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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

メン・イン・ブラック3

2012-05-27 | 授業
「日本だけトミー・リー・ジョーンズも来日!」ってキャンペーン中は騒がれていて、「そんなに気難しいか?トミー・リー?」と思っていたけれど、何のことは無い、『MIB3』ではトミー・リー・の出番が少ないからという理由だからじゃないか。というか、『MIB3』なんて劇場じゃ見たくなかったんだ!『ミッドナイト・イン・パリ』(『MIP』!)が観たかったのに・・・



リトルランボーズ



『MIB2』撮影中に、ウィル・スミス自身が監督に「JがタイムスリップしてKを助けるってのはどう?」とアイデア出しをしたと、ソネンフェルド監督は語っていたけれど、それってつまり御歳65歳の割りに動けなくなってきているトミー・リー。ジョーンズをリストラせずにシリーズを続けていくための奇策だったんじゃないかとぼく個人は思います。だからこそのヤングKことヤングトミー・リーを演じるジョシュ・ブローリンが主にウィル・スミスとプロモーションをしている(日本では完全に無視されているけど)。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を何度も見直してタイムスリップシナリオの脚本を直したという監督の言葉通り、『MIB3』の全体的な印象は『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』(『BF2』)に近いです。老ビフがデロリアンを拝借し、過去に戻って未来を書き換えるというあのシナリオがそのまま下敷きにされてしまっていて、ちょっと驚きました。ラストも基本的には『BF2』と同じ?と言ってしまってもそう過言ではないと思います。

ただ『BF2』よりも面白くなく、『MIB』シリーズとしてみてもあんまり面白くないのが個人的な感想です。3D映画なのに2Dで観たことも原因かもしれませんが、3D的な画作りで映画のアクションの多くを背負わされているのか「3Dだろうな」みたいな場面を除くとそんなに盛り上がらず。シリーズ恒例の珍奇な宇宙人たちも今作ではどうにもインパクト弱め。中国系の容姿をしている宇宙人もそこからの飛躍とかがない。見た目は大柄なのに、中身は小さな宇宙人が乗っていた!みたいな過去作のような驚きが無いでした。

あとシリーズでのお約束として、面白みとして、「あの有名人が実は宇宙人だった!」というギャグがあります。今作でも同様のギャグはありますが、いまいちでした。アンディー・ウォーホルのザ・ファクトリーが宇宙人の溜り場だった!みたいな設定は面白かったですが、肝心のウォーホル自身は宇宙人ではなくMIBだったとか肩透かしを食らっちゃいました。台詞の中で「ミックジャガーが人間を妊娠させている」というのはあったんですが、マイケル・ジャクソン本人が宇宙人として出てしまった過去作のネタと比べると弱いと言わざるを得ないです。

60年代ということで、黒人差別とかの描写もあるんですが、ビッグバジェットお手軽コメディSFアクションということで全体的に薄味レトルト系のたたずまいです。物語の鍵となる宇宙人、グリフィンの特殊能力周りの設定があまりにご都合主義的で本気で観ているとのめり込むのはちょっと難しいです。本気でSF的な厳密さみたいなものを求めてはいけないのかなとも思いました。ただラストの誰かの命を救ったら、未来が変わってしまうかもというSF的な結末は悪くないと思いました。ただ最後のチップの下りは酷いです。説明が付かないもの。



観たくない映画を回りに流されてみるのもたまには良いかもしれませんが、『MIP』の方がやっぱり観たいですよ!

ウンコ味のウンコ、『カエルの王女さま』第2話

2012-04-21 | 授業
このドラマを面白いとか言っている人は頭が沸いているか、何にも考えていないんだろうと思います。これと『glee』とか『モテキ』を比べてくれるな。「海外ドラマで人気のやつ?」っていう台詞書いた脚本家は地獄の業火に焼かれるべきだと心底思いました。元ネタへのリスペクトもそれを超えてやろうという熱意も何も無い大変残念なドラマだと思います。


一番残念なのは『glee』は音楽を抜いても十分に楽しめるだけの物語的魅力があったのに、これには一切そんなものが無い。日本の脚本にありがちなやっちゃいけないことが多いですが、一番酷く目に付くのがシャンソンズの神格化です。


この一番の問題は物語上で「伝説のコーラスグループ」という設定があり、物語上では市町村合併を覆すような力があり、市長にも恐れられているという設定。実際のパフォーマンスにそれを担保するような力があれば全く問題ない(無いこともないけれど)けれど、「ショークワイア」と予告されたそれは文化祭の出し物レベルのカラオケショー。シャンソンズの町での馬鹿にされ方とかも唐突。走っているだけで、何故か馬鹿にされる。これはある種の神格化の裏返し。

古い因習に縛られる女性としての忠子。父親のパーティーに着物で出席させられ、しかも着付けの時にこれ見よがしにぎゅっときつく帯を締められる。それ自体は古いモノに囚われている、ある種自分自身もそれを望んでいるというメタファーとして良いとは思うけれど、仮にも市長の娘なのに出席者のおやじ共に芸者よばわりされ、しかもボディタッチされとる。芸者さんに対しても失礼だけれど、市長の娘にそんなこと普通するか?それを注意もしない市長である父親と主人。俺なら石田ゆり子があんな汚いおやじ共に触られてたら、許さねぇ!と思います。

