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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

レイニーデイ・イン・ニューヨークは最新のニューヨーク観光映画。それも雨映画でもある。

2020-07-04 | 備忘録
-『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(公式)
rainydayinnewyork


ウディ・アレンの50作品目、『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を観る。

今まで私が観てきたアレン作品の中でテーマ的にも、物語的にも最も何も無い映画だと感じた。もちろん良い意味で。ヴィットリオ・ストラーロの陽光を活かした演出(そのシーンにおけるキャラクターの熱量の表現)や登場人物のキャラクターに合わせた固定カメラとステディカムとの使い分けなど、特にこの手のライトなラブコメディ映画では珍しいくらいの力の入れ様。ヴィットリオ・ストラーロが担当した過去2作、『カフェ・ソサエティ』、『男と女の観覧車』と比べると、シンプルな物語の中で用いられると更に贅沢に感じる。

この映画は「雨の降るロマンチックなニューヨークを撮りたい」アレンがインタビューで語っているように、雨が降るニューヨークの中でロマンチックな事が起きる以外何にも無い。もちろんアレン印のスノッブでハイコンテクストな会話や主人公のギャツビーと言う名前にまつわる分析は出来るのだと思うのだけれど、私としては、映画館で92分間そぼ降る雨のニューヨークとティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメスの恋模様を面白がるのが正解なんだと思っている。引きで撮ることが多い昨今の映画で律儀に登場人物の顔のクローズアップと多用し、且つカットバックで会話を進める。古臭いと言えば古臭いのだけれど、美男美女と雨のニューヨークがあれば、魅力的になる。

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物語は男女のすれ違いと恋愛模様以外にほぼ要素は無い。アレンはインタビューで大分昔に書いた脚本と言っている。「アラファト似の女」と言う台詞が現代の20代前半の登場人物が使うことからも90年代くらいに書かれたのかなと想像するが、主人公ギャツビーのモラトリアムや家庭の問題と言う要素はあるものの余り大きなテーマではない。主人公ギャツビーと彼女であるエル・ファニング演じるアシュレーの関係性とオチは既視感が凄い。『ミッドナイト・イン・パリ』のギル・ペンダーの物語から1920年代へのタイムスリップ要素をごっそりそぎ落としたような話だと思った。

この前に観た映画が『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だった。オルコットの原作を読み込んで、リサーチしまくったグレタ・ガーウィグが物語的な面白さと思想性を両立させつつ、これでもかと詰め込んだ素晴らしい物語だった。それと比べると、『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は物語的に全く中身が無い。あるのは「雨の降るロマンチックなニューヨーク」だけだ。キネマ旬報2020年7月上旬号で菊地成孔さんが本作を評して「観光映画」と評していたが、その通りだと思う。結局アマゾンから逃げられて、アメリカでは出資してもらえず、欧米からの出資で映画を作るほか無いアレンにとっては、ニューヨークでお金の掛かる雨を降らせる映画を撮るのは大変だったらしい。それでもなおニューヨークと雨に固執した本作のテーマはやはり物語には無くシチュエーションなんだと思う。(ニューヨーク以外、出資してくれるヨーロッパの街であれば、実現難易度は低かったようでもあるし)

そういう意味では、『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は非常にポストモンダン的な映画と言えなくも無いと思っている。物語はクリシエであり、あくまで添え物でしかなく、焦点はニューヨークと雨と恋愛模様と言う極めてフェティッシュな領域に定められている。そこでは驚くべき物語は起こらないが、素晴らしく魅力的なニューヨークとティモシー・シャラメとエル・ファニングとセレーナ・ゴメスが雨のニューヨークに美しく映える。

この映画、観る人によって頗る評価が割れると思う。退屈だと言う意見に抗うことは出来ないけれど、全くダメな映画かと言えばそうとは言えなくて。映画館の大きなスクリーンと贅沢な音響の中でダラダラと観るのが適しているのだと思う。大画面で垂れ流したい、そういう映画だと思う。日本版のブルーレイが発売されたら欲しいくらいには私はこの映画が好きだ。

