仮象性》をもととして私たちは、《精神、理性、論理など》という私たちの全表象を《根拠づけ》(ーーーこれらのものはすべて存在してはおらず、それらは虚構された綜合であり統一である)、これらのものをふたたび事物の《うちへと》、事物の《背後へと》投影してきた!
ふつうには《意識》自身が総体的感覚中枢であり最高法廷であるとみなされている。ところが、意識は《伝達の手段》にすぎず、それは、交通において、また交通への関心に関して発達してきているーーーここで『交通』とは、外界の影響と私たちの側でそのさい必要な反作用のこととも、同じくまた、外界に《向かっての》私たちの働きかけのこととも解される。意識は教導のはたらきでは《なく、教導の一機関》である」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五二四・P.61~62」ちくま学芸文庫)
意識は認識を目的としてはいない。むしろ意識は「《伝達の手段》にすぎず」、「最高法廷」でもなく、「教導の一機関」(一部分)であるに過ぎない。さらにベルクソンのいうように、脳は基本的に何も付け加えない。ただ複雑化していきはする。だが「行く」といえば変に見えはしないだろうか。「いく」と、ひらがなで表示するか、それとも「くる」と、これもまたひらがなで表示するかするのが妥当のような気がする。しかし脳は本当にそれほど空間的なものなのだろうか。空間を置いてみて実は幻想でない、と一体誰にいえるだろう。
次のセンテンスを見てみよう。ヒューウェットが珍しく苦悶している。
「『人はなぜ正直になろうと《しない》んだ?』部屋への階段を昇りながら彼は呟いた。なぜ異なった人たちの間の関係は、こうも不充分で、断片的で、危なっかしいものなのか?なぜ言葉は極めて危険なもので、その作用により、他人の心情を理解し共感しようとする本能が、結局は自分の心情を入念に検査し、さらにおそらく押し潰す働きをしてしまうのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.338」岩波文庫)
言語「の」問題なのか。それとも言語「が」問題なのだろうか。ここでは後者が問題なのだ。言語自体が。しかし言語「自体」とは何だろうか。物質の諸力の運動、と言ってみることはできるだろう。この危険な言語が、そして、何をしでかすというのだろうか。ここで読者は言語に本来まとわりついている両義性に出会う。言語なしでは何も伝達できない。同時に、言語化されてしまえば、どのような意識も感情も感覚も伝達されるものはすべて、既に一般化されたものでしかなくなっている。意識も感情も感覚も感性的なものも、その個別性を奪われてしまい、逆に一般的で均質的で凡庸なものへ変換されてしまう。二つの方向が生じてくる。この二方向へ向かって意識を無理やり押し通そうとすると、意識は、分裂してしまうほかない。ところが、人は沈黙しているとき、意識は、文法がゆっくり解体していく、溶けていく或る時間を耐えているのではないだろうか。文法が溶解しそうになるとき、人は不安と恐怖の余りに、わけもわからずしゃべり散らしたりしているのではないだろうか。なるほど「ダロウェイ夫人」はそうであった。セプティマスは「おしゃべり」について、その効用を説いてはいなかっただろうか。「おしゃべり」について、その愚劣さを罵りつつ、実はその効用について語ってはいなかっただろうか。では、人間は、「おしゃべり」の力によって、かろうじて正気を保っているというわけなのか。もっとも、ウルフの場合、それは小説を「書く」という実践だったわけだが。
ところで、音楽はどうなったのか。あるいは音楽は人間にとって何か働きかけるのだろうか。もし働きかけるとすれば、音楽はどのように働くわけなのか。ヒューウェットにとって何らかの解答にはなるだろう。ニーチェ的な問題だ。
「《音楽と比較》すれば《言葉》によるすべての伝達は破廉恥(はれんち)なやり方である。言葉は稀薄ならしめ愚昧(ぐまい)ならしめる。言葉は没人格的ならしめる。言葉は凡俗ならざるものを凡俗ならしめる」(ニーチェ「権力への意志・第三書・八一〇・P.325」ちくま学芸文庫)
