NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

グラントリノ

2010-01-16 | 休み
よくよく考えたら年末年始など関係なく時間があるのだからと、ゲオ様で5本ほど借りてくる。一気に4本まで観たので凄い疲れた。ようやく『プライド』も観れたけれど、やっぱり『グラントリノ』が面白かったというか、凄かった。



『グラントリノ』(映画公式)
グラントリノ



あんまりにも評判だったので準新作だったけど『グラントリノ』を借りる。『ミリオンダラーベイビー』を観た時も思ったけど、これが映画なんだと思わせる映画だった。それがもっと重い感じ。「感動の映画!」、「泣ける映画!」とかそういう文句なんてどうでも良いなぁと思わせるほどに、泣けるとか感動できるという動詞では片付けられないモノが有る。映画ってこういうものなんだなぁと。ラストは身震いとか動悸がした。




コワルスキーがしばしば朝鮮戦争の従軍体験を話し、そこでの自分の行為を恐れ後悔を表明している。それはラストまで変わらず人殺しについて最悪な後味だと言う。それは復讐を決意するタオを止めるための科白だとその時点では感じるが、結末においてそれはタオを止めるための言葉ではなく二度と人を殺したくないと言う心からの吐露であったことが解かる。

朝鮮戦争での体験以来、戦場で自ら人殺しをしてしまったことへの後悔と苦い後味を忘れられなかったというコワルスキーの人物像だからこそのラスト、彼の選択だったのだと思う。人殺しをしたくない、けれどもチンピラを放っておけばタオやスーの将来が無い。ではどうしたら良いのかと言う考えが、ラストの行動だったと言うこと。

ラストの行動に関してはトッド・フィールド監督の『イン・ザ・ベッドルーム』のラストで感じた不可避な暴力にどう対峙するのかと言う部分に違和感でないにしろ拭いがたいもやもやとした後味を抱いていたけれど、今作のラストでコワルスキーが取った行動の後味は『イン・ザ・ベッドルーム』の父親のそれとは異なった後味だった。

それにしても人物描写が丁寧だな。コワルスキーがどういう人物なのか。彼を取り巻く人々はどういった人々なのか。彼の住む街はどういう状況なのか。何故彼が毛嫌いする異人種、移民、モン族に心を開いたのか。ちょっとモン族の習慣で片付けてしまっている感がしないでもないけれど、それでも十分に伏線も丁寧で、彼の動機が説明的ではないけれど明確に解かる。

またタオがラストでコワルスキーのグラントリノに乗っているのは、タオの故郷では「女のする仕事」である庭掃除をさせたり、(アメリカ的な)タフな男の立ち居振る舞いを教え込んだり、仕事を世話してあげたりしていることから分かるように、それは異人種であるタオがアメリカ人として生きていくということを示している。アメリカの魂であるフォードの車を譲ることで。

ことあるごとに、というよりもむしろ口うるさいほどに、細かな人種的な分類を示したり、異人種のアメリカ社会への浸透をこれでもかと描いているところにもその意思を感じさせる。アメ車だ日本車だ、イタリア系だ、ポーランド系だ、モン族だと何かあるたびに個々の民族性を喚起させる科白や演出が目白押しなので、そういうことなのだと理解出来る。うるさいけど、そういう人物像として提示されているので、説明的ではない。



前情報を大して聞いていなかったけれど、観てると結末は大抵予想できる。予想できるんだけれど、そんなことは関係が無いんだなぁ。でもwikiとかは結構核心以外はほぼ記述されてるので、なるべくなら前情報を仕入れないほうが楽しめるかなぁ。まぁ楽しむというのとはちょっと違うか。『ダーティーハリー』な路線も好きだけれど、後年の路線も凄いや。でもぼくのイーストウッド監督の一番は傑作じゃないけど『真夜中のサバナ』。