本作以上にクリストフ・ヴァルツが出演する新作『Rifkin's Festival』が撮影完了していると言うことを知れたのが嬉しい。そして延期されたとは言え、今夏(2020年)に新作撮影予定だったとは。次も次の次も期待します。


ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語

2020-06-20 | 備忘録
-『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』(公式)
littlewomen


シアーシャ・ローナン無双。まさかティモシー・シャラメに感情移入する日が来るとは思わなかった。

エリザベス・ピュ-のハスキーボイスとふてぶてしさ。エリザベス・スカリンとアリス・クーパーのシーンの切なさ。
正直、「グレタ・ガーウィクの新作は観たいけれど、『若草物語』かぁ・・・」と思っていたのだけれど、実際観ると『若草物語』がこんなに面白かったとは!となった。現在と7年前の時系列をフラッシュバックで交互に進む構成で、物語的な推進がどこまでも維持されていて中だるみが無い。

文部省推薦みたいな善人の家族が織り成す団欒は多幸感がすざまじく、現実社会と比べてそれだけでも尊くてそれだけで泣いてしまった。そこにとどまらずガーウィグのオルターエゴたるシアーシャ・ローナン演じるジョーをはじめとして『レディーバード』のレディーバードの如く唯の善人ではなく、複雑な人間として描かれているので鼻じらむことなく没入できた。出版社とのやりとりなどはガーウィク節とでも言うべき現代の会話のトーンだった。

『レディバード』では、童貞だと思って処女を捧げたにも関わらず、実は童貞ではなくプレイボーイだったシャラメに振り回されていたシアーシャ・ローナンは本作では関係性が逆転し、勝気なジョーを一途に愛し続けるローリー(テディ)として立ち現れる幸福。ローリーの愛の告白を回避し続けた挙句のテディの告白シーンは最高です。そしてその先の結末も。シアーシャ・ローナンは現実のシャラメとの関係性を親友と語っているのが納得できるシーンの連続。序盤の出会いのダンスシーンのキャッキャした雰囲気もニヤニヤが止まらん!

こんなに面白いとは思わなかった。エンドロールもクラシカルでスクロールとは違った趣で素晴らしい。
そして久しぶりの映画館でこんな面白いものが観られるなんて。映画館のスタッフの方もありがとうです。

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY

2020-03-22 | 備忘録
-『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(公式)
harleyquin

前々から行きたかったグランドシネマサンシャインで、IMAXレーザーで鑑賞。いやぁ、IMAXはあれぐらい大きい方が良いな。

デビット・エアーがメガホンを取った実質的な前作、『スーサイド・スクワッド』で唯一といって良いほど好評だったマーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインのスピンオフとして、マーゴット・ロビー自身がプロデューサーとして企画に携わった『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』。『アイ、トーニャ』でもプロデューサーを務めていたけれど、本作でも『アイ、トーニャ』の製作に携わったブライアン・アンケレスと引き続きタッグを組み、監督はマーゴット・ロビーが監督作の『Dead Pigs』に感銘を受けたとしてるキャシー・ヤン監督が、脚本は『バンブルビー』のクリスティーナ・ホドソン。加えて、キャシー・ヤン監督が87イレブンのチャド・スタイルスキを第2班監督として招聘し、アクションシンーンを再撮影して挑んだ念の入れよう。

冒頭から生い立ちをアニメで説明したり、ジョーカーと破局後のすさみきった生活を説明するために喋り捲るハーレイはまるで『デッドプール』の俺ちゃん。しかもそこから爆破シーンからアクションシーンのつるべ落としが始まる。ハーレイのアクション、本当に素晴らしい。パンフレットでギンティ小林さんが指摘しているジャッキー映画の影響の話も合点が行くコメディ要素のあるアクションであり、且つジョン・ウィックなアクションであり、更にそこにハーレイ・クイン的なキッチュなビジュアルが付加されて唯一無二なアクションに仕上がっている。