近代を問題にするとき、いつも人は同時に言葉をも問題にしなければならない。だからといって、近代以前が良かったといっているわけでもない。この問題は古代ギリシアからずっと持ち越されてきた伝統的問題だからだ。ヘーゲルが面白いエピソードを語っている。
「ソクラテスの原理は実にアテナイの国家にとって《革命的な原理》であった。というのは、この国家の特質は、慣習が国家の存立の基本形式である点、つまり思想と現実生活との不可分という点にあったからである。ソクラテスがその友の反省を促す場合、その会話は常に消極的〔否定的〕である。すなわち、ソクラテスは友人が何が正しいかを知らないという意識に達するまで彼を引っぱって行く。ところでソクラテスが、このいまや現われざるを得ない新原理を公言したために死刑を宣告される場合、そこにはアテナイの民衆がその不倶戴天の敵を処刑するという正当な理由があるとともに、また彼らがソクラテスの中に見つけ出して、罰せなければならなかったその当のものが、実はすでに彼らの中にもしっかりと根を張っているということ、したがって彼らもまたソクラテスと同罪であるか、それともソクラテスとともに無罪の宣告を受けるべきであったという、ぎりぎりの悲劇が介在しているのである」(ヘーゲル「歴史哲学・中・P.180」岩波文庫)
さて、ようやく分身の主題に戻ることができる。
「レイチェルはヘレンに言わせれば、殻を閉ざした貝とも見え、彼女の耳に浴びせられるヒューウェットの言葉は、岩の断崖に付着する貝を洗う波のようだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.20」岩波文庫)
レイチェルは今度は「貝」に《なる》。そしてヒューウェットの言葉は「波」に《なる》わけだが、彼はレイチェルの恋人であるにもかかわらず、もはや、というより、早くも、「貝」の背を洗う「波」に過ぎなくなっている。
BGM
「レイチェルはいま、心身全体が何とも説明できない歓び、たいていその原因がわからぬままに、あたりの土地全体、空全体をも包み込んでしまうような歓びに満たされ、何も見ずに歩いていた。夜が昼に侵入し、前の晩に演奏した曲が耳を塞いでいた。彼女は歌った。歌うといっそう歩が速まった。どこへ行くのか、自分でもはっきりわからず、木々や風景が、単に緑や青の塊りとなって目に映り、色調を変える空が時折視界に入った。昨夜出会った人々の顔が眼前に現れ、声が聞こえた。レイチェルは歌うのをやめ、同じことを繰り返し言ったり、言い方を変えてみたり、こう言っても良かったと思うことを言葉にしたりした。絹のロングドレスを着て見知らぬ人に混じる窮屈さを思うと、このようにひとり悠々と大股で歩く彼女はいつになく心が踊った。ヒューウェット、ハースト、ヴェニング氏、ミス・アラン、音楽、照明、庭の黒々とした木々、夜明けーーー歩きながら、レイチェルの頭の中にそれらすべてが渦を巻いて押し寄せ、その騒々しく荒れ狂う背景から突如として今という瞬間が、好きなことを思いのままにできる時として、昨夜よりもいっそう素晴らしく活気ある姿で現れた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302」岩波文庫)
このときもまたレイチェルは「或る時刻」としての「此性」を生きている。多少複雑な感じを受けるかもしれない。夜通しのパーティの後の身体なのだから。と、そこに「一本の木」が登場する。
