白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

レイチェル/生と水のエチカ4

2019年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
レイチェルは歌にも《なる》。

「レイチェルはいま、心身全体が何とも説明できない歓び、たいていその原因がわからぬままに、あたりの土地全体、空全体をも包み込んでしまうような歓びに満たされ、何も見ずに歩いていた。夜が昼に侵入し、前の晩に演奏した曲が耳を塞いでいた。彼女は歌った。歌うといっそう歩が速まった。どこへ行くのか、自分でもはっきりわからず、木々や風景が、単に緑や青の塊りとなって目に映り、色調を変える空が時折視界に入った。昨夜出会った人々の顔が眼前に現れ、声が聞こえた。レイチェルは歌うのをやめ、同じことを繰り返し言ったり、言い方を変えてみたり、こう言っても良かったと思うことを言葉にしたりした。絹のロングドレスを着て見知らぬ人に混じる窮屈さを思うと、このようにひとり悠々と大股で歩く彼女はいつになく心が踊った。ヒューウェット、ハースト、ヴェニング氏、ミス・アラン、音楽、照明、庭の黒々とした木々、夜明けーーー歩きながら、レイチェルの頭の中にそれらすべてが渦を巻いて押し寄せ、その騒々しく荒れ狂う背景から突如として今という瞬間が、好きなことを思いのままにできる時として、昨夜よりもいっそう素晴らしく活気ある姿で現れた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302」岩波文庫)

このときもまたレイチェルは「或る時刻」としての「此性」を生きている。多少複雑な感じを受けるかもしれない。夜通しのパーティの後の身体なのだから。と、そこに「一本の木」が登場する。

「レイチェルは、一本の木が邪魔しなければ、まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかもしれない。その木は行く手を遮るように生えていたわけではなかったが、まるで枝が顔を打ったかのように、うまい具合に彼女の足を止めてくれた。ありふれた木であるが、レイチェルには世界に一本だけのとてつもなく変わった木に見えた。中央の幹は黒く、枝はあちこちに飛び出ていて、枝と枝の間には、まさにたった今地面から出てきたかのように、ぎざぎざした光の空間を遺していた。彼女にとっては生涯続く光景、そして生涯を通じてこの瞬間を維持するに違いない光景を見届けると、木は再び普通の木の部類にまで沈み、レイチェルは木陰に座り、下生えの薄い緑の葉をつけた赤い花を摘めるようになった。一人で歩いてきた彼女は、撫でながら花は花、茎は茎、と揃えて並べた。花にも、土にまみれた石ころにさえも、生命と気質があり、遊び仲間であった子供の頃の感情を蘇らせてくれたからだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.302~303」岩波文庫)

こうある。「まったく道がわからなくなるまで歩き続けてしまったかも」。たぶんそうだ。「一本の木が邪魔」することで彼女を正気に戻らせた、というわけだ。もしそうでなければ狂気に突入していき、そのまま帰ってくることはできなかったに違いない。しかし事情はもっと混み入っているように見える。このシーンで「花は花、茎は茎、と揃え」なければならない必然性はどこにもない。にもかかわらず、彼女はなぜそうしたのか。何かが屈曲している。しかしこの屈曲は矯正する必要がない。屈曲あるいは屈折したものは必ずしも矯正しなければならないというわけではないからなのだが、もう少し考えてみよう。「道」は始めからあったのか、と。むしろレイチェル自身が「道」だったのではなかったか。いつのまにか、に過ぎないが。そしてまた、「花」「石ころ」あるいは「石ころ」がそれにまみれている「土」などに「生命と気質」を宿らせるのは彼女なのだ。その瞬間、それらのうちに、レイチェルが「遊び仲間であった子供の頃の感情」が「蘇」っている。しかしこの事態は過去から到来するのだろうか。そうとしか考えられない。だが、どうやってなのか。確かなのは、子どもの頃の感情がそれら風景と繋がるのは瞬間的な出来事である、ということだ。スピノザを思い出そう。

「もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)

「精神がある物体を表象するのは人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の物体の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう」(スピノザ「エチカ・第二部・定理一八・P.122」岩波文庫)

記憶と関係があるのだろう。しかし、記憶、と、「関係する」、とは、どのようなことを指して言っているのだろうか。そういう人々は。脳に関係するのか。そうともいえよう。しかしもっと正確に言うとすれば、脳がそのほんの一部に過ぎないような神経システムを含む身体全域が一挙に運動=流通するというべきではないのか。確実なのは身体である。そして身体はそれがほんの一部に過ぎないような世界と常に既に代謝=流通していなくては生きていけないばかりか、死んですぐに始まる自然界への分解=回帰すら不可能である。その先はどうなるのか。確かなことは誰も知らない。だが死は、けっして脳が「認識」するものではないし、また「認識」するために脳はあるのではない。ベルクソンがいうのはこうだ。

「脳とは、かくて私たちの見るところでは、一種の電話交換局にほかならないはずである。その役割は『通信を伝えること』あるいはそれを待機させることにある。脳は、じぶんが受容したものになにものも付加しない。とはいえ、あらゆる感覚器官は、その延長の終端を脳にまで送りこんでおり、脊髄と延髄にぞくする運動機構のいっさいが、選定された代表者をそこに置いているわけだ。だから脳は、まぎれもなく一箇の中枢なのであり、末梢の刺戟はこの中枢で、あれこれの運動機構と関係づけられる。ただしその関係は、選択されたものであって、強制されたものではもはやないのである。いっぽう、膨大な数の運動をみちびく〔神経〕通路が、この皮質のなかでは《すべて同時に》、末梢から到来する同一の興奮に対して開放されることがありうる。したがってこの興奮には、脳のなかで無限に分割され、かくてまた無数の、ただ生まれようとしているにすぎない運動性反応のうちで散逸する可能性もある。こうして、脳の役割はある場合には、受けとった運動を、選択された反応器官へみちびくことであり、またべつの場合にはこの運動に対して、運動の通路の全体を開放することにある。後者の場合なら、それは、当の運動にふくまれている可能な反応のすべてを素描し、みずから分散しながら分解してゆくためなのである。いいかえてみよう。脳とは、受けとられた運動との関係においては分解の器官であり、実行される運動との関係にあっては選択の器官であるように、私たちには思われる。しかしながら、いずれの場合にしてもその役割は、運動を伝達したり、分割したりすることに限定されている。くわえていえば、皮質の上位の中枢においても、神経の諸要素は認識をめざして作動しているわけではない。これは、脊髄が認識を目的とするものでなかったのと同様である。それらは、複数の可能な行動を一挙に下描きするか、そのうちのひとつを組織化するか、そのいずれかを遂行するにすぎない」(ベルクソン「物質と記憶・P.59~60」岩波文庫)

「選定された代表者をそこに置いている」とベルクソンはいう。ニーチェはそれを「一種の指導委員会がある」と論じた。

「『意識』の役割をとらえそこねないことが肝要である。すなわち、《意識を発達させたのは》、私たちと《『外界』との関係》である。これに反して、肉体的諸機能の協同に関する《指導》、ないしは監督や配慮は、私たちの意識にのぼることが《ない》。それは、精神の《貯蔵作用》がそうであるのと同様である。もっとも、これに対して一つの最高法廷が、すなわち、さまざまの《主要欲望》がその発言権や権力をふるう一種の指導委員会があるということは、疑いえない。『快』、『不快』はこのような領域からの合図である。《意思作用》も同様であり、《観念》も同様である。

《要約すれば》、意識されるものは因果的連関のもとにあるが、この連関は私たちには全然不明なのであるーーー思想、感情、観念が意識のうちで次々とあらわれる継起は、この継起が因果的継起であるということに関して、何ごとも言いあらわしてはいない。しかしそれは、最高度にそう《見える》のである。この《仮象性》をもととして私たちは、《精神、理性、論理など》という私たちの全表象を《根拠づけ》(ーーーこれらのものはすべて存在してはおらず、それらは虚構された綜合であり統一である)、これらのものをふたたび事物の《うちへと》、事物の《背後へと》投影してきた!

ふつうには《意識》自身が総体的感覚中枢であり最高法廷であるとみなされている。ところが、意識は《伝達の手段》にすぎず、それは、交通において、また交通への関心に関して発達してきているーーーここで『交通』とは、外界の影響と私たちの側でそのさい必要な反作用のこととも、同じくまた、外界に《向かっての》私たちの働きかけのこととも解される。意識は教導のはたらきでは《なく、教導の一機関》である」(ニーチェ「権力への意志・第三書・五二四・P.61~62」ちくま学芸文庫)

意識は認識を目的としてはいない。むしろ意識は「《伝達の手段》にすぎず」、「最高法廷」でもなく、「教導の一機関」(一部分)であるに過ぎない。さらにベルクソンのいうように、脳は基本的に何も付け加えない。ただ複雑化していきはする。だが「行く」といえば変に見えはしないだろうか。「いく」と、ひらがなで表示するか、それとも「くる」と、これもまたひらがなで表示するかするのが妥当のような気がする。しかし脳は本当にそれほど空間的なものなのだろうか。空間を置いてみて実は幻想でない、と一体誰にいえるだろう。

次のセンテンスを見てみよう。ヒューウェットが珍しく苦悶している。

「『人はなぜ正直になろうと《しない》んだ?』部屋への階段を昇りながら彼は呟いた。なぜ異なった人たちの間の関係は、こうも不充分で、断片的で、危なっかしいものなのか?なぜ言葉は極めて危険なもので、その作用により、他人の心情を理解し共感しようとする本能が、結局は自分の心情を入念に検査し、さらにおそらく押し潰す働きをしてしまうのだろうか?」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.338」岩波文庫)

言語「の」問題なのか。それとも言語「が」問題なのだろうか。ここでは後者が問題なのだ。言語自体が。しかし言語「自体」とは何だろうか。物質の諸力の運動、と言ってみることはできるだろう。この危険な言語が、そして、何をしでかすというのだろうか。ここで読者は言語に本来まとわりついている両義性に出会う。言語なしでは何も伝達できない。同時に、言語化されてしまえば、どのような意識も感情も感覚も伝達されるものはすべて、既に一般化されたものでしかなくなっている。意識も感情も感覚も感性的なものも、その個別性を奪われてしまい、逆に一般的で均質的で凡庸なものへ変換されてしまう。二つの方向が生じてくる。この二方向へ向かって意識を無理やり押し通そうとすると、意識は、分裂してしまうほかない。ところが、人は沈黙しているとき、意識は、文法がゆっくり解体していく、溶けていく或る時間を耐えているのではないだろうか。文法が溶解しそうになるとき、人は不安と恐怖の余りに、わけもわからずしゃべり散らしたりしているのではないだろうか。なるほど「ダロウェイ夫人」はそうであった。セプティマスは「おしゃべり」について、その効用を説いてはいなかっただろうか。「おしゃべり」について、その愚劣さを罵りつつ、実はその効用について語ってはいなかっただろうか。では、人間は、「おしゃべり」の力によって、かろうじて正気を保っているというわけなのか。もっとも、ウルフの場合、それは小説を「書く」という実践だったわけだが。

