熱が平常より二℃ほど高く、洟は青い(”緑い”と書いて青いと読みたい)。
「ため息をつくと、その分だけ幸せが逃げる」と誰かに云ったけれど、
そう云っている本人がため息をついているけれど、深呼吸と割り切って
言い換えて、ため息のようなものをつく。息が出てくる。途切れず。
「萌え」って言葉があるけれど、あれはどうなのだろう。
伊集院さんが以前「恥丘」(読める人はエロい人)という単語は書き文字
ではあるが、声に出す言葉じゃないと云っていたのを思い出す。
エクリチュールとパロールとかそういうことじゃなくて、
いや、そうなのか?「萌え」がエクリチュールであったころは
表現しがたいものを含めることが出来て気がする。
それがテレビが取り上げたからか、オタクが動物、馬鹿になったのか
「萌え」って単語がパロールとして発せられた途端に非常に一元的な
意味合い、オタクが興奮した時に発する言葉になっちゃう。
僕の理解では「萌え」って感情の一種類であったように思う。
「萌え」が感情の一類型だとすれば、「萌えぇ~」とか云ってるのは
「俺は悲しいぞ」とか「怒っているぞ」と云ってる様なものじゃん。
それじゃ、意味不明だよ、社会人として。星飛雄馬くらいしか云わん。
駄目な脚本と同じくらい仕事放棄。パロールとして共有されると
途端に安っぽい、スノッブなものになっちゃう。本来もっと原初的で
個人的で、奥ゆかしいものであったと思うんだけれどなぁ…
パロールとエクリチュールが意味的に逆だけれど良いや。
主体が無いパロールと言うか、パロールがエクリチュール的と言うか
そもそもが「萌え」と言う単語はエクリチュールにしか存在しえない
言葉だったように思えるからで。良く分からん。
てか、20世紀のフランス人は個人しか見とらんもんね。
ネットなんてものはエクリチュールでありながらパロール的だし。
んでモノローグでもダイアローグでもなく基本マルチローグだし。
「ため息をつくと、その分だけ幸せが逃げる」と誰かに云ったけれど、
そう云っている本人がため息をついているけれど、深呼吸と割り切って
言い換えて、ため息のようなものをつく。息が出てくる。途切れず。
「萌え」って言葉があるけれど、あれはどうなのだろう。
伊集院さんが以前「恥丘」(読める人はエロい人)という単語は書き文字
ではあるが、声に出す言葉じゃないと云っていたのを思い出す。
エクリチュールとパロールとかそういうことじゃなくて、
いや、そうなのか?「萌え」がエクリチュールであったころは
表現しがたいものを含めることが出来て気がする。
それがテレビが取り上げたからか、オタクが動物、馬鹿になったのか
「萌え」って単語がパロールとして発せられた途端に非常に一元的な
意味合い、オタクが興奮した時に発する言葉になっちゃう。
僕の理解では「萌え」って感情の一種類であったように思う。
「萌え」が感情の一類型だとすれば、「萌えぇ~」とか云ってるのは
「俺は悲しいぞ」とか「怒っているぞ」と云ってる様なものじゃん。
それじゃ、意味不明だよ、社会人として。星飛雄馬くらいしか云わん。
駄目な脚本と同じくらい仕事放棄。パロールとして共有されると
途端に安っぽい、スノッブなものになっちゃう。本来もっと原初的で
個人的で、奥ゆかしいものであったと思うんだけれどなぁ…
パロールとエクリチュールが意味的に逆だけれど良いや。
主体が無いパロールと言うか、パロールがエクリチュール的と言うか
そもそもが「萌え」と言う単語はエクリチュールにしか存在しえない
言葉だったように思えるからで。良く分からん。
てか、20世紀のフランス人は個人しか見とらんもんね。
ネットなんてものはエクリチュールでありながらパロール的だし。
んでモノローグでもダイアローグでもなく基本マルチローグだし。
・・・、「パロール」と「エクリチュール」は対をなして語る概念ではないよぅ。
構造主義、デカルト言語学派、ロシア構成主義などの学派には関係なく、押並べて言語学的に言えば、パロールってのは、発話という行為のこと。「エクリチュール」ってのは使う人の意味によって異なるけど、フランス思想に裏打ちされている文面の事であると大まかに解釈して良いとおもうよ。「テクスト」とは異なる。
もうチョイ詳しく言えば、パロールってのは、意味ではなくあくまで「発話」という観点から言葉を捉えたもの。子音・母音という音的な構成要素に分類していく事に意味があるの。「パロール」と対を成して語れるのは「ラング」だね。このテクストにおいて「エクリチュール」と対をなして使う場合は、「ランガージュ」でしょう。
例えば、ロシア構成主義の中では、会話におけるパロールを厳密に扱う。「m,p,b」などの子音の音が冒頭に置かれると、失語症患者に安心感を与えるとか。こんな感じで言葉を解析していくときに、言語をパロールとして扱うとか言う訳。もちろん、完全に解析されるはずもなく、こういうシステマティックな観察に普遍性は無いと考えたほうが学術的だとは思うけど。
例えば、「萌え」という言葉をパロールとして観察するためには、他にも似たような意味の言葉を参照してきたり、母音が「oとe」の言葉を採取したりするわけ。そうすれば何かしらの言葉の秘密みたいなものが分かるかもしれないって感じかな。響きだよ、響き。
向かい思索も教養も皆無です。
話し言葉と書き言葉的な意味合いでしか
無いです。デリダとか意識してないです。
ちょっと不勉強を恥じています。学位返上です。