「レイチェルは、一本の木が邪魔しなければ、まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかもしれない。その木は行く手を遮るように生えていたわけではなかったが、まるで枝が顔を打ったかのように、うまい具合に彼女の足を止めてくれた。ありふれた木であるが、レイチェルには世界に一本だけのとてつもなく変わった木に見えた。中央の幹は黒く、枝はあちこちに飛び出ていて、枝と枝の間には、まさにたった今地面から出てきたかのように、ぎざぎざした光の空間を遺していた。彼女にとっては生涯続く光景、そして生涯を通じてこの瞬間を維持するに違いない光景を見届けると、木は再び普通の木の部類にまで沈み、レイチェルは木陰に座り、下生えの薄い緑の葉をつけた赤い花を摘めるようになった。一人で歩いてきた彼女は、撫でながら花は花、茎は茎、と揃えて並べた。花にも、土にまみれた石ころにさえも、生命と気質があり、遊び仲間であった子供の頃の感情を蘇らせてくれたからだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302~303」岩波文庫)
こうある。「まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかも」。たぶんそうだ。「一本の木が邪魔」することで彼女を正気に戻らせた、というわけだ。もしそうでなければ狂気に突入していき、そのまま帰ってくることはできなかったに違いない。しかし事情はもっと混み入っているように見える。このシーンで「花は花、茎は茎、と揃え」なければならない必然性はどこにもない。にもかかわらず、彼女はなぜそうしたのか。何かが屈曲している。しかしこの屈曲は矯正する必要がない。屈曲あるいは屈折したものは必ずしも矯正しなければならないというわけではないからなのだが、もう少し考えてみよう。「道」は始めからあったのか、と。むしろレイチェル自身が「道」だったのではなかったか。いつのまにか、に過ぎないが。そしてまた、「花」「石ころ」あるいは「石ころ」がそれにまみれている「土」などに「生命と気質」を宿らせるのは彼女なのだ。その瞬間、それらのうちに、レイチェルが「遊び仲間であった子供の頃の感情」が「蘇」っている。しかしこの事態は過去から到来するのだろうか。そうとしか考えられない。だが、どうやってなのか。確かなのは、子どもの頃の感情がそれら風景と繋がるのは瞬間的な出来事である、ということだ。スピノザを思い出そう。
「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)
「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)
記憶と関係があるのだろう。しかし、記憶、と、「関係する」、とは、どのようなことを指して言っているのだろうか。そういう人々は。脳に関係するのか。そうともいえよう。しかしもっと正確に言うとすれば、脳がそのほんの一部に過ぎないような神経システムを含む身体全域が一挙に運動=流通するというべきではないのか。確実なのは身体である。そして身体はそれがほんの一部に過ぎないような世界と常に既に代謝=流通していなくては生きていけないばかりか、死んですぐに始まる自然界への分解=回帰すら不可能である。その先はどうなるのか。確かなことは誰も知らない。だが死は、けっして脳が「認識」するものではないし、また「認識」するために脳はあるのではない。ベルクソンがいうのはこうだ。
「脳とは、かくて私たちの見るところでは、一種の電話交換局にほかならないはずである。その役割は『通信を伝えること』あるいはそれを待機させることにある。脳は、じぶんが受容したものになにものも付加しない。とはいえ、あらゆる感覚器官は、その延長の終端を脳にまで送りこんでおり、脊髄と延髄にぞくする運動機構のいっさいが、選定された代表者をそこに置いているわけだ。だから脳は、まぎれもなく一箇の中枢なのであり、末梢の刺戟はこの中枢で、あれこれの運動機構と関係づけられる。ただしその関係は、選択されたものであって、強制されたものではもはやないのである。いっぽう、膨大な数の運動をみちびく〔神経〕通路が、この皮質のなかでは《すべて同時に》、末梢から到来する同一の興奮に対して開放されることがありうる。したがってこの興奮には、脳のなかで無限に分割され、かくてまた無数の、ただ生まれようとしているにすぎない運動性反応のうちで散逸する可能性もある。