ところで、音楽はどうなったのか。あるいは音楽は人間にとって何か働きかけるのだろうか。もし働きかけるとすれば、音楽はどのように働くわけなのか。ヒューウェットにとって何らかの解答にはなるだろう。ニーチェ的な問題だ。

「《音楽と比較》すれば《言葉》によるすべての伝達は破廉恥(はれんち)なやり方である。言葉は稀薄ならしめ愚昧(ぐまい)ならしめる。言葉は没人格的ならしめる。言葉は凡俗ならざるものを凡俗ならしめる」(ニーチェ「権力への意志・第三書・八一〇・P.325」ちくま学芸文庫)

近代を問題にするとき、いつも人は同時に言葉をも問題にしなければならない。だからといって、近代以前が良かったといっているわけでもない。この問題は古代ギリシアからずっと持ち越されてきた伝統的問題だからだ。ヘーゲルが面白いエピソードを語っている。

「ソクラテスの原理は実にアテナイの国家にとって《革命的な原理》であった。というのは、この国家の特質は、慣習が国家の存立の基本形式である点、つまり思想と現実生活との不可分という点にあったからである。ソクラテスがその友の反省を促す場合、その会話は常に消極的〔否定的〕である。すなわち、ソクラテスは友人が何が正しいかを知らないという意識に達するまで彼を引っぱって行く。ところでソクラテスが、このいまや現われざるを得ない新原理を公言したために死刑を宣告される場合、そこにはアテナイの民衆がその不倶戴天の敵を処刑するという正当な理由があるとともに、また彼らがソクラテスの中に見つけ出して、罰せなければならなかったその当のものが、実はすでに彼らの中にもしっかりと根を張っているということ、したがって彼らもまたソクラテスと同罪であるか、それともソクラテスとともに無罪の宣告を受けるべきであったという、ぎりぎりの悲劇が介在しているのである」(ヘーゲル「歴史哲学・中・P.180」岩波文庫)

さて、ようやく分身の主題に戻ることができる。

「レイチェルはヘレンに言わせれば、殻を閉ざした貝とも見え、彼女の耳に浴びせられるヒューウェットの言葉は、岩の断崖に付着する貝を洗う波のようだった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・下・P.20」岩波文庫)

レイチェルは今度は「貝」に《なる》。そしてヒューウェットの言葉は「波」に《なる》わけだが、彼はレイチェルの恋人であるにもかかわらず、もはや、というより、早くも、「貝」の背を洗う「波」に過ぎなくなっている。

BGM

レイチェル/生と水のエチカ3

2019年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
ヒューウェットは反論しない。できないから反論しないわけではない。もともとの考え方が違うからだ。小説中の設定ではケンブリッジ大学を「二学期で退学」したあと、どこかはっきり説明はないが、ともかくしばらく旅行していたようだ。「放浪」とある。ヒューウェットが行うのは反論ではなくさらなる持論の展開である。友人の話をちゃんと聞いているのかと問いただされそうな態度だが、しかししっかりと聞いている。聞いた上でこういう。

「『きみの言う輪っていうのがわからない。輪が見えないんだ』ヒューウェットは言葉を続けた『ぼくに見えるのはぐるぐる廻るこま、あちこちにぶつかり、右に左に突進し、どんどん仲間を増やし、ついにあたり一面、こまで一杯になる。廻って、廻ってーーー向こうに行き、縁を越え、見えなくなる』指は踊り廻るこまが、ベッドカバーの端を飛び越え、ベッドから落ち、無限の世界に入っていく様を描いた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.186」岩波文庫)

ヒューウェットが「わからない」といっている「輪」とは何か。社会的布置ということだ。上下関係・階層秩序・社会的役割分担・日常のルーティンなど。ニーチェのいう「文法」に相当する。そしてこの文法が成立している限りで同時に社会も成立し、さらに更新され、役割を終えれば廃棄される社会的機構の骨格である。ヒューウェットにはその「輪」というものがよく理解できないものとしか考えられない。「輪」よりも「ぐるぐる廻るこま」のほうを重視する。俗な言い方を用いれば、イギリスの伝統的な「個人主義」に近いかもしれない。しかしヒューウェットのいう「こま」は「ぐるぐる廻る」ものであり、さらに「あちこちにぶつかり、右に左に突進し、どんどん仲間を増やし」ていくばかりか遂には「縁を越え」ていくものでもある。増殖する。常に運動しながら他の運動体との合体を次々に果たしていき、そして「縁」の向こう側へ飛躍する。「縁」は突破される。ただ単に境界線を越えるだけでなく、境界線を越えてさらに増殖していくというこの思想は、いかにもイギリス発祥の資本の運動を思い起こさずにはいない。同じことだが、こう続く。

「『事実は、人は決してひとりではないし、誰かの仲間でもないんだ』『意味するところは?』とハースト。『意味するところ?そう、泡みたいなものーーーオーラかなーーーきみだったら何ていう?きみにはぼくの泡が見えないし、ぼくにはきみの泡が見えない。互いに見ることができるのは点、炎の真ん中の芯みたいなものだけだ。炎はどこにでもついて回る。炎はぼくら自身ではなく、ぼくらの感じるもの、つまりまわりの世界、主に人間たち、いろいろな人間たちだ』『きみはさぞ頼りない泡に違いない!』ハーストが言い返す。『で、ぼくの泡が誰かの泡にぶつかるとーーー』『両方ともはじけるのか?』ハーストが口を挟んだ。『そうするとーーーそうするとーーーそうするとヒューウェットは独りじっくり考え込み『それは、それは、でっかーい世界になるだろう』と思いきり両腕を伸ばし、それでも渦巻く宇宙は捕らえなれぬとでも言いたげだった。ハーストといるときはいつでも、異常に、あてどもなく旺盛になるのだ。『前はまったくきみはばかだと思っていたが、今はそうは思わない』ハーストが言った。『自分が何を言いたいのか、わかっていないが、とにかく何か言おうとしている』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.186~187」岩波文庫)

ヒューウェットの言葉は何気ないものだったかも知れない。二十世紀初頭は。だが二十一世紀になって俄然現実のものとして傲然と聳り立つものとなった。「それは、それは、でっかーい世界になる」。要するにグローバル資本主義社会が出現した。

さて、ヘレンは考える人だが、ハーストのように四角四面には考えない。もっと柔軟性がある。すると次のセンテンスにあるような現象に気づくことになる。

「イプセンの戯曲を読むと、いつもそんな心境になった。続けざまに何人もの主人公を数日間演じるので、ヘレンは大いにおもしろがったが、その後はメレディスに移り、『十字路のダイアナ』になった。しかしヘレンは、これがまったく演技ではなく、演技する人間自体にある種の変化が起きているのだと気付いていた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.213」岩波文庫)

ヘレンの場合、分身というより変身と呼んだほうが適切だろう。「何人もの主人公」「メレディス」「十字路のダイアナ」と変態していく自分自身に気づいている。そして人間の持つこの多様性の不可解さについて「演技ではなく、演技する人間自体」に「起きている」「ある種の変化」なのだと「気付いていた」。しかし一度気づいてしまえば、この不可解さはすぐに消えてなくなってしまう。人間の仮面性について、それはただ単なる「顔」を中心として起こる変化ではなく、むしろ身体全域に渡って一挙に生じる変化なのだと。そこで人は一つ賢くなる。ヘレンの年齢は四十歳代半ばと考えていいと思うけれども、しかし精神的なレベルではまだ十代の領域を抜け出ているわけでは何らない。あえていえば思春期に留まっている。だが「船出」の主題は思春期では全然ない。もっとも、大変深い部分で思春期と繋がってはいる。そして思春期から完全に脱出できるわけでもまたないのだが。

ところでレイチェル。彼女の歩みは一歩一歩だ。実に堅実というほかない。

「選んだ本を読む時のレイチェルは、文章を読み慣れない者特有の仕草で、一語一語がそれぞれ重要な木製の品で、椅子やテーブル同様、形を持っているかのように扱った。こうしていくつかの結論に達したが、それはその日の現実の体験によって形を変えねばならず、事実、思うがまま、自由自在に作り替えられることになった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.215」岩波文庫)

レイチェルは「一語一語」を吟味する。それは「その日の現実の体験によって」修正がなされる検証作業だ。極めてリアルで慎重な弁証法的注意深さを要する。しかし弁証法である限りでは二元論の次元に留まるほかない。レイチェルを通してウルフが思い描いていた世界観は、しかし、二元論ではつかまえることのできないものだった。だからいつもウルフは「死んでいるのか」あるいは「死んでいないのか」という問いに不意打ちされることになる。そのたびに精神錯乱を起こしていてはやがて自殺するほかないということも見えていたに違いない。むしろ見えていたからこそ、ウルフは、次々と作風を変えていったのだといえよう。生き方を変えること。そんなふうに書くことで、一作ごとに作風を変えることで、登場人物を犠牲にしつつ、小説家としても人間としてもやっとのことで何とか五十九歳までは生き延びた。ヒューウェットはいっていなかったろうか。「縁を越え」ると。限界を突破したいと。しかし、すぐさま続けてこういっていた。「無限の世界に入っていく」。死の本能が顔をのぞかせるのだ。

「その朝は暑く、読書による精神の体操は彼女の頭に時計の主ぜんまいのような収縮と拡張をもたらし、外の庭の物音が時計と一緒になり、どこからともなく聞こえる真昼の微かなざわめきは規則正しいリズムを刻んでいた。すべてが紛れもない現実、紛れもなく大きく、個人と関わりのない世界で、彼女はすぐに己の存在意識を取り戻そうと、人差し指を立てては肘掛けに下ろす動きを繰り返した。次には自分が朝、世界の真ん中で、肘掛け椅子に座っているという、言いようのない不思議な事実に圧倒された。家の中で動いている人は誰?ーーーある場所から別の場所へと物を移動させているのは誰?そして生命、生命とは何?それは表面を掠めて消える光にすぎない、そのようにやがてわたしも、部屋の家具は残っても、消えるだろう。彼女の消滅は完全に近づき、もはや指を立てることもできず、身じろぎもせず座ったまま、耳を澄ませ、絶えず同じ一点を見つめていた。事態はますます異様なものとなった。彼女はそもそも事物が存在していることへの畏怖の念に押し潰されたーーー。立てることのできる指を持っていることさえ忘れたーーー。存在する事物は、あまりに広大無辺、荒涼としていたーーー。このように茫洋たる物質のいくつもの塊りを、レイチェルは延々と続く時間を通して意識し続け、静まり返った宇宙の真ん中で、時計は変わることなく時を刻んでいた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.215~216」岩波文庫)

レイチェルは世界に対して「個人」の非力にうんざりしている。世界というものによって圧倒され叩き潰されようとしている。しかし、このシーンは一瞬のことではない。読者にはそれが幾らかはわからないし、実はレイチェルにも意識的にはわからない。ところが「或る時刻」であることは確かなのだ。それをドゥルーズ&ガタリは「此性」と呼んだ。或る季節。或る年月。或る時刻。霧。黄昏れ。旬。それは長いこともあれば短いこともある。クロノス(時計時間)に還元できないアイオーンというものだ。始まりもなく終わりもない、或る時間感覚。レイチェルの好きな音楽が代表例として上げられよう。第一楽章はいったい何時間何分何秒でなければならないのか。そんな決まりはない。始めからない。ないものはないとしかいいようがない。そしてもしクロノス(時計時間)だけしかなかったとしたら古代ギリシアは成立する暇もなく崩壊していただろう。クロノスは言い換えればアポロンなのであって、アポロンがいつもアポロンであるためには異教徒=ディオニュソスの導入が必要不可欠だったことに似ている。「アポロン=意識」としよう。とすれば「ディオニュソス=無意識」と定義できる。「アポロン=覚醒」なら「ディオニュソス=睡眠」。「アポロン=形式」なら「ディオニュソス=官能」。両者はともに不可分の関係であって、勝利はアポロンにあるのだが、勝利して秩序を復活させるためには「解体としてのディオニュソス」の侵入を認めるほかない。それを別名「祭典の日」というのだ。だから祭日とか祝日とかいうものは徹底的に特別な「或る時刻」なのであって、期間を設けるにしても原則としてたった一日に限られていた。限定されていればされているほど貴重なものになるのは当然でもある。近代以前に「ハレ」と「ケ」との区別が可能だったのはそういう意味だ。ところが資本主義は「ハレ」と「ケ」との境界線を消去することに成功した。同時に貴族と奴隷との境界線が消えたのも当然の成り行きだった。だからといって、貴族と奴隷とが和解したということではまったくない。むしろ逆に資本家階級と労働者階級とが出現した。今なおしている。両者のあいだには労賃という媒介項が挟み込まれた。両者が、ではなく、両者の媒介項が、絶対的権力を保障するようになったのである。「船出」は、そのような資本主義社会の二十世紀における勃興期と重なっている。第一次世界大戦勃発直前。その歴史性を忘れたところでは読み進めることができないということを忘れないでおこう。

そんなわけで、いま上げたセンテンスだけで問われるべき問いはいろいろとあるわけだが、ここではさしあたり次の部分に着目したいとおもう。「やがてわたしも、部屋の家具は残っても、消えるだろう」。「ダロウェイ夫人」読解のときにほぼ最初に引いた部分と似ていないだろうか。ダロウェイではこうだった。

「自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらのすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対に自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物のうちに生きる、と信ずることが。だって、わたしは故郷の木々の一部分にちがいないのだ、また、あそこにいく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.15」角川文庫)

似ているどころか言っていることはまったく同じなのだ。「ほかならぬこの私」は、しかし、単独ではなく、「ロンドンの街路で、事物のうちに生き」ているだけでなく「故郷の木々の一部分にちがいな」くさらには「いく棟にも分かれたしまりのない醜い家の一部分、会ったこともない人々の一部分なのだ」。自然の循環という意味ではなるほどそうだ。けれどもウルフがいっていることは感覚していることでもあるという事実に注意を向けることが重要だろう。そのように想起している時点ですでにクラリッサ・ダロウェイ=ヴァージニア・ウルフは死んでいるのではなく、逆に、間違いなく生きているという平凡な事実である。そのように感覚できているということが余りにも驚嘆に値する事実なのだ。様々な「事物」「家の一部」「会ったこともない人々の一部」として繋がり合って「ほかならぬこの世界」を構成しているという事実。このことにこそ驚愕すべき「生の威力」を見て取るべきだろう。それは死んでやっと果たされるものでは何らない。むしろ生きている限りにおいて始めて充実したり充実していなかったりといった様態で感じ取られるものだ。そしてさらに、この繋がり(接続)はいつでも離れる(切断)することができる。世界中がネット社会になってようやく「接続/切断」=「離接」が可能になった。この「自由さ」。しかしウルフはこの「自由さ」を知ることなく自殺を選んだ。ウルフに自殺を選ばせたものは何だったのだろうか。二十世紀初頭からその半ば(一九四一年)に至るまでずっと望み続けた「生」だったが、自分で自分自身を途絶するしかなかった理由はただ単に精神的不安定というばかりではとてもではないが説明できそうにない。しかしそれを説明することは必要なのだろうか。あちこちに分身を出現させて動かしてみるほか方法はなかったというのだろうか。もしそれで済むのなら、もし仮にウルフがネット社会の中に生きていたとしても、答えは同じだったろう。百人のセプティマス、千人のセプティマスをネット社会の中へ登場させたとしても、むしろ登場させればさせるほどかえって何百倍、何千倍の利子を付けて回帰してくる恐ろしいばかりの虚しさに圧倒されて自殺するしかなかったろうとおもうのである。

さて、またヒューウェット。彼は学はあり、小説家でもあるが、何より無邪気に真相を口にしてしまうところがスリリングで面白い。

「『雌牛は野で群れをなす』ヒューウェットは考えた。『船は(な)凪いだ海に集う。ぼくらも手持ち無沙汰になると同じだ。しかしなぜそうするのか?ーーー事の実相を見ないようにするためだろうか』(彼は小川のほとりで足を止め、水をステッキでかきまわし、泥で濁らせた)『無から街や山や森羅万象を造るのも結局はそのためか。それとも、本当にぼくらは互いに愛し合っているのか、それともいつ終わるとも知れぬ不安定な状態にあって、何も知らず、その時その時に応じて、世界から世界へと跳びはねているのだろうか。それが、結局のところ、実相ではないかと《ぼく》は思う』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.220」岩波文庫)

要するに、人間は孤独ではいられない。わざとでもいいからつるみたがる。つるんでいる自分を自分自身に見せつけるばかりか他人にも見せつけてはばかるところを知らない。もう本当に死んだほうがいいくらいに恥知らずなのだ、人間は。と、いう感じだろう。なるほどそうかもしれない。だからこそ人間はしばしば一人でいたいと思うのだろう。一人でいるときは少なくとも人間に帰ったかのように思えるからでもあるのだが。また、ヒューウェットの反語的表現は「《ぼく》」が強調されているように、あくまで個人主義的には、というくらいの意味に見える。しかしこの強調は明らかに作者の意図で付されたものである以上、ウルフ自身の世界観の表明として受け取るべきだろう。人間は個々別々に、個別的な身体として、別々に分裂して生まれてくるほかない。そして個別的な個人は、個人は個人でもなぜか社会的個人として生きていくことに決まっている。生まれる前からあらかじめ決まっている。ところが自分で自分自身を意識するのは生まれる前ではけっしてない。自分が何ものか。それを知るとまではいかなくても、少なくともそれを考えるようになったときには既にあらゆるものごとが不可逆的に進行してしまっている。自分で自分自身の思考を思考することができるのはあくまで事後的でしかない。どのように生きるか。その方法は。もう半分以上決まってしまっているではないか。特に女性の場合はそうだったという当時のくつがえしようのない事情はとりわけウルフにとって致命的だったに違いない。だからウルフはここでヒューウェットにいわせる。「事の実相」は孤独だが、反語的にいえば、「事の実相」は「すべて繋がることができる」だけでなく「繋がっていたい」。ウルフの世界観はしかしそれだけで語れるものではないだろう。身体に閉じ込められた自分。社会的女性という身体に閉じ込められた自分。身体を捨てて身体から抜け出したいと願っている自分。だから死なのか。それにしても何かまだ距離があるような気がしてこないだろうか。ヒューウェットはレイチェルにこう訊ねる。

「『何を見ているの?』彼は尋ねた。レイチェルはわずかに驚いたがすぐに答えた。『人間を』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.234」岩波文庫)

レイチェルにとって人間という生物が生きて動いているということ自体が余りにも神秘的におもえて仕方がなかった。そう考えているレイチェルもまた人間である。とおもうとますますわけがわからなくなるのだ。

なお、少し前、「文章を読み慣れない」という文章が出てきた。では逆に「読み慣れる」とはどういうことだろうか。もっと切り詰めて、「慣れ」とはどういうことだろうか。

「反復される努力は、それがつねにおなじものを再生するにすぎないならば、いったいなんの役にたつというのだろう。反復がほんとうに効果を有しているとするなら、それはまず《分解し》、つぎに《ふたたび合成し》ながら、かくて身体という知性に語りかけるところにある。反復は、それがあらたにこころみられるたびごとに、ふくまれていた運動を展開し、そのつど身体の注意をあらたな細部に対して呼びおこすが、その細部はそれまでは気づかれずに生起していたものなのである。反復は身体に分割させ、分類させる。かくて身体に対して、なにが本質的なことがらであるかを強調してみせるのだ。反復は、全体的な運動のうちに一本一本、内的構造をしるしづける輪郭線を見いだしてゆく。この意味で運動は、身体がそれを理解したときに習得されたといえるのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.220~221」岩波文庫)

反復とは何も頭の中だけでなされる作業ではまったくない。「身体という知性」。「身体」が「理解」するのであり、とりわけベルクソンは、身体の細胞レベルでの思考を念頭に置いていることを忘れないでおきたい。「人間の脳」は「中枢」ではあっても「中心」は「複数」である。そのうち、そのあたりの事情についても述べたいとおもう。

BGM

レイチェル/生と水のエチカ2

2019年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
ダロウェイ夫人の夫=リチャード・ダロウェイ。彼はイギリスの議員である。レイチェルの伯母(ヘレン)からねぎらいの言葉をかけられてこう答える。

「『この世の中で、自分が自分の身体の奴隷となっているのを知るときほど恥ずかしいことはない』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.124」岩波文庫)

この返事はしかし本当にリチャードの言葉なのだろうか。ヘレンのねぎらいの言葉はこうだった。

「『頭痛がするのではありませんか、違います?』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.124」岩波文庫)

頭痛と統合失調症。ウルフは十三歳の時に精神錯乱を起こしている。「船出」においてもレイチェルの頭痛は熱病や意識混濁、解離、幻覚などの予兆として現われる。作中しばしば顔を覗かせる頭痛へのこだわりはウルフに特有の精神病と常に何らかの関係を持って登場してくる。

リチャード・ダロウェイの返事はレイチェル=ウルフの思想・信条を代弁するものだ。ウルフは常々、身体に閉じ込められていることを大変嫌悪していた。公言してもいる。この場合の身体とは女性であると男性であるとを問うていない。身体への閉じ込めという現実は、ウルフにとって、のっぴきならない奇怪極まりないリアルな問題としてその生涯を貫いていく。ここでもレイチェル=ウルフはリチャード議員という極めて世俗的で磊落な性格の人物を巧みに利用して、人間は「自分の身体の奴隷となっている」ことに注意を促している。この言葉は「自分は自分の身体から解放されたい」という心情の反語的表現を取っている。しかしレイチェル=ウルフにとっての「身体」とは何だろうか。男尊女卑という古典的で社会的な因襲に拘束された「身体」であって、それゆえなおさら、自由な精神と拘束的身体との二元論という悪循環に陥っていく。ウルフが五十九歳で自殺したことは有名だが、「船出」発表直前にも精神的不安定から自殺未遂を起こしていたことを覚えておきたい。だから、発言者がリチャード議員でなくてはならない必然性など見当たらないにもかかわらず、或る意味、突拍子もない形で「自分が自分の身体の奴隷となっているのを知るときほど恥ずかしいことはない」という言葉がほとばしり出てくるのだ。そしてそれはレイチェル=ウルフにとって実に深刻な、生涯を賭けた問いでもあった。

なお、同性愛ではないが、小説のこの辺りではもう、レイチェルとその伯母(ヘレン)との同性愛的関係について気づいている読者もいるに違いない。同性愛もまたウルフにとって大きな意味を持つ、そして肯定すべき人間性の一つだった。レイチェルとヘレンとの間には「二十歳近い年齢の差」がある。この年齢差が持つ意味について少し想像してみよう。レイチェルとヘレンとのあいだにはおそらく空想上の二十歳くらいの男性が挟み込まれている。そして二人の女性はこの空想上の二十歳くらいの男性を両側からいたわりつつ慰みものにしつつ責めるのだ。レイチェルとヘレンの同性愛的関係とはそのようなものだ。

「新たな光に照らされて、レイチェルは初めて、自分の人生が、狭い囲いの中を這い回るようなものだとわかった。高い壁に挟まれた中で念入りに馭(ぎょ)され、こちらでは脇に寄せられ、あちらでは闇に放り込まれ、永久に頭は鈍く、肢体は不自由にされているーーーたった一度の機会である自分の人生がそうなのだーーー幾千もの言葉と行為の意味が明らかになった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.140」岩波文庫)

レイチェルは自分の人生があらかじめ設定された「狭い囲いの中を這い回るようなものだ」と理解する。理解はするけれども全面的に受け入れたりはしない。抵抗を試みる。だがその仕方がわからない。深まる孤独。レイチェルは小説内で二十四歳の女性として設定されているだけでなく極めて利発的で理知的な女性として描かれている。ウルフ自身がそうであった。この知性が女性にとって女性としての自己実現の武器になっていった時期に、知性による鋭い認識と深い洞察が逆説的にレイチェルを苦しめる。知識人ウルフは知識人レイチェルの苦悶を淡々と描く。だからといってウルフはレイチェルではない。常に一定の距離を置いている。見離しているようにさえ見えることもないではない。小説家とその作中人物とはあくまで別物なのだ。

「肢体は不自由」。

第一に単純に人間の身体に閉じ込められているということの「不自由」。第二に、重要なことなのだが、まだまだ女性解放が実現されていない時代、女性解放という運動自体が差別的に取り扱われていた時代、宗教的政治的社会的にあらかじめ決定づけられた様々な役割を担わさせた女性の身体として拘束されていることの「不自由」。レイチェルは二重の「不自由」を負っている。そして社会はこの「負債」を永遠に負っていくよう彼女に迫り続ける。政治と合体した宗教による「負債」の観念は民衆に対する強迫観念となり、「罪の意識」と「返済義務」の観念の暴力的反復によって数えきれない「債務者」の群れを量産することに成功した。では一体どこからこのような「債務感情」「良心の疚(やま)しさ」「終わりなき罪悪感」というものが発生したか。それを突き止めたのはニーチェだが、ウルフはニーチェのような壮大でアクチュアルな思想的変形を実践に移せるようなタイプではなかった。律義なのだ。しかし現実のウルフは行動の人でもあった。しかしその律義さは別の意味でウルフをウルフの背後から羽交い締めにしている。ウルフは大学出身者ではないが幼少期から膨大な読書環境に恵まれていた。極めてイギリス的な、イギリスの知識人階級に属していたといえるかもしれない。二十世紀初頭に至ってもなおスーツを着て始めてイギリス人はイギリス紳士に《なる》。そうでなければその人間は何ものでもないという観念が支配的だった環境の中では、与えられた環境自体に限界があった。そしてウルフもまたその限界を越えることはできない。人間は社会的人間としてしか生きていけない以上、限界の中で突破を目指すことしかできないわけだが、それはウルフの責任では何らない。むしろウルフは十分健闘することとなる。

「幾千もの言葉と行為の意味が明らかになった」とあるのは明らかに回帰のテーマである。ニーチェはこういっている。

「君はこのことを知らないのか?君がなすあらゆる行為において、一切の出来事の歴史が繰り返されており要約されているいるのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一三〇三・P.678」ちくま学芸文庫)

ところで、レイチェルはコミュニケーションについてこんなふうにおもう。

「レイチェルは、これまでほとんどの人が肩書だった、と言った。でも、あの方たちがわたくしに話しかけてくださると、肩書ではなくなってーーー『もう、いつまでだってお話に耳を傾けることができるの!』レイチェルは叫ぶように言った」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.142」岩波文庫)

「肩書」は「仮面」だ。レイチェルはその知性にもかかわらず肩書の下には本当の人間がいると信じている。あるいは信じ込みたがっていた。仮面の下には仮面をはずした人間がいると。しかし仮面の下にいるのは本当に人間なのだろうか。仮面の下はさらなる仮面かもしれないとは考えないのだろうか。この時点でレイチェルは考え及んでいない。だから「叫ぶように言」ってしまう。しかし事情はこうだ。

「いついかなる場合でも、裸のものの真理は、仮面、仮装、着衣のものである。反復の真の基体〔真に反復されるもの〕は、仮面である。反復は、本性上、表象=再現前化とは異なるからこそ、反復されるものは、表象=再現前化されえないのであって、反復されるものはつねに、おのれを意味するものによって意味され、おのれを意味するものをおのれの仮面とし、同時におのれ自身、おのれが意味するものの仮面となる、ということでなければならないのだ」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.62~63」河出文庫)

ウルフはもちろんわかっている。わかっていて、あえて自分の分身であるレイチェルに「ぬか喜び」する場面を与えている。ウルフとしてはもっとレイチェルに対して過酷でなければならない理由がある。そのわけは後により確かな形で明らかになるだろう。ともかく、レイチェルはヘレンの言葉に導かれて「自分なりの人間性」に開眼する。自分は自分であり他者は他者であり両者は両者ともに「溶け込むことのない」個別的人間として存在すると。

「自分なりの人間性、本当に永遠に続く存在としての自分、海や風のように、他のどの存在とも違い、他と溶け込むことのない自分の姿が突然眼の前に現れ、レイチェルは自分として生きることに深い興奮を覚えた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.145」岩波文庫)

とはいえレイチェルが、ともすればしょっちゅう他者と融合してしまいがちな精神的不安定性から解放されるだろうと考えたとすれば、それは大いなる錯覚だといわざるをえない。レイチェルはその前にすでに「海」や「風」へと分身している。レイチェルは「海」になり「風」になりそして何よりも「水」である。その上でさらに「他と溶け込むことのない自分の姿」にも《なる》。事情はそうなのであって、いずれもがレイチェルであると同時にレイチェルの分身なのだ。レイチェルのオンパレードだともいえる。このような現象がなぜ生じてくるのかという事情については他の誰よりもマルクスが熟知していた。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.118~120」国民文庫)

「レイチェルはヘレンが期待していたほど乗り気ではなかった。熱意を見せたかと思えば、たちまち疑問を抱いた。壮大な川の幻影がレイチェルを捕らえて離さなかった。水は時に青く、時に熱帯の太陽を受けて金色に染まり、その上を色鮮やかな島が横切る。月が輝けば水面は白く、陰れば揺れる木々に暗く閉ざされ、藪の生い茂る岸からカヌーが滑り出る」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.149」岩波文庫)

この文章の後半で水の表情が多彩に描かれている。試しに「水」を「レイチェル」に置き換えてみよう。するとレイチェルの分身性の柔軟性がよりよく見えてくるかと思われる。こうだ。

「レイチェルは時に青く、時に熱帯の太陽を受けて金色に染まり、その上を色鮮やかな島が横切る。月が輝けばレイチェルは白く、陰れば揺れる木々に暗く閉ざされ」、となる。

何ら違和感がないと感じるのはごく一部の読者だけだといえるだろうか。むしろ多くがこの変換あるいは交換に同意できるのでは、とおもわれる。さらにここでのレイチェルはただ単なる「水」であるだけでなくむしろ南米のジャングルを悠々と流れる「川」でもある。レイチェルは川だ。様々な迂路を経て大西洋に流れ込みそのうち海に《なる》大河の片鱗だ。大西洋に流れ込んでしまえばもうレイチェルはいつどこにでも出現可能だ。窮屈この上ない当時の社会的女性の身体から解放される。そして限りない変態を経ながらどこまでも微分化=差異化されていきつつ世界を横断するのである。

次のセンテンスはまた独特の読解手法を要するだろう。

「この季節には、夜の帳(とばり)がナイフのようにいきなり降り下ろされると同時に、街は煌めく粒が織り成す円や線となって眼下に湧き上がる。昼間は見えなかった建物が夜になると姿を現し、動いている汽船の灯から、海が陸に押し寄せてくるのがわかる」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.149」岩波文庫)

「夜の帳(とばり)」は「ナイフ」だ。「ナイフ」は「いきなり降り下ろされる」。また「ナイフ」は銀行のシャッターでもある。閉じるや否や計算が始まる。「昼間は見えなかった」資本主義は「夜になると姿を現」す。ただし銀行とそのネットワークの内部で、ということなのだが。計算は地味だが「街は煌めく粒が織り成す円や線となって眼下に湧き上がる」。そして「動いている汽船の灯から、海が陸に押し寄せてくる」わけだが、「陸に押し寄せてくる」ものは「海」あるいは「波」だけだろうか。資本主義は南米の大河を逆流しながら「陸に押し寄せる」のだ。何がなんでも。それは一体何だろうか。現金輸送車(船)である。

ところで余談だが。昨今ではキャッシュレス機能がぐんぐん発達してきた。現金輸送車(船)は急速に過去のものと化しつつある。しかしそれは「信用」が確実である限りでいえることでしかない。さて、「信用」はどこまで確実なのか。むしろ「信用」が確実である限りにおいて貨幣も確実なのではなかったろうか。貨幣が確実である限りで、したがってキャッシュレスもまた「信用」に依存することができる。だがその「信用」は多国籍間貿易に依存せざるをえない。しかし多国籍間貿易はスムーズに進行しているだろうか。アメリカ経済の無政府性と中国共産党の読み違いによってむしろ逆行しているのではないだろうか。

戻ろう。ヒューウェットが登場する。ヒューウェットはロンドンではなくこの南米のジャングルの中で始めてレイチェルと二人きりになる機会を持つ。そしてレイチェルと婚約するが、このヒューウェットもまた変わり者である。彼は友人のハーストにこう話す。

「『枝から枝へと飛び移るんだ』ヒューウェットは声を弾ませ、『この世はすこぶる愉快なんだ』とベッドで両腕を枕にし、仰向けに寝た。『きみみたいにあいまいなのが、本当にいいのだろうかね?』そう言ってハーストはヒューウェットの方を見た。『継続性の欠如ーーーきみが変なのはそこだよ。二十七歳、ほとんど三十歳なのに、何の結論も出してはいないんだ。婆さん連中に囲まれてうっとりしている三歳の子だ、きみは』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.184~185」岩波文庫)

ヒューウェットは「二十七歳、ほとんど三十歳」なのだが、「婆さん連中に囲まれてうっとりしている三歳の子」にも《なる》。変身する。だが変身は持続のうちにあるのかそれとも持続の切断によって可能となるのか、よくわからないところがある。ハーストはいう。「連続性の欠如」と。なるほどハーストの言葉は的を得ている。しかし人間の人格において「連続性の欠如」とは何を指していうのか。そしてそれは恋愛においてどのように展開することができるか。慎重な検討がなされるべきだろう。ベルクソンから。

「熱烈な愛や深い憂いは私たちの心いっぱいに拡がるものである。それらは、互いに溶け合い浸透し合う無数のさまざまな要素であって、はっきり決まった輪郭はもっていないし、相互に外在化しようとするいささかの傾向性ももってはいない。それらの独自性はそうしたことと引き換えに成り立っている。だから、私たちがそれらの混然たる塊りのなかに数的多様性を見分けるとき、それら感情の諸要素はすでに変形してしまっている。では、それらを互いに切り離し、等質的環境のなかで繰り広げてみると、いったいどうなるだろうか。この環境はさしあたっていまは、お望みのままに、時間と呼んでも空間と呼んでもいいのだが、さっきまでは、それらの一つ一つは、それが位置していた環境から定義しがたい或る色どりを借りてきていた。いまや、それは色褪せ、名前を受け取る準備をすっかり整えている。感情そのものは、自己を展開し、したがって絶えず変化する一つの生き物である。そうでないとしたら、感情が私たちを少しずつ一つの決心へと導くことは理解できなくなるだろうし、つまり私たちの決心は即座になされるということになるだろう。しかし、感情が生きているのは、感情の展開される場をなす持続がその一つ一つの瞬間ごとに相互に浸透する持続だからである。それらの瞬間を相互に分離し、時間を空間のなかで繰り広げたために、私たちはその感情からその生気と色彩とを失わせてしまったのである。したがって、私たちはいま、私たち自身の影に直面しているのだ。自分では感情を分析したつもりでも、実は感情の代わりに、言葉に翻訳できる無生気な諸状態を併置しただけなのである。これらの状態はそれぞれが、社会全体が或る特定の場合に感じた印象の共通要素を、したがって非個人的な残余をなしている。それ故に、私たちはこれらの状態について推論したり、私たちの単純な論理をそれらに当てはめたりできるのである。つまり、私たちはそれらを互いに分離したという、ただそれだけのことで、それらを類に昇格させてやり、やがておこなわれる演繹にそれらが役立つように準備したのだ。もし、いまここに、誰か型破りな小説家がいて、私たちの因襲的自我が器用に織りあげた布を引き裂き、この外見上の論理の下に根本的な不合理を、またこの単純な諸状態の併置の下に、名付けられる瞬間にすでに存在しなくなったさまざまな印象の無限の浸透を示してくれるなら、私たちは彼を私たち自身より以上に私たちのことを知っていると称賛するであろう。だが、決してそうはならない。私たちの感情を等質的空間のなかに繰り拡げ、その諸要素を言葉で表現するというまさにそのことによって、彼の方も私たちに感情の一つの影を提示しているだけなのである。ただ彼は、影を投影する対象の異常で非論理的な本性を私たちに推察させてくれるような仕方で、この影を処理した。彼は、表現された諸要素の本質そのものをなす矛盾や相互浸透のいくぶんかを、外的表現のなかに置き入れることによって、私たちを反省へと誘った。私たちは彼に勇気づけられて、しばし、私たちが私たちの意識と私たちとのあいだに介在させていた覆いを取り除いた。彼は私たちを再び私たち自身と向き合わせたのである」(ベルクソン「時間と自由・P.158~160」岩波文庫)

「連続性の欠如」があるのではない。性愛とか憂鬱とかいった「混然たる」持続があるのだが、それは瞬間瞬間において「絶えず変形」している。したがって規則的に整除された文法的世界の中では、この「変形」運動が、持続を示しているとは映ることなく、逆に「連続性の欠如」に見えてしまうという遠近法的倒錯が生じる。そしてこの倒錯なしに社会は今の姿で見えることもない。さらにそれら性愛とか憂鬱とかいった「混然たる」持続の多様体は言語化されるや否や「色褪せ」て見えるほかない。言語化の作業は同時に社会的にあらかじめ設定された瞬時にして起こる徹底的な文法的切断と整理整頓の作業である。一方、性愛にしても憂鬱にしても純粋持続は相互浸透・融合のうちに変化を遂げていく。だがそれは言語化されて始めて明瞭に意識化されるのであり、にもかかわらず意識化されたときすでにそれは「一つの影」でしかなくなってしまっている。レイチェルが捉えようとしているのは、この、言語化を逃れて相互浸透・融合のうちに変化を遂げていく「生」の流れなのであって、この「生」の流れの中を流れそのものとして生きてみようと願っているのである。

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レイチェル/生と水のエチカ1

2019年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
認識できるものなら何でも認識してきたしこれからも認識し続けていけるに違いないと錯覚しながら生きていくことはいつも「幸せ」なことなのだろうか。それとも「いつも」そうとは限らないのだろうか。もちろん「いつも」そうとは限らない。錯覚によってしか構成されない世界の中で生を終えるということは。だからといって、しかし、「生そのもの」の認識を適時適切に「現行犯」で捉えるということは果たして可能なことなのか。つかむことはできるかもしれない。だがつかんだと思い、その手を広げてみるともうそこには何もない。一陣の風が吹き抜けていく感覚ばかりを後に残して。認識の限界としてはその地点が決定的だ。ところが少なくともその困難に挑んだ小説家は何人かいたーーー。

「私たちがここで関わっているのは、《物》ではなく、《進行》なのだ」(ベルクソン「時間と自由・P.134」岩波文庫)

常に既に「進行」しているものを「現行犯」で捉える。さしあたり言語を用いるほかない。

「ヘレンはもう一度レイチェルに目をやった。ああ、やはり確かだ!心は揺れ動き、感情的で、何か話しかけたところでその効果は、水の表面を棒で突っつくようなもので長続きしないだろう。若い女の子はまったく掴みどころがないーーー確実さ、永続性に欠け、手ごたえがない」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.25」岩波文庫)

ウルフの「船出」。この小説をただ単なる成長物語、それも挫折した悲劇的ロマンとして捉えるばかりでは今後も何らアクチュアルな読みをもたらさないだろう。ウルフが女性の精神的自立を提唱したことは有名だしまた小説家として成功したほうだというのも事実だろう。しかしドゥルーズ&ガタリが画家パウル・クレーを引用して借りてきた言葉をさらに借りるとすれば、ウルフ「船出」にとって、そのための「民衆」がいない。簡単にいえば読者がいないという程度の話なのだが。絵画と違って小説は持続を要する。これといった大事件が勃発するわけでもない。エンターテイメントのように絶えず読者を興奮のるつぼに叩き込みまくるというわけでもない。地味といえばそうだというしかない。しかしそもそも純文学とはそういうものだ。しかもいわゆる古典に属する。そう考えただけでも何だか退屈そうな気配が漂ってくる。にもかかわらず、それがわかっていてなおかつ最後まで読む読者がいるのはなぜなのか。ほんの一握りに過ぎないとはいえ、なぜ「船出」を読む人々がいるのか。「ダロウェイ夫人」で大胆に見せた「分身」というテーマ。そしてなぜ「分身」でなくてはならないのかという問い。ウルフ独特の死生観。それらは事実上のデビュー作「船出」において既によく見られる。といってみても関心のない人々は関心がない。先へ進もう。なお、前提として「船出」は、先に移動というテーマが先取りされていることを頭に入れておきたい。イギリスからブラジルの川沿いの街へ移動するところから始まる。イギリス=規則的脱コード化。移動=脱コード化・解体。南米の街=非規則的脱コード化。と、考えておこう。それにしても、もうすでにレイチェルの分身は始まっている。

彼女は「揺れ動き」「効果は」「表面を棒で突っつくようなもので長続きしない」「掴みどころがない」「確実さ、永続性に欠け」「手ごたえがない」。ヘレンにとってレイチェルは早くも「水」の本性を露わにしている。ところがレイチェルにとってヘレン(伯母)たちの「暮らし方全体」はもっと奇妙なものに見えるのだ。ヘレンたち「自体」が「理由もなくあちこちに置き捨てにされた椅子や傘のように」見えるとレイチェルはおもう。

「なんておかしいんでしょう!なんともいえないくらいおかしいわ!だがわからなかった、なぜ伯母が話している時に、突然伯母たちの暮らし方全体が、まったく見慣れない、説明のつかないものとして目の前に現れるのか、伯母たち自体が、理由もなくあちこちに置き捨てにされた椅子や傘のように見えるのか」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.51」岩波文庫)

しかしレイチェルは変わり者でもある。ただ単に「若い」というだけで年長者から見て理解できない部分を持つというよくあるケースとはまた異なっている。だからこそ主人公に抜擢されているわけだが。少なくとも二十世紀初頭の文学には主人公というものが存在できたことは確かだ。探してみれば実在するレイチェルのような女性を見つけることも可能だった。それはそうと登場人物としてのレイチェルは文学よりも絵画よりも音楽に芸術的特権性を見出す性質である。

「誰も本当に思っていることは口にしないし、感じたことを語らないらしい、しかしそういうことのためにこそ、音楽はあるのだ。現実は見るもの感じさせるもの、しかし語りはしないものの中にあるのだから、ほかの人たちを満足させる形でそこらじゅうに展開している物事の体系を、うわべは変だと感じることがあっても、あれこれ考えることもなく受け入れることができる。こうして彼女は自分の音楽に熱中し、定められた境遇を満足して受け入れ、二週間に一度くらいは激しく憤ることがあっても、いまそうであるように心が静まるのだった。夢のような混迷の中に、ほどけ難く巻き込まれた彼女の魂は、霊的な交わりに入り、喜びと共に広がり、白みがかった甲板の霊とも、海の霊とも、ベートーヴェンの作品百十一番の霊とも、さらにはオールニーの哀れなウィリアム・クーパー(詩人)の霊とさえも結ばれるように思われた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.53」岩波文庫)

「霊的な交わり」とある。いわゆる超常現象とは何の関係もない。キリスト教国ではこういう言い方をするというくらいのものであり、あえてたとえるとすれば「ベートーベンの精神」「海の神=ポセイドン」「ウィリアム・クーパー(詩人)の陶酔」といった感じか。

「ダロウェイ夫人が席を立つところだった。『あたくし、信仰はカブト虫の採集に似ているっていつも思ってますの』と夫人はヘレンと階段を上りながら、今までの話をまとめようとしていた。『黒いカブト虫に夢中の人もいれば、そうでない人もいる。それを議論しても無駄ですわ』」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.91」岩波文庫)

ここで登場している「ダロウェイ夫人」は後の作品「ダロウェイ夫人」の主人公クラリッサ・ダロウェイである。この作品については先日述べたのでここでは省略したい。ただ、「信仰はカブト虫の採集に似ている」と思っており「議論しても無駄」とする考え方はなるほどとおもわせる。宗教的信条はどこの国へ行っても頑固であり要するに「セクト主義的」なものになってしまうと考えている。実際、「ダロウェイ夫人」でクラリッサはキリスト教の教義をめちゃくちゃに罵っている。女性の精神的自立を目指したウルフにとってキリスト教の教義は逆に女性を家庭内に縛り付けるだけでなく「母性」というものを持ち出してきて何かにつけて男尊女卑的社会の再生産を促進するものでしかなかった。

「話はとぎれたが、レイチェルは話すことがないから黙っていたのではなかった。例によって言いたいことが言えず、話せる時間がおそらくもうあまりないことでいっそう困惑していた。愚かな混乱した考えに取り付かれていたーーーそうだ、もしもはるか昔まで戻れば、何もかもお互いに理解でき、何もかもがお互いに共通するのかもしれない、リッチモンド大通りの原っぱで草を食んでいたマンモスたちが、敷石とリボンがいっぱいの箱と伯母たちに変わってしまったのだ」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.112」岩波文庫)

ここでのレイチェルは幻想を満開にして楽しんでいる。歴史を遡及するとすれば「リッチモンド大通りの原っぱで草を食んでいたマンモスたち」と「敷石とリボンがいっぱいの箱と伯母たち」とは交換可能である。両者は等価だ。しかしなぜレイチェルはそう思いたがるのか。彼女は争いが嫌いなのだ。闘争が怖いからではなく、むしろ闘争すればするほど闘争自体がどこか馬鹿馬鹿しいものに変容していくことに年齢の早い段階から気づいていた。これは言い換えれば子どもの目線である。しかし大人は意味のない闘争を少しでも減少させることに成功しているだろうか。むしろ増殖させてはいないだろうか、とレイチェルは問うのである。

「ちょうどお茶の時間に、床が足元で盛り上がったかと思うと、低く沈み、夕食の時には、船はまるでむちで打たれているかのように、身体をねじって唸り声をあげた。それまでの船は、背中の広い大きな荷馬のようで、お尻の上でピエロが何人もワルツを踊ることができたが、いまは野原の子馬になった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.117」岩波文庫)

この文章には或る種の独特の読み方が求められるだろう。こんなふうに。

「船はまるでむちで打たれているかのように、身体をねじって唸り声をあげた」=船は「子馬」だ。それまでは「荷馬」であって甲板の上で「ピエロが何人もワルツを踊ることができた」けれども、「いまは」子馬が船だ、と。そして子馬になった船に乗っているレイチェルは「大西洋の疾風にさらされる萎びた老木と」《なる》。

「レイチェルは、風吹きすさぶ、雹(ひょう)に襲われ、身にまとう毛皮のコートもかき乱されて、荒野たたずむロバのよう、と思う間もなくたちまちに、塩辛い大西洋の疾風にさらされる萎びた老木となった」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.118~119」岩波文庫)

そして。

「二人はよろめきながらはしごを登って行った。風に息を詰まらせながらも、灰色の乱雲の縁に薄く金色の一点が現れるのを見ると気分は一気に高まった。すぐに世界が一つの形をとり、二人はもはや虚空を漂う原子ではなく、嵐に打ち勝ち、海の背に乗って船を走らせる戦士だった。風も空間も追い払われ、世界は桶の中のりんごのように浮かび、ともづなを切られていた人間の精神は、再び古い信条と結ばれた」(ヴァージニア・ウルフ「船出・上・P.121」岩波文庫)

風が止む。金色の晴れ間が見える。すると「すぐに世界が一つの形をとり」、レイチェルらは「もはや虚空を漂う原子ではなく」、「ともづなを切られていた人間の精神は、再び古い信条と結ばれ」る。要するに、文法が復活したということだ。しかしレイチェルにとって、さらにはウルフにとっての問題は、時として「ともづな」は「切られ」るものだというまったく新しい認識である。いつも確実に繋がっているわけではけっしてなく、むしろ「虚空を漂う原子」として身体細胞の隅々までばらばらに微分化=差異化されているのが両義的人間性ではないかという不安が根底にある。根底は何ら安定していない。風が止むことで「再び古い信条と結ばれ」て安心するけれども、だからといってウルフはただ単なる保守的人間だったか。そうではない。保守的女性は「新しい小説」など書かない。書こうとも考えない。「書く」とは痕跡を刻み込むことだ。端的な暴力であって本来的にはそれまで男性のみに許されていた行為である。男性にのみ許されていた理由は単純なことで、社会は、「書く」という行為が端的な暴力にほかならないとよくわかっていたからだ。それは身体を用いる。からだ全体で、からだ全体の細胞が高速で一挙に成し遂げていく行為である。それ以前の宗教的政治的商業的権力者層がそれほど簡単なことに気づかなかったわけはない。ではなぜウルフらにはそれが見えたのか。「神は死んだ」とニーチェは言ったが、それと置き換えられて、もっと巨大な神=国家・資本が立ち上がったからである。それは明白に誰の目にも見え手で触れもするものだった。さらにそれら新しい神=国家・資本はとてもわかりやすかった。利子、地代、税金、など。これほどわかりやすいものもまたとなかったろう。十九世紀に一気に広がった書物という「魔物」は全世界の女性の中に何か正体のわからない「力」を孕ませた。男だけではない。女も「書く」という事態が出現した。

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「トランスクリティーク」読解スペシャル・エディション6

2019年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
資本論序文から。

「起きるかもしれない誤解を避けるために一言しておこう。資本家や土地所有者の姿を私はけっしてばら色の光のなかには描いていない。しかし、ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手であるかぎりでのことである。経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(マルクス「資本論・第一版序文・P.25~26」国民文庫)

柄谷行人はこう述べる。

「個々人はここでは主体ではありえない。だが、個々人は貨幣というカテゴリーの担い手としては主体的(能動的)でありうる。ゆえに、資本家は能動的である。だが、資本の剰余価値は、賃労働者が総体として、自らが作った物を買い戻すことによってのみ実現される。つまり、資本は『売る立場』に一度は立たねばならず、そのとき『買う立場』に立った労働者の意志に従属する。ここには、『強奪』にかかわるヘーゲルの『主人と奴隷』の弁証法と違った弁証法がある」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.312」岩波現代文庫)

「資本は『売る立場』に一度は立たねばならず、そのとき『買う立場』に立った労働者の意志に従属する」。いつか聞いた響きがしないだろうか。直接名前は上げられていない。けれども、どこかニーチェの香りが漂ってこないだろうか。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361」ちくま学芸文庫)

それはそれとして。労働者がただ単なる賃金労働者として虚無感のうちに終わってしまうのではなく、むしろ消費者として政治的経済的文化的なレベルで大いに存在感を拡張するためにはどうすればいいのか。柄谷行人は「消費社会」の出現についてこう述べている。

「たとえば、ケインズは、有効需要を作り出すことによって、慢性的不況(資本主義の危機)を乗り越えられると考えた。これはたんに国家の重商主義的介入ではなく、社会的総資本が国家という形で登場したことを意味する。マルクスが指摘したように、資本家は自分の労働者にはなるべく賃金を払いたくないが、他の資本家にはその労働者に多く払ってほしいと願う。他の資本の労働者は消費者としてあらわれるからだ。だが、すべての資本家がそうするなら、不況が続き、失業者が氾濫し、資本主義体制の危機となる。そこで、総資本が個別資本のそのような態度を逆転させたのだ。大量生産、高賃金、大量消費、というフォーディズムがそれである。そして、これらが『消費社会』を作り出したのである」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.429」岩波現代文庫)

次の部分。「資本家は自分の労働者にはなるべく賃金を払いたくないが、他の資本家にはその労働者に多く払ってほしいと願う」。当然の感情かも知れない。だがそれこそがますます危機をおびき寄せる。こんなふうに。

「資本家的生産者たちは互いにただ商品所有者として相対するだけであり、また各自が自分の商品をできるだけ高く売ろうとする(外観上は生産そのものの規制においてもただ自分の恣意だけによって導かれている)のだから、内的な法則は、ただ彼らの競争、彼らが互いに加え合う圧力を媒介としてのみ貫かれるのであって、この競争や圧力によってもろもろの偏差は相殺されるのである。ここでは価値の法則は、ただ内的な法則として、個々の当事者にたいしては盲目的な自然法則として、作用するだけであって、生産の社会的均衡を生産の偶然的な諸波動のただなかをつうじて維持するのである。

さらに、すでに商品のうちには、そして資本の生産物としての商品のうちにはなおさら、資本主義的生産様式の全体を特徴づけている社会的な生産規定の物化も生産の物質的基礎の主体化も含まれているのである。

資本主義的生産様式を特に際立たせている《第二のもの》は、生産の直接的目的および規定的動機としての剰余価値の生産である。資本は本質的に資本を生産する。そして、資本がそれをするのは、ただ、資本が剰余価値を生産するかぎりでのことである。すでに相対的剰余価値を考察したときにも、またさらに剰余価値の利潤への転化を考察したときにも見たように、この点にこそ、資本主義時代に特有の生産様式はもとづいているのである。ーーーこの生産様式、それは、労働の社会的生産力の、といっても労働者にたいして独立した資本の力によっておりしたがって労働者自身の発展に直接に対立している生産力の、発展の一つの特殊な形態なのである。価値と剰余価値とのための生産は、さらに進んだ展開で明らかになったように、商品の生産に必要な労働時間、すなわちその商品の価値を、そのつどの現存の社会的平均よりも低くしようとするところの、不断に作用する傾向を含んでいる。費用価格をその最低限まで減らそうとする衝動は、労働の社会的生産力の増大の最も強力な槓杆(テコ)である。といっても、この増大はここではただ資本の生産力の不断の増大として現われるだけであるが。

資本家が資本の人格化として直接的生産過程でもつ権威、彼が生産の指揮者および支配者として身につける社会的機能は、奴隷や農奴などによる生産を基礎とする権威とは本質的に違うものである。

資本主義的生産の基礎の上では、直接生産者の大衆にたいして、彼らの生産の社会的性格が、厳格に規制する権威の形態をとって、また労働過程の、完全な階層制として編成された社会的な機構の形態をとって、相対している。ーーーといっても、この権威の担い手は、ただ労働に対立する労働条件の人格化としてのみこの権威をもつのであって、以前の生産形態でのように政治的または神政的支配者として権威をもつのではないのであるが。ーーーところが、この権威の担い手たち、互いにただ商品所有者として相対するだけの資本家たち自身のあいだでは、最も完全な無政府状態が支配していて、この状態のなかでは生産の社会的関連はただ個人的恣意にたいする優勢な自然法則としてその力を現わすだけである。

ただ、賃労働の形態にある労働と資本の形態にある生産手段とが前提されているということによってのみーーーつまりただこの二つの本質的な生産要因がこの独自な社会的な姿をとっていることの結果としてのみーーー、価値(生産物)の一部分は剰余価値として現われ、またこの剰余価値は利潤(地代)として、資本家の利得として、資本家に属する追加の処分可能な富として、現われるのである。しかしまた、ただ剰余価値がこのように《彼の利潤》として現われるということによってのみ、再生産の拡張に向けられており利潤の一部分をなしている追加生産手段は新たな追加資本として現われるのであり、また、再生産過程の拡張は一般に資本主義的蓄積過程として現われるのである」(マルクス「資本論・第三部・第七篇・第五十一章・P.435~437」国民文庫)

また、「すべての資本家がそうするなら、不況が続き、失業者が氾濫し、資本主義体制の危機となる」と柄谷行人がいうとき、それはすべての資本が同時に競争戦を何度も繰り返し繰り広げることで発生してこざるを得ない次のことが、主体が、社会が、いつも前提として表象に浮かべられていなくてはならない。その過程は「労働者=消費者」であるにもかかわらず労働者ばかりを限りなく反復する疲弊・労苦・低賃金のどん底へ送り込んでいくことでしかない過程である。マルクスはこう論述している。

「競争戦は商品を安くすることによって戦われる。商品の安さは、他の事情が同じならば、労働の生産性によって定まり、この生産性はまた生産規模によって定まる。したがって、より大きい資本はより小さい資本を打ち倒す。さらに思い出されるのは、資本主義的生産様式の発展につれて、ある一つの事業をその正常な条件のもとで営むために必要な個別資本の最少量も大きくなるということである。そこで、より小さい資本は、大工業がまだまばらにしか、または不完全にしか征服していない生産部面に押し寄せる。ここでは競争の激しさは、敵対し合う諸資本の数に正比例し、それらの資本の大きさに反比例する。競争は多数の小資本家の没落で終わるのが常であり、彼らの資本は一部は勝利者の手にはいり、一部は破滅する。このようなことは別としても、資本主義的生産の発展につれて、一つのまったく新しい力である信用制度が形成されるのであって、それは当初は蓄積の控えめな助手としてこっそりはいってきて、社会の表面に大小さまざまな量でちらばっている貨幣手段を目に見えない糸で個別資本家や結合資本家の手に引き入れるのであるが、やがて競争戦での新しい恐ろしい武器になり、そしてついには諸資本の集中のための一つの巨大な社会的機構に転化するのである。資本主義的生産と資本主義的蓄積とが発展するにつれて、それと同じ度合いで競争と信用とが、この二つの最も強力な集中の槓杆(テコ)が、発展する。それと並んで、蓄積の進展は集中されうる素材すなわち個別資本を増加させ、他方、資本主義的生産の拡大は、一方では社会的欲望をつくりだし、他方では過去の資本集中がなければ実現されないような巨大な産業企業の技術的な手段をつくりだす。だから、こんにちでは、個別資本の相互吸引力や集中への傾向は、以前のいつよりも強いのである。しかし、集中運動の相対的な広さと強さとは、ある程度まで、資本主義的な富の既成の大きさと経済的機構の優越とによって規定されているとはいえ、集中の発展はけっして社会的資本の大きさの絶対的増大には依存しないのである。そして、このことは特に集中を、ただ拡大された規模での再生産の別の表現でしかない集積から区別するのである。集中は、既存の諸資本の単なる配分の変化によって、社会的資本の諸成分の単なる量的編成の変化によって、起きることができる。一方で資本が一つの手のなかで巨大なかたまりに膨張することができるのは、他方で資本が多数の個々の手から取り上げられるからである。かりにある一つの事業部門で集中が極限に達することがあるとすれば、それは、その部門に投ぜられているすべての資本が単一の資本に融合してしまう場合であろう。与えられた一つの社会では、この限界は、社会的総資本が単一の資本家なり単一の資本家会社なりの手に合一された瞬間に、はじめて到達されるであろう。

集中は蓄積の仕事を補う。というのは、それによって産業資本家たちは自分の活動の規模を広げることができるからである。この規模拡大が蓄積の結果であろうと、集中の結果であろうと、集中が合併という手荒なやり方で行なわれようとーーーこの場合にはいくつかの資本が他の諸資本にたいして優勢な引力中心となり、他の諸資本の個別的凝集をこわして、次にばらばらになった破片を自分のほうに引き寄せるーーー、または多くの既成または形成中の資本の融合が株式会社の設立という比較的円滑な方法によって行なわれようと、経済的な結果はいつでも同じである。産業施設の規模の拡大は、どの場合にも、多数人の総労働をいっそう包括的に組織するための、この物質的推進力をいっそう広く発展させるための、すなわち、個々ばらばらに習慣に従って営まれる生産過程を、社会的に結合され科学的に処理される生産過程にますます転化させて行くための、出発点になるのである。

しかし、蓄積、すなわち再生産が円形から螺旋形に移って行くことによる資本の漸時的増加は、ただ社会的資本を構成する諸部分の量的編成を変えさえすればよい集中に比べて、まったく緩慢なやり方だということは、明らかである。もしも蓄積によって少数の個別資本が鉄道を敷設できるほどに大きくなるまで待たなければならなかったとすれば、世界はまだ鉄道なしでいたであろう。ところが、集中は、株式会社を媒介として、たちまちそれをやってしまったのである。また、集中は、このように蓄積の作用を強くし速くすると同時に、資本の技術的構成の変革を、すなわちその可変部分の犠牲においてその不変部分を大きくし、したがって労働にたいする相対的な需要を減らすような変革を、拡大し促進するのである。

集中によって一夜で溶接される資本塊も、他の資本塊と同様に、といってもいっそう速く、再生産され増殖され、こうして社会的蓄積の新しい強力な槓杆(テコ)になる。だから、社会的蓄積の進展という場合には、そこにはーーー今日ではーーー集中の作用が暗黙のうちに含まれているのである。

正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒体として役立つ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎ捨てると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では前よりも多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。このことから必然的に起きてくる労働需要の絶対的な減少は、言うまでもないことながら、この更新過程を通る資本が集中運動によってすでに大量に集積されていればいるほど、ますます大きくなるのである。

要するに、一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少ない労働者を引き寄せるようになる。他方では、周期的に新たな構成で再生産される古い資本は、それまで使用していた労働者をますます多くはじき出すようになるのである」(マルクス「資本論・第一部・第七篇・第二十三章・P.210〜214」国民文庫)

要するに、結局のところ、どの資本家もが欲するような大量生産・大量消費ではあるが、逆に「労働者=消費者」を「消費社会」の現場からどんどん遠ざけますます多くはじき出してしまうというなお一層劣悪な諸条件を、資本は資本自身の手で作り出す。それこそが幾多の資本家たちに見えているにもかかわらず決して見ようとしていない「現実」なのだ。ところがこのような「現実」をこそあやまたず「出発点」に据えたのはマルクスである。

「われわれが出発点とする諸前提は、なんら恣意的なものではなく、ドグマでもなく、仮構の中でしか無視できないような現実的諸前提である。それは現実的な諸個人であり、彼らの営為であり、そして、彼らの眼前にすでに見出され、また彼らの営為によって創出された、《物質的な》生活諸条件である」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.25」岩波文庫)

しかし困難は、どんな商品であってもその商品が「労働者=消費者」によって買ってもらわねば価値として実現されない点にあるのであって、流通・交換過程での、いわゆる「命懸けの飛躍」を必要とする。そうでなければどれほど商品には価値とともに剰余価値があると言ってみたところで、商品は貨幣と交換されない以上、それは「ただ単に無駄な物」として取り扱われるほかない。次のように。

「売りと買いとは、二人の対極的に対立する人物、商品所持者と貨幣所持者との相互関係としては、一つの同じ行為である。それらは、同じ人の行為としては、二つの対極的に対立した行為をなしている。それゆえ、売りと買いとの同一性は、商品が流通という錬金術の坩堝(るつぼ)に投げこまれたのに貨幣として出てこなければ、すなわち商品所持者によって売られず、したがって貨幣所持者によって買われないならば、その商品はむだになる、ということを含んでいる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.202」国民文庫)

さらに環境保護の観点からはこう言われるに違いない。

「WーG、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように〔マルクス「経済学批判・P.110」岩波文庫〕、商品の命がけの飛躍である。この飛躍に失敗すれば、商品にとっては痛くはないが、商品所持者にとってはたしかに痛い」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.191」国民文庫)

「商品所持者にとってはたしかに痛い」とあるが、実は「商品にとっても痛い」のだ。昨今の先進国では売れ残った様々な商品が続々と廃棄処分されている。それら諸商品は価値も剰余価値もともに実現せず、所定の処分場へ送られるかどこかの海中や山中に捨てられ腐り果てて終わる。また処分場の維持費は無料ではない。さらに放置され腐り果てた商品群の中には自然の海中や山中の環境循環の中だけでは分解されず、自然界へ戻っていくことも再生することもできない部分がある。それらは逆に動植物にとっても(それを食する場合は当然含めて)人間にとっても有害な有毒物質へ転化しつつ再び人間社会へこっそり舞い戻ってくる。

ところで、これまではまずまずの生活水準を維持できていた比較的富裕な団塊世代も、遂に大量退職する時期が目前に迫ってきた。この大量退職は、今度は、どんな「大量消費社会」の生成の基盤として動き始めるだろうか。この大量退職。規模的に見て、その社会的影響力は計り知れない。遂に「大量労働者」ではなくなり、多くはただ単なる「大量消費者」であると同時に「大量生活者」として出現するであろう大量退職者の群。彼ら彼女らは一体、何をいかに考えているのか。いきいきと思考することができているだろうか。そしてもし、本当にいきいきと思考することができているとすれば、彼ら彼女らは一体なにをいかにして思考するか、というだけでなく、なにを、いかにして、なすことができるだろうか?

カントはいう。

「君の意思の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」(カント「実践理性批判・P.72」岩波文庫)

何をなすにしても、それが実践的である場合、普遍的に妥当するよう行為せよ、と。

だから、カントは、いわゆる「幸福」の追求は構わないにしても、実践的判断の基礎として取り扱われる場合、「幸福」とは果たして、いかなる時にも必然的に妥当する「普遍的」な判断原理だといえるだろうか、もしかしたら「一般的」なレベルでの思い込みに過ぎないのではないかと、強い疑問を呈している。

「我々は幸福の原理を、確かに格律たらしめることができる、しかし我々が《普遍的》幸福を我々の〔意志の〕対象とする場合でも、幸福の原理を意志の法則として使用に堪えるような格律たらしめることはできない。幸福の認識は、まったく経験的事実にもとづくものであり、また幸福に関する判断は各人の臆見に左右され、そのうえこの臆見なるものが、また極めて変り易いものだからである。それだから幸福の原理は、なるほど《一般的》な規則を与えることはできるが、しかし《普遍的》規則を与えることはできない」(カント「実践理性批判・P.84」岩波文庫)

この場合、「普遍性」は、カントのいう「道徳的」見地から考えられねばならない。例えば、自分の目的が「大統領になること」だとしよう。そのための「手段」として自分を取り扱うのは妥当だとしても、同時に他人をも「手段」として取り扱ってよいのか。それでは「普遍性」を失ってしまう。「一般的」であるに留まる。万が一にでも「普遍的」でありたければ、他人を使用する時、その人格(人間性)において、「手段」として使用してはならないというのだ。もし仮に使用するとしても、その時は「手段」としてのみではなく同時に「目的」としても使用すべきだと。こうある。

「《君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない》」(カント「道徳形而上学原論・P.103」岩波文庫)

そして、もしそのように使用するのでない限り、それは何ら「普遍的」なものを持たない、とカントは考える。「普遍的」であるとは、では、どういうことか。或る意味、態度として「普遍的」であるとは、いついかなる時にでも妥当する「根本的」な態度だといえるだろう。しかし「根本的」な態度とはどういう態度か。例えばマルクスの場合、「協同組合労働」への転化運動の叙述において、そのような「普遍=妥当的」態度が示されている。

「この運動の大きな利点は、現在の窮乏、および資本にたいする労働の隷属という専制的体制を、《自由で平等な生産者たちの結合》(association)という、共和的で福祉ゆたかな制度とおきかえることができるということを、実践的に示す点にある。

しかしながら、協同組合制度は、それが個々の賃金奴隷の私的な努力でつくりだせる程度の零細な形態にかぎられるなら、それが資本主義的社会を変革することは決してないであろう。社会的生産を自由な協同組合労働という大規模で調和ある一制度に転化するためには、《全般的な社会的変化、社会の全般的諸条件の変化》が必要である。この変化は、社会の組織された力すなわち国家権力を資本家と地主の手から生産者自身の手に移すこと以外には、けっして実現されえない」(マルクス「協同組合労働」『ゴータ綱領批判・P.159~160』岩波文庫)

また、たとえ「協同組合労働」といってもそれが「《自由で平等な生産者たちの結合》(association)」であるためには、「国家権力を」「生産者自身の手に移す」というだけでは不十分であり、相変わらず「国家そのもの」は存続し続けるかのように見える。そこで「国家」をどう捉えるかという点について、マルクスはこう釘を刺している。

「労働者たちが協同組合的生産の諸条件を社会的な規模で、まず自国に国民的な規模でつくりだそうとすることは、かれらが現在の生産諸条件の変革をめざして働くということにほかならず、国家補助をうけて協同組合を設立することとはなんの共通点もないのだ!また、今日の協同組合についていえば、それらが価値をもつのは、政府からもブルジョアからも保護をうけずに労働者が自主的に創設したものであるときに《かぎって》、である」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.50~51」岩波文庫)

ところで、「大規模で調和ある」というフレーズは、どこか「万博」の理念を思わせないでもない。しかし「協同組合労働」と違って、「万博」が、直ちに「《自由で平等な生産者たちの結合》(association)」を内容のうちに含んでいるかどうかはまったく定かでない。ヘーゲル用語でいうと、何よりもまず、今ある国家の諸形態をどのように「揚棄するか」という理念と実践のための用意がそこには欠片ほども見られない。

一方、資本の人格化としての資本家にとって「普遍的」であるとはどういうことか。少なくとも、資本家にとって、「通貨」は「普遍的」でなくてはならないに違いない。だが、「貨幣」はそれほどまでに「普遍的」だろうか。「信用」はどんなふうに「普遍的」だろうか。むしろ「信用」は何か別のものを増大したり減少させたりしないだろうか。あるいは「流通」は絶対的に「普遍的」だと断言できるだろうか。「手形」の流通は本当に「普遍的」なのか。

「私は前に(第一部第三章第三節b)、どのようにして単純な商品流通から支払手段としての貨幣の機能が形成され、それとともに商品生産者や商品取引業者のあいだに債権者と債務者との関係が形成されるか、を明らかにした。商業が発展し、ただ流通だけを念頭において生産を行なう資本主義的生産様式が発展するにつれて、信用制度のこの自然発生的な基礎は拡大され、一般化され、完成されて行く。だいたいにおいて貨幣はここではただ支払手段としてのみ機能する。すなわち、商品は、貨幣と引き換えにではなく、書面での一定期日の支払約束と引き換えに売られる。この支払約束をわれわれは簡単化のためにすべて手形という一般的な範疇のもとに総括することができる。このような手形はその満期支払日まではそれ自身が再び支払手段として流通する。そして、これが本来の商業貨幣をなしている。このような手形は、最後に債権債務の相殺によって決済されるかぎりでは、絶対的に貨幣として機能する。なぜならば、その場合には貨幣への最終的転化は生じないからである。このような生産者や商人どうしのあいだの相互前貸が信用の本来の基礎をなしているように、その流通用具、手形は本来の信用貨幣すなわち銀行券などの基礎をなしている。この銀行券などは、金属貨幣なり国家紙幣なりの貨幣流通にもとづいているのではなく、手形流通にもとづいているのである」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十五章・P.150~151」国民文庫)

今のところ、「信用制度」は決済を無限に先送りして資本の自己増殖運動を促進し、新自由主義(グローバル資本主義)を無限に延長させている。従って、「信用」とそれを可能にしている「流通」がなければ資本の機能はあっさり切断されてしまう。さらに、この「流通」の還の成就のためには「消費者」の存在が不可欠である。ところで、「消費者」とは、一体何者なのか。少なくとも、始めは二極に分かれた「売る立場」(商品所持者)と「買う立場」(貨幣所持者)が、対立する関係に置かれる商品交換を成立させる(価値と剰余価値とを実現させる)際に、「消費者」は「いついかなる時にでも妥当する」《普遍的》な存在者として位置付けられているかと思われる。今のところは。

なお、労働時間の短縮について。労働時間が短縮されればされるほど、短縮された時間内における労働強化が徹底化されるということ。自動車メーカー・トヨタのトヨタイズムが取り上げられるが、注意点はトヨタイズムもまた「絶対的剰余価値」を中心に考えられた古いイデオロギーに過ぎず、高度にIT化されたシステムによって可能になる「相対的剰余価値」とそれを実際に現実化(価値と剰余価値とを現金化)させる「流通」を中心として考えられてはいないという点だろう。むしろ高度なIT化による労働時間の短縮は自明のことだ。そしてそのことがより一層暴力的な労働強化(短時間で発生してくる新しいタイプの疲労、過労、自殺)を招き込んでしまう。さらにその系列としてストレス性犯罪(痴漢、盗撮、強制性交、顧客プライバシー情報流出、社内機密売買)の多発を呼び起こす。

また労働の高度機能化によって労働時間の短縮を実現した大企業では、空いて解放された時間を消費行動へ向けることを促す。その点は官公庁とて民間と変わらない。この「促し」という情報宣伝活動は主にテレビ・マスコミが受け持つ。労働者として受け取った労賃は、時間短縮によって人為的に解放された「余暇」という名の消費行動へとすぐさま振り向けられる。労働者にとって労賃のほとんどはこの消費行動へと消えてしまう。と同時に他の大企業の儲けとして分配されていく。マルクス「資本論・第二部・第三篇・第二十章・単純再生産」と「同・第二十一章・蓄積と拡大再生産」での記述はその過程をより一層鮮明な形で可視化したという歴史的功績によってもっと高く評価されてよいだろう。

「労働強化の代表的な例として、アメリカで始まったテイラーイズムにもとづくフォーディズムがあげられる。それは仕事の細分化と生産のオートメーション化(アセンブリ生産)によって、労働の熟練性を奪い『労働の疎外』を極度にもたらす。それに対して、日本のトヨタ方式においては、需要変動に即応するために多品種生産に応じる体制、そして、多能工が育成される。近年では、レギュラシオン学派は、トヨタイズムをポスト・フォーディズムとして評価している。しかし、実際には、それは労働者の『自主性』を活用する、より巧妙なフォーディズムにすぎない。トヨタイズムが成功したのはむしろ系列の下請け中小企業を締めつけ搾取することによってである。このような機械的生産における労働強化の形態によって、資本主義の歴史的『段階』を規定するのは一面的である。それは『絶対的剰余価値』を中心に考える傾向の延長にすぎない」(柄谷行人「トランスクリティーク・P.491〜492」岩波現代文庫)

「労働者の『自主性』」とある。国家・資本・会社の側から圧倒的威力をもって押し付けられてくる圧力を、労働者は仕方なく受け止め、あえて自分自身の「自主性」として発揮するほかない。だから、表沙汰になっていない労災あるいはそれに近い状況というものは、実をいえば途方もなく盛大にある。しかし労働者とその家族・支援者らは余りにも強大化した国家権力を相手にする気力もなければ資金もない。泣き寝入りするほか仕方がない。そのような状態に陥っている世帯が本当は一体どれほどの数に上っているか、官公庁は「国家・資本」の脅威に怯えているばかりであって真剣に考える余裕すらない。資本主義の掟の一つとして、加速するばかりの格差社会はそのうち破綻するが、いずれにせよ、テレビ・マスコミはその一つ一つを丁寧に伝えようとはしない。

BGM