その後の出し物のへの参加を拒まれ、CDを割られて、ステージを引き摺り下ろされるくだり。何でそこまでするの?そんなすごかった?そんな力あるの?と巨大なクエスチョンマークが盛大に湧き出るも「あー、きっとCD割られてくらいでなんだ!アカペラで歌おう!」という流れになるのかなぁと思ったら、前述の忠子がCDを持って駆けつけて歌いきる。ケツメイシの「さくら」を。でもショークワイアでは無く、振り付きカラオケ。ダンスというかステップだけだよ。。。



カラオケにしている一番の問題はやっぱりアレンジの下手さ。そしてなぜこの選曲だったのかが放送後に分かります。それは劇中楽曲の配信販売。gleeも配信なりCDなりでビジネスしているけれど、楽曲の必要性よりも経済性の方が優先されちゃっているんじゃないのか?と疑念を近時得ません。そしてこれからショークワイアになるの?踊れるの?とか思いますが、おそらく第3話以降は観ないでしょうと『glee シーズン3』を観たら、「カエルの王女さま」を観ることがほとほと馬鹿らしくなってきました。マイケルエピソードのシナリオも選曲もパフォーマンスも凄過ぎです。


―GLEE - Smooth Criminal (Youtube)

チェロによるアレンジ。格好良すぎるでしょ。

―Glee - Black or white (Youtube)

原曲のまま使っているんだけれど、アーティのマイケルのボーカルとか後半のモーフィングとかもうねぇ。


劇場版『モテキ』すら超えられないですよ、こんなのじゃ。ダンサーの森山未来と大根監督の選曲と演出。正直、「カエル」に森山未来以上に踊れる人が男女問わずに出演しているとは1ミリも思えないですし。そしてもう一度書きますが、「海外ドラマで人気のやつ?」っていう台詞書いた脚本家は地獄の業火に焼かれるべきだと心底思いました。

『愛のむきだし』、祝ブルーレイ化決定!

2012-04-17 | 授業
『愛のむきだし』が最近の園子温監督ブームの影響でようやくブルーレイソフトとしてリリースされるよう。ソースは園監督若しくはスタッフノのツイッターのツイート。DVD版は容量の関係で2枚組み。しかも音のバランスがおかしく、台詞が聞こえ辛いという大きな欠点が。今回は音も作り直したということなので期待大。しかもパッケージもあの微妙なものからリニューアルされるとのこと。正式情報公開、早く来い!

劇場版『モテキ』を、観る

2012-04-15 | 授業
TBSラジオ「Dig」の金曜パーソナリティーが大根仁監督だったので、満島ひかり出演ということだったので、ドラマ版は事前番宣番組から観ておりましたが、サブカル糞野郎(ただしお洒落じゃないほうのサブカル)であるところの根っからの引きこもりなもので映画館には足が伸びず好評が聞こえてくるとなるべく耳を塞ぎブルーレイの発売を持っておりました。だけれども根っからのものぐさがたたり発売から1ヶ月近くたった今頃に封を開けた次第。



まずテレビ番組の映画版ながらも、フジテレビなどのそれと違うのは単純な続編では無いと言うこと。一応テレビドラマ版を踏まえてはいるが、観ていなくても話が通じる続編。というか、続編というよりもリプリント版というか、『フレンチコネクション』に置ける『フレンチコネクション2』というか、上辺は異なるけれども物語の基本構造は同じという新約版といった趣き。あっ、『エヴァ』と『ヱヴァ』か。

ドラマ版のメインなヒロインであったサブカルないつかちゃんと小悪魔系の夏樹ちゃんが合わさったのが今回のみゆき。墨さんとセックスしちゃう点ではいつかちゃんの部分、恋愛が下手という部分に関しては、今回はるみ子が引き受けている。幸世を導く一段上の存在であったリンダはナタリー編集部の唐木が引き受けている。ヒロインの彼氏という点では島田が山下ダイスケになったと。

ラブコメ、若しくはブロマンスなのだけれど、本質は童貞の、セカンド童貞の冒険譚。可愛い女の子との楽しくも苦しい関わり合いの中で、時には好きな女の子の彼氏と闘うことで女の子を獲るまでの話。これはテレビドラマ版でも同様で、幸世は4人の女の子たちの間でふらふらしつつも「人生で一番好きになった」女の子を求めて闘っていた。ただドラマ版の後半に関しては、ぼくは否定派。だってぐずぐずなんだもの。

でも映画版は基本的には肯定派。ラスト、幸世の恋が成就するところなどを踏まえると本当に『フレンチコネクション』における『フレンチコネクション2』という感じがする。初っ端の他人の痴話喧嘩からの刃傷沙汰に巻き込まれる冒頭からして、かましが聴いていて鷲掴み。ラストのみゆきとの成就からの、スチャダラとの『今夜はブギー・バック』の流れは最高にアガります。『モテキ』の最後の最期にぴったり!