こうして、脳の役割はある場合には、受けとった運動を、選択された反応器官へみちびくことであり、またべつの場合にはこの運動に対して、運動の通路の全体を開放することにある。後者の場合なら、それは、当の運動にふくまれている可能な反応のすべてを素描し、みずから分散しながら分解してゆくためなのである。いいかえてみよう。脳とは、受けとられた運動との関係においては分解の器官であり、実行される運動との関係にあっては選択の器官であるように、私たちには思われる。しかしながら、いずれの場合にしてもその役割は、運動を伝達したり、分割したりすることに限定されている。くわえていえば、皮質の上位の中枢においても、神経の諸要素は認識をめざして作動しているわけではない。これは、脊髄が認識を目的とするものでなかったのと同様である。それらは、複数の可能な行動を一挙に下描きするか、そのうちのひとつを組織化するか、そのいずれかを遂行するにすぎない」(ベルクソン「物質と記憶・P.59~60」岩波文庫)
「選定された代表者をそこに置いている」とベルクソンはいう。ニーチェはそれを「一種の指導委員会がある」と論じた。
「『意識』の役割をとらえそこねないことが肝要である。すなわち、《意識を発達させたのは》、私たちと《『外界』との関係》である。これに反して、肉体的諸機能の協同に関する《指導》、ないしは監督や配慮は、私たちの意識にのぼることが《ない》。それは、精神の《貯蔵作用》がそうであるのと同様である。もっとも、これに対して一つの最高法廷が、すなわち、さまざまの《主要欲望》がその発言権や権力をふるう一種の指導委員会があるということは、疑いえない。『快』、『不快』はこのような領域からの合図である。《意思作用》も同様であり、《観念》も同様である。
《要約すれば》、意識されるものは因果的連関のもとにあるが、この連関は私たちには全然不明なのであるーーー思想、感情、観念が意識のうちで次々とあらわれる継起は、この継起が因果的継起であるということに関して、何ごとも言いあらわしてはいない。しかしそれは、最高度にそう《見える》のである。この《仮象性》をもととして私たちは、《精神、理性、論理など》という私たちの全表象を《根拠づけ》(ーーーこれらのものはすべて存在してはおらず、それらは虚構された綜合であり統一である)、これらのものをふたたび事物の《うちへと》、事物の《背後へと》投影してきた!
ふつうには《意識》自身が総体的感覚中枢であり最高法廷であるとみなされている。ところが、意識は《伝達の手段》にすぎず、それは、交通において、また交通への関心に関して発達してきているーーーここで『交通』とは、外界の影響と私たちの側でそのさい必要な反作用のこととも、同じくまた、外界に《向かっての》私たちの働きかけのこととも解される。意識は教導のはたらきでは《なく、教導の一機関》である」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五二四・P.61~62」ちくま学芸文庫)
意識は認識を目的としてはいない。むしろ意識は「《伝達の手段》にすぎず」、「最高法廷」でもなく、「教導の一機関」(一部分)であるに過ぎない。さらにベルクソンのいうように、脳は基本的に何も付け加えない。ただ複雑化していきはする。だが「行く」といえば変に見えはしないだろうか。「いく」と、ひらがなで表示するか、それとも「くる」と、これもまたひらがなで表示するかするのが妥当のような気がする。しかし脳は本当にそれほど空間的なものなのだろうか。空間を置いてみて実は幻想でない、と一体誰にいえるだろう。
次のセンテンスを見てみよう。ヒューウェットが珍しく苦悶している。
「『人はなぜ正直になろうと《しない》んだ?』部屋への階段を昇りながら彼は呟いた。なぜ異なった人たちの間の関係は、こうも不充分で、断片的で、危なっかしいものなのか?なぜ言葉は極めて危険なもので、その作用により、他人の心情を理解し共感しようとする本能が、結局は自分の心情を入念に検査し、さらにおそらく押し潰す働きをしてしまうのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.338」岩波文庫)