シナリオにしても、ジョーカーと別れたことで、過去に因縁があった人がジョーカーの後ろ盾が無くなった為にハーレイが狙われる=女一人では何も出来ない、自立できないという今風の設定を無理無く設定されていて、ガールズエンパワーメント映画でありつつ、そこが過度に強調されないぎりぎりの淵で踏ん張っている。そこはやはりマーゴット・ロビー演じるハーレイのキャラクターが大きいと感じる。自分勝手で、自分の為に行動するという行動原理が前面に出ているので説教臭くなり辛い、と。また、マーゴット・ロビーはコミック『Behind Blue Eyes』を下敷きに『レオン』のレオンとマチルダとの関係性を援用し、本作のハーレイとカサンドラとの関係性に反映させているとか。マーゴット自身も脚本開発にかなり関わっているんだなぁ。

アクション映画としても、フェミニズム映画としても、凄いバランスが取れていて面白いし、ビジュアルもアクションも音楽も本当に素晴らしい。そしてあんまりにも話の内容がアメコミ映画然としていなくて、面白いアクション映画だと思って観ていたので、後半とある人物がスーパーパワーを使うシーンで、「あ!これアメコミ映画だった!」を思い起こさせられた。

個人的には、ダイヤモンドの奪い合いと言う設定がちょっとマクガフィン的なのかなぁと思ってしまって若干乗れなくなってしまった。そこまで『ジョン・ウィック』みたいにしないでも良かったのにと。

パンフレットはもちろんお勧めだけれど、他のグッズも面白いものが多いので、それも凄いよかった!

『デス・ストランディング』をプレイした

2020-01-05 | 備忘録
『デス・ストランディング』(公式)
joker


"A HIDEO KOJIMA GAME"最新作、『デス・ストランディング』をようやく完走した。

■オープンワールドゲームは苦手
いきなりの自分語りだが、オープンワールドゲームは苦手だ。オープンワールドのゲームは好きだけれども、苦手だ。特に『グランドセフトオート』タイプの都市部で車や人が溢れていて、移動中に事故ってしまたり、NPCと戦えてしまうタイプが苦手だ。一方で、あまりNPCが存在しない『レッドデッドリデンプション』タイプ、と言うか『レッドデッドリデンプション』が得意というか好きだ。

■レッドデッドリデンプションの楽しさ
『レッドデッドリデンプション』は『グランドセフトオート』シリーズを製作しているロックスターゲームスが、カプコンUSAから製作していた『レッドデッドリボルバー』を源流とした西部劇オープンワールドゲームだ。アメリカの開拓期を舞台としているため、車やNPCで溢れかえっておらず、町々の間には西部の荒野が広がっている。プレイヤーは西部のガンマンとなり、荒野を駆ける。もちろんロックスターのオープンワールドゲームなのでファストトラベル機能は用意されているが、私はあまり利用せず西部を馬で延々と移動した。『グランドセフトオート』のサンアンドレアスなどとは異なり、この西部の大地には車もNPCも溢れていない。馬で爆走してもぶつからない。好きなだけ駆け回れるのだ。

■デス・ストランディングの面白さ=移動の楽しさ
『デス・ストランディング』の新規性として、既に多くの人々に指摘されているが、移動自体をゲームプレイの中心に据えたことが上げられる。本作の主人公は配送業者であり、配送業者として様々な荷物を運ぶことがゲームプレイのメインとなる。それはこれまでのゲームの中では"おつかい"と揶揄されてきた命じられるままに移動するプレイスタイルそのものだ。だが、本作では移動にレベルデザインを取り入れることで、従来のゲームの"おつかい"を別の次元に昇華させた。本作の"おつかい"は驚くべきことに面白いのだ。それは単に移動して荷物を届けるというメカニズムから、どのように移動すべきか、どのように動くべきかという戦略性を盛り込んだ賜物だ。

■デス・ストランディングの楽しさ=景色の美しさ
ただ、移動に戦略性を持たせたとはいえ、それだけでは本作のような面白さを獲得できたとは思えない。本作の白眉は『レッドデッドリデンプション』を凌ぐ、フォトリアルな自然の雄大さの描写だと信じて疑わない。本作は荒廃したアメリカ大陸。荒廃しきっているため、『レッドデッドリデンプション』の如く町々の間は遥かなる荒野が広がっている。しかもただの荒野ではない。地は裂けていたり、険しい陸が広がっていたり、大きな河が広がり、荒々しい雪山が立ちふさがる。大雨は振り付け、吹雪が吹きすさぶ。そんな風景がフォトリアルに描画される。これは風景を観る事自体目的となり得る。私は可能な限りフィールドを主人公、サムの徒歩で進めた。車で移動するのはもったいない。時間は掛かれど徒歩で踏破することでサムと一体化できる。何より風景もより身近に感じられるからだ。