『モテキ』は幸世の冒険譚、成長譚なので仕方は無い部分はあるにしても、ちょっと引っかかる部分もやっぱりあって、何でるみ子は幸世に惹かれたのかがいまいち分からない。なんかきっかけらしい、きっかけってあったっけ。とか、幸世のるみ子に対する態度とかいくらなんでも酷すぎるとか。ただ基本的な部分では不満はないです。ドラマ版よりもすっきりとまとまっている印象でいいと思います。

ドラマ版で数少ない不満だったダンスシーンも映画版は改善されていました。楽曲はドラマ版と同じくPerfumeの「Baby Cruising Love」。ここに関しては今作でも不満ではあるけど(みゆきへの恋心を表現するシーンのはずなのに「Baby Cruising Love」は単純に恋の展開にワクワクしているだけの曲には思えないから。)、Perfume本人が登場したり規模が大きくなったことで大分ポップになったと思う。

80年だから現代まで網羅する音楽の選曲センスももちろん良くて、これは『glee』に匹敵するセンスの良さ。男性視点で歌われている岡村ちゃんの「カルーアミルク」をるみ子側の視点で用いたり、「カルーアミルク」がかかっているシーンでは早朝の吉野家で牛丼をかっ込んでいるという演出もすばらしい。何故かは分からないけれど、これはすき屋やなか卵だと画にならないと思うですし。ふっきるシーンだから。



まぁ、そんなことよりも『モテキ』の凄さ、大根監督の凄さって言うのは徹底的なリアリティの積み重ねによる実存感、リアリティ。幸世もみゆきもそして墨さんもどこかに実在しているんではないかとうっかり思ってしまうほどにリアル。その理由はやっぱりこのキャラクターはどんな人物なのかということを監督と俳優が考えて作っているなんだからということを再認識させられる。絶対性格悪そうだけど。

そして大根監督の『モテキ』の最大の功績は長澤まさみを救ったこと。『モテキ』以前の長澤まさみって『ラストフレンズ』とかヒット作もあったのに、映画が『曲がれ!スプーン』とか『深呼吸の必要』とかが大コケしたから週刊誌、夕刊紙とかで叩かれていたけれど、結局は本広なんちゃらとか行定なんちゃらとかがウンコちゃんだったってことを証明したことなんじゃないのか。

誰かの言葉ですが、「下手な俳優など居ない。下手な脚本と監督が居るだけだ」という言葉を思い出すが、まさに。「都市伝説の女」のスタッフの人たちには猛省していただきたいと思います。長澤まさみを使って駄作を作ったら、それは製作者側の責任なのですから。それにしてもここまでの女優陣があっけらかんとセックスを肯定する感じの日本映画って、ここだけ治外法権なのか。


にしても、『モテキ』に関しては、ドラマ版も凄かったけれど、映画版の一般層への浸透が半端無いのがとても印象的でした。会社で普段はドラマとか映画に興味無い様な人たちが口々に「『モテキ』面白かった!」と言っているのを聞いて、これがブームなのだと。大根監督の好きな美人OLの方々も誉めておられました。

『坂道のアポロン』

2012-04-14 | 授業


『坂道のアポロン』(ノイタミナ)
学校きっての不良学生である千太郎に反発していた薫だが、千太郎のJAZZドラムの力強い演奏に耳をふさぎ聴かないようにしていたのにその迫力に圧倒されて聴き入ってしまう。クラシックしか聴かない薫だったが、帰り際にJAZZのレコードを購入する。千太郎のJAZZドラムのビートが頭から離れず、歩くときもそのビートに合わせて歩いてしまう。

その千太郎のドラム演奏シーンは劇中の薫だけが圧倒される物語の設定ではなく、アニメであるにもかかわらず、またアニメではあるが『のだめカンタービレ』と同様にCGによるアニメーションではあるが比較にならないほどの実存感。アニメの中に人が居るような、アニメーションとドラムの音が完全にシンクロしている。それだけではなくちゃんとドラムは一定のリズムから逃れているので、当たり前だけれどグルーヴ感を生み出している。それをアニメでやるって!

今週号のテレビブロスには渡辺信一郎監督と菅野よう子さんの対談が掲載されていましたが、このシーンは原作では薫のモノローグがあったとのこと。それを全部取り去って、アニメーションのみで表現したのだという。やっぱりそうなんだよ、圧倒的な表現が出来れば、無駄なモノローグや説明なんて要らないんだよ。むしろモノローグや説明以上に説得力が増す。だって自分でそのシーンを理解しようと努めるから。(そして部ロスの対談では面白い話がいっぱい!)


トップクリエーターの仕事を持って比べるのは悪いんだけれど、果たして日本の実写ドラマの方々がこういった表現を作りこめるのかというと、昨日の「カエルの王女さま」を観るとはなはだ疑問。菅野よう子さんは凄いとは思うけれど、苦手だった(殊に映画版『カウボーイビバップ』とかの”ネオ”な感じが)けれど、今回はサントラを予約しました。アニメの続きとサントラが待ち遠しいですよ!