NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年009月005日(水)真っ昼間の悲しさ

2007-09-05 | 休み
最近、NHKの風当たりが強くなった為にNHKのBS3チャンネルは
将来的に1チャンネルへの縮小が決定されてしまい、トラフィックならぬ
BSの番組編成がかなり厳しい状況になった為に、視聴率がアニメ夜話と
比べてあまり期待できないという理由でなかなか新しいマンガ夜話の
シリーズが放送されないので、僕みたいな視野の狭い人間はなかなか
自分にとって新しいマンガを発見できないでいる。


久しぶりに古いマンガ夜話を見直していたら(それでも2004年!)
あすなひろし先生の「青い空を、白い雲がかけてった」の回がひっかかった。
この回での表題作、「青い空を~」は買わなかったのだけれど
代わりに番組中で紹介されていた「いつも春のよう」を買ってた。

今更にこの本を読んでみると、あすな先生の感じていたであろう感覚が
伝わってくるようで悲しくなった。今の時代に読めば、どうしようもなく
くだらない、時代感覚とずれた笑えないギャグと非常にセンチメンタルな
感情とが混じって、著者が感じていたであろう悲しみが言葉にならない読後感。


すんごく悲しいんだと思う。色んな意味で。どんなに楽しくても
どこかで絶対”降りて”いて、あきらめている。どんなものでも
関係はうまくいかないと思わずには居られないんだと思う。

でも降りてるけれど、あきらめてるけれど、自家撞着だけれど
あきらめていないくて、何だかんだで進んでくわけで
そうしなくちゃいけなくて、それもまた悲しくて。

諦念と言って好いのかどうか迷う。本人が自ら”降りて”いる
というよりも、ある種宿命的に頓挫させられなきゃならない
ようにも思える。けれどそのことは本人は知っていて。



僕みたいな人間にはとても悲しくて、でもそれを嘆くわけでもなく
ただただそれが悲しいことに寄り添わざるを得ないと云うのか。

みなもと先生じゃないけれど、糸井さんの感想はすごい。
昼間という太陽が一番上に昇ったときに悲しいって。