■デス・ストランディングの奥深さ=プレイヤーが演出する楽しさ
『デス・ストランディング』では基本的にはフィールドで音楽は掛からない。環境音的に掛かる場合もあるが基本的に音楽は鳴らない。ただし、新しい目的地に近づいた時には狙い済ましたように音楽が掛かる。しかも曲名とアーティスト名も画面に表示される。とても明示的な演出だ。そして私は音楽が掛かりだすと、自律的なプレイをせずには居られない。ここで私が言う自律的なプレイとは、地図を見ない、可能な限り音楽が鳴り止むタイミングで目的地に着くようにスピードを調整する、カメラもゲームプレイがし易いことよりも映像的に美しいカメラになるかを意識する、というプレイだ。

■デス・ストランディングの魅力=作品のトーンにマッチした音楽
本作では前述の通り、新しい目的地に近づくなどのタイミングで音楽が掛かる。その音楽の大半はLow RoarやSilent Poetなど北欧っぽいと言うか、ダブぽいと言うか、壮大だけれどもダウナーな音楽。この音楽がフォトリアルな荒野との相性がばっちりで、否がおうにも荒野を1人荷物を配達する主人公、サムに感情移入させてくれます。そしてだからこそ前述のような演出を意識したプレイをせざるを得なくなる。これはSHAREボタンや録画機能をゲーム機自体に標準搭載したPS4のゲームだからこそのプレイスタイルかもしれない。と言うか、ほかの人もそういう風にプレイしているのだろうか。

■デス・ストランディングの驚異的な部分=フォトリアルなグラフィックと一流俳優とシュールレアリズム的な演出
ノーマン・リーダスやマッツ・ミケルセン、レア・セドゥなど一流俳優がもはや実写の如くゲーム無いでカットシーンを演じる。何なら操作したり、対峙出来たりもする。競合作品と比較してもそのクオリティは頭一つ以上抜けている。且つ、映画的演出も欧米AAA作品にも追随を許さない小島秀夫監督作になっている。また、前作『メタルギアソリッドⅤ:THE PHANTOM PAIN』でもその一端は垣間見られたが、シュールレアリズム的なカットシーンはこれまでのどんなゲームや映画でもなかなか観たことの無い演出が山盛り。これだけでも本作をプレイする価値がある。Youtubeのプレイ動画ではなく、是非プレイの中で体感して欲しい。「これがゲームなので?」となる体験はコントローラ越しが望ましい。

本作は紛うこと無き"A HIDEO KOJIMA GAME”だ。それは良い点も悪い点も含めて。

■"棒"と"縄"のゲームは、やはり未だに"棒"を使わざるを得ない
joker
小島監督は、本作をして"棒"ではなく、"縄"のゲームであると語った。意味するところは、戦うことが主たるゲームプレイではない、仲間にすることがメインであると言うことであると理解している。確かに、本作は武器は存在するが、敵を殺害することは大きなペナルティとなる。ゲームデザインとして、敵を倒す以上殺害することは評価されない。なので、システムとしては、確かに嘘は無い。ただ、本作の多くの場面で"棒"を表現するゲームプレイ、銃撃戦は重要なゲームシステムとしてデザインされている。そしてラスト付近の重要な場面でもそれは繰り返される。"縄"は確かにメインとして設定されているが、"棒"は確かに重要なゲームプレイとして組み込まれている。天才、小島秀夫監督も"棒"からまだ逃れられていない。

