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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ウディ・アレンの現在、『ウディ・アレン追放』

2021-06-19 | 備忘録



猿渡由紀著『ウディ・アレン追放』を読んだ。

現在、ウディ・アレンは自身の養子への過去の性的虐待疑惑で非難を浴び、過去の映画出演者は映画出演を後悔し、アレンとの訣別を公言し出している。また、それまでアレンの映画製作に協力していたアマゾンは一方的に契約を破棄し、アレンはどんな時も毎年一本のペースで撮り続けていた映画が撮れなくなってしまった。

その要因となったスキャンダルを軸として、アレンとスキャンダルの中枢に居る過去のパートナー、ミア・ファローの生い立ちからキャリア、出会いから別れ、そして今回のスキャンダルに繋がる事象をそれぞれの自伝や記事などを参照し、ルポルタージュとして提示されている。単純に読み物として面白かった。

基本的に被害者の声を無条件に信じるべきだと思う。ただ、著者の猿渡も後書きに書いているが、単純な性的虐待事件とは趣の異なる、アレンとのファローの愛憎の帰結のような様相を呈した事件の真偽は当事者にしか判断できないもののように思える。

読み終えた個人的な印象としては、映画のアレンが演じてきた主人公たちよりもアレンは邪悪で酷い人間でロリコンだとは思うが、ペドフェリアでは無いのでは?と言う印象だ。一方でスキャンダルの後に発表された『マッチポイント』や『ウディ・アレンの夢と犯罪』などを思い起こすと本当は?と言う思いにも駆られる。

ウディ・アレン映画を好んで観てきた人たちは必ず読んでおくべき内容だった。

さよなら、新世紀エヴァンゲリオン

2021-03-21 | 備忘録
―「シン・エヴァ – エヴァンゲリオン公式サイト」(公式

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が公開されました。1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始後、第四話「雨、逃げ出した後」から見続け、セガサターン版『新世紀エヴァンゲリオン』のためにセガサターンを買い、『新世紀エヴァンゲリオン シト育成』の為にワンダースワンを買い、『新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド』のためにPCを買ってもらい、春エヴァこと『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 シト新生』を公開初日に観に行き途中で終わったことに絶望し、夏エヴァこと『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 Air/まごころを、君に』で放心し、ニンテンドウ64版『新世紀エヴァンゲリオン』の為にニンテンドウ64を買い、『新世紀エヴァンゲリオン2』の発売に歓喜し期待と内容とのギャップにモヤモヤし、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版 序』に期待したものの肩透かしされ、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版 破』で熱狂し、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版 Q』で大いに呆れた私の情熱は今や0度以下となってしまい映画を観に行く気力は無く公開初日からネタばれを探し回り、内容を把握し、あーとってもしょうもない映画で、それを多くの人が褒め称えているのを見て本当にどうしようもないと感じた次第です。

これこそが『エヴァンゲリオン』だと思いますが、いつまでこの自意識でアニメ作っているんだと。大人になったよじゃないだろと。大人は黙ってエンタメ作るんじゃ無いのかって思います。

#52 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」、宇多丸×コンバットRECのネタバレ・レビュー対談。(リンク

この対談の宇多丸さんのネガティブなエヴァ全体に関する指摘とコンバットRECさんのポジティブな感想、エヴァは庵野監督の私小説、の両方に納得が行くものでした。

宇多丸さんの『破』の絶賛に対しての「熱血が良ければ『グレンラガン』でも観た方が良いのではと感じた違和感は分かるのですが、テレビ版、旧劇を経てのポジティブに意味があると感じた人間なので私は『破』が単にポジティブ、熱血だからよかったわけでは無いと思っております。

ここからまた『エヴァ』のゲームがリリースされることを期待します。エヴァへの興味だけが沸き立ってしまったので、エヴァに影響を受けたゲームの代表格である『ファイナルファンタジーⅦ』が未プレイだったため、今更始めてしまいました。『十三機兵防衛圏』もやり直そうか。