言語「の」問題なのか。それとも言語「が」問題なのだろうか。ここでは後者が問題なのだ。言語自体が。しかし言語「自体」とは何だろうか。物質の諸力の運動、と言ってみることはできるだろう。この危険な言語が、そして、何をしでかすというのだろうか。ここで読者は言語に本来まとわりついている両義性に出会う。言語なしでは何も伝達できない。同時に、言語化されてしまえば、どのような意識も感情も感覚も伝達されるものはすべて、既に一般化されたものでしかなくなっている。意識も感情も感覚も感性的なものも、その個別性を奪われてしまい、逆に一般的で均質的で凡庸なものへ変換されてしまう。二つの方向が生じてくる。この二方向へ向かって意識を無理やり押し通そうとすると、意識は、分裂してしまうほかない。ところが、人は沈黙しているとき、意識は、文法がゆっくり解体していく、溶けていく或る時間を耐えているのではないだろうか。文法が溶解しそうになるとき、人は不安と恐怖の余りに、わけもわからずしゃべり散らしたりしているのではないだろうか。なるほど「ダロウェイ夫人」はそうであった。セプティマスは「おしゃべり」について、その効用を説いてはいなかっただろうか。「おしゃべり」について、その愚劣さを罵りつつ、実はその効用について語ってはいなかっただろうか。では、人間は、「おしゃべり」の力によって、かろうじて正気を保っているというわけなのか。もっとも、ウルフの場合、それは小説を「書く」という実践だったわけだが。
ところで、音楽はどうなったのか。あるいは音楽は人間にとって何か働きかけるのだろうか。もし働きかけるとすれば、音楽はどのように働くわけなのか。ヒューウェットにとって何らかの解答にはなるだろう。ニーチェ的な問題だ。
「《音楽と比較》すれば《言葉》によるすべての伝達は破廉恥(はれんち)なやり方である。言葉は稀薄ならしめ愚昧(ぐまい)ならしめる。言葉は没人格的ならしめる。言葉は凡俗ならざるものを凡俗ならしめる」(ニーチェ「権力への意志・第三書・八一〇・P.325」ちくま学芸文庫)
近代を問題にするとき、いつも人は同時に言葉をも問題にしなければならない。だからといって、近代以前が良かったといっているわけでもない。この問題は古代ギリシアからずっと持ち越されてきた伝統的問題だからだ。ヘーゲルが面白いエピソードを語っている。
「ソクラテスの原理は実にアテナイの国家にとって《革命的な原理》であった。というのは、この国家の特質は、慣習が国家の存立の基本形式である点、つまり思想と現実生活との不可分という点にあったからである。ソクラテスがその友の反省を促す場合、その会話は常に消極的〔否定的〕である。すなわち、ソクラテスは友人が何が正しいかを知らないという意識に達するまで彼を引っぱって行く。ところでソクラテスが、このいまや現われざるを得ない新原理を公言したために死刑を宣告される場合、そこにはアテナイの民衆がその不倶戴天の敵を処刑するという正当な理由があるとともに、また彼らがソクラテスの中に見つけ出して、罰せなければならなかったその当のものが、実はすでに彼らの中にもしっかりと根を張っているということ、したがって彼らもまたソクラテスと同罪であるか、それともソクラテスとともに無罪の宣告を受けるべきであったという、ぎりぎりの悲劇が介在しているのである」(ヘーゲル「歴史哲学・中・P.180」岩波文庫)
さて、ようやく分身の主題に戻ることができる。
「レイチェルはヘレンに言わせれば、殻を閉ざした貝とも見え、彼女の耳に浴びせられるヒューウェットの言葉は、岩の断崖に付着する貝を洗う波のようだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.20」岩波文庫)
レイチェルは今度は「貝」に《なる》。そしてヒューウェットの言葉は「波」に《なる》わけだが、彼はレイチェルの恋人であるにもかかわらず、もはや、というより、早くも、「貝」の背を洗う「波」に過ぎなくなっている。
BGM