■"A KOJIMA HIDEO GAME”の欠点
プレイステーションでリリースされた『メタルギアソリッド』は、そのシナリオが高く評価された。米国Fortune誌でも「20世紀最高のシナリオ」と評されたそうである。むべなるかな。印象的なカットシーン、挑発的なゲームプレイ、そして分かり易くも二転三転するシナリオ、エンターテイメントでもある素晴らしい脚本。『メタルギアソリッド』のシナリオは隙の無い素晴らしいものだった。ただ、『メタルギアソリッド』以降、続編の『SONS OF RIBERTY』、『GUNS OF PATRIOT』、『SNAKE EATER』も『PEACE WALKER』もキャッチーで面白い入りだったが、結末部分の切れ味がどうにも…残念ながら『デス・ストランディング』に関しても同様だった。これは最早"A HIDEO KOJIMA GAME”の構造的な欠点かもしれない。

■小島秀夫監督の饒舌
小島秀夫監督の作品の魅力はそのストーリーだ。そして、小島監督はストーリーを語るのに饒舌だ。そして饒舌過ぎるきらいがある。本作は特に饒舌だった。語るべきストーリーを現状のシステムの中で表現したため、プレイヤーが操作できないカットシーンが頻出した。後半、一部にプレイヤーが操作できるカットシーンはあるものの(そしてこのカットシーンの操作方法などは流石小島監督というべき新鮮なものがある)、多くの場合キャラクターが一方的に語りつくす、若しくは回想シーンが頻出する。この点に関して、まだ改善すべきことがあるはずだ。

『デス・ストランディング』は野心的なゲームだ。野心的なゲームシステムはまだ発展途上ではあるものの、今後大きな影響を後世のゲームに与えるのではないだろうか。発明されたこのタイミングでプレイしておくべきゲームだ。

『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』を観た

2020-01-04 | 備忘録
『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』(公式)
joker


『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』を観た。

監督は『50/50 フィフティフィフティ』のジョナサン・レヴィン。脚本・原案でクレジットされているのが『The Interview』のダン・スターリング。もう1人脚本としてクレジットされているのが、『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』のリズ・ハンナ。かなり難産だったようで、ダン・スターリングが手がけた初稿はオバマ政権を想定してかかれており、セス・ローゲンが関わったのが8年前、セス・ローゲンがシャーリーズ・セロンに参加を乞うたのが5年前。そこから脚本を練りつつ、今回のバージョンになったとのこと。

オバマ政権を経た結果、本作の大統領は大統領時代にテレビドラマに出演し、その反響に味をしめて1期限りで大統領を止め、テレビドラマ俳優を目指すと言うトンでも設定。そして現実のトランプ大統領同様、ツイッターで過激な発言を厭わない人物として描かれる。そして、その大統領を支援するメディア王、ウェンブリーが登場する。もちろんニューズ・コーポレーションを率いるルパード・マードック。馬鹿でろくでなしの大統領とそれを支えるセクハラ、強権メディア王はまんま現実の反映だ。こんな大統領やメディア王が跋扈する世界では『デーヴ』など夢のまた夢。

そんな大統領に仕えるのが国務長官、シャーロット・フィールド。なかなかお目にかかれないシャーリーズ・セロン。ただ、嫌だ味を爆発させるシーンはジェイソン・ライトマン監督の『ヤング≒アダルト』のメイビスを彷彿とさせられる。そんなシャーロットと恋に落ちるフレッドはいつものセス・ローゲン。ただ、いつもと違って骨太のジャーナリスト=自分を曲げられない人というのが物語上非常に機能していたように思う。

中身はドラッグ、オナニー、顔射、スパンキング、首絞めセックスなどなどド下ネタオンパレードなのに、PG12指定。そしてこんな内容なのに、PC的に一切の隙の無い2020年のコメディー映画になっている。逆『プリティウーマン』という評も納得だけれども、それ以上にヒロインもヒーローも人間臭く、現代的な問題に悩み躓く。

個人的には設定としての大きさに比して、制作費の問題なのか描写がこじんまりしている点や上記のアップデートされた表現以外では凡百のロマコメと変わらないのでは?と思ったりもした。また、大まかな話の筋以外に細々としたネタが散りばめられているが、特に音楽ネタなどはかなりハイコンテクストなので、ネタが配されているのが分かるけれど、内容が分からないと置いてかれてしまう感覚に襲われる。半端に映画的な知識がある自分は、音楽的知識が足りずもどかしかった。

人を選ぶけれど、嵌る人にはとことん嵌るロマコメだと思う。もう一度行けたらいいなぁ。