伯山カレンの反省だ!!が終了してしまう

2021-03-21 | 備忘録
―伯山カレンの反省だ!!(公式

テレビ朝日で放送されていた「伯山カレンの反省だ!!」が先日3月20日に終了してしまいました。ラジオでの毒舌と鬼気迫る講談で名を上げた神田伯山(放送開始時は神田松之丞)さんとモデルでネイティブだが日本語が不得手という特徴でブレイクした滝沢カレンさんの組み合わせという異色の番組でしたが、伯山さんのロケの気持ち悪さ(女性を必要以上に性的に捉え、且つそれを口にする)やロケで体のラインを晒した際の着物に隠された面白フォルムに対して、他番組では他の共演者に日本語の不得手さやその発言、発想を突っ込まれているだけのカレンさんがこの番組では伯山さんの発言の気持ち悪さ酷さに突っ込みを入れ、そのフォルムを他の番組では見られないほど爆笑するという新しい形が新鮮でした。

お二人の関係性、信頼性が少なくともテレビ番組上は伝わる中々稀有な番組でした。カレンさんは番組の中でも番組と伯山さんが大好きである旨を度々公言し、インスタグラムでも言及していました。また、伯山さんが爆笑問題の大田光さんとテレビ番組を始めた際には、嫉妬を隠さず私以外とは番組をしないでと怒りを見せました。そして番組にゲストとして出演したホラン千秋さんがカレンさんのポジションを狙っていると冗談を言った際にも「番組に近づかないで!」と嫉妬や怒りのようなものを見せていました。一方の伯山さんはカレンさんほどの言及はしないまでも、誰彼かまわず悪口を浴びせるラジオ番組においてカレンさんをして「とても素敵な人、腐せない」とまで言っておられました。

最終回のカレンさんの手紙は今時のテレビ番組では珍しい演出で、それは伯山さんと番組へのラブレターのようでした。(3月19日の「問わず語りの松之丞」では伯山さんへはカメラを回した状態で番組終了の報告をしたにも関わらず、カレンさんはショックを受けるであろうからカメラのないところで伝えたとおっしゃっていました。)

伯山さんのラジオリスナーだった私は初回から視聴していましたが、前半は視聴はしていたもののブルーレイに残していなかったのが悔やまれます。バーレスク東京回、シックスパッドジム回をまた見たかった。


ハピエスト・シーズン/私たちのカミングアウトを見た。

2021-03-07 | 備忘録
happiestseason



クリスティン・スチュアート主演、マッケンジー・デイヴィス共演のクリスマスコメディを観た。都会で暮らすレズビアンカップルが片方の実家でクリスマス休暇を過ごすドタバタコメディ。期待していたけれど、正直全体としてはヌルいコメディだったのだけれど、クリスティン演じるアビーのゲイの友人、ジョンが終盤アビーに話す話がとても興味深い話だった。その1点のみでこの映画は良い映画だと思える。

クリスティン演じるアビーは、マッケンジー・デイヴィス演じるハーパーの田舎の裕福な実家のクリスマスに誘われるが、ハーパーは自身ゲイであることを家族にカミングアウトしたとアビーに嘘を付いていた。そのため、実家には"友達"としてアビーを連れて行くが秘密にすることで生じるドタバタコメディ。アメリカではHuluでホリデーシーズンに公開されて大ヒットしたらしいけれど、日本では先日デジタル配信で。配信してくれるだけありがたい。。

全米大ヒットの期待値が高すぎたのか、正直コメディとしてはヌルめ。ただ、やはり本作の白眉はゲイカップルあるあるを盛り込んだ設定にあるのだろう。ゲイカップルのカミングアウトにまつわるあれこれが盛り込まれているらしい。ストレートでも思いつくのはカミングアウトできていなかったり、それをパートナーに共有できていなかったり、アウティングだったり、ストレートの自分が観ても辛いのでゲイの人が観るとより辛い描写があるのだろう。

また、ユルいコメディと嫌なシチュエーションが延々のでモヤモヤとしてくる。特にハーパーのアビーに対する煮え切らない態度に悲しみとイライラが募ってくるが、アビーの友人であるジョンが語るシーンにそのストレスが回収される。ジョンはアビーに彼女が両親にカミングアウトした時のことを尋ね、自らのカミングアウトした際の状況を語る。ゲイと言っても人それぞれで状況が異なるのだと彼は説く。このシーンこそこの映画の要であると感じた。こういうシーンが1シーンでもあればいい映画なんだと思う。

劇中のハーパーの地元での態度や言動を見ていると、果たして2人は幸せになれるのか?と疑問がわいてしまうが、人それぞれに事情があるのだと、そう思った。

すばらしい映画、すばらしき世界

2021-02-15 | 備忘録
whatawonderfulworld


『永い言い訳』が映画も原作も大好きな西川美和監督の新作なので、観てきましたが期待に違わず西川監督印の消化し辛いすばらしい映画でした。
殺人犯である主人公の三上が刑期満了で出所し、社会復帰をする過程を描いた映画という事で感動系を避け難いと言う印象はあるものの、西川監督の映画なので、何時辛い展開が発生するのかとどきどきしつつ、心温まる展開が始まりこれで終われるのか?と思ったら、やはり西川監督は許してくれないと言う展開でした。

後半、周囲の冷たい対応に心を折られた三上がヤクザ時代の兄貴分に電話をするシーン。それまでの下町のじめじめとして、窮々とした場面から東京上空からの夜景への転換にあっけに取られていると、夜景の光が大きくなり3点の明かりが1つに重なる映像からその光が何であったのか、遡って下町から東京上空の夜景へとシーンが一足飛びに飛んだのは何故なのかが判明し更に心を掴まれました。

その後、トラブルに飛び込もうとする三上をヤクザ時代の兄貴分の姐さんに止められたことで物語が更に展開し、三上を取り巻く状況が好転していく。三上に冷たくしたテレビディレクター、保護士、ソーシャルワーカーたちが情を欠けてくれた。三上は娑婆で就職をする。就職祝いの場で、保護士から、ヤクザの姐さん同様の言葉を貰う。社会で生きていくには三上はまっすぐ過ぎる、社会で生きていくには自分に直接関係のないことには変わらず、目と耳を塞いで見てみぬ振りをすべきであると。

その保護士の言葉を受け、職場での障碍者職員のいじめの現場を目撃しても見てみぬ振りをした。職場で障碍者職員への悪口、からかいを見てみぬ振りをした。自分を押し殺して、社会に溶け込もうとした。調和しようとした。机の上には鉄の鋏が置いてあり、やる気になればいつものように鋏でいじめやからかいの加害者の指を切り落としたりできたが、三上はしなった。物語上の展開としては、三上に情をかけてくれたテレビディレクターや保護士、ソーシャルワーカーの彼らの為に自分を殺して、社会との調和を選んだのだと思う。そのやり取りの後、三上は職場から退社する。その際にいじめられていた障害者職員から声をかけられ、台風で飛ばされぬ前にと刈り取ったコスモスを譲り受ける。三上はそれを聞き崩れ落ちる。

その夜、台風が来た。風雨に塗れぬようにと洗濯物を取り込んでいくところで三上は死ぬ。恐らく心筋梗塞で。三上はこの晩、心筋梗塞で肉体的に亡くなったが、職場で自分の生き方を社会への適応の為に曲げた時に三上は死んだのではないかと思った。この結末を何故西川監督が選択したのか私にはわからない。まだ本作製作に関連したエッセイも読めていない。三上はどうするべきだったのか。本作の結末が正解だったのか。社会との適応を捨て、自らの生き方を守るべきだったのか。それとも他に上手い折り合いの付け方があったのだろうか。それを映画を見終わってからずっと考えている。『永い言い訳』のようにハッピーエンドと言うことをはばかられる。

スパイク・ジョーンズ監督の『アダプテーション』は好きな映画で影響も受けた。社会に適応していくことが困難な男の適応する過程を描いた物語だった。『すばらしき世界』を観て、社会への適応とはどうあるべきなのか、適応することがいいことなのか。ぐるぐるずっと考えている。