白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて80

2022年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

日付が変わって二時間後くらいの月。

 

「名称:“月”」(2022.11.7)

「人も見ぬよしなき山の末にまで澄むらん月の影をこそ思へ」(西行)

 

椿の実が割れていました。

 

「名称:“ツバキ”」(2022.11.7)

「椿の実裂け原子力発電所」(杉良介)

 

「名称:“ツバキ”」(2022.11.7)

 

「名称:“モンシロチョウ”」(2022.11.7)

「一日物言はず蝶の影さす」(尾崎放哉)

 

「名称:“モンキチョウ”」(2022.11.7)

「蝶(てふ)一つ飛べるが去らず青芝の庭に照る日の陰(かげ)のあたりを」(岡麓)

 

「名称:“ガーベラ”」(2022.11.7)

「ろくろ師の木屑掃き出す菊畠」(冨田みのる)

 

「名称:“トウガラシ”」(2022.11.7)

「野の家の屋根の上に干す唐辛子(たうがらし)紅(くれなゐ)古りて冬に入るらし」(島木赤彦)

 

「名称:“柚子”」(2022.11.7)

「柚子摘むと山気に鋏入るるかな」(大橋敦子)

 

「名称:“町屋”」(2022.11.7)

「背門口(せどぐち)の入江(いりえ)にのぼる千鳥かな」(丈草)

 

「冬がんです。ご自由にお持ち帰り下さい」。近くの農家さんでしょうか。ありがたいお言葉です。

 

「名称:“冬瓜(とうがん)”」(2022.11.7)

「冬瓜の白粉も濃くなりにけり」(宮川白夢)

 

三個ほど置いてあったのでそのうちの一個をさっそく頂いて持ち帰り撮影。

 

「名称:“冬瓜(とうがん)”」(2022.11.7)

「冬瓜やたがひにかはる顔の形」(芭蕉)

 

二〇二二年十一月七日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 

 


Blog21・ゲルマント夫人独自の言葉遣い/新しい古典の生まれる場所

2022年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

アルベルチーヌがパリに移ってからとりわけ熱心に打ち込み出したのは<エレガンス>の追求である。その代表的人物がゲルマント公爵夫人。画家エルスチールが「公爵夫人はパリのベストドレッサーだ」と言ったのを耳にしたからである。そこで<私>はアルベルチーヌに衣裳や装飾品の情報を提供してやるため、しばしばゲルマント夫人のもとを訪れることになった。<私>とアルベルチーヌが暮らすアパルトマンはゲルマント夫妻の壮大な館の一部なのでごく簡単なことだ。むしろ<私>がゲルマント夫人に感じる魅力は夫人独特の言葉遣いにあった。

 

「才気煥発のパリジェンヌとなり、私が知り合ったころには郷土のものとしては訛りしか残していなかった」夫人であるにもかかわらず、言語に極めて敏感なプルーストが指摘するのは、「娘時代の生活を語ろうとするとき、夫人がすくなくとも自分のことば遣いとして(無意識すぎるほど田舎じみて見えるものと、それとは逆に人為的な文学通に見えるものとのあいだに)見つけだしたのは、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』とか、シャトーブリヤンが『墓のかなたの回想』で語ったいくつかの伝説とかの魅力を形づくる折衷法である」。

 

「ゲルマント夫人は、残念ながら才気煥発のパリジェンヌとなり、私が知り合ったころには郷土のものとしては訛りしか残していなかったが、娘時代の生活を語ろうとするとき、夫人がすくなくとも自分のことば遣いとして(無意識すぎるほど田舎じみて見えるものと、それとは逆に人為的な文学通に見えるものとのあいだに)見つけだしたのは、ジョルジュ・サンドの『愛の妖精』とか、シャトーブリヤンが『墓のかなたの回想』で語ったいくつかの伝説とかの魅力を形づくる折衷法である」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.75」岩波文庫 二〇一六年)

 

注目すべきは、以前はまるで別々の次元に属していて決して交わることが許されなかった<或る言葉遣い>と<別の言葉遣い>とを、今や「折衷」することができるという点。ゲルマント夫人が無意識的に行っている異なる言語(土着の言葉と人為的標準語)同士の異種交配が、知らぬ間に夫人の言葉遣いに独自色を与え、ゲルマント夫人にはすでに慣れきってしまった<私>にとってなおも魅力あるものに変えていく。例えば「公爵夫人とともに農夫たちが登場する話を、夫人自身の口から聞くこと」。プルーストはいう。「城館と村とを関連づけるそうした話にそこはかとない興趣を添えるのは、さまざまな古い名や昔の習慣である」。とはいえ「昔の習慣」がそのまま残存しているとすれば<私>に魅力を及ぼすことは何一つない。逆に「さまざまな古い名や昔の慣習」がもはや反古と化している限りで、「領主であった土地との接触を保持して地方色を残している人たち」の話は、まったく新しい古典として立ち現れてくる。

 

「私の楽しみは、とりわけ公爵夫人とともに農夫たちが登場する話を、夫人自身の口から聞くことであった。城館と村とを関連づけるそうした話にそこはかとない興趣を添えるのは、さまざまな古い名や昔の慣習である。貴族階級のなかには領主であった土地との接触を保持して地方色を残している人たちがいて、その人たちのごく簡単な発言を聞くだけでも、われわれの眼前にはフランス史をものがたる歴史地図の全容がくり広げられる」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.75~78」岩波文庫 二〇一六年)

 

さらにプルーストは芸術家の関心をそそる言葉遣いというのは一体どのような言葉遣いなのかについて語る。言語に興味を覚える芸術家とはどんな芸術家か。間違いなく作家だろう。しかしプルーストが述べているのは美文・名文の類ではまるでない。逆になるほど滑稽なケースなのだが見落とせない例を上げている。「ジャン“Jean”という語を昔はどう綴っていたのかを知りたいと思っていた私がそれを学んだのは、ヴィルパリジ夫人の甥から手紙が届いたときで、その甥はーーー洗礼を受けたときのまま、またゴータ年鑑の記載のままーーージャン“Jehan”・ド・ヴィルパリジ“と“h”をつけ加えて署名していて、それは祈祷書やステンドグラスでバーミリオンやウルトラマリンの顔料で彩色された紋章装飾に見られる美しい無用の“H”とそっくりだった」と。

 

「ゲルマント夫人の発音と語彙に話をもどすと、この点こそ貴族階級がきわめて保守的であることを示すものだ。この保守的という語には、いささか幼稚で、いくぶん危険な、進化をこばむ面があるが、それと同時に芸術家の興をそそる面も含んでいる。ジャン“Jean”という語を昔はどう綴っていたのかを知りたいと思っていた私がそれを学んだのは、ヴィルパリジ夫人の甥から手紙が届いたときで、その甥はーーー洗礼を受けたときのまま、またゴータ年鑑の記載のままーーージャン“Jehan”・ド・ヴィルパリジ“と“h”をつけ加えて署名していて、それは祈祷書やステンドグラスでバーミリオンやウルトラマリンの顔料で彩色された紋章装飾に見られる美しい無用の“H”とそっくりだった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.82」岩波文庫 二〇一六年)

 

そこにはいつも、記号論的なほんのちょっとした差異からどんなことが生じてくるか、生じてこないわけにはいかないか、という